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第98話 王都凶来・裏切り者のレクイエム

 偽装をかけた上で放たれた強烈な火魔法【怪焔を喰らうフェンリル】。 


 この逢坂の攻撃を食らって、稲田は死んだはずだった。


 しかし今彼は立っていた。逢坂の【グレイフニル】によってグルグル巻きで拘束された飯尾、断頭寸前の松永と、断頭する側の逢坂の前に生きて立っていた。


「輝明……! テメェ、何で生きていやがる!?」


「耐えた」


「ほう、耐えたか……」


 稲田は無理くり笑みを作って返す。

「ああ……我慢強さに関しちゃあ俺だって強いんだぜ……」

 直後、稲田はよろめき、左手に持っていた大槍を地面に突きさし、それを支えにしてかろうじて体勢を保つ。


「……ま……ぶっちぎり一位は飯尾に譲らざるを得ないがな」


 右腕は力が入らずだらんと垂らしたまま。血で染まった左目はつむらざるを得ない状態にまで傷つき、全身は火傷で覆われている。

 今の稲田は、とても普通ならば立っていられるのも不可能なほど満身創痍となっていた。


「……で、輝明。お前そんなボロボロで何するつもりかね」


「決まってんだろ……テメェを倒すんだ!」


「そんな『死にかけ』でかァーーッ!? まさしく『風前の灯火』ってゆーよーに、このまま風に当たっても死にそうなくらいの『死にかけ』でかぁーーッ!?」


「ああ、そうだあ!」


「何のためにだ!?」


「そんなのテメェを倒すこと以上に決まってんだろ……昇太と晴幸と光の仇を打つとか、王都をこれ以上好き勝手にさせないとか、理由は色々あるけどよ、何よりも……!」


 稲田は怒りに燃える双眸で、逢坂に髪を掴まれたまま、彼に殺されることを待っている松永を睨み、

「お前が許せないからだ、松永あああ!」


 松永が不思議そうに稲田を見つめた。


 道の端で横になっている飯尾は怒鳴る。

「この期に及んでまでそれか! おい稲田、どこまで松永のことが嫌いなんだよ!」


「うるせええ! 嫌いなもんは嫌いなんだからしょうがねぇだろうがあああ!」

 

 飯尾に一言怒号を浴びせた後、稲田は再び松永を睨んで、己の本心を語る。


「前に言っただろ、俺はお前の何も手を付けようとしない見た目も、一切口を開かない暗い性格も嫌いだ。そして何よりも、その自分は何も出来ない人間だと言わんばかりのクソッタレた態度がムカつくんだよ。

 ――どうして好きなように動かないんだ、ってなああああ!」


「……!」


「中学の頃、周りに合わせて自転車が欲しいっていったら、週末にママチャリに毛が生えたくらいの性能の自転車を買ってくれたくらい、俺の親子関係はお前ほど複雑じゃねえからトンチンカンなこと言うかもしんねえけどよ……

 お前が有原の親父を殺したわけじゃあないんだろ!? 真壁が幽霊になって憑いてあれこれ指図してるわけじゃあないんだろ!? お前を縛り付けたり咎めたりする奴はもう誰一人だっていないんだろ!

 だったらもう何にも怯えず、好き放題やってみろやあああ! ぶち怒られんのも後回しにしてなああ!」


「……けど……私は……これまでみんなを……」


「過去だの運命だの、どうしようもならないくて都合のいいものにこだわるんじゃねえ!

 大事なのは『自分』だろうがあ!

 細かいこと気にしないように! 後悔することから逃げてますます『何も出来なかった』って後悔しちまわないように! 失敗と成功の一瞬一瞬を積み重ねて、ドカッと笑えるように動いたほうが精神的な健康においてもいいに決まってらあ!」


「……けど……けど……」


「『けどだって』ばっか言って自分を傷つけないことばっか考えるんじゃねえええ! 何も気にしないで、自分がすげえイイって思う方へ、バカ正直に踏み出せええええ! クヨクヨすんのは後回しにしてよおおお!」


 稲田は、地面に突き立てた槍から放した左手を顔の前に持っていき、そこで強く握って見せる。するとその指の間などの隙間から、赤黒く、禍々しい炎が漏れ始めていた。


「今、俺がみせてやるようにな……!」


 先程、逢坂は稲田の熱弁にニタニタしながら聞いていた。

 だがこの稲田の行動を見た途端、彼はふと真顔に戻るほど動揺した。


「おい輝明! それだけはやめろッ! テメー、昇太どころか久門さんにまで『それだけは使うな』と何度も釘をブッ刺されたのを忘れたのかァーーッ!?」


「もうアイツは死んだ……だったらその約束は失効済みだ! お前ごときが指図するんじゃねえええ!」


 赤黒い禍々しい炎は、稲田の左拳だけでなく全身を覆っていく。

 そして稲田が完全に炎に包まれた時、彼は両手を引いて構えながら、叫ぶ。


「見ていろ松永、そして飯尾! これが俺の根気の化身だああああ! 【悪魔化】アアアア!」


 刹那、稲田を包む炎が激しく燃え盛っていく。稲田の叫びが人のものから獣染みたものへと変わっていく。


 炎が収まった時、満身創痍の稲田の姿はそこにない。


 代わりにあったのは、彼と比べて一回り大きい強靭な肉体、天へと伸びた双角、大きく開いた口、ズラリと並んだ牙を持つ――悪魔だった。


「いくら死に際とはいえど、ま、マジでやってのけただと……輝明!」


「ウアアアアア!」

 と、悪魔と化した稲田は地面に突き刺さった槍を引き抜き、地面を一蹴りした後、逢坂へと振り下ろす。


「邪魔だテメー!」

 逢坂は松永を乱暴に横へ投げ飛ばした後、右手に持つレーヴァティンを上に掲げて、稲田の槍を受け止める。


 相手の膂力の凄まじさ故に、逢坂の足元にクレーターが出来る。

 逢坂は押し付けられる攻撃の重さと、槍から伝わってくる高熱、それから稲田の邪気に怯む。


 このまま潰される訳にはいかない。


 逢坂は納めていた短剣を左手で逆手持ちして引き抜き、

「【轟雷を退かすヨルムンガンド】!」


 眼前に振るうと同時に、蛇を象る稲妻の束を放つ。


 稲妻の束は稲田の頭に命中し、一瞬槍に込められた力が緩む。


 その隙に逢坂は【海空を踏むロプト】で斜め後ろに浮上し、稲田との距離を空ける。

 だが、稲田に一瞬にして体勢を立て直された。彼は地面を揺らすほど強く跳び、再び眼前に据えた逢坂へ槍を単純に振りかざしてくる。


「そんなになってもテメーの単純さには惚れ惚れするぜェ〜!」

 

 逢坂はそれを狙っていた。稲田の槍を簡単にかわすと同時に、相手の頭に接近し、


「【霊氷を統べるヘル】!」

 極点の冷気を帯びた剣を突き立てる。


 その刺さった部分から、稲田の頭は凍っていく。

 だが、数分前に大関を凍結粉砕した時と比べると、明らかに進度が遅かった。


 そうこうしている間に稲田は勢いよく首を下へと振り、逢坂を地面に叩き落とす。

 首を上げた時、稲田の頭にあった凍傷はすっかり消えていた。


 稲田は地面で倒れる逢坂めがけ、一気に落下する。


 当然、逢坂はぺしゃんこになってたまるかと、再度飛翔し、それを避ける。


 そして、逢坂は一言。

「あ、あそこまで通用しないとは……ショゲちまうじゃねぇかよ……」


 スキル【悪魔化】。

 効果は名前の通り、自分の身体を悪魔として、肉体の強化とステータスの倍化を行う。

 これにて稲田は邪神獣にも比類するほどの力を手に入れることが出来る。


 しかし、このスキルには二点の問題点がある。

 一つは『これを発動すれば二度と人の姿には戻れない』こと。

 もう一つは『理性がなくなり、敵味方の区別なく永遠に暴れまわる』こと。


 この問題点から、生前の梶……どころか、石野谷や久門など、久門一味全員から『絶対に使うな』と、このスキルを禁戒とされていたのだった。


「ま、マジかよ稲田……そこまでやれんのかテメェは……」


 道の横で横たわっている飯尾も、そのスキルの詳細を知らないながらも、この危険性を強く感じ取った。

 殺意に満ちた目をしながら、人の姿の稲田以上に叫び、暴威を振るう稲田は、まさしく悪魔のそれであり、退くことの出来ない人間なのだから。


 一方、逢坂は、

「わかったよ輝明……それがお前の『覚悟』っていうのなら、俺にはそれを真正面から受け止める『義務』がある」

 と、言いつつ、逢坂は対空場所を移す。

 半壊した家屋の壁の裏で、稲田に怯える松永の頭上にだ。


「て、テメェ! 今の稲田の状態を利用して、巻き込み事故を狙うつもりか!」


「るせェッ、使えるものは全て使って何が悪いッ! 今更清廉潔白の高潔な勇者になんぞ戻る気は更々ねェーぞッ! さぁ来やがれ稲田ァーッ! 俺はここにいるぞォーーッ!」


 逢坂の予想通り、稲田は跳んで逢坂と高度を揃えてから、槍を振りかざす。


 逢坂はそれをひらりとかわし、稲田の槍が下へと向かうのを眺める。


 そして稲田は落下すると同時に、得物の槍を松永の頭上スレスレで止めた。


「……! 稲田……?」


 稲田は怯える松永を申し訳なさげに一瞥した後、上へ、本来の敵を見上げる。

 そして彼は咆哮と同時に、得物の槍を逢坂へとつき出す。


 逢坂はこれまた槍をかわしつつ、

「な、何ぃィィーッ!? 『フレンドリーファイア設定』が入ってないだとォーーッ!?」


 松永に気概を見せ、逢坂を討つ。悪魔と化しながらも、稲田はその使命を忘れていなかった。

 稲田は、スキルに記載されていた効果という運命さだめを覆したのだ。


「……そうか、すまん、稲田」

 飯尾は、その稲田の根気に感激せざるを得なかった。


 逢坂は自分一点に向けられる稲田の猛攻を飛び回り避ける。

 そして彼は思う、『このままではマズい』と。


「どうせならこれを使わずに完勝したかった……だが、ここまでされちゃあ使わざるをえんッ!」


 逢坂は左手に持った短剣を稲田へとなげうつ。


 短剣は稲田の右肩に刺さった。だが悪魔化した稲田の強靭な肉体に対しては全く効果はなかった。


 だが、逢坂はこの攻撃になど期待していない。逢坂は左手さえ『空け』られればそれでいいのだから。


「【神器錬成:ミストルティン】」


 逢坂は虚空から枝葉を模した短剣を生成し、それを左手で逆手持ちして握る。


「食らえっ【怪焔を喰らうフェンリル】……プラスッ! 【轟雷を退かすヨルムンガンド】!」


 逢坂は右手のレーヴァティンから、神狼を象る業炎を、左手のミストルティンから神蛇を象る稲妻を同時に、凄絶に射出する。


「スキルの同時使用だと……!」


 稲田は飛び上がるのを中断し、両腕を空中に向け、二つの魔法をガードする。

 だが、逢坂が自慢とする二つの魔法を同時に受けるのは無理があった。

 稲田の両腕は激しく負傷し、地上へ


 神器【ミストルティン】。

 それに含まれた膨大な魔力を利用し、一つのスキルを発動する瞬間に、もう一つのスキルも同時に発動する媒体となる短剣だ。


「このまま一気に突き抜けてくれるッ! 【ヘイル・ラッシュ】アンド【ブレイズ・ラッシュ】!」


 これ以上のガードができなくなった稲田に、逢坂から炎と氷の斬撃波を五月雨の如き勢いで連射される。


「グアアアアアア!」


「オラオラオラオラオラオラオラオラァーーッ!」


 稲田の強靭な肉体に傷が積み重なり、看過できない程のダメージが募っていく。

 そして稲田は悲鳴めいた叫びを響かせながら、背中を地面につける。


「これでおしまいだァーーッ! 【霊氷を統べるヘル】ダブルパック!」


 逢坂は稲田へと降下しつつ、レーヴァティンとミストルティンの両方に冥府から持ち込んだような冷気を帯びさせ、それを稲田の身体の中心に深々と突き立てる。


 逢坂の希望通り、稲田の肉体は中心からみるみるうちに凍結していく。


「ま、負けるな、稲田ァァッ!」


「稲田……ァ……! 輝明ィィィィ!」


 飯尾と松永の声援に応えるためか、自分の気概がへし折られるのを是としなかったためか、このまま逢坂の一被害者の列に並ぶのことへの抵抗か、はたまたそれ全部か。

 稲田はかろうじて動く両腕を動かし、自分の身体の中心――逢坂に、半分に折れた槍の切先を、ナイフのように両手持ちして向けて、全身全霊をもって動かす。


「悪いな。仕上げは自分でやってくれ」


 稲田の凍結度が半分程度のところで、逢坂は飛翔し稲田から退避する。

 そして稲田の氷漬けの胴体に、自分の槍がバキバキと突き刺さった。


 胴体の中心から崩壊しつつある稲田を見下しながら、逢坂はつぶやく。

「直接的な死因は『自滅』か……実に『向こう見ずな奴』らしい最後だった、な……」


 その最中、胴体に風穴が空いたままの稲田は立ち上がり、逢坂めがけ跳び蹴り繰り出す。


「決め台詞くらいしっとり言わせろコンチキショウがァーーッ!」


 逢坂は右手のレーヴァティンに力を込めて、強く振るう。

 豪快な炎の斬撃が稲田の身体を縦一閃に突き抜ける。

 そして逢坂が悠然と着地した時、頭上から灰と氷片が花びらのように舞い落ちた。


「……い、い、稲田ァァァァァ!」


 どれだけ傷つこうとも、自分を悪魔としながらも、たとえ死ぬとわかっていても、最後まで自分の意思を一ミリでも未来へと進めようとした。


 しかし逢坂はそれを嘲笑って、圧倒的な力でねじ伏せた。

 そんな稲田の悲哀と情熱溢れる最期に、飯尾は涙を流し、絶叫せざるを得なくなった。


 これが、紐で全身を縛られ、身動きを封じられた飯尾の、稲田へのはなむけであった。


 そんな飯尾の姿を、逢坂はそれすらもフッと鼻で嘲笑い、鎮魂歌レクイエムを奏でるように、静かに総括する。

「晴幸、光、飯尾、そして輝明、こいつらには散々手間をかけちまった。けれども王都に残存するまともな戦力は消え失せた。あとは王都の隅々まで残党掃除して、有原たちをもてなす準備をするだ……」


 最中、逢坂は咄嗟にミストルティンを右方向に振るい、電撃を散らす。


「……どこの風の吹き回しだ?」


「……自分はずっと親父や里家のことに怯えて、『消える』か『言いなりになるか』でしか意味のない人間だと思っていた……それが『運命』だと思っていた……」


「運命『だと思っていた』じゃない。運命『だ』でいいんだぜ」


「……けど、それは決して正しくなかった。気付かされた……それこそが逆に意味のない人間になる誤った過程だって。逃げ回ったって、どうにもならないなんて……」


「おい、俺の話聞いてるか?」


「だから私は……いや、俺はアンタの道を受け継ぐよ……輝明……!」


 まさに青天の霹靂だった。

 稲田は予想外にも繰り出されたパンチを受け止められず、顔面から痺れを感じながら、五歩ほど後ろに突き押される。


 自分の油断を内心戒めつつ、逢坂は双剣を構え直して、

「見違えたじゃねぇか、テメー……」

 と、眼の前にいる、完璧かつ優美に肉付いた敵へと言う。


 神々の覇気を表すような雷光の輝きのように青緑に染まった長い髪。

 それを、過去との決別を示すように、電熱を使って乱雑ながら短く切り揃え、

「うるせぇ。アンタの褒め言葉にならない褒め言葉なんてもううんざりなんだよ」

 端麗な顔をしかめて、松永は言った。


【完】


■登場人物

稲田いなだ 輝明てるあき

 レベル:60

 ジョブ:【格闘家】

 神寵:【アドラメレク】

 スキル:【アドラ破砕脚】、【悪魔化】


 一年二組の男子生徒。石野谷一味の一人。眼力が凄まじい。

 簡単に言うとバカ。非常に単純な思考回路を持つ人物。何事も感情だけで動きがちな性格。そして声がうるさい。

 ジョブは【格闘家】。三メートルもある大槍を活用しての蹴りが得意。

 神寵【アドラメレク】により、全体的に平均以上のステータスを獲得した。また、各種格闘攻撃に高熱を帯びさせる。これによりますます単純明快な力押し中心の戦闘が可能になり、『石野谷一味の特攻隊長』にふさわしくなった。

 誇張無く最後の手段として、スキル【悪魔化】により、自分を強大な力をもってして暴れ狂う悪魔に変貌できる。

 嫌いなものは『何もしないこと・できないこと』。

 アドラメレクとは、セファルワイム、サマリアなどで信仰されていたとされる太陽神。現在では悪魔として扱われている。

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