第15話 波乱の切先
有原は、ハルベルトに立ち直ったことと、『自分が』ドアを壊したことを報告した上で、副団長としての職務復帰をお願いした。
しかしハルベルトは『いきなり無茶させるのもよくないだろうから』と言って、しばらくは後方での事務仕事を任せることにした。
どうせならいち早く前線に復帰したいとも思ったが、有原はハルベルトの気持ちを汲んで、それを喜んで受け入れた。
その日の夜、早速有原は自室で書類の整理を行っていた。
「これくらいなら、ドアを付け替えるだけで済みそうだ」
と、ドアに空いた穴を廊下から見て、ハルベルトは言った。
「あ、こんばんわ、ハルベルトさん」
「おお、こちらこそこんばんわ、有原殿……すまない、こんな挨拶の仕方をしてしまって。貴方に用事があって来たのだが、お時間は?」
「大丈夫です」
ハルベルトはきっちりとドアを開けて入り、有原が用意した椅子に腰掛ける。
「それで、今回はどのようなご要件で……やはりドアの弁償についてでしょうか?」
「ああ、それはこちらで負担するから、有原殿も飯尾殿も弁償しなくて大丈夫だ」
「すみません、ご迷惑おかけしました」
「気にしなくていい、君たちの働きぶりは相当なものだから」
破壊されたドアの件はここまでにして、ハルベルトは本題へ移る。
「まず、有原殿に渡したいものがある」
ハルベルトは有原に、持ってきた剣を見せる。
鞘は真新しいが、柄には強く握られた痕跡が残っていた。
有原はこの剣の錆に既視感があった。
「これって……まさか、篠宮の剣!」
「そうだ。トリゲート城塞で篠宮殿が使っていた剣だ。三日前、クローツオ様が細心の注意を払いつつ、トリゲート城塞の中にあった邪結晶一つを回収しに行った。この剣はその側に落ちていた物だ」
「つまりそれって……篠宮は【破滅のイビルノーザ】と刺し違えたってことですか!?」
「確定はしていないが、その可能性も大いにあるだろう……あの炎上模様のせいで遺体を発見できなかったことがますます残念だ」
そしてハルベルトはその篠宮の剣を、有原へ渡す。
有原は少しだけ抜刀すると、その真新しい刀身が、部屋の光を吸い取って増幅したかのように、反射して煌めいていた。
「破損が凄まじかったため、そのままの形で渡すことはできなかった。これでも多少なりと篠宮殿を側に感じられるといいのだが……」
「はい、感じられます。篠宮と一緒に戦ってるっていう自信と、どこかから僕を応援してる篠宮からの闘志が、この剣からバリバリ伝わってきます」
「そうか、それはありがとう」
「こちらこそ、今日はこんないいものを届けてくれて、ありがとうございます」
どういたしまして。と、ハルベルトは返事した後、暫し考えてから、
「そうだ、ただ剣を渡すためにお邪魔したのはもったいない気がするから、有原殿、ここで一つ私の話を聞いてくれないだろうか?」
「はい、どんなお話でしょう?」
「私の過去、みたいなものだ……」
という出だしから、ハルベルトは語り出す。
*
今から一年半前、ミクセス王国の北側に、壁の如くそびえ立つ名もなき山脈を超えた先に、『ヨノゼル王国』という国があった。
ヨノゼル王国は気候や土壌に恵まれ、政治も落ち着いた素晴らしい国だった。
しかしそんな国にも、二年前に現れた『邪神』は容赦なく厄災を齎し、民たちは国家滅亡の危機におののいた。
その時、威風堂々に立ち上がったのはほかでもない、ヨノゼル王国の王。国民からは『剣王』と渾名されていた男である。
それは『剣術において優れていたから』……という名誉ものではない。在位してから約二十年間、政治などの王としての役目を家臣に任せて蔑ろにし、平和な世の中であるにも関わらず、主に剣術などの鍛錬に明け暮れていたというのが由来である。
だが、いざ剣王が未知の軍勢による国の危機を防いでくれると知ると、国民たちは『ついにあの剣術』が役に立つのだろう。と、微かな期待を寄せた。
そしてそれは早々に裏切られた、剣王本人の戦いぶりは想定通り凄まじかったものの、それは独りよがりの戦い方。軍全体としては敗戦ばかりであり、戦局は一向に良くならなかった。
最終的に、王都での決戦の最中、剣王本人は行方不明になった。
これで剣王が唯一発揮できる素質――『士気の維持』が成せなくなり、ヨノゼル王国軍は崩壊。そして王国は滅亡した。
「その王様に振り回されまくりでしたね……その王国」
「……全くその通りだ。あの馬鹿殿がもう少ししっかりしていればよかったというのに」
普段は真面目で礼儀正しいハルベルトらしかぬ汚い言葉を使っていたことに、有原は違和感を抱きつつ尋ねる。
「そ、それで、ハルベルトさん。これがどう『ハルベルトさんの過去』につながるのですか?」
「おっと、そうだ。本来話したかったのはそれだ。いけないいけない、私としたことが奴への怒りで忘れていた……コホン! では話を続ける」
王都決戦の直前、決戦の行方と並行してヨノゼル王国の将たちを悩ませたのは、『どう国民を避難させるか』ということ。
当時は周辺にミクセス王国などの隣国が存在していた――ミクセス王国を除き、後にヨノゼル王国の後追いしたが――ため、そちらへ避難することは概ね決まっていた。
問題なのはそのいずれかへの行き方。
当時、王都は南方面を除き、魔物たちに完全包囲されていた。
その南方面には魔物は少ないが、険しい山脈があり、とても一般の国民を歩かせるには無理があった。
そのため、将たちはどうすれば魔物の群れを突破するかについて議論し、そして何も浮かばなかったした。
そんな中、二十七歳という若さで将に成りあがった青年は言った。
「山脈を超え、ミクセス王国へ国民たちを逃がしましょう。民たちには辛い思いをさせることになるでしょうが、魔物に貪られるよりは遥かに安心でしょう!」
他の歴戦の将たちはそれを『机上の空論』と嘲笑った。しかし若き将は毅然とした態度で、
「我々の務めは民たちの命を守ることでありましょう! それを最優先したまでですのに、どうしてそれを否定するのです!」
と、訴えかけ、将たちを震えさせた。
それからその若き将は諸将へ再三にわたる説得を続けて折れさせ、自ら先導を担い、十万人という国民を山脈を超えてミクセス王国へ避難させた。
この若き将の名前は――ハルベルトという。
「……すまない、自慢話のようなことをして」
「い、いえ結構です。それよりもハルベルトさん、元々はそのヨノゼル王国の国民だったんですね。でしたら、すごく辛かったでしょうね……自分のいた国が滅んでしまったのですから」
「ああそうだ。だが、これ以外でも辛いことはあったのだ……これが今、私が有原殿に言いたいことに繋がってくる話だ」
ここからハルベルトは、剣王の話をする時と同等の不快そうな顔を再びして語った。
ミクセス王国の王は寛大であり、遠路はるばる逃亡してきたヨノゼル王国の国民を受け入れてくれた。
特に、その先導者であるハルベルトは最大級の賞賛をし、国軍の一隊長に任命した。
しかし、それを元よりミクセス王国にいた将兵たち――特に、上司であった四大騎士団長(当時)の一人、フラジュは、彼を理由もなく嫌っていた。
道ですれ違えば『国を捨てた者』『臆病者』『恥さらし』と罵倒し、戦となれば彼の隊のみ粗末な装備で戦わさせられ、危険な任務を頻繁に与えられた。
けれどもハルベルトは決して憤らず、使命を投げ出したりせず、従順かつ勇猛に戦い、ミクセス王国へ貢献し続けた。
そう来るならばと、フラジュはより彼への嫌がらせを激しくした。だがハルベルトはますます奮闘した。
最終的に、国王はハルベルトの功労ぶりを認め、騎士団長の一員に認めたのだった。
「つまり、私がこの話をもってして言いたいことは、『全力で頑張る。そうすればきっと道は拓ける』ということだ」
ハルベルトは立ち上がり、ポンと優しく有原の肩に手を置いて、
「友を失い、自信も失い、今はとても辛いかもしれない。けれどもこれから功績を積み上げていけば、きっと信頼される。有原殿ならそうなれるさ」
と、優しく訴えた。
「はい、頑張ります!」
有原は立ち上がり、そう決意を簡潔に露わにした。
「それでこそ私が見込んだ人だ、有原殿! 今は引き続き後方支援が主な務めとなるだろうが、これも軍に必要なこと。それを忘れずによろしく頼むぞ、副団長!」
「はい! 今日は貴重なお話をしていただきましてありがとうございます、ハルベルトさん!」
「どういたしまして。では、今日のところは失礼する」
こうして、有原への激励を無事成功させたハルベルトは、有原の部屋を去ろうとした。
「あ、その前に……一つだけ質問したいことがあります……」
「そうか。ではお構いなしに聞いてくれ」
「じゃあお言葉に甘えまして……さっきの話で、ハルベルトさんは一年半前は『二十七歳』と言ってましたよね? でしたら恐らく今は二十八か二十九歳ということですよね?」
「ああ、ミクセス王国に来てから一か月後に誕生日があったから、今は二十九歳だ」
「でしたら、その、お構いなしにも程があるとは思いますが……すみません、だいぶ外見が、これまでの苦労が蓄積してるせいか……実年齢より何歳か、多少お年を召されたような気が……本当にすみません」
「……安心してくれ。それは私が一番わかっていることだ。ちなみに、クローツオ様は私より一歳上だ……さっき話したことと矛盾するかもしれんが、苦労はなるべく避けるべきかもしれない」
「はい……色々と申し訳ございません」
*
翌日の朝。
有原は自室で、防衛戦の記録などの事務作業を行っていた。
(ある程度片付いたら三好さんとかにも顔を見せないと、そして、心配かけたことを謝らないと……)
と、考えながら、有原は作業速度をじんわりと早め出す。
その途中、直されたドアがノックされた。
「はい、どちらさまでしょうか……」
有原はすぐドアを開けて応対すると、そこには心配になるほどの瘦せ型の少女――『松永 充』がうつむいて立っていた。
「何の用ですか、松永さん」
松永は女子の中ではダントツの根暗として有名だった。
クラスメート全員の動向をなるべく見渡している彼であっても、自分の机にうずくまるように座って、独り本を読んでいる印象しかないほどのだった。
そんな彼女らしく、松永は有原の問いかけに一切口を開かず、そのままそこに立ち続けた。
「と、とりあえず……中へどうぞ」
せっかく会いに来てくれたというのに門前払いするのもよくない。有原は松永を部屋の中に招いて、ひとまず椅子に座らせた。
「ちょっと待ってください、紅茶を……」
有原が自室にある茶葉を取ろうとしたその時、松永は細い右腕を出して、手に持った手紙を見せてきた。
「それって、僕への手紙ですか?」
松永は小さく頷いた。
有原は松永に紅茶を渡した後、早速その手紙を開けて読む。
そして彼は、二度と味わいたくないと思った屈辱をまたしても感じた。
かのトリゲート城塞奪還戦での敗北の責任を取り、有原祐は副団長の職を辞すべきだ――という内容が、まさしく請願書のような形式で、直接的に、辛辣に書かれた手紙だった。
これを手始めに斜め読みした時点で、有原は誰がこれを書いたのかを瞬時に察した。そしてそれは宛名に書かれていた通りだった。
「『真壁 理津子』……わかりました。これを届けてくれて、ありがとうございます松永さ……」
有原が手紙が松永へと視線を移した時、彼女の身体は後方へ傾いた。
ガタンと椅子が倒れ、ティーカップが床に落ち、そして床には紅茶だけでなく、鮮血が広がっていく。
その血の出所は、短剣が刺さった松永の首からだった。
【完】
話末解説
【第15話】
■用語
【ヨノゼル王国】
ミクセスの北に位置する、かつて大陸に存在した国。ハルベルトの故郷。
己の鍛錬ばかり励み国を疎かにした『剣王』に振りまわれ、約二年前に邪神の軍に滅ぼされた。




