亡命者の手紙
お城から煙があがっているのを見たとき、もうすべてが終わったのだと、私はしりました。隣国スレイマンが国内の裏切者たちをそそのかし、反乱を起こし、この国は覆ったのです。
私は、幼い姫様をお連れして、城下へ買い物に出ていて、反乱を逃れました。
もうお城へ戻ることはできません。戻れば捕まって殺されます。私たち主従は、落ちのび、助からなければならないのです。
こうして、私と姫様の旅ははじまったのです。
目的地はスレイマン避け、ビアダ共和国です。陽光に満ちた、この国には姫様のお母上がおられます。
そして、私は同時に共和国の国情を調査し報告する密命も託されたのでした。
ここに行けば、私たちをかくまってもらえるでしょう。
いま私たちは、城下の橋の下に身を隠しています。
***
「姫様、寒くはございませんか」
「寒いぞ、ルミナ、それと何か食べるものはないか」
「飴とチョコレートがございますよ」
「甘いものか、私はパンが食べたい。サンドイッチを持ってまいれ。マスタードは塗らなくていいローストビーフは多めでな、ターキーがあれば、それをはさんだものもな」
姫様はお城にいたときのようにおっしゃいます。
私は姫様の顔を目を覗き込むように見てしまいました。普段なら不敬に当たる行為です。
姫様の目は美しいサファイアブルーの水のような色をたたえていましたが、そこにいつもある。いたずらっ子のような生気がありませんでした。
今、そこにあるのは絶望です。
私は姫様にかける言葉もなく、小さなバックから、飴を取り出すと姫様にわたしました。
「姫様、これから私は、叔父のところに行って、色々なものをとってまいります」
「ルミナ、私は飴はいらぬ、サンドイッチを持ってまいれ」
「姫様、無礼を承知で申します」
「何だ…、申してみよ」
「サンドイッチはありません、私たちの今いるところはどこですか?姫様」
「城下の橋の下だ」
「なぜここにいるかわかっていますか?」
沈黙が流れます。
「わかっている、わかっている」
よかった、完全に姫様の気持ちが折れてしまっているわけではないようだ。私はほっと気持ちをなでおろしました。
「では、気持ちを強く持ってください。これから私は出ますが、姫様はここに隠れていてください。分かりましたね」
「わかった」
「私が帰らなかったら、代わりの者が来るまで、決してここを出てはいけませんよ」
「わかった。ルミナ、たのむから早く帰ってくれ」
「はい」
こうして、私は、外に出ると、叔父の家にむかいました。
石畳の道を歩く、両側の商店はことごとく閉まっています。
気温も低く、葉が散ったプラタナスの並木が雨に濡れて、寒々しい風景をつくっていました。
このまま、叔父にあって服とお金をもらったら、一人で逃げてしまうこともできる。ただ、それは絶対に出来ません。
***
私は姫様の従者なのです。そして、姫様は実は私の妹なのです。
姫様は奥方様からお生まれになり。私は側室の子なのです。母は違えど、血のつながった可愛い妹なのです。
だから、私は絶対に妹を守らねばならないのです。
叔父の家の裏門につくと、注意深くあたりをうかがいましたが、幸いなことに敵の手はまだここには及んでいないようでした。
裏口から、入り、叔父にあうと、すぐに紙幣、金貨と、パンや缶詰、干した果物など、私の言うものを用意してくれました。また、平民たちが着ているような、簡素な服を何着かみつくろいました。
それらを手早く、背嚢に詰めると、背負い。
「ありがとうございました。叔父様、もう、行きます」
「気をつけてなルミナ、私が守ってあげたいのだが」
「いいえ、叔母様を守ってあげてください。それに、叔父様は足もよくないのですから」
「すまんな、あのお方も大事だがお前のこともな…」
「わかっています。それ以上は言わないでください。これ以上は知らない方が良いのですから」
私は叔父にほとんど何も伝えませんでした。やがてはここに敵がやってくる。知れば、叔父に類が及ぶかもしれないし、追ってくるかもしれません。
「ルミナ、神のご加護を」
「さようなら」
私は叔父と抱き合うと別れ、家から出ました。
走って、振り返ると、軍服を着た兵士たちが、走っていくのが見えました。
***
叔父からいただいた品物は背負うとずっしりとこたえました。
橋の下の戻ると姫様は、うなだれていました。私が話しかけても反応しませんでした。
私は背嚢から、姫様に着せる服を取り出すと、着替えさせました。
姫様の服は背嚢に入れ持っていきます。
私は姫様に問いかけます。
「姫様の御父上のお名前は?」姫様は答えません。代わりに私は私に応えます。
「国王ジェルミナーレ様です」
「そんなこと知っておる」
「御父上は生きているとお思いですか?」
「生きておる、何を言っているのだ、生きている」
「そうです、御父上はどこかで生きておいでです。では、私たちのすべきことはなんですか?」
「落ちのび、生きなければならぬ」
「そうです、では、私の言葉に従ってくださいますか」
「わかった、ルミナの言に従おう」
「ありがとうございます。では、これから向かう先と方法について説明します」
「わかった」
「姫様と私が向かうのはビアダ共和国です。汽車を使います」
「母上の国だな、しかし、スレイマンを通るのは大丈夫か?」
「大丈夫です。スレイマンは通りません。東幹線に乗って、バルトンでルシカ西線に乗り換え、ルシカ人民共和国に入り、迂回してビアダ共和国を目指します」
「それでどうやって鉄道に乗る?駅は見張られているのではないか」
姫様は状況を理解しているようでした。心が完全に折れているわけではないようです。
「そうですね、駅は難しいでしょう。でも、貨物に隠れて公国を出てしまえば、後は列車に乗ることが出来ると思います」
「なるほど、しかし、貨物とはどんなものなのだ?荷物を積んでいるものか?」
「荷物もですし、穀物、石炭、牛や豚も積んでいますよ」
姫様は貨車のことを知っているようでしたが、実際は想像がつかないようでした。無理もありません。
幼いですし、まだ社会についてもあまり知らないのです。
こうして、姫様のすっかりまいってしまった心を何とか、脱出へ向けて、鼓舞し、姫様と私は貨物ターミナルにむかって出発しました。
レンガ造りの建物が整然と並ぶ市街を抜け、30分ほど歩くと駅が見えてきました。
やはり駅には、敵の騎馬隊がいて、魔法兵、普通の兵士が駅から出入りしていました。
その後ろには機関砲が並べられています。道のわきには、撃ち抜かれてボロボロになった馬車が燃えてくすぶっていました。
そして、その横には、死体が並べられています。
私は姫様にその光景を見せたくなかったので、手を引くと、脇道にそれまいた。
わかりきったことですが、駅に近寄るとよくないことがおこる気がしました。
踏切を渡ると、踏切番のおじいさんが、こちらを見ていました。私はその人に挨拶をすると、その人も手を振って微笑んでくれました。
***
踏切から駅の方を見ると、大きな機関車がプラットフォームに停車していました。
我が国の首都の駅ですから、とても大きな駅です。たくさんの転てつ器があって、複雑な配線になっていてそれが独特の風景になっていました。
私は何度か利用したことはあります。
地図を取り出してみると貨物ターミナルはこの先のようです。線路際に入って、砂利道を歩いて行きます。
突然右手が重くなりました。
姫様が座り込んでいました。
「もう歩けん、休ませてくれ」
「ダメです。ここは目立ちすぎます。もう少し先まで行けば、休める場所があるでしょう。そこまで歩いてください」
「足が痛いし動かん、お願いだから」
「…立って!歩くんだ」
私はこう叫んでしまいました。私は焦っていました、私は自分が何とかしなければならないそう思っていたのです。自分の非力さ、それが痛いほどわかっていました。
それと同時に、なんでこんなことも出来ないのかという、気持ちが出てしまったのです。
「なぜそんなこと言うのだ。私だって必死に歩いている。ただ、これほど歩いたことはないから」
姫様は大粒の涙を流していました。
そうです、姫様がご自分の足でこれほど歩いたことは今まで、なかったことでしょう。実は私もこんなに歩いたことはなかったのです。
疲れと極度の緊張が私を焦らせていました。少し休憩すべきなのです。あたりを見回すと、倉庫の方へと続く線路を見つけました。
その手前には、小さな小屋があるのが見えました。
姫様を連れその小屋に入りました。小屋は二階建て一階には、切り替えの大きなスイッチや、ランプ、ハンマーなどがあり、木箱がいくつか積んでありました。
木箱の奥には、スペースがありました。姫様と私はそのスペースに入り休むことにしました。
***
はじめは気を張っていましたが、腰を下ろすと、疲れから、姫様と私はあっという間に眠りに落ちてしまいました。
どれくらい時間が過ぎたでしょうか、私は目を覚ましました。下はコンクリート張りだったので、身体をひねると、固い地面と接していた肩や腰が強張り、傷みました。私はたちどころに現実に帰りました。
傍らの姫様は、まだ、寝ていました。
顔を上げると、そこに、青い作業着を着た大きな男の人と背の小さな少女がいました。
私と姫様を見つかってしまったのです。
「あれ、なんでこんなところに子どもが二人もいるんだ。お前たち、こっちへ出てこい」
姫様と私は詰所に連れて行かれ、事務机に座らされました。
「お前たち、なんでこんな所にいるんだ?」
制服を着た髭の怖そうな男の人でした。
どうやら、この人は、鉄道局の上級職員のようです。帽子をかぶった、若い、服の上からも筋肉がついているのがわかる屈強な男の人です。
私は質問にどう答えて良いかわからず、おまけに大きな声で話すので、ただただ、驚いてしまったのです。
「私たちは、ビアダ共和国に行こうとしているんだ。疲れて少しここで休憩をしていただけだ」
口を開いたのは姫様でした。私が、うまく何かを言わねばならないと考えているのに、あっさり本当のことを言ってしまいました。
もしこの人たちに反乱軍に引き渡されたら終りです。
私の顔は引きつり、心臓は早鐘のように口から飛び出さんばかりでした
「それなら、駅から、切符を買って汽車に乗らなきゃだめだろう。なぜここに入り込んだ、お前たちは無賃乗車で行こうとでもしていたのか」
上級職員は疑って私たちを問い詰めてきました。
「まあ、待て、ルド、このお嬢ちゃんたちは休むために入っていただけだろう。それに、何か訳があるんだろう」
「デンセイニさん、私は規則に従って」
「では、君はこの子たちのことを連中にでも知らせるつもりか?」
ルドと呼ばれた上級職員は姫様と私を見ると、首を振りました。
「誰が、あんな侵略者どもに」
「まあ、こんなわけだ、別に心配する必要はないよ。君らはどうするつもりなんだい?無賃乗車は見過ごすわけにはいかないし、線路を歩くのはだめだ。街道は検問をしているようだし、それと列車はいま動いていない」
私は突き出されることはないようなので、ホッとしました。でも、気になることがあります。
「列車が動いていないとはどういうことでしょうか?」
「連中が停めているんだ。でも、明日の始発から、スレイマンへの国際列車に限って動く」
「そうですか、では、どうしたらいいのでしょう」
「よければ、訳を話しちゃくれないか」
姫様と私は顔を見合わせると、訳を話すことに決めました。
***
そして、姫様の名前を明かし、協力を求めたのでした。
「あなたは王女様でしたか、これはご無礼をしました」
「特に私は愛国者という訳ではありませんが、こんなことを起こした奴らに一泡吹かせたい。出来ることはたいしてありませんが、仰ってください」
二人は協力することを申し出てくれました。これほど有り難いことはありません。
「ここを一刻も早く脱出したいのです。スレイマン行きの列車に乗せてくれませんか、貨車でも構いません」
「なるほど、それはかまいませんが、スレイマンへ行ってしまっていいのですか?」
「バルまで行ってそれから、ルシカ西線へ乗り換えようと思います」
「ふむ、まあ、確かにバルには停車しますね。ただ、乗り換えるとき見つかる可能性はありますよ」
「停車する直前で飛び降りようと思います」
「なるほどね、わかりました。貨車に乗せますよ。どこか隠れるところも見つけましょう」
「ありがとうございます」
こうして、姫様と私は鉄道員の力を借りて、列車に乗り込むことが出来ました。
姫様と私が隠れたのは、大きな絵画が入れられた木箱でした。その大きな絵には見覚えがありました。お城の食堂にあった絵です。連中はこの絵を略奪するつもりなのです。
デンセイニさんの話だと、バルまでは丸一日かかるということです。途中からルシカ西線と並行して走るので、それが目印だということでした。
こうして、私たちの亡命と密命の旅ははじまったのです。