第十五話 依存
「お、終わった……の?」
呆然とする妃頼の前で、兼嗣は崩れ落ちるようにしてその場にへたり込んだ。
「……痛っ……て……」
小さく呻き声を漏らす彼の背中に、妃頼は慌てて駆け寄る。
「お、岡部さん。しっかりして! すぐに救急車を呼ぶから……って、あれ?」
しかし、先ほど大怪我を負ったはずの彼の体には、なぜか傷一つなかった。
それどころか、あれだけシャツとスーツを赤く染めていた血も今はどこにもない。
「『呪詛返し』を行ったんでね。呪いで受けたダメージを、そのまま相手に打ち返したんです」
兼嗣が言って、妃頼は呆気に取られる。
「呪いを打ち返した……って、そんなことまでできるの?」
「家島さんが、私の言葉に耳を傾けてくれたおかげです。あなたが呪いに対する気持ちを改めてくれたから、私たちは助かったんです」
そう言って、兼嗣は微笑む。
そんな彼の言葉を受けて、妃頼は少しだけ考えてから、どこか照れくさそうに苦笑した。
「そっか。それじゃあ……あたしたちは、二人で一緒に運命を乗り越えたってことだよね?」
言いながら、彼女は兼嗣の右手をそっと両手で包み込む。
「もしかしたら、あたしの運命の相手って……頼家さまじゃなくて、あなただったのかも」
「え?」
完全に予想外だった彼女の反応に、兼嗣は固まった。
「岡部さん。いいえ、薫さま。あたし、守備範囲は二歳差までだったんだけど、あなたは見た目も中身もかっこいいし、例外っていうか……。あなたと一緒なら、どんな運命も乗り越えられる気がする。だから、これからもあたしと一緒に……」
彼女は兼嗣の手を握ったまま、頬を赤らめた顔をゆっくりと近づけてくる。
それはほとんど愛の告白のようなもので、
「い、家島さん。ごめんなさい。私にはすでに心に決めた人がおりますんで……!」
兼嗣はたまらず彼女の手を振り解き、勢いよく立ち上がると、その場から逃走を図った。
「ああっ。待って、行かないで。薫さまぁ!」
寂しげな声が背後から聞こえたが、兼嗣は振り返らなかった。
自らの呪いから解放された彼女は、きっともう大丈夫だろう。
◯
「今回は本当にありがとうございました、兼嗣さま」
スマホのスピーカー越しに、璃子の声が届く。
夜の帳が下りた温泉街。
その中心を流れる桂川沿いの道を、兼嗣はひとりスマホを片手に歩いていた。
「ほんま、一時はどうなることかと思ったわ。あのお嬢ちゃん、途中までずっとツンツンしててまともに会話もできんかったし。父親のことを聞き出せたのも奇跡的やったわ」
「家島妃頼はもともと、父親に依存していたようですね。四年前に父親を亡くしてからは、しばらく不登校にもなっていたようです。……って、今さらお伝えしても遅いですね。もっと早く情報を手に入れられればよかったのですけれど、お力になれず申し訳ありません」
「いやいや。璃子ちゃんが教えてくれた、あのアニメの情報が役に立ったわ。感謝してるで」
と、兼嗣はそこで一度足を止めた。
目の前には木造二階建ての古風な店が建っている。
黒塗りの壁に掲げられた看板には『饅頭総本山 源楽』とあった。
「……そういえば、あのボンクラの三男坊さまはどうなったんや?」
「天満さまは先ほど、こちらに帰還しました。まだお腹は痛むようですが、少しずつ顔色は良くなっていますね」
「ふうん。とりあえずそっちにおるんやな。じゃあ伝言だけ頼むわ。『饅頭屋はもう閉まってるから諦めろ』って」
店はすでに本日の営業を終え、建物の照明も消された後だった。
璃子は「わかりました」と快諾し、通話を切る。
いくら土産をせがまれたところで、店が閉まっているのならば仕方がない。
まあ、明日の朝にでも気が向けば買ってやらないこともないけど、と兼嗣は再び歩き出す。
「さてと。そろそろ旅館の夕食の時間やな。静岡は生わさびが新鮮で甘いって聞くし、楽しみやわ」
ようやく一息つけると安堵する彼の声は、川のせせらぎに紛れて、夏の夜風に溶けていった。