パンツの行方
パンツの行方
1、田中 吉乃
「タロ、散歩だよ」
柴犬のタロは、私が声を掛ける前から盛んに尻尾を振っている。家から那珂川河畔公園まで、10分とかからない。急げば5分ぐらいだ。時おり、河原のヘリで法螺貝を吹くヘンなオジさんが居る。『ブオオォ~』と何かの始まりを予感させるような、重々しい響きだ。よく苦情が出ないと感心してしまう。白っちゃけた上着に、灰色の長い半纏、ズボンはだぶだぶだが足首のところでキュっと締まっていて、素足に草履、白髪混じりの蓬髪。和装だか洋装だかよく分からない、ヘンなオジさんなのだ。これが私の母の弟、田中 吉郎。本物の叔父さんなのだ。出来れば、学校関係者に知られたくない。
朝、5時前後、女子高生にしては異常に早い時間とよく言われる。タロはオジさんを見つけると、直ぐあいさつに行く。
「お~タロ、散歩か~、よしよし。おはよ~吉乃」
「おはよ~」
オジさんは、よく「『巻狩り』に俺の法螺貝を使ってくれないかな~。ぴったりだと、思うががな~」とか、「小学校の運動会でもいいんだがな~」などと言っている。
そんなこと、一女子高生の私に言われてもしょうがないじゃないか。
元々は、オジさんが田中家を継ぐ筈だった。それがいつまでたっても嫁が見つからず、祖父母は諦めて吉郎の姉、私の母美吉に婿を取らせ跡継ぎとした。それでも、家持ちなら嫁も見つかるだろうと、実家のさほど遠くない所に家を買い与えたのだが、吉郎は両親の期待を裏切り続けイイ歳になってしまった。性格はそんなに悪くないのに、何でだろう。
私にも、歳の離れた正太郎という小2の弟がいる。これが、どうもヘタレで、対面するといつも目をうるうるさせて、おどおどしている。とろいというか、うっとうしいというか、まどっろっこしいというか両手で上下左右を叩いて、シャキンと直立させたいといつも思ってしまう。
正太郎が家に居ない時、正太郎の宝箱を覗いた事があった。そろっと開けると、ヘビが居た。「きゃっ!」と箱を放り投げると中身が散乱し、石がコロコロ転がった。散らばったのはおもちゃのヘビ、ビニールの刀、ピストル、キャラクターのカード、恐竜、丸い石などガラクタばかりだ。くだらない物ばかり集めている。
うららかな4月の午後、帰り道の前方で女子学生が「キャア、キャア」騒いでいた。
「パンツーマンだぞ~」という声も聞こえる。イヤな予感がした。果たして、正太郎がビニールの刀を手に女学生を追い回している。頭に赤いヒラヒラが乗っていた。良く見ると、赤いスケスケのフチにヒラヒラしたフリルの付いたパンティだ。
「正太郎おおおぉぉー」
私は正太郎を引きずるように家に帰り、“ガラガラピッシャン!”と引き戸を開けた。
「また~正太郎を苛めて~」と母が出て来て、正太郎の頭に乗った物を見て固まった。
「まっ、何それ・・どこで拾ったの・・まっ、イヤらしい。正太郎おおぉぉー」
「まさか、母さんのじゃないでしょうね」
「まっ、何言うのこの子は・・。私がこんなハレンチな物穿くと思ってんですか。まさか、吉乃のじゃないでしょうね」
「バカ言ってんじゃねえよ。純真な女子高生がこんなイヤらしい物穿くかよ」
「あっ、ひょっとしてミオちゃんのママのかも・・」
「あっ、それあり得る。正太郎はミオちゃんの言いなりだから、ミオちゃんが頭に乗せたのかも。しょうがないな~まったく、田中家の弟はどれも乗せられやすいんだから~」
母は困ったような、申し訳なさそうな悩ましい顔をしていた。
「あっ、正太郎が居ない」
2、田中 吉郎
正太郎がベソをかきながら入って来た。
「どうした、正太郎。また姉さんに怒られたか」
「うん、お母ちゃんにも怒られた」
「そうか~」
見ると手にビニールの刀を持ち、頭に赤い物を乗せている。手に取ってよく見ると、赤いスケスケだ。伸縮性があって、フチにヒラヒラのフリルが付いたパンティだ。これが、母と姉の逆鱗の正体らしい。
「正太郎、これは何だね」
「パンツ」
「パンツはどこに穿く物だにゃ」
「ここ、またに穿く」
「そうじゃろうが~、またに穿く物で頭に被る物じゃない。もし上着を足に穿いて、ズボンを上に着てキ○○マむき出しの男が追いかけて来たらどうだ。怖いだろう」
正太郎は、しばし上の方を見ていた。想像力が追いついたのか、ブルっと身震いすると
「うん、怖い」と言った。
「そうじゃろう。怖いだろう。ズボンを服のように着て、服をズボンのように穿く奴はバカだ。バカは何をするか分からん。だから、バカは怖いんじゃ。パンツを頭に被るのもバカじゃ」
「でもミオちゃんが・・」
「ミオちゃんはふざけて乗せたんだよ。でも、そんな事をしてると本当にバカになってしまうんだ。だから、母さんや姉さんに叱られたんだよ。分ったかな」
「うん、分った」
「分かったら、帰って母さんや姉さんに謝るんだ」
「うん」
正太郎は、すごすごと帰って行った。
「くもりガラスを手で拭いて、あなた明日が見えますか。愛しても愛しても、あああ~ああ他人の妻~」
ここで私は赤いヒラヒラを取り出した。引っ張って伸ばして見せる。『何だ?』と注目が集まり、ざわざあと私語が波のように広がって行った。
「イヤらしい物、持ってるな~」
「何を持っているんじゃ」
「何処で拾ってきた~」
「誰に貰ったのだ~」
パンティを頭に被ると、スナック『あけみ』は騒然としてきた。
「きゃ~吉郎さんすけべ~」
「いいぞ~エロ男~」
「イヤらしい~ヘンタイよ~」
「止めて~下らない事は止めて~」
「・・・赤く咲いても冬の花~咲いて~さびしい~さざんかの~や~ど~」
間奏に入ると、伊佐雄が乱入してきた。私の頭の上のパンティを奪うと、匂いを嗅ぎ天井を向いて恍惚としている。
「伊佐ちゃん、ずるいぞ~」
「パンツ仮面、赤いパンティ似合ってるぞ~」
『あけみ』が、俄然盛り上がって来た。
「ぬいた指輪の罪のあと~噛んで下さい思い切り燃えたって燃えた~あってあ~ああ他人の妻・・」
「抜いたり入れたり~すけべ~」
「噛んで~痛くしないでえ~」
「何言ってんのよ~止めなさい」
『あけみ』のボルテージは盛り上がる一方だ。吉郎の歌が終わると馬方が乱入、替え歌を披露しはじめた。
「ここで麻衣子とやれたらいいと~袖を引っ張り夢の城~」
「エロいぞ~」
「・・・おくヒダ一人旅~」
「万里子のビラビラはすごいんだぞ~」
「ドツボにハマった大変なんだぞ~」
「止めて~『あけみ』の評判が壊れちゃう~」
ママの悲鳴もかき消されて騒然としてきた。
と、“バタン”と扉が勢いよく開き
「吉郎おおおぉぉぉ~」と甲高い声が店内に響き渡った。
3、田中 美吉
突然スナック『あけみ』のママから電話が掛かって来た。
「美吉さん助けて~酷いの~」
切迫した様子だ。
「どうしたの、何が酷いの」
「吉郎さんのエロの暴走が酷いの」
「吉郎が・・」
何のことだろう。
「吉郎さんがパンティを被って暴走してるのよ。早く止めさせて~」
「分った」
私は『あけみ』へ急いだ。『あけみ』に近づくと外にまで喧噪が漏れ出ている。
“バタン”とドアを勢いよく開けると、吉郎がパンティを被って踊っていた。
「吉郎おおおぉぉぉ~」
吉郎は、ハトが豆鉄砲をくらったように目を見開き、動きを止めた。総ての動きが止まって、カラオケだけが“シャカシャカ”鳴っている。私は吉郎の頭を”ビシ、バシ、ビシッ“と叩き、「ごめんね」とママに一万円を渡すと吉郎を外へ引き摺り出した。
「帰って、こってり絞ってやる」
憤懣やるかたない私の後を、吉郎はトボトボと付いてきた。家が見え、フト後ろを振り返ると吉郎が居ない。「野郎、逃げやがった」後を追う気も無くなり、家へ帰ると夫の甲子男が台所で心配して待っていた。
「どうしたんだい。あれ、何持ってんの」
甲子男は私の手にあった赤いヒラヒラをひったくった。
「やや、これはすごい。う~ん、ふふふふ・・いいな~」
「そんなの、どこがいいのよ」
「どこって、色っぽいじゃあないか。母さんのかい」
「まっ、バカいいなさい。そんなイヤらしいもの私は穿きません」
甲子男はしげしげと透かして見たり、引っ張ったりしてから、それを頭に被ろうとした。
「そんな物被るんじゃねえー」
大声を出すと、甲子男がびっくりしてパンティを取り落とし、吉乃まで「何事?」と二階から降りて来た。
「あれ・・何それ、あっ、いつの間にそんな物が・・。あ~お父さん、イヤらしい」
「いや、これは母さんが・・」
「まっ、そんな物、私の物じゃありません」
「じゃあ、誰の・・」
「それは~、ミオちゃんのママの物かも・・」
「ミオちゃんのママのかあ~」
「たぶん」
「何だい、はっきりしないのかい」
「そんなこと、どうでもいいでしょう」
「いや、これはちゃんと持ち主に返さなければ」
「えっ、返すの」
「え~、そんなことしなくても」」
「そうだ、タロに持ち主をさがして貰おう」
「え~」
甲子男はそう決めつけると、眠っているタロを起こした。タロは眠っているところを起こされ迷惑そうだったが、パンティを近づけるとがぜん熱心に匂いを嗅ぎだした。まったく、そんな熱心にならなくともと思うのだが・・。タロはパクっとパンティを咥えると、夜の闇に走り出した。
「さすが、名犬タロだ」
甲子男がその後を追っていった。しばらくすると、甲子男だけが帰って来た。
「見失った」
4、田中 吉乃
「タロ散歩に行くよ」
タロは、散歩と聞くとすぐにテンションが上がる。嬉しそうだ。いつもの散歩コースを行くと、途中からコースを外れた。グイグイ引っ張る。
「どうしたのタロ、どこへ行くの」
プラタナスの木々を通り抜け、メタセコイヤの木々を通り、ツツジの方へどんどん引っ張って行く。その先のアジサイの根方に赤い物が見えた。イヤな予感がした。果たして、それは例のパンティだ。半分、木の葉に埋もれている。隠し方が雑だ。タロは木の葉からはみ出したパンティを咥えると、ウロウロし始めた。バカ犬が・・。
「タロおおぉぉぉ~。バカ犬があぁぁー」
大声にタロはポトリとパンティを落とした。伏せをし、ごろりと転がって、へつらって腹を見せた。
「ほら、行くよ」
私が歩き出すと「あの~」と呼び止められた。どこからわき出したのか、老人が居てパンティを持っている。
「これは、お嬢さんのかな」
「ふざけんじゃねえー。そんなの知らねえー」
大声に、老人は驚いたようで固まってしまった。
「ほほほほ・・わたくし、そんな物知りませんことよ」
老人は目をぱちくりさせると「これは・・」と言った。
「よろしかったら、差し上げますわ。おほほほほ・・」
私は、さっさとその場を後にしたのだ。
5、吉村 琢郎
びっくりした。何て迫力のある物言いだ。その後の、取り作ったようなお上品さ。
あっけに取られ、呆然としていた。ふと気付くと、手に赤い物がある。ハンカチかと思った。スベスベでスケスケだ。縁にヒラヒラのフリルがあって、柔軟性がある。広げると、おお、何と、パンティだ。「ううむ」と唸って、ハッと思わず周りを見渡した。女子学生らしい娘ははるか先に行っている。周りには誰も居ない。ホッとして良く見ると、実になまめかしい。思わぬところで、うしろめたいような、気恥しいような、罪悪感を伴うような思わぬ物を拾った。心臓がドキドキしてきた。わしは、久しぶりに高揚していた。
「なに、何か良いことあったの」
食事中、佳代が聞いてきた。顔が緩んでいたらしい。
「いや、何でもない」
「そう」
佳代はそれ以上追求してこなかった。佳代との会話はほとんどない。テレビの音声が、夫婦の会話を代償するかのように垂れ流されている。わしは新聞を読むふりをして佳代の外出するのを待った。新聞の字は目に入って来ない。ようやく、佳代は「ちょっと行ってくる」と出かけた。
やっと、出かけた「むふふふ」と自然に笑みがこぼれた。改めて良く見ると、スベスベだ。肌に滑らかだ。そして、透けて見える。縁にフリルがあって、伸び縮みする。顔にあてると、かぐわしい香りがする。これで、白い肌を包むのだ。滑らかな丸みを帯びた曲線、白い肌、大きな臀部、ケツ、丸い尻、もやもやとした陰り、サラサラと手に伝わる陰毛、こんもりとした丘、ワレメ、湿ったどどめ色のビラビラ。ああ、妄想が止まらない。パンティを被ってみた。
「おお!」
下半身が熱い。勃った。勃っている。えもいわれぬ感動が沸き上がってきた。わしのオトコは健在だ~。
ガラガラと音がして、妻が帰ってきた。
「何してるの。まあ、何被ってるの」
ああ、見つかってしまった。
「まあ、何それ。ま~イヤらしい。何かんがえてるの。ま~汚らわしい。いい歳して、ま~恥ずかしくないの。ま~ヘンタイだわ。ま~」
妻を、驚かせてしまったようだ。慌てて被っていたパンティを外しても、もはや手遅れのようだ。それにしても、『ま~』の連発は久しぶりだ。
「ま~どうしたのよ、それ」
「貰った」
「ま~誰に貰ったの。うそでしょどこで拾ったの。どこに干してあったの」
「だから、女子学生に貰ったのだ」
「ま~女子学生を押し倒したの。ま~何て事を・・いい歳をして」
「お前、わしの話しを聞いているのか」
「だから女子学生を押し倒して、パンティを奪ったのでしょう。ま~どうしましょう。もう、ご近所を歩けないわ。あなた、自首して」
「バカヤロー、何言ってんだー」
「ま~あなたは、いつもそう。都合が悪くなると、すぐ怒鳴るんだから。転職した時だって、何で一言相談しなかったの。仕事の事は話しても分からんだろうと、勝手に決めつけないでよ。話もしないのに、分る訳ないでしょう。家に友達を連れてくるなら、何で一言連絡くれないの。いきなり連れて来られては、困るでしょう。信一が大学を落ちた時だって、荒れて荒れて大変だったのよ。あなたは仕事にかこつけて、逃げてばっかり。私一人に、やっかいな問題を押し付けて、本当にずるいんだから~。それから、千鶴の結婚の時だって・・・」
話しが、ドンドンずれて行くようだ。どうしたものだろうと、上を向いていると
「・・・あなた、私の話を聞いているの」となじられた。
「もちろん、聞いているとも。反省してます」
今度は、下を向いた。話はくどくどと続いた。誕生日がどうのこうの、指輪、旅行、家事、息子、娘、細かい事が次から次へと出て来る。その内容よりも、コンコンと汲めども尽きぬ泉の如き言葉の羅列に、妙に感心してしまった。
「・・・で、どうなのよ」
と、問われハッと我にかえると、わしはパンティを掴んで家を飛び出した。
「やあ、しばらく」
田中吉郎さんは、庭の手入れをしていた。
「お茶でも煎れるね」
縁台でお茶を飲みながら「これ何だけど」とパンティを取り出したら、「わっ!」と吉郎さんは奇声を発して、わしを居間に引き摺り上げた。そしてガラス戸を閉め、カーテンを引き、玄関に出てきょろきょろと周りを見渡すとバタンと戸を閉め、ガチャリとカギを掛けた。居間に戻ってパンティを手にすると、「因果は巡る」と言って、嬉しいような困ったような複雑な顔をしていた。