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第二話 永久右京

 

          ◯



 天満にとって永久右京という人物は、子どもの頃からの憧れの対象だった。


 ——右京さん! やっときてくれたの!?


 今から二十年前。当時まだ五歳だった天満は、彼女の来訪をいつも心待ちにしていた。


 ——久しぶりだな、天満。また背が伸びたんじゃないか?


 女性にしては少し低い、凛とした声。呪詛返しの長旅から本家の屋敷へと帰還した彼女は、美しく整った白い顔に柔和な笑みを浮かべてみせた。白地の着物に、男物の黒い羽織。長い黒髪を後頭部で一つに結っているその姿は、天満にとってこれ以上にない『かっこいい』存在であった。


 ——こら、天満さま! まだお勉強の途中ですよ!


 と、教師役の親類が天満に注意する。

 その頃の天満はわずか五歳ながらも、朝から晩まで座学漬けの日々を送っていた。一般教養から始まり、本家の歴史や呪詛返しの方法について徹底的に叩き込まれる。同年代の子どもは皆幼稚園や保育園に通っている時期だったが、そんなものは幼い天満にとって想像すらつかない世界だった。


 ——まあまあ。あまりいじめてやるなよ。無理をさせると却って逆効果になるぞ。ほら天満、土産だ。


 ——わぁい! ありがとう右京さん!


 不満げな教師役を差し置いて、右京は手荷物の中から次々に土産を取り出しては畳の上に並べていく。赤福餅(あかふくもち)御福餅(おふくもち)伊勢(いせ)うどんに松坂牛のしぐれ煮。右京の買ってきてくれたそれらを、天満はキラキラとした目で隣から眺めている。そんな彼の様子に、右京は小さく苦笑した。


 ——今回は『お伊勢(いせ)さん』に行ってきたんだ。


 ——おいせさん?


 途端にきょとん、とした顔を見せる天満。


 ——ん? なんだ天満。お伊勢さんのことはもう習ったんじゃなかったのか? 三重県にある『伊勢神宮(いせじんぐう)』のことだ。正式名称は『神宮(じんぐう)』だが。


 三重県伊勢市にある『伊勢神宮』。そういえば前に習ったような気もするが、天満は「へへへ」と笑って誤魔化す。

 もともと天満は勉強が得意な方ではない。というよりも、頭の回転は早いが積極的に勉学と向き合おうとはしない。やればできるのにわざと手を抜く、というのが教師役にとってもむず痒い悩みの種だった。

 だが、こうして右京と話した内容に関してだけは妙に物覚えが良い。おそらく今回のことで伊勢神宮の存在だけは完璧に覚えただろう。


 ——そうそう。あとこれも買ってきたぞ。


 そう言って右京が最後に取り出したのは、上部に取手の付いた白い箱だった。その形状を見て、天満はもしやと思う。


 ——誕生日おめでとう、天満。


 箱の中にはたくさんのフルーツが散りばめられたホールケーキが入っていた。天満は驚きのあまり言葉を失う。

 その日は天満の五歳の誕生日だった。しかし本家にいる人間は誰もそれを祝おうとはしない。そもそも気づいている気配すらない。誰もが呪詛に関する不安を抱えて、それどころではないように見えた。

 二人の兄や両親でさえ触れなかった天満の誕生日。それを、彼女だけは忘れずに覚えていてくれたのだ。


 ——もしかして、だから今日は帰ってきてくれたの?


 もはや驚きのあまり表情を失っている天満が聞く。

 右京は一度呪詛返しの旅に出ると、そこから何週間も屋敷に戻らないのが常だった。それをピンポイントでこの日に帰ってきたということは、そういうことなのだろう。

 彼女はいつだって、天満の一番欲しいものをくれる。


 ——……ありがとう、右京さん。おれ、すごくうれしい。


 その言葉に、右京はふわりと微笑する。そうしてこちらに白い腕を伸ばして、優しく頭を撫でてくれる。その手は誰のものよりも力強くて、とてもあたたかかった。

 

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