第19話 一つの嵐が消えたあと
今のミクセス王国では、有原が松永を殺めたことは忘れられつつあった。
ただ単に一ヶ月の月日を空けたから。ということではない。
数日連続して取り上げられてたニュースが、また別の衝撃的なニュースに注目を奪われるというよくある現象が起こったためだった。
一つは、真壁が指揮した軍が邪神獣を、立て続けに五体打ち破ったこと。
一つは、騎士団長クローツオが邪神を崇め国家転覆を目論んだ容疑で処刑されたこと。
一つは、真壁がクローツオの座を継承し、新たな騎士団長になったこと。
これらの出来事の重要性は、有原の殺人を忘れさせるには十分過ぎたのだ。
そして、これらの出来事に関与した真壁とその一派は、ミクセス王国における名声を確固たるものとした。
「見ましたか? 真壁団長の凛々しいお姿!」
「先日の凱旋で見ましたわ! まるで神が降りてきたような荘厳さでございましたわよ!」
王都内にある喫茶店のテラスにて、二人の夫人が真壁の話で盛り上がってた。
(もうちょい静かにしてくんないかな……)
その隣のテーブルにいる三好縁は、二人の話を二重の意味で鬱陶しく思いつつ、コーヒーを一口飲む。
「ごめん遅くなって! 待ってた、よすがっち!?」
今、三好の向かいの椅子に慌ただしく着席したのは桜庭依央。三好の友達三人の内、唯一生き残った者だ。
「ううん、全然。このコーヒーもついさっき来たし」
「そっか、ならいっか。あ、すみません! アップルティー一つ!」
桜庭が側を通りかかった店員に注文をした後、三好は話を切り出す。
「最近……どう?」
「そりゃもう忙しいよ。トリゲート城塞から始まって、王国の要所へ転々と戦いに行ってるんだから。しかもアタシは軍の切り込み隊長的なポジションになってるから、もう忙しいのなんの」
「そっか……ははは、それは、大変だね……」
「うんうん、大変だよーマジで、ま、やりがいはあるからそれで良しなんだけどね。あ、ちなみに、よすがっちは……今どう?」
「……アタシは、前に行った通り……ここで、お留守番してる……」
「やっぱそっかー……」
と、相槌を打ってから、桜庭はカバンを開け、一枚の書類をテーブルに置いて見せる。
「やっぱりこれ、引き受けてみない?」
三好は書類の冒頭にある『入隊のお願い』という文言を一瞥してから、その書類を優しく押し返す。
「ごめん……まだ無理、かな……」
「そうなんだ。今なら部隊長に即配属だし、真壁さんも期待してるのに?」
「うん……まだ無理……」
三好はコーヒーを一口しようとコップを持ち上げて、そして結局口をつけずに降ろした。
「ああ、ごめん! 嫌な感じにしちゃって!」
「いいよいいよ、別に……悪いのはアタシだし……」
「そんなことないのにー……じゃあさ、話題変えよ話題! 久門さんと武藤さんの話題、どっちがいい!?」
「どっちもあんま明るくないでしょ、それ」
「あ、ごめん……」
先に挙げた三つの事件と比べて、どちらかというと身内の話題というニュアンスが強く、重要性はそこまで高くはないが、この一ヶ月でもう二つの事件が起こっている。
一つは、久門一派が住む屋敷の全焼事件。
騎士団長の座についてから真壁はすぐ、手駒としては優秀と評価した久門一派を抱き込もうと画策し、再三に渡る交渉を行った。
しかし久門はそれを断固拒否。最終的には仲間九人と共に王国を出奔した。
この屋敷の炎上は、久門が真壁との決別を意思を示すために自ら放火したと言われている。
もう一つは『武藤 永真』の真壁暗殺未遂事件。
真壁による軍の統率に反故した武藤が友達四人と共に、評定から帰宅する最中の真壁を襲撃した。だが彼女たちは単純に真壁に敵わず、反撃され御用となった。
桜庭はアップルティーを一気に半分飲んでから、
「じゃあもう話題ないわアタシ。ここドラマもSNSも無いし、アタシはずっと戦争してばっかだから、もう話題ないよー。あ、よすがっちは何かある?」
「……何もないよ」
「そっか……じゃあ、また今度にする?」
「そうしよっか。依央も忙しいでしょ? ほら……」
桜庭は三好が指さした方を向くと、婦人二人が目をキラキラさせて自分を見ていた。
「あなた、桜庭依央さんですよね!?」
「あの真壁軍の先駆け隊長と誉れ高い、桜庭さんですよね!?」
「は、はい! そうです! どうしました?」
二人は同時に、どこからか取り出してきた紙を突き出して、
「「お願いします、サインください!!」」
「あ、はい!」
桜庭はそれっぽくフニャフニャの字体で二枚の色紙に自分の名前を書いてあげる。
すると二人は外見年齢にそぐわないくらいキャッキャとはしゃいで喜んでくれた。
「……人気者だね、依央」
「まあね。それじゃ、また近くで会おうね!」
と、言って桜庭は喫茶店を去った。と思いきやすぐ戻ってきた。
「いっけないいっけない。お代払わなきゃ」
桜庭はアップルティーとコーヒーの代金を支払って、今度こそ喫茶店を去った。
……二度あることは三度あった。
「これはマジでいっけない! 危うく忘れるところだった!」
桜庭は椅子にかけていた、樫の木の葉を図案化したマーク――真壁グループの社章に近いマーク――が金糸で刺繍された純白の羽織を回収し、今度の今度こそ喫茶店を去った。
「……アップルティー、半分残してるよ依央」
*
喫茶店を後にしてから、三好は王都の街中を大幅寄り道して、王城にある自室へ戻ろうとうする。
道中、三好は倒壊した家屋の復旧工事の現場に目が留まる。
「オラッ! なあにボサクサしてるんだ!」
「ヒィィ! だってもう腕に力が入んないんスよぉ!」
その一角では、一人の若い大工が上司にトンカチで頭を殴られながら叱責されていた。
「納期は来週なんだぞ! それに間に合わなかったら国から会社が潰されるんだぞ!?」
「だ、だとしても俺はもう……」
「口答えする余裕があるならさっさと動け! オラ、飯尾を見習え飯尾を! 奴はお前の五倍の資材を担いでもピンピンしてるぞ!」
飯尾は流血する若い大工を見ないようにして、両肩に計十本担いだ木材をせっせと運ぶ。その表情からは、凄まじい罪悪感がにじみ出ていた。
部外者がこんな様子を見ていれば、『何見てんだお前!』と不快に思われるに決まっている。三好は再び歩き出す。
道中、三好は新設されたばかりの、見上げるほどの大きな病院に目が留まる。
まるで工場のラインのように、何人もの負傷した兵士が絶え間なく運ばれていった。
三好がその搬送口を覗くと、大勢の【祈祷師】がライン工のように、絶え間なく回復魔法をかけていた。
その祈祷師の中には、内梨も混じっていた。様々な感情を必死に抑えてつけているような様子だった。
こんなデリケートな部分に触るところを覗いたことを恥じ、三好はすぐにここを去った。
道中、三好は王都の各所に設置されている掲示板に目が留まる。
真壁騎士団長、邪神獣討伐。
フラジュ騎士団長、大宴会開催発表。
国王陛下、体調不良により休養へ。
などのニュースが掲載されている板の片隅に、一枚の手配書があった。
罪人名:有原祐
罪状:殺人、器物損壊、金銭横領、国家転覆画策
報酬:百万ゴールド
生死を問わず。
三好はその手配書から目を背けるようにうつむき、地面に何粒かの涙を落とす。
「級長は……そんなことするはずないでしょうが……!」
トリゲート城塞奪還戦の時、忘れたいことがあるという意味でも、本当は早くここを脱出したかったはず、なのに自分たちを助けようと必死に戦ってくれた有原。
そんな彼の清廉な勇姿を思い出して、彼女は涙したのだ。
それから数分経って。なんでもない掲示板の前で泣いたことを恥ずかしく思った三好は、人目を避けるように、閑静な細道を歩いて城に戻るようになった。
その途中、三好は二十メートルくらい先の十字路に、三好と都築が目の前で、右から左へと横切るのを見かけた。
「……あれって……真壁さん……?」
普段、どんな用事でも外出するとならもっと大勢の部下や兵士を連れて、より広く明るい道を通るはずなのに――三好はこの不自然さを感じずにはいられなかった。
この十字路をまっすぐ進むと城への最短経路になる。人目に付くリスクの低さもそのままだ。
しかし三好はほんの微かな希望を抱いて別のリスクを取る。
ジョブ【暗殺者】のスキル、【足音軽減】で存在を悟られないよう、こっそりと二人を尾行し始めた。
(奴の本性を暴けば……きっと……ッ!?)
真壁と都築は、背後で何かが引っ張られた時になるような擦る音がして、振り向く。だが、その先には何もない。
「……用心しろ、都築」
「はい、理津子さん」
真壁と都築はより一層警戒心を強めて、再び歩き出す。
「……アンタは都築の一万倍用心しろ、三好さん。見つかったらただじゃ済まないんだから」
「それはごもっともだけどー、急に後ろから引っ張らないでよ」
と、三好は、突然自分を後ろから口を塞いで引っ張った張本人――海野へ小声で怒った。
「贅沢言うな。ここはスピード重視なんだからよ。さ、アンタもスピード重視でこの辺から離れろ。さもないと普通に歩いてるのに『貴方は何故私のことを尾行する?』とか、難癖付けられるかもしれないぞ」
「うー、わかったよー」
海野の注意を受けた三好は、より人通りの多い道へと戻っていく。
「いややっぱこっち来てくれないか?」
「撤回はっや。って、こっちって何?」
「俺んちだよ、俺んち」
【完】
話末解説
■詳細解説
【ミクセス王国王都の街並み】
北方面には山脈があり、それを背に王城が築かれている。
その山脈を延長するように王都を一周する防壁が作られている。
防壁の南、東、西部には巨大な門が設けられ、王都外に出る際はそのいずれかを利用する。
王城正門から南門、東門と西門を結ぶ大通りが二つ存在し、その交差点には噴水がランドマークの大広場がある。
今話にて三好縁と桜庭依央がお茶会をしていたカフェは、南門に近い、大通りに隣接するところにある。




