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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヒューマンドラマ系

カーネーションの戦士

 暗い、夜の森の中、あたしは身を固くし、恐怖に震えていた。

 周りからは獣の荒い息や唸り声が聞こえる。それがだんだん近づいているのがわかった。

 ――これは明らかに、囲まれてしまっている。


「……誰か、誰か」


 掠れた声が口から漏れ出した、その瞬間。

 突然目の前に眩い閃光が迸り――、直後獣たちが苦鳴を上げていた。

 見ると、なんとそれらは腹に深い傷を負ったらしく、一斉に地面へ崩れ落ち、息耐えた。


「…………ぁ」


 あまりの光景に呆気に取られるあたし。

 その耳に、美しい声音が届いた。


「あなた、大丈夫?」


 振り向いたあたしは、この上なく驚いてしまった。

 だってそこには、薄紅色の鎧を纏った美しい女性が立っていたのだから。


「ひっ」


 その時あたしは理解した。――この女性が、先ほどの獣どもを剣で皆殺しにしたのだと。


「怖がらないで。私は何もしないから。……どうやら無事みたいね」


 怯えるあたしの体を軽くさするようにしながら、鎧の美女は微笑む。


「じゃあこれを持って行きなさい。害獣避けになるから」


「これ、は……?」


「一種のお守りよ。……さて、行かなくちゃ」


 受け渡された奇妙なお守りをまじまじと見つめてみる。

 そしてふと目を上げると、そこに彼女はいなかった。


「え?」


 まるで狐につままれたような感覚だ。

 しかし獣の死体は健在であるし、さらに――。


「これ、何でしょう?」


 足元の草むらに、一輪の綺麗な花が落ちていた。

 ピンク色のその花を拾い、あたしはただただ不可解に首を傾げるしかない。


 そういえばお別れもお礼も言えていないことに気づいたが、もちろんもう遅かった。彼女は依然として闇に包まれた森を、家の方へと帰っていった。



* * * * * * * * * * * * * * *



「多分それって、カーネーションの戦士だよ」


 あたしはやっと家に帰りつき、母親にそのことを話した。

 勝手に一人で夜の森へ出向いたことを散々怒られた後、母親が発した言葉がそれだった。


「母さんも詳しくは知らないよ。突然現れて人助けしてはカーネーションを残して行くんだと、隣のおばばが言ってたね。……嘘っぱちかと思ってたけど、助けてもらえたなら幸いじゃないか」


「あたし、まだあの人にお礼を言えてないんです。だからあの人にもう一度会いたい」


 あたしはそう言って、ピンクのカーネーションを握りしめる。

 しかし、母親はかぶりを振った。


「馬鹿なことを考えるんじゃない。そいつはあてもない旅をしてるって話なんだ。どこいったかわかったもんじゃないし、第一、正体不明なんだよ。さっさと忘れて、今日は寝な」


 ――その日は、母親の言う通りに眠った。

 しかしカーネーションの戦士のことはあたしの頭から離れることはなかった。


 翌日、あたしは隣のおばばのところへ行って話を聞いてみた。

 どうやら彼女、五年ほど前に助けてもらったことがあるらしい。


「ちょっと遠くの街へ出掛けていた時、妙な男に絡まれちまってのぅ。そこを助けられたんじゃよ。残していったのは、紫色のカーネーションじゃったかねぇ」


 そこでもすぐにいなくなってしまい、消息は掴めていないらしい。

 その話を聞いて、あたしは決めた。


「やっぱりあたし、もう一回会ってお礼を言いたいです。それに……」


 すごく興味を惹かれてしまった。

 カーネーションの戦士が何者で、どんな考えを持ち何をしているのか、その全てが知りたいとさえ思う。

 だからあたしは、帰宅するなりこっそり荷物をまとめ始めた。


 カーネーションはすっかり枯れてしまったけれど、昨日もらったお守りの中からは芳しい花の匂い。この中にもきっと、入っているのだろうと思われる。

 母親に気づかれないように荷造りをするのは大変だった。そのまま夜を待ち、一通の置き手紙を残して家を出るあたし。


「きっと、母さん心配するでしょうね……」


 そう考えると少しだけ胸が痛くなった。

 でもカーネーションの戦士と再会するまでは、決してここへ戻らない。


 こうしてあたしは無謀な旅に出たのである。



* * * * * * * * * * * * * * *


 住んでいた農村を離れ、森を迂回して川を渡り、別の小さな町へ着く頃には朝になっていた。

 少し休んだ後、早速聞き込みを開始する。


 カーネーションの戦士の噂は、意外と広まっているようだった。

 一輪の花を残し、立ち去っていく奇妙な女戦士として、ある人は不気味と、ある人は素敵だと語った。


 しかしそれ以上のことは、誰も知らないらしい。

 あたしは次の大きな街へ向かった。


 その街では、数日前にカーネーションの戦士が現れたという。

 街に盗賊団が入り込み困っていた時、それを鮮やかに薙ぎ払って無言で去っていったのだそうだ。


 後には大量に色とりどりのカーネーションがあったのだとか。


「……あの人は、一体何のつもりなんでしょう?」


 謎は解けないままだ。

 戦士の姿を見たという一人から「東へ行った」と教えられ、あたしはそちらへ旅を続けた。


 しかし旅は楽ではない。

 持ってきた資金は尽き、食糧などもやがてなくなった。

 金を稼ごうにもまだたったの十三歳であるあたしは働ける年ではなく、どうしようもなくなってしまった。


 それに加え、東の地は広大な砂丘であった。

 喉が乾く。日照りが焼け付くようだ。空腹で一歩も動けない。

 助けを呼ぼうにも、無人だ。


 母親の言うことを聞いて、大人しくしていればよかった。


 そう思ってももう遅い。視界がぐらりと揺れて、砂に倒れ込む――寸前。


「旅人さん、大丈夫?」


 体が何か柔らかい感触に支えられていた。

 顔を上げたあたしは、思わず息を呑む。


 薄紅の鎧姿の凛とした美女。

 ――憧れのカーネーションの戦士が、そこにいた。


「あ……、うっ」


 何か言おうとして口を開くあたしだが、頭が激しく痛み、呻いてしまう。

 立てない。気分がこの上なく悪く、少しでも油断したら意識が落ちてしまいそうだった。


「かなり具合が悪いみたいね。わかった、私についてきなさい」


 あたしの小さな体を担ぎ上げたカーネーションの戦士、彼女は砂漠を悠々と歩き出す。

 せっかくの再会なのに、こんなに見苦しい自分があたしは恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ないのであった。


* * * * * * * * * * * * * * *


「楽になった?」


「は、はい……。まだちょっとぐらぐらしますけど、ずいぶん良くなりました」


 連れてこられたのは、なんとテントだった。

 カーネーションの戦士は砂丘の真ん中に小さなテントを建て、そこを今の拠点にしているのだそうだ。


 あたしは水や食べ物などを思う存分与えられて、瀕死の状態からは回復した。


「ありがとうございます、本当に……。あなたがいなかったらあたしは、死んでしまうところでした」


「いいのよ、こんな砂丘で苦しそうにしてる女の子を見捨てるなんてできないもの」


 カーネーションの戦士の微笑みは、なんというか、とても優しい。

 それを見た瞬間思い出したあたしは、慌てて彼女に尋ねてみた。


「あのう、あなたはどうしてあたしに、いえ、みんなにこんなに優しくしてくださるんですか? 実はあたし、前も助けて頂いて」


「そうだったかしら、覚えてないわ。私は人助けをしたい。人の役に立ちたい、その一心だから」


 覚えていないと、そう切り捨てられてもあたしはなんとも思わない。

 むしろ女戦士の人の良さと、その心根にぞっこんになった。


「あ、あたしはクラベルです。……お礼が言いたくて、あなたを探していました。でもまた助けられて、もうなんというか……。あなたはあたしの憧れです」


 少し驚いたように目を見開く戦士。彼女はゆるゆると首を振り、名乗ってくれた。


「私の名前はネルケ。巷では、カーネーションの戦士なんて呼ばれているらしいわね。憧れるほど立派な人間じゃないわよ、クラベル」


 あまりの嬉しさに、あたしは身を乗り出して手を差し出した。

 しかし、カーネーションの戦士――ネルケが握手の代わりに手渡してきたものは、白いカーネーションだった。


「これをあげるわ」


「カーネーションですか? 何故……」


「いいの。受け取ってくれればそれで」


 かなり強引ではあったが、あたしはそれを受け取り、匂いを嗅いでみる。

 芳しい濃厚な甘い香り。思わずうっとりとなってしまった。


 ネルケはそんなあたしの姿を、なんだか愉しげに眺めていた。



* * * * * * * * * * * * * * *



「私がカーネーションの戦士になった理由?」


「そうです。それにどうしてカーネーションなのかも気になるんです」


 一段落し、奢ってくれた夕食を食べながらの話。

 うーんと小さく唸った後、あたしの問いにカーネーションの戦士はゆっくりと語り始めた。


「私の家は代々戦士をやっていて、私はそこの娘として生まれた。

 基本女は戦士にならない。力が弱いから当然よね。

 兄さんもいたし、私は普通の娘として育って、普通に結婚するはずだったの。

 でも私、強くなろうと頑張る兄の姿を見て、自分も戦士になりたいと志した。

 一緒に鍛えて、一緒に努力して。そのうち私たちは、一人前の戦士になっていたわ。

 でも兄さんは、とある戦場で傷つき、死んでしまった。

 その時私、気づいたの。……この世界には、『愛』が必要なんだって。

『愛』さえあれば争いは起こらない。戦士は戦う者だけど、平和を願うから戦うのだと私は思うわ。

 私はそれから、世界を『愛』で満たそうと思って旅をしてる。人のために戦う戦士として、ね」


 そこで一度息を吐き、ネルケはさらに続ける。


「カーネーションについてだけど、あなたは知っているかしら? 花には全て、意味があるってこと。

 花言葉って言うんだけどね、カーネーションの花言葉は、『無垢で深い愛』なの。

 世界に『愛』を広げるために、私はカーネーションをみんなにあげているのよ。

 私はこれからも、旅を続けるわ。決してすごい人間なんかじゃないけど、世界が平和になるまでは」


 ――彼女の話を聞き終えて、あたしはなんと言えばいいのだろうか、この上なく感動した。

『愛』を広げるという目的のためだけに戦うカーネーションの戦士の姿を、かっこいいと心から思った。

 だから、


「ネルケさん、あたしをどうかあなたの弟子にして頂けませんか?」


「えっ、何のつもり? 弟子なんか言ったって……」


 あたしの突然の申し出。

 それを受けて、カーネーションの戦士はこれまでの落ち着きをなくし、少しドギマギする。


「あたしは、世のため人のため、旅をし続けるあなたの在り方に感動したんです。あたしもネルケさんみたいになりたい、そう思いました。……だからお願いです、弟子入りさせてください!」


 頭を垂れ、心から懇願する。

 この時のあたしは他のことなど思考の片隅にもなく、目の前の美女に虜にされていた。


 しばらく唸り、考え悩んだネルケ。

「ふぅ」と小さく溜息すると、彼女は腰に手を当て、


「仕方ないわね。師匠になったところで何を教えていいかはわからないけど、あなたの真剣さを無碍にすることはできないわ。認めてあげましょう」


 と――許してくれたのだ。


「ありがとうございます! えっと、改めてよろしくお願いしますね、ネルケさん」


 飛んではねて大喜びするあたしは、嬉しさに思わずカーネーションの戦士に抱きつく。


「こちらこそよろしく。……さてどうなるのやら、ちょっと不安だわ」


 かくして無事、カーネーションの戦士の弟子となったあたしは、彼女と共に二人旅を始めることになったのである。



* * * * * * * * * * * * * * *



 あたしとカーネーションの戦士は、様々な地を渡り歩いた。


 困った人を見たら助ける。そして、その人にカーネーションを差し出すのがいつもの決まりだ。


 カーネーションをどこから入手しているのかと言えば、世界各地の花畑や、道の脇などから積み取っていることがわかった。集めて集めて大事に保存しているのだから、とても大変である。


 花を集めながら、ネルケはこんなことも教えてくれた。


「カーネーションには、色ごとにも言葉があるの。赤色は『母への愛』や『感動』、『気まぐれ』、ピンク色は『女性の愛』『美しい仕草』『上品・気品』『暖かい心』なのよ」


「へえ……」と頷き、あたしは思い返す。

 確か、ネルケと初めて出会ったあの日、彼女が置いて行ったのはピンク色のカーネーションだった。

 まさに『暖かい心』という言葉はしっくりくる気がした。


 それから、カーネーションの戦士はお守りの作り方もあたしに教授。花を粉末にして、巾着袋に詰めるようだ。


「匂いもいいし魔除けの力も強いの。さあ、できたわ」


 ――とても楽しかった。

 たまに残してきた母のことが気になったけれど、そんなのは忘れてしまうくらいに楽しい日々だった。


 だがある日、あたしたちの元へ不穏な知らせが届いた。


 大国同士が衝突し、なんと戦争が起こったというのである。


「なんですって……」


 途端にカーネーションの戦士の表情が硬くなった。

 彼女の兄は戦争で死んだのだから、何かの感慨を抱いて当然だろう。

 彼女はすぐさま「行くわよ」と言って立ち上がった。


 あたしも、ネルケについて行かない選択肢はなかった。


 旅は徒歩だから、結構時間がかかる。

 それでも必死で歩き、歩き、歩き続けて戦地へ向かう。


 恐怖はなかった。だってカーネーションの戦士さえいれば、大丈夫だから。


 あたしは一年ほど行動を共にするうち、カーネーションの戦士の圧倒的とも言える強さを知った。

 彼女にはきっと、誰も勝てやしない。

 だから何も心配することはなかった……のに。


「あ、あぁっ、あっ、ぁああぁあぁあああああぁぁっ」


 絶望。それを本当に感じたのは、これが初めてだと思う。

 焼け爛れた村。その真ん中に、崩れかけた我が家と――、母の亡骸があった。


 戦禍がこの村を襲ったのだ。

 あたしたちが辿り着いた頃には、もう何もなかった。全て終わっていて、誰一人生き残りはない。


 あたしは声を震わせ、涙を流し嗚咽を漏らす。


「……ひどいわ。戦争は、ひどい」


 そう言いながらネルケは、亡骸たちにカーネーションを振り撒いた。

 それが彼女なりの弔いなのだろう。あたしも母の死体に一輪のカーネーションを添える。それは、赤色だった。


 あたしはどれだけ親不孝なのだろう。一年も家を空けておいて、帰ってきたと思ったらこんなことしかできない馬鹿娘。

 己を呪いたくなり、虚無感があたしを襲った。


 しかし、カーネーションの戦士はそれを許してくれない。


「戦争を止めなければ、罪のない被害者が増えるだけよ。俯いてはいられない、行きましょう」


 よろよろと立ち、あたしは彼女に手を引かれて村を去ったのだった。

 その胸に、確かな怒りを抱いて。



* * * * * * * * * * * * * * *



 鳴り響く怒号。

 荒れ狂う人々の声。高い悲鳴。血飛沫。


 軍隊と軍隊が、正面衝突している。

 敵も味方もわからずに、狂乱のごとき殺し合いが繰り広げられていた。


「止めなきゃ」


 ネルケが剣を抜き出した。

 あたしも己の小さな剣を握り、構える。


「あたしはあっちの軍隊を殺ります。だからネルケさんは……」


「何を言ってるのクラベル。私たちは争いを止めるためにきたのよ。あなたの言い方じゃ、まるで皆殺しにするみたいだわ」


 言われて、あたしは唾を飛ばし反論した。


「だって! こんな中で、何を言っても止まるわけないじゃないですか! それに……」


「――愚かね。復讐して、何になるというの?」


 思わず息を呑んだ。

 指摘された瞬間、途端にあたしは狼狽えてしまう。


「あ、あたしは別に……」


「お母さんを殺したあいつらが憎いんでしょう? 殺してやりたいんでしょう? でもそんな考えじゃ、真の戦士にはなれないわ」


 図星だった。

 怒りが、もう抑え切れないほどの怒りがあたしを支配していた。

 表面上は隠そうとしていたけれど、ネルケには簡単に見破られていたのだ。


「真の戦士は、『愛』がなくちゃダメ。殺し合いなんて負の連鎖になるだけよ。ただし、ただ叫ぶだけじゃ止まらないから――、ねじ伏せてやりましょう」


「……はい!」


 やはりカーネーションの戦士は優しくて、強くて、あたしなんかよりもずっとすごい。

 あたしはそう、改めて思った。



* * * * * * * * * * * * * * *



 剣を振るい、凄まじい風を起こす。

 それだけで数人が泡を吹き気絶、数人が吹っ飛ばされて怯む。


「な、なんだお前ら!」

「女と小娘っ! うわぁっ」

「やれやれやれやれやれ――!」


 襲いかかってくる軍隊を、あたしは必死で薙ぎ払う。


 カーネーションの戦士と旅をするうち、あたしは武力を鍛えてきた。だがやはり、本家には勝てない。


 本家――ネルケは、一太刀で一気に大勢を黙らせてしまうような大物なのだから。


 ピンクの鎧を鳴らし、豊かな黒髪を靡かせるその姿は美しいとしか言いようがない。

 まさに花の体現者だった。


 血飛沫が、悲鳴が、怒号が、鮮やかな剣の光が乱舞する。


 これがあたしにとって、本当の本当の初戦だった。

 復讐心はもうかなぐり捨てた。今はこの醜い争いを止めることに専念する。

 ぶつかり合い、回し蹴りを食らわせて一人を気絶させることに成功。二人、三人と同じようにしてやった。


 気づけば、見渡す限りもう動く者はない。皆昏倒したのだろう。


「ふぅ……。ようやく終わりました。後はこれの処理をどうするか、ネルケさんと相談ですね」


 問題は山積みだ。だが、今はこの場をなんとか収められたことを喜ぼう。

 安心して少しばかり気を抜いた、その時――。


「危ないっ」


 そんな声が聞こえたのであたしを振り返り――驚愕した。

 なんと、まだ残っていたらしい軍隊の隊長と思われる男が、あたしを陰から狙っていたのだ。幸いにも男の体は弾き飛ばされて地面に倒れ伏していた。

 そんなことはどうでもいい。問題は、


「くっ、うぅっあぁ……」


 呻き、地面に膝をつくネルケ。

 あたしを庇ったおかげで彼女は鎧と鎧の隙間、首筋に深い傷を受けていた。


「ネルケさん!」


 駆け寄り、彼女の体を揺する。

 首筋から真っ赤な鮮血がたらたらと溢れ出しており、ピンク色の鎧を染め上げていた。ネルケは苦しげに息を吐きながら仰向けになると、言った。


「ごめん、なさい……。しくじったわ、あいつ、影に隠れてクラベルを。守ろうとしたけど、ちょっと間に合わなくて……うぅ」


「喋らないでください。血を止めなくちゃ、このままじゃ」


 傷口を必死に押さえ、あたしは叫んだ。

 だって彼女には、彼女だけにはもう、逝ってほしくない。それだけはもう耐えられないから。


「クラベル。華麗な花はね、短命なの。美しく咲き誇って、そのまま散る。……思っていたより早かったけれど、今がどうやらその時みたいだわ」


 ネルケの赤い頬が、薄いピンク色の唇が、一秒ごとに青白くなっていく気がした。

 あたしの掌が血で塗れていく。激しい出血は止まらないし、もうどうしていいのかわからなかった。


「これが私の理想の終わり方だから、悲しまないで。あなたを守れただけでも、私は嬉しいの。……クラベル、お願い。次はあなたが私の跡を引き継いでちょうだい。カーネーションの戦士として、世界を『愛』で満たして」


 優しい笑顔で、そう頼まれる。

 あたしは涙を堪えながら、だが堪え切れずに歪む視界の向こうへ頷いた。


「はい。はい……っ。でもっ、でも」


「最後に、これをあげるわね。花言葉は『永遠の幸福』。どうか、幸せで」


 手渡されたのは、鮮やかな青色のカーネーションだった。

 直後、体からふっと力が抜けて――カーネーションの戦士ネルケは命を落とした。


 青いカーネーションの花を片手に、あたしは彼女の亡骸をぎゅっと抱いた。

 強くあろうと、優しくあろうと最期の瞬間までし続けた花のようなこの女性を、強く強く抱きしめながら、誓う。


「絶対に、世界を『愛』で満たします。だから……どうか、見守っていてください」



* * * * * * * * * * * * * * *



 あの日からどれほどの月日が流れたことだろう。

 幼かったあたしは成長し、すでに大人の女になっていた。


 かつてのあの戦争、あれをあたしは結局止めることができなかった。

 けれどあたしは諦めなかった。辛い時も頑張り抜いて、そのうち力もついて、あらゆる悪を見逃さない戦士となったのである。


「そこの悪党ども。その娘を放してあげてください」


 とあるひとけのない路地裏。

 幼い少女を囲む三人の男たちに向かって、あたしはそう言葉をかけた。


 一斉に男たちが振り返り、こちらを睨み付ける。


「なんだお前?」

「女ぁ?」

「ふざけとんのか雑魚」


「あたしはクラベル。カーネーションの戦士と、そう呼んでください。……投降してくださったら見逃してあげるのですが、仕方ありませんね」


 あたしは剣を一振りし、男どもを薙ぎ倒した。

 手加減はしてある。一日寝込むぐらいには、であるが。


 中央で怯えていた少女が顔をあげ、こちらを見た。


「ええと……。助けてくれて、ありがと」


 茶髪の可愛い女の子だ。歳は十歳くらいに見える。

 どうやら怪我はないようで、あたしは心から安堵した。


「無事で何よりです。今度からは一人でここへは来ないように」


「うん」


 頷く女の子はなんとも素直で純粋だ。

 あたしはなんだか昔を思い出しながら、少女にオレンジ色のカーネーションを差し出した。


「あなたに、これをあげますね」


「うわあ、ありがとうおねーちゃん!」


 少女の輝かしいほどの笑顔に、こちらまで嬉しくなる。


「花には言葉があって、これは『純粋な愛』って意味の花なんです。大事にしてください」


「うん! じゃあね、バイバイ!」


「さようなら。……またどこかで会えたらいいですね」


 手を振りながら、あたしは静かに路地裏を去っていく。


 カーネーションの戦士となったあたしは、こうして今日も小さな愛を与え続けている。

 いつかきっと、ネルケが望んでいたような幸福な世界になることを願いつつ、明日も明後日も。


 あたしの頭上で、あの日からずっと枯れない青いカーネーションがゆらゆらと風に揺れるのだった。

ご読了、ありがとうございました。

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[良い点] 女性が代々引き継ぐってステキです! そして皆最初は助けられたか弱いひとだったなんで。 様々な色のカーネーションが愛を伝える、私たちも頑張らなきゃいけませんね。 日常でもちょっとした笑顔を…
[一言] 企画にて読ませていただきました。 愛の花の戦士なのですね~。
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