第2話 異世界へ
一年二組の三十七人が目を覚ますと、そこは山頂だった。
ただし、さっきまでいた草木に覆われた自然豊かな山頂ではない。
周囲にはところどころ風化した石造りの柱が数本立ち、地面の石畳には先ほど空中に表れた魔法陣と同じ文様が彫られている。
遠景は無骨な岩肌ばかりが見え、そして空はありえない大きさの鳥が飛んでいる――なんとも幻想的な場所であった。
「やっと、やっと成功した……」
余程成功したことが嬉しかったのか、ここに至るまでの道筋で疲れ果てたのか、鈍い青色の鎧を纏う、三十路を過ぎたくらいの男は、石造りの祭壇へ寄りかかった。
大半のクラスメートが状況が呑み込めず困惑する中、有原は男の様子を心配し、
「大丈夫ですか、あなた!」
男の方へ駆け寄った。
「……私は大丈夫だ。むしろ、君たちは、どこか具合が悪いところは無いか?」
「僕は何ともないです? 勝利、お前はどうだ?」
有原に尋ねられた篠宮は目をこすりつつ答える。
「僕も大丈夫」
「俺もだ。強いて言うなら目がまだチカチカするのと、さっきの山と比べて空気が澄みすぎてて逆に気色悪いぐらいだな」
と、パチパチとまばたきを繰り返しつつ、飯尾も勝手に答えた。
「そうか、なら大成功だ……おっと失礼」
男は背筋を伸ばして立ち直し、鎧の中に着た衣服の襟を一応正して、
「自己紹介が遅れてすまない。私の名前はハルベルト・レヴォルツ。ミクセス王国・五大騎士団長の一角だ。そしてようこそ救世主の皆様、我らが大陸へ」
*
大陸。そう漠然としか呼ぶことのできない、未知の世界。
草原と山脈で構成された中世西欧めいた風景が広がる雄大な大地に、様々な色の煉瓦を用いた建物が連なる造られた街――ミクセス王国の王都。
その中心には、街並みの総決算とも言うべき、荘厳さと優雅さを兼ね備えた、まさしくファンタジー作品より現れたような白い石造りの城が建っている――これがミクセス王国の王城。
ハルベルトは一年二組の面々を、この王城の中枢にある謁見の間に連れてきた。
「陛下。彼らがかの秘術により招来しました、【界訪者】の皆様です」
玉座に座る、一見温和な面立ちに見えるが、その奥には厳格さが微かに宿って見える壮年の男――ミクセス王は、立場と年齢相応に、静かに驚喜する。
「そうか。つまりハルベルト、貴様の一年に渡る研究の成果は無駄ではなかったか」
「はい、かろうじて実に結ぶことができました」
「ご苦労であった」
ミクセス王はハルベルトから、空気に気圧され自ずと姿勢を正して、敬意を示して立っている一年二組たちへと目線を移す。
「君たち、【界訪者】諸君にも、ここに来てくれたことに感謝する。どうか、この世界を救っていただきたい」
*
王への謁見を終えた三十七人は、城内にある講義室へと案内され、各自席につく。
特に座席の指定がなかったので、当然の如く生徒たちは各々のグループに別れて固まった。
ハルベルトは部屋の最奥に掛けられた黒板の前に立ち、そこで備え付けの青白く輝く杖を手に取る。
「ここまで引き延ばしてしまい申し訳ない。せめて陛下へはご覧になられねば、と思ったのだ」
と、ハルベルトはまず説明を遅らせたことを謝罪し、それから、『一年二組の三十七人を、ここに召喚した』理由を、杖で板書しつつ説明する。
数千年前、大陸に居着いた『神々』と呼ばれる存在群が知識、技術、文化、天候、作物などの加護をそこの住民へ齎し、人間は繫栄した。
それから人々はその加護を正しく利用し、二十数余の国を興した。
多少のいざこざはあれど、どの国も存亡の危機に瀕することなく、平穏な日々を謳歌していた。
しかし今から二年前、この大陸に尋常ならざる黒雲が覆った。
邪神。
対峙した人々がほぼ属国もろとも滅殺されていることから詳細は不明だが、月星が消えた闇夜よりも黒い姿と、天を衝くほどの巨体と、想像の域を超えた力を持つとされる、怪物の中の怪物。
邪神は顕現して以来、強力な魔物を各地へ放つか、自ら厄災めいた力を振るい、数千年の歴史を持つ国々を次々と滅ぼした。
人々は守るべきものを守るため、国々は団結し、決死の思いで邪神に抗った。
だがまるで歯が立たなかった。
邪神顕現から一年後、二十数余あった国々が半分に減っていく中。ハルベルトは考えた。
――もはや普通に戦っても邪神を倒すことはできない。と。
故に、ハルベルトは各所の伝説を読み漁り、世界を救う逆転の鍵になりそうなものを探した。
するとハルベルトは、ミクセス王国にある伝承を見つけた。
数百年前、王国に強大な魔物が現れた際、異界から来訪した者たち――【界訪者】たちが神の如き力を振るい、これを退けた。
ハルベルトはこれに賭けた。古今東西に伝わる魔術・技術を試行錯誤しつつ掛け合わせ、この伝承の再現を試みた。
「そして一年後、残る王国が僅か三つになった時、ついに君たちが来てくれたのだ」
と、ハルベルトが説明に一区切りをつけた時、一年二組の『ほとんど』は絶句していた。
様々な意味で常識を超えた話が、純粋に飲み込めないのだ。
その『ほとんど』の例外の一人、真壁は挙手しハルベルトに尋ねる。
「つまり、貴方は滅びかけた世界を、剣の振り方もわからない少年少女に頼みたいというのか?」
相変わらずな真壁の謙遜のない質問に、ハルベルトは躊躇せず答える。
「ああ、そうだ。事情や故郷ある君たちを無断でここに呼び寄せたことは、重々承知している。けれども、こちらの世界の人々を救うには、こうするしかなかったのだ……申し訳ない。だが、どうか、この世界を救っていただきたい!」
改めて、ハルベルトは膝と頭を付けて、一年二組へ救世主となってくれるように懇願する。
だが真壁はその誠意をまるで気に留めないように、
「人に物を頼むときは感情のみで突き動かそうとするな」
と、ハルベルトへ歯に衣着せず言った後、
「今貴方が見せるべきなのは、してしまったことに対する今後の対応だ。
時間が無駄だ、単刀直入に聞く。仮に、貴方の言う邪神とやらを倒し、世界を救ったとして、私たちは元の世界に帰れるのか?」
ハルベルトは下げた頭をあげ、立ち上がり、
「ああ。帰れる。その理屈もしっかりとあるが、これもまた長い説明を必要とする故、後々いさせていただきたい」
「今すぐ話せ。ハルベルト氏。別に貴方を疑っているわけではないが、そう今後の最終地点を話しておいた方が、みんなにとって気が楽ではないのか?」
立て続く横柄に片足を突っ込んだ真壁の質問の連打を見かねて、有原は学級委員として、真壁を止めに入る。
「真壁さん。それは言われた通り後にしましょうよ。ハルベルトさんも儀式とかでお疲れの様子ですし、僕たちも僕たちでいきなり見知らぬ土地に来てるってのに、次々と説明されたら、ややこしくなって何がなんだかわからなくなる人が出てきちゃうかもしれませんから」
「それは理解しようとしない奴らの怠慢ではな……」
「とにかく、邪神を倒せればこの世界の人も助かって、僕たちも元の世界に帰れるんですよね! わかりました、これから頑張ります!」
と、有原は無理くり話を終わらせ、真壁の行動を制限した。
「こちらこそ、貴方たちの健闘を全身全霊で支えてみせよう」
こうして、一年二組は有原の一言と、どうしようもできない状況によって、ハルベルトの願いに協力することとなった。
直後、一年二組の中で最も悪名高い男、久門はハルベルトを睨みつけて、
「ところで、俺たちどうやってこの世界を救えばいいんだよ。俺たちは魔物だの邪神だのと戦えるようなスーパーヒーローでも勇者でもないんだぞ」
「卑下する必要はない、久門殿。私ははっきりと貴様が【勇者】だと感じている」
名乗った記憶がないのにも関わらず自分の名前を呼んだハルベルトに、久門は動揺しつつ、
「……あっそ、じゃあ証拠はあんのかよ、俺が勇者だって証拠は?」
「証拠か。ならば久門殿、【能力証明】と多少力を込めて言って見てくれ」
「はぁ、何だそのおまじないは……へい、【能力証明】」
と、久門はかったるそうに、言われた通りのことを言った。
すると、久門の右脇に、レベルやジョブなどの情報が書かれた光の板が現れる。
「ああっ!? 何だこのゲームのステータス表示みたいなのは!?」
「それは【能力示板】。自分のレベルなどの能力を表示できるものだ。そしてそれを表示できるのは、ある程度のレベルがある強者のみだ」
「はーん。つまり俺はもう既に強いってことか?」
「そしてそれは久門殿だけではない。私の目に狂いがなければ、ここにいるもののほとんどが、それに比類するはずだ」
というわけで、久門に次いで他の生徒たちも、【能力証明】と詠唱する。
すると三十五人中、三十五人が無事、能力示板を表示できた。
「【能力証明】! あれれ、俺は……でないぞ? なんでだ?」
ただし、木曽先生は出来なかった。
「木曽殿。どうやら貴方は、他の方と比べて少々年を取ったためか、力を維持出来ていないため【能力示板】を表示する域には至っていないようだ」
「そうですか……はぁ、俺、まだ三十代前半なんだけどな……」
その後、ハルベルトは【能力示板】に記された項目に関する説明をする。
レベルは、今の自分の能力がどれくらい強力かを示す数値。ゲームなどの用語である一般的なレベルのそれと同義だ。
ジョブは、一般的に言う職業ではなく、『武器を用いての戦いが得意』、『魔法を使うのが得意』という、その者が先天的に定められた、最も得意とする戦闘スタイルの区分のこと。【戦士】、【魔術師】という短い単語で分類される。
スキルは、任意で起こす必殺技や、常に発動される技の一覧。これは上記の職業により、各人で覚える内容が異なってくる。
「なんかさ、なんかさ……ゲームっぽいよな。な、英傑」
痩せこけた身体と目の下のくまが特徴的な少年、『畠中 新』は、変な息継ぎ混じりに、社交性の無さで共通している友達――槙島に言う。
槙島は数時間前、久門に嘲笑われた泣きっ面とは正反対な笑みを見せ、鼻息を荒くする。
「だよな! なんかこう、ワクワクするよなー!」
お互いにゲームもこのような異世界ファンタジーも好きな槙島と畠中は、部屋の隅ではしゃいでいた。
その一方、有原たち四人は各々の【能力示板】の内容を共有していた。
篠宮は特に四人のジョブをひと通り見て、
「僕のジョブは【戦士】、護くんは【格闘家】、美来さんは【祈祷師】か。三人とも、ビシッとハマっているね」
「よかったー、俺【格闘家】でよかったー」
警察官の父親に鍛えられた柔道など、前の世界での経験が活かせる。そのことに飯尾は安堵した。
「わ、私も……これなら皆さんに貢献できると思います。たぶん、【祈祷師】って、ゲームの回復してくれる人みたいなのです……よね?」
「その通りだ内梨殿。【祈祷師】は回復・補助魔法に長けているジョブだ」
突然寄って話しかけて来たハルベルトに内梨はビックリして、篠宮に抱きつく。
「大丈夫だよ美来さん。ハルベルトさんです」
「あ、ご、ごめんなさいハルベルトさん!」
「こちらこそ驚かせてすまない。自分は疑問を抱いている人を見かけると、一刻も早く説明をしたい性分なので……ちなみに、篠宮殿の【戦士】は剣や槍などの扱いを得意とするジョブ。飯尾殿の【格闘家】は、体術を主として戦うジョブだ」
「文脈で絶対それだろとは思ってたけど、ご親切にありがとうございます」
どういたしまして。と、ハルベルトは飯尾に礼を返した後、有原へ視線を向ける。
「そして、有原殿。君も自分がどういうジョブかを知りたくはないか?」
有原は、四人に共通してある能力示板の、文字全てがバグのように揺れ乱れて解読不能になっている項目を、不思議に思い注視していた。
なので、有原は内梨ほどではないが、ハルベルトに急に声をかけられたことでビックリし、
「あ、はいはい! 僕も知りたいです!」
自分の脇にある【能力示板】のジョブ項目を指さす。
ハルベルトはそこにある二字をじっくり見た後、有原の肩に手を置く。
「やはり君たちをここに呼び寄せて正解だった――君の職業【勇者】は、武器の扱いと、魔法の詠唱、両方を可能とする希少なジョブだ」
「希少なジョブ……どれくらいですか?」
「ジョブを持つ者は必ず世界に大きな影響を及ぼす稀代の英雄となる。そう言われているくらいのジョブだ。そんなジョブを持つ者が三人もいるとは、流石は【界訪者】たち……」
「え、三に……」
その時、ミクセス王国本城にある最も高い尖塔より、けたたましく鐘が鳴る。
直後、軽装な鎧を着た兵士が講義室へ飛び込み、ハルベルトに跪いて、
「伝令、南西方向に魔物の群れを確認! 王都目がけ侵攻中です!」
【完】
話末解説(※今回は本編の振り返りなので読まなくても大丈夫です)
■用語
【大陸】
有原たち一年二組が転移した世界の名前。非常に端的だがこれが正式名称。
世界観はありがちな剣と魔法の中世西欧風のファンタジー。
神々の加護によりかつては二十数の国が興り、平和であったが、邪神の顕現により滅亡の危機に瀕している。
【邪神】
大陸を滅ぼさんとする謎の存在。
厄災めいた驚異的な力を誇るとされる。
自らその力を振るうか、凶暴な魔物を大陸中に放ち、いくつもの国々を滅ぼした。
【ミクセス王国】
一年二組が転移した時、かろうじて残存している三国の一つ。
君主はミクセス王。その元には五人の騎士団長が仕えている。
一年二組を召喚したハルベルトが属するのはこの国。
【界訪者】
大陸外から召喚された人の総称。今では特に一年二組の面々を指す。ハルベルトが伝承を出典元に命名した。
かつてミクセス王国が危機に陥った時に現れ、脅威を退けたと言い伝えられている。
来たばかりで【能力示板】を表示できるほど、大陸の住民を上回る力を持っている。
【能力示板】
一定の力を持つ者がスキル【能力証明】で具現化できる、自身の能力を示す光の板。
攻撃力や防御力などの基礎ステータス、レベル、スキル、ジョブ、■■などの情報が細かく記載されている。