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第96話 王都凶来・トツカの過去

 話はさかのぼること、今から十二年前。


 有原たちの住む某市に君臨する地方ゼネコン『真壁グループ』。

 そこの土木工事業を主とする部門に、十束とつか貴史たかし(当時三十六歳)という社員がいた。


 十束は高校卒業後、部活の先輩のコネで当社へ入社し、平均的な働きぶりをみせていた。


 十束は第三者から見れば、あまりいい人間ではなかった。

 

 身だしなみについては無頓着で不潔。

 口調は乱暴で下品な言葉も平気で使う。

 好きなものは酒とタバコとギャンブル全般、おまけに兵器模型。

 

 そしてその性格は物事を客観的に見ず、他人への配慮が一切ない自分勝手というものだった。


 特に彼の酷悪さを示すのは家族への接し方だった。


 十束は自分と似たような刹那的な不良の女性と結婚し、当時三歳の娘を授かっていた。


 しかし十束は彼らにも愛情を注ぐことはなく、『なんかついてきた』ぐらいの感覚で接していた。

 

 妻には、家事全般を全て押し付け、少しでも手を抜いたように思えば激しく叱責する。

 娘が子供らしくあれこれねだっても、たとえそれが何の予定もない休日でも無視する。


 挙句の果てには『遊び』と称して、自分の趣味の模型作りの内にある面倒な作業をやらせる始末だった。


 十束は夫としても父親としても落第点の行動を取っていたのだ。


 そんな評価点を見出しづらい男である十束だが、会社からの評判はさほど悪くはなかった。


 昔気質の乱暴さも、酒とタバコとギャンブルは男ならのめり込んで当然という押し付けがましい価値観も、『男は仕事、女は家事』という柔軟性と尊重性の無さ過ぎる前時代的な固定観念も、建設業界には非常にありふれている思想であるからだ。


 だから、十束が家内のことを必要分しか話さないことも相まって、十束は周囲からは『普通の職人』程度の認識であり、特別嫌われることはなかった。


 そうして十束は同僚や上司からの程々の信頼を得ながら、自分の好きなことばかり考えながら、一作業員として仕事を惰性で取り組んでいた。


 しかし、そんな自堕落な生活は永遠には続かなかった。


 ある集合住宅の土木工事現場でのこと。


 ここには十束の会社だけでなく、アウトソーシングを多用する真壁グループらしく、数多くの下請け企業が参画していた。


 ある時、十束はその下請け企業の一つの、彼と比べて二回り若い、業界に入りたての若手社員と組んで作業していた。

 若手社員はそれらしく経験が浅いため、十束に何度も質問をした。


 十束は最初の方は先輩らしいところを見せようとしっかり――彼基準で。第三者からすれば雑――と答えていた。

 だが、回数を重ねるごとに十束はそれが億劫になり、徐々に本当に雑になっていった。


 この業界で本当に成長する。そういう初々しい気概があったのだろう。若手社員はそれでも根負けせずに十束への教授を求め続けた。


 だが十束には、それをただ『しつこい』と思い込み、不快に思った。


 そして彼は堪忍袋の緒が切れた。


「学ばないくせに調子乗るな!」と、怒号を浴びせてから、その辺に落ちていたコンクリートブロックを彼のヘルメットへ叩きつけた。

 

 流血などの重傷はヘルメットのお陰で免れたのは幸いだったが、これで若手社員は頭と首を痛めて、数週間入院することとなった。


 当然、若手社員が籍を置く会社はこれに激怒し、すぐさま法的措置を取る姿勢を見せつつ、対応を求めた。


 一方、十束は特に悪びれもせず、新入社員がいなくなった現場で気楽に働いていた。


 ハラスメントの根絶など、世間の風潮に歩み寄る姿勢が比較的少ない建設業界の中でも、特にその傾向が強いのが真壁グループ。


 社員にとって、下請け会社や若手社員に『立場』の後ろ盾をちらつかせながら暴力暴言を浴びせるのは日常茶飯事。実際に十束も真壁グループ重役社員が下請け会社の社長の頭を角材で殴ったのを見て笑っていたことがある。


 だから十束は、きっとこの問題もうまく黙らせてくれるんだろう。と、高を括っていた。


 暴行事件から僅か三日後、十束の元に解雇通知書が届いた。


 真壁グループにとっては、松永は末端の人間であり、替えの利く駒でしか無い。延焼を防ぐためなら、平気で切り捨てられる存在だった。


 これに十束は猛反発し、一切のアポを取らずに本社へ突撃した。しかし既に真壁グループ上層部はそれを読んでおり、彼は『お達し』を受けた警備員によって門前払いされた。


 彼は食い下がり、強引に社長室へ突入しようとしたが、これもまた警備員に力づくで押さえつけられ、挙句の果てに建造物侵入罪で現行犯逮捕された。


 幸いにも、突撃未遂事件は不起訴となった。しかしこの間に、妻は、『自分の身勝手で職を失うほど乱暴な夫に寄り添う気はない』と、置き手紙を残して家から永遠に外出した。

 

 瞬く間に、十束は職だけでなく妻まで失った。


 残されたのは自身の両親が残したオンボロの家と、手のかかる娘だけ。これからをやり過ごすための金銭は、これまでの刹那的な生活では貯まるはずもなかった。


 十束は自信の経済状況を立て直すため、娘を弱らせるというしょうもない理由で逮捕されることを防ぐため、すぐさま新たな職を得ようと活動した。


 だが、前職の退職理由があまりにもマイナスなこと、前歴が付いていること。そして某市の建設会社は全て真壁グループの息がかかっているため、再就職は困難を極めた。


 十束は職業安定所の職員に怒鳴り散らした後、借金でこれまで通りの低俗な欲求を満たし、日頃のストレスと賭けの敗北を一時的に忘れる目的で、食って飲んで寝る。という最低な日々を送った。


 同時に、娘はますます父親に構われなくなり、それに反比例して細かい家事や、面倒な模型作りをやらせられた。娘は子供らしい無邪気で明快な性格を失いつつあった……が、十束はそれに一切の興味を示さなかった。

 

 こうして十束は、うまく行かない人生を恨み、自分の思い通りに動いてくれない社会に憤っていた。

 決して自分の性格や行動が災いとなっているとは思わなかった。何もかも、周りが悪いと決めつけ続けるのが当然だと彼は決めつけていた。


 そうした徹底首尾に他責とする性格と、尋常ならざる困窮は、危険な思想へと繋がっていった。


 ある日から、彼は職業安定所に行く代わりに、インターネットに入り浸るようになった。


 当時の十束は、ネットの隅から隅までを調べ尽くし、世界を意のままに操り、一般市民から搾取をしているという裏のパワーエリートを追跡することを使命としていた。

 十束は画面の向こう側にいる志を同じとする人々と団結して、この腐敗した世界を正そうとしていた。


 十束は、いわゆる『陰謀論』に感化されたのだ。


 一切形のない存在と戦い続けることは、ギャンブルにのめり込むことよりも、職業安定所の職員へ怒鳴るよりも無意義なこと。


 清々しいほど都合のいい悪の組織と戦うことが最重要事項となった十束家の暮らしの質は、より一層日に日に悪化していった。


 それは娘が小学校に入学してからも改められることはなかった。


 彼女が粗末な身なりをして、劣悪な持ち物を持って周りからいじめられても、彼は決して自分が悪いとは思わなかった。


 しかし、九年前の九月末。事態は急変した。


 きっかけは十束の娘の一言だった。


 その近日、十束の小学校で授業参観日があり、娘は自分の家庭の異常さを――親が子供のことを見守ってくれないことを強く思いしらされ、恥をかいた。


 だから娘は、父親へ一切の遠慮なく言った。


「どうしておとうさんはなにもできないの」と。


 これに十束は激怒し、娘を殴ろうとした。


 しかし彼は実際にはそうしなかった。

 大人たちの感情を満たすために児童を酷使のは、標的とする『組織』と同じだからだと思ったからだ。


 だから十束はその代わりに叫んだ。


「だったら今に見ていろ! 俺が奴らに制裁を下してやる!」


 十束はネットの奥にある、陰謀論者のコミュニティに意見を募り、自分でもいける範囲にいる、闇の組織の一角を探した。


 すると一人のメンバーは言った。

『貴方の住んでいる市の政治家と、そこの大企業、真壁グループの中に組織の構成員が潜伏している』


 これはそのメンバーが本気で思い込んでいるのか、それとも、こういった歪んだ思想の人々を弄んでいる、最低限のみ正常な思考を持つ者が嘘を言ったのかはわからない。


 だが、この邪悪な助言が十束を突き動かすのは実に簡単だった。


『わかった、すぐに決着をつける』

 と、書き込んだ後、彼は行政と真壁グループを打ち破るための手筈を整えた。


 なけなしの金銭で包丁やナタなどの刃物を買い込み、二団体へ急襲する機会を調べた。


「そういうことじゃない」

 と、娘は父親の暴走を止めようとしたが、案の定、彼は聞く耳を持たなかった。


 約三週間後――現代から言うのなら、約九年前の十月十六日。


 十束は自家用車のワゴン車を運転し、市の新しい役場の竣工式へ向かった。


 後は周知の通り、十束は、式に参加していた行政や真壁グループの重役、それとたすくの父である警官『有原ありはらたくみ』を含む、死傷者二十一人を出した上で現行犯逮捕された。


 本当に倒すべき敵――闇の組織の構成員と思っていた、市長と、真壁グループ社長に自分の刃が届かなかった。その無念を噛み締め、ますます憎悪を膨らませながら彼は留置所へ送られた。


 彼の国選弁護人には、海野うみの興景おきかげという男がついた。

 海野は『もはや死刑は免れられない』と悟りながらも、せめて彼の思いを社会的に意義のある形で裁いてもらおうとした。


 だが十束は、もはや正常な思考は有しておらず、海野弁護士の助言を全て無視して、取り調べから裁判中に至るまで市長と真壁社長と『秘密結社』について脈絡なく怒鳴り散らした。


 こうして十束は最後まで社会に愚劣な印象を残したまま、死刑囚として刑務所に収監されている。

 そこでも彼は性懲りもせず、悪の組織と戦おうと日夜奇声を発しているという。


 こうして、十束の娘――『十束とつか十華とつか』はもう片方の親も失った。


 そして彼女は事件から一年後に、真壁グループの社長、真壁まかべ利一郎としいちろうの里子になった。


 ついでにこの際、忌々しい父親の趣味が反映され、高射砲の8.8(アハト・アハト)をイメージして付けられた珍妙な名前を、『松永まつながみつる』という当たり障りのない、過去を払拭させる名前に変えさせられた。


 当時のビジネス系のメディアの取材によると、真壁社長は『あの事件の根底の原因は私にあるので、せめてその罪を償いたい』という気持ちで里親を引き受けたとされる。


 そのことが決まった時、松永は胸をなでおろした。

 ようやく、みんなと一緒の温かい家庭で暮らせるんだ。と、未来を想像して。


 しかし、現実はその予想を遥かに下回るものだった。


 松永が里子になって間もない頃、真壁社長は部下たちを使って、年齢にそぐわぬビジネスマナーや、名門私立小学校で学ぶような難易度の高い学問を、体罰を加えながら学習させた。


「なんでこんなことをしなきゃいけないんですか」

 と、松永は自然に尋ねると、毎日入れ替わる専属の講師は、言葉に差異はあれど、

「犯罪者の娘を有効活用するためだ」

 と、一切の配慮もせずに言ってから、彼女を一発殴打した。


 松永が真壁社長の里子になった経緯は、非常に経済的で、複雑で、それでいて酷薄なものであった。


 あの事件直後、各所メディアは連日、それに関するニュースを報道した。

 特に取り沙汰されていたのは、『市長の怠慢』についてだ。


 事件発生から間もなく、十束容疑者の動機が『職を失ったことによる生活の困窮』だと判明した。

 その時、メディア各所は彼を解雇をした『真壁グループ』と、失業支援などの福祉を行うはずの『市政』に問題があったのではという推察を報道し始めた。


 真壁グループは事件から一週間以内に記者会見を行い、『彼の素行に問題があった』ことなどを誠意を持って釈明し、すみやかにその疑念を晴らした。


 しかし市の行政は、役所特有のフットワークの重さと、党事務所本部からの意向によって、記者会見を開いたのは事件から一ヶ月後となってしまった。


 これで世間は『某市の行政は愚鈍』というイメージを持ち、市民からの信頼を失ったのだった。


 以降、市長は、党の意向に従い市長のままであり続けて、市の政権を安定させることに奔走せざるを得なくなった。


 そこで真壁グループは市長に、組織票などの政治的援助を提示した。

 政治家にとっては悪魔に魂を売るようなこととはわかっていた。だが、市長は、自分の務めに反する訳にはいかず、これを受け入れた。


 まさしく、民間企業と市政のパワーバランスが崩壊した瞬間だった。


 一方、真壁グループは見返りとして、市が主体で行う公共工事を専有することになった。

 こうして真壁グループは市の公共工事を占有し、地方ゼネコンとしてのさらなる高みへと至った。


 以降、市長の政治的地盤は真壁グループからの支援が大半を占めることになった――市長は、真壁グループの意向に従う傀儡に成り果てたのだ。


 だが、市長は一政治家として、この歪んだ現状を引きずるつもりはなかった。


 十束が真壁社長の里子になる一ヶ月前。


 真壁社長が市長へ提案をしに来た際、市長は真壁社長にある相談を投げかけた。


「今後もこの蜜月な関係を続けるために、その決意表明の一環として、貴方の子女を、私の息子の『将郷まささと』の許嫁としていただけないだろうか?」


 いわゆる政略結婚の相談だった。


 真壁グループはそうした時代齟齬な戦略を用いて今の経営地盤を築いたため、政略結婚そのものに抵抗はなかったし、こちらとも市政とは関係を強めたかった。


 だが、真壁社長はその相談に乗り気にはなれなかった。


 社長には、理津子りつこという子女が、たった一人だけいた。


 理津子は幼いながら自分の帝王学にもついていけるほどの聡明な才女であった。

 彼女が真壁グループを後継すればきっと会社はますます繁栄するだろうと信じていた。


 故に社長は、理津子をただの無才な市長の息子の許嫁とするのは、あまりにも割に合わないと思った。


 真壁社長はこの縁談を持ち帰った後、すぐさま重役を召喚して会議を行った。


 この会議は紛糾した。


 許嫁とするか、後継者とするか。重役は二手に別れて過激に議論した。


 そして会議が平行線を辿り、泥沼の様相をなっていく中、『鳥飼とりかい大樹たいじゅ』という社長と長い付き合いのある重鎮が鶴の一声を発した。


「娘を足せばいいじゃないですか。近頃、『十束』という孤児がこの市にいるではありませんか」


 こうして松永は里子として真壁社長の元に来た。

 ――市長の息子の許嫁として利用されるためだけに。


 下手をすれば、本当の父親にいた時のほうがまだマシであったほど、毎日が地獄であった。


 学校――里子になってからは真壁グループの子供たちが大勢いる小学校へ転校した――の放課後や、休日などの空いた時間は、全て賢妻となるための『教育』に使われた。


 どれだけ頑張っても誰にも褒められることはなく、一挙手一投足を寸分の狂いなく矯正させられた。

 少しでも笑えば『気のたるみ』として暴力を振るわれた。


 頼れる人は誰もいなかった。

 教育係の大人たちは勿論のこと。里親である真壁社長も、松永には許嫁としての役目を果たすことしか期待しておらず、一滴も愛情を注ぐことはなかった。


 真壁グループには同じくらいの年の子供が大勢いたが、彼らは松永の正体を知っているため、彼女を人殺しと同等の扱いをして忌み嫌い、仲良くしてくれなかった。


 けれども、松永は決して現状を完全に悲観することはなかった。

 みんなが望むような完璧になれば、誰か一人でも自分を認めてくれる。


 そう信じて彼女は厳しい教育の日々を乗り越えようとした。


 だが、その一筋の希望は、そう長くは持たなかった。


 ある日の放課後、松永は、真壁グループ社員の子供が集まる学童のような場所に来て、今日の教育係を待っていた。


 そして松永はいつものように他の子供たちにいじめられていた。それをいつものようにじっと我慢していた。


 最中、一人の少女が危険性を承知の上で、長方形の積み木を、松永の顔めがけ思い切り投げつけた。


 松永は目をつむり、手を前に出して防御しようとした。だが、彼女のどこにも積み木が当たることはなかった。


 フェイントをしかけたのだろうか。と、思った松永は確認のため、恐る恐る目を開いた。


 するとその目線の先で、積み木を投げた少女が、他の少女にビンタされていた。


 何があったのかわからない松永は、なんとなく周りを見た。ビンタをした少女のすぐ隣りにいる、少しだけ背の高い少年を除いて、ここにいる子供たち全員が怯えていた。


 そしてビンタをした少女は踵を返し、一つ上の学年と思うほど凛とした風体をはっきりと松永に見せた。


 直後、その少女は、鉄パイプと木板で構成された椅子を持って、思い切り彼女へ振りかざした。


 そしてその少女は、流血してすすり泣く松永を指差して、

「見たか、とりかい……! はんざいしゃの子どもははんざいしゃになりうるんだから、こうやってしつけるんだ……つみ木なんかじゃ足りないんだ……!」


「は、はい……ごめんなさい、りつこさん……!」


 同じぐらいの子供にまで、しかも、自分の義理の姉にまでこうもされては仕方がなかった。


 以来、松永の希望は何一つなくなった。


 口数もめっきりと減った。


 食事も、次の時まで動けるくらいの最低限の量しか通らなくなった。


 上からどんな無茶を言われても、ただ従うことしか考えられなくなった。


 松永充――十束十華は、普通なら生きる価値のない、市長の息子の許嫁となるためだけに、かろうじて命を繋ぎとめている人間だ。

 

 と、彼女はそれを世界の理のように認識して、今に至る。


【完】

今日の話末解説もございません。

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