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第十四話 幼き日

 

          ◯



 同じ頃。兼嗣は川のせせらぎを耳にして目を覚ました。霧に包まれた薄暗い河辺で、彼はのろのろと上半身を起こす。


「くそ。あのジジイよくも……」


 と、自分の口から出たその声に、違和感を覚える。なんとなく、いつもより声がずいぶんと高い気がする。


「あれ?」


 再び発したその声も、やはり高かった。まるで子どものような。


「どうなってるんや?」


 彼はぺたりと地面に座り込んだまま、己の両手を胸の前で開いてみせる。

 小さい。幼子のような手のひらが、目の前に晒されている。


「ちょっと待て。もしかして」


 あることに思い当たり、彼はすかさず川の方へ体を寄せる。そうして穏やかに揺れる水面の上に、ずいと身を乗り出す。

 鏡のように反射したそこに映っていたのは、小学校低学年くらいの少年——幼き日の兼嗣の姿だった。


「おいおいおい。俺、体が縮んでるやんけ。どうなってんねん。これもジジイの仕業か!?」


 よく見れば服装はいつものスーツではなく、昔よく着ていた浴衣だった。青と白のストライプ柄で、ご丁寧に下駄まで履かされている。


「ふざけやがって。おいジジイ! 出てこいや! どこに隠れとんねん!」


 張り上げた声は何度もこだまして、やがて虚空へと消えていった。返事はない。

 まずいな、と思う。

 ここはおそらく黄泉の入口。時治の呪いに巻き込まれて、意識だけがこちらの世界へ迷い込んでしまったのだろう。そしてここから現世へ戻るためには、自分一人だけではどうすることもできない。


「おい天満。おらんのか?」


 試しに腹違いの弟の名を呼んでみるが、やはり反応はない。はぐれたのか、そもそも彼はこちら側へ来ていないのか。

 さてどうするか、と考えるより先に、体が動いていた。彼は小さな体でその場に立ち上がり、川とは反対の方向へ歩き出す。

 アテはないが、とにかく今は動くしかない。その場でじっとしていても、誰も助けには来ないのだから。


(なんか、昔のことを思い出すな……)


 自分がいま、子どもの頃の姿をしているからだろうか。兼嗣はぼんやりと昔の記憶を掘り起こす。

 あのときも、誰も助けてはくれなかった。本家の屋敷で、こちらの味方をする者はいなかった。

 物心がついた頃には母に連れられて東京を飛び出していたが、呪詛返しの力を継いだこともあり、本家からは何かと呼び出しがかかる。

 東京へ向かう度に、体が震えた。次は一体何をされるのか。特に、あの獅堂には……。


「おい」


 不意に、すぐそばから声が降ってきた。どこか威圧的な少年の声。

 ハッと兼嗣が顔を上げると、目の前にはいつのまにか、見覚えのある男が立っていた。年齢は小学校の高学年くらいだが、背丈はこちらより一回りも二回りも大きい。見慣れた黒っぽい袴姿で、ライオンの(たてがみ)のような癖のある赤毛を持つ。


「お前、性懲りも無くまた来たのか。本家の人間でもないくせに、勝手に屋敷に入ってくんなって言ったよなぁ?」


 その懐かしい声を耳にするだけで、全身が萎縮する。


「し、獅堂……?」


 思わず声がひっくり返りそうになった。

 永久獅堂。本家の次男坊であり、二十年前に死んだはずの少年がいま、目の前にいる。

 

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