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第十七話 あの日

 

 部屋全体が、闇に呑まれていく。右京の姿が消え、氷嚢も消え、手の中にあった大黒天の感触もなくなる。床も壁も見えなくなり、真っ暗闇に包まれる中で、壁のカレンダーだけがそこに存在を残す。

 カレンダーはひとりでにページがめくれ、まるで花びらが散るようにしてページが抜け落ちていく。

 十月十六日、十七日、二十日、三十日、十一月、十二月……。

 日付が進んでいくごとに、右京の死が近づいてくる。


「や、やめろ……」


 兼嗣は頭を抱えた。

 またあの日がくる。十二月三十一日。大晦日の夜に、彼女は死んでしまう。

 怖い。嫌だ。あの日の光景を、また見ることになるのか。


「やめてくれ。これは幻なんやろ。もう何も見せんといてくれ……!」


 やがて日付が十二月の下旬へと差し掛かったとき、闇を切り裂くような悲鳴がどこからか上がった。


(あの声は……)


 右京ではない。もっと幼い、少年の声。


(獅堂か)


 暗闇の奥から、獅堂の悲鳴が聞こえる。おそらくは黄泉の国へと引きずり込まれたときの断末魔だった。年の瀬を目前にして、彼は自ら呪いを生み出して自滅したのだ。

 当時のことを、兼嗣は今でも鮮明に覚えている。

 呪いの発生原因は誰の目にも明らかだった。獅堂は常日頃から、自分が本家の長男として生まれなかったことを嘆いていた。次男として生まれた自分は所詮、長男の予備(スペア)でしかない。長男の太一がこの世に存在する限り、自分は誰にも必要とされないのだと。


 ——どうせ俺のことなんかどうでもいいんだろ!? 俺が死んだって、誰も悲しみやしないんだ!!


 度々発狂していた彼の姿が、(まぶた)の裏に焼きついている。

 自らの存在意義を否定した彼は呪いを生み出し、黄泉の門を開いて昏睡状態へと陥った。だが呪いの原因が判明している以上、呪詛返しの成功は約束されていたはずだった。本家の人間も、獅堂の呪いに対して特に警戒している様子はなかった。兼嗣も、どうせいつもの癇癪(かんしゃく)が始まったのだろうぐらいに考えていた。

 しかしその後、獅堂の枕元で右京が倒れていたのを家の者が発見した。状況から見て、黄泉の国へ連れて行かれたのは間違いなかった。獅堂の呪いに巻き込まれた彼女は、そのままこちらの世界へ帰ってくることはなかった。他の者に救助へ向かわせようとしたが、こちらの呼びかけに獅堂は応えなかった。


「なんで、右京さんが死ななあかんかったんや……」


 よりにもよって、なぜ彼女が。

 獅堂があの世へと連れて行ったのは、彼女ただ一人だけだった。


「知りたいか?」


 暗闇の中で、しわがれた声が響く。

 兼嗣が顔を上げると、視線の先に一人の老人が立っていた。白い顎髭を伸ばした禿頭の男。永久時治である。


「右京がなぜ死んだのか。お前にはわからないだろう」


「え……?」


 時治は杖を突きながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


「あれしきの呪い、右京ならば簡単に対処ができたはずだ。しかし、あやつはあえてそうしなかった。自分が命を落とすと知りながら、あえてこの道を選んだのだ」


「なんや。何を言うてるんや。右京さんが……自殺したとでも言うんか?」


 時治は「ふん」と鼻を鳴らし、歩みを止める。そうしてふいと顔を横へ逸らせて、何もない暗闇の奥を見つめた。


「武藤家の倅。お前には知る義務がある。あの娘が死を選んだ本当の理由。お前が今まで知ろうともしなかった真実を、ここで見せてやる」


 言い終えた瞬間、老人の視線の先にぼんやりと光が生まれた。そこへ、まるでテレビ映像のようにどこかの景色が映し出される。


「これは……」


 映っていたのは、木造の大きな鳥居だった。その斜め手前には石碑が建ち、表面には『出雲大社』と掘られている。


「出雲大社?」


 鳥居の材質が現在とは違うことから、この映像が過去のものであることがわかる。背景は薄暗く、どんよりと曇った空から雨がしとしとと降り注いでいる。


「……ご連絡をいただいてから、ずいぶんとお待たせしてしまいましたね。なかなかお伺いできなくてすみません」


 どこからともなく、声が聞こえてくる。おそらくは映像の中のものだろう。女性にしては少し低い、凛とした声。耳にした瞬間、それが右京のものであると兼嗣は理解する。

 直後、画面の中へふらりと一人の女性が現れた。小豆色の和傘の下に見えるのは、白地の着物に男物の黒い羽織。

 無論、右京である。彼女が映し出されたことで、この映像が二十年前のものであることがわかる。

 

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