1章-1
「澄んだ空気、綺麗な青空、朝日が眩しい……」
とある朝、八坂はのんびりと羽を伸ばしている。
なにせ地球での戦闘中に呼び出されて、さらにこっちでも二度も戦い疲労が溜まっていた。
「八坂殿、こんなところに居たのですか」
「ん、ウル? ちょっと疲れてて、何か急用ですか?」
「いえ、急を要する訳ではないですが、あの少女を連れ帰ってきてよかったのですか?」
「袖口を引っ張って離れてくれない子を、振り払うこともできないでしょう」
賊の討伐後、助けた少女を村に預けようとした。
だが、彼女は八坂から頑なに離れようとしなかったため、砦まで連れて帰ってしまったのだ。
「まあ、そんな問題は勝手に”領主代行”なんて宣言した馬鹿な狼からしたら安いもんですよ」
八坂は半ば呆れながら、抗議の目を狼に向ける。
「龍様も賛同されていますし、許していただけませんか?」
狼が申し訳なさそうにこちらを見てくる。
あの後、砦に戻り龍へと事の次第を告げると、なんとまさかの代行に賛成だったのだ。
どうやら周辺の治安は龍の巣を守るためにも都合がいいと捉えたみらしい。
「それはそうと八坂殿、料理の問題は解決しそうじゃないですか?
齢13,4の娘なら家事に通じておられるでしょう」
「それ、あの子のこと? その期待、多分無駄ですよ」
ウルは連れ帰った少女が美味しい料理を作れるだろうと考えていた。
だが、八坂は首を横に振ってそれを否定する。
「あの子の手、見ました? とても綺麗でしたよ。
髪や肌の質感などとても手入れが行き届いています。
ここの文明がどうなっているか知りませんが、とても村娘とは思えないです」
助けた少女は疲れと恐怖に怯えてこそいたが気品があった。
村で見た日に焼けた健康そうな同年代の女の子とは違う。
日の光で痛んだ事のない白い肌と金色の髪はどう考えても上流階級の人間だ。
「まあ、彼女には休んでもらってから事情は聞くとして……どうしましょうかねぇ」
側で広げていた布の上に置いてある、パンに手を伸ばす。
こちらの世界の小麦は何かが違うのだろう、それとも作り方に差があるのかもしれない、とにかくとても甘みがあり疲れた体に優しく力を与えてくれる。
体に活力が戻ると頭も冴える。
龍が何を望んでいるのかを整理していく。
最初は卵を守るだけで、行動範囲が砦の周囲から出るとは思はなかった。
だが、村を助けさせ領主の真似事まで容認するとなると話が異なる。
「幼龍が生まれた後の環境も整えたいんでしょうか?」
「おそらく龍様はそう考えておられるでしょう」
八坂は懐から地図を取り出して広げる。
今度は墨で書かれた普通の地図だ。
「この砦、領土の中心に位置しているんですね」
砦には凸の印を蛍光ペンで書き加える。
南には平原が広がっていて、その向こうには海に繋がっているらしい。
西と東の端は他の領地とつながっており、北側は山岳と渓谷が連なっている。
「我々がこの前訪れた村は西側の方に近い村です。
かつては諸外国から挙式を行うために訪れる人も多く、観光地や貿易都市の面で栄えていました」
「百年も領主がいなければそうなりますか……東側にもそういった都市が?」
「東側は古くから領土争いが多く、防衛機能を有した前線基地とその兵士と交易する都市があったそうです」
どんな世界でも争いの内容はそう変わりないらしい。
ちなみに西側の国境を越えた先は同じ連合国家の一つらしく、リーウッドの村も国境をこえて細々と交易をおこなっているらしい。
観葉植物の栽培で生計を立てているみたいだ。
「先代の領主は東の付近での防衛戦で命を落としたのですか?」
「いえ、病死だそうです」
「ああなるほど、砦が無傷なのはそういった理由ですか」
だとしたら東側の国が占領行為をしなかったのは連合国家からの報復恐れてかもしれない。
あまり目立った行動を起こさなければ、領土戦争は避けられるかもしれないと八坂は胸をなでおろす。
「そして今確認できるだけで二つの問題があるのですね」
「はい、砦から東側の渓谷で行われている犯罪集団による違法市場、さらにその南東にある森での魔物の異常発生。
現在把握している砦周辺の脅威はその二つです」
ウルいわく、砦から馬の全速力で1日ほどの距離に違法市場、さらに遠くに魔物の森があるらしい。
「市場の方は気がかりですね、こちらの存在を把握すれば襲撃してくる可能性は十分考えられますし……
機を見て偵察しましょう、森は少し様子見で」
リーウッドの村は昔、交易で栄えていたとともに、国境警備隊の在地でもあったらしい。
隣の領土のとある兵団と信頼関係があるらしく、彼も彼の教え子達もそこで訓練を積んでいるみたいだ。
今回の襲撃事件はその訓練中の空白期間が重なり、大惨事になったということだ。
「彼らの調子が整ったら、市場を制圧し犯罪者を捕らえましょうか」
「御意」
村には今回の襲撃で使用した食料や医薬品などの対価として、龍から貰い受けた金貨を渡した。
もう一度隣の領土の都市に交易に行けば、補填はできるみたいだ。
そうすればリーウッドも手が空き、彼の教え子達と協力して討伐隊を組めるかもしれない。
「このパンくらい、甘い状況だったら嬉しいのですけどね……」
最後の一切れを口に押し込めるともう一度地面に寝そべった。
太陽の光を浴びて暖められた地面から心地よい温もりが背中に伝わる。
手を頭の後ろにしているが、どうしても柔らかい枕が欲しくなる。
「……ねえウル、ちょっとこっちに尻尾向けてくれませんか?」
「え? ええ、どうぞ」
手招きに応じて尻尾を預けると、八坂は遠慮なくそれに頭をのせた。
血の通った温かさとしなやかな毛並みは何とも言えない安らぎを与えてくれる。
「ちょ、ちょっと八坂殿?」
「これくらい良いでしょ、そっちのわがままを聞いてるんだし。
誰か来たら起こして……」
それだけ、言い残すと重くなったまぶたに逆らわず、ゆっくりと意識を眠らせる。
狼の肉球に頬をペチペチと叩かれ、目を覚ますとあと少しで夕日が差し込む所だった。
空はまだ薄く青い、ちょうどいいくらいで起こしてくれたみたいだ。
まだ夕食には時間があり、八坂は砦の倉庫を確認しにいった。
砦内の調理場に備えられている食料庫には先代の領主が残していた水や麦、干し肉、水抜きされた野菜、塩など質素ながら満遍なく食料が貯蓄されていた。
おそらく城内で働く数百人分を一ヶ月以上は飢えさせない量だ。
倉庫はどうも魔法というものが施されているらしく、長い年月が経ったというのに劣化を感じさせない。
ウル達が洞窟内に保存している食料よりはある程度種類も豊富であり、しばらくは食べるに困ることはなさそうだ。
(魔法ってすごいけど、でもなんでこれだけの量を備蓄して誰もいなくなったのでしょうか?
まるで誰かが帰ってくるのを期待しているように感じますね……もしや他の倉庫にも十分な備蓄が?)
明日は砦を精査してみようかと考えながら倉庫内を詮索する。
その中から特に調理しなくても食べられそうなものを適当に持ち出す。
ものはあれども、今の自分たちに調理する技術はない、ある意味、宝の持ち腐れだ。
砦の一室に戻り扉を開けると、椅子に座って本を読んでいた少女が顔を上げる。
聞いたところによるとリズという名前らしい、昨日よりは幾分顔色も良い。
「お帰りなさい」
「ええ、ただいまです」
まだ少し不安なのか疲れているのか口数は少ない。
だが、ある程度信頼はされているかもと八坂は感じていた。
その理由は部屋に二つ置かれた寝具にある。
昨日の夜、寝るために少女には空き部屋をあてがったが独りになるのが怖いらしく、一部屋に二人と一匹で寝ることに。
布団の中で彼女は震えており、よほど連れ去られたことが怖かったのだろうと一目でわかった。
本当は事情を聞きたいところだが、心に負担をかけすぎるのも良くない。
もう少し回復を待ってから何かを聞くつもりだ。
「とりあえず、夕食にしましょうか」
持って帰ってきた食材をテーブルに置き、3人で食べる。
いきなり異世界に連れてこられてから、初めて誰かと食事をとることになる。
まだお互いに距離があり、温かな食卓とまでは言わないが、それでも心おだやかに過ごせる空間ができていた。
あとは時間が経つとともにもっと良くなるだろう。
綺麗な空気に澄んだ空、食事も豪華ではないが口当たりが柔らかい。
異世界での暮らしも少しいいかもしれない。
腹も膨れ、寝床でまどろむ八坂の胸にそんな気持ちが生まれていた。