序章-5
「さて、どうしたものでしょうか」
とある部屋の中で八坂は頭を抱えていた。
事の発端は龍の巣に通じる洞窟を出た先にある砦の応急修理後に起きた。
洞窟で暮らすのは暗すぎるので砦を生活と防衛の拠点にするため魔物を率いて砦の改修作業をしていた。
ゴーレムなどに建材などの運搬や設置を、魔法で生成したスライムには埃などのゴミを食べてもらう。
作業にあたる前に聞いた話ではあるが、龍が保護の術をかけていたおかげで砦に大きな損傷も風化もないらしい。
住めるように清掃した後は、改修して防衛力の増強を行う予定だ。
龍の魔力によってゴーレムやスライムは水と土から作られ、人手に困ることはない。
ゴーレム達に壁の補修をさせ、スライムに床や窓のゴミを飲み込んでもらう。
正午には主要な部屋を掃除し終え、残りは数日に分けて行うことにして食事の準備を始めた。
だが、そこで問題が生じた。
龍とウルが洞窟の中に貯蔵していたのは野菜と肉、果物だけだった。
調味料もなく、ただ焼いたり煮たりしただけの食事しか用意できなかったのだ。
八坂には料理をする技術も道具もなかったのである。
もちろん元の世界では傭兵として作戦行動中に食料を現地調達していた。
栄養優先で味を気にしたこともない。
けれど、せめて拠点にいるときくらいは鋭気を養うために美味しい料理が欲しい。
「ウル、なんであのゴーレムは紅茶を作る事ができるのに料理が出来ないのですか?」
「作り上げた魔物には複雑な動きを覚えさすことはできないのです。
あのゴーレムは紅茶を入れるためだけに作られたカラクリ人形だと思ってください。
道具を使う、武器を使うといった動作は指を持つスケルトンの方が得意ですし…
元料理人のスケルトンなら生前の知識からおそらく料理もできると思いますよ?」
「いや、ちょっとそれは勘弁して欲しいかなぁ……
ウルは料理を作れたりしない?」
問いかけると目の前の狼は自分の肉球と睨めっこをしながら首を傾げる。
だが、何かを決心したように顔をあげこちらと目線を合わせる。
「やってみますっ」
「ごめんやっぱりやめてください、毛だらけの料理になる未来しか想像できない」
テーブル上の皿に盛られた肉とミルクを上品に食べる大きな狼を眺めながら憂鬱な気持ちが晴れることはない。
夢を見ているんじゃないのか? 本当は頭を撃たれて病院の寝台に寝かされているのではないか?
「ところで八坂殿、捕まえた男はどうします?
そろそろ目が覚めているとは思うのですが」
「確かに頃合いですね。まず一番に確認したいのはここに彼らが襲撃してきた理由です。
財宝目当てであったにしろこの拠点は長い間放置された痕跡があったので……。
どこから財宝などを嗅ぎつけたのかを確認しておき、できれば噂の出所を潰しておきたいです。
でなければ際限なく似たような連中に襲われることになりますから」
机の上に指を滑らせ、対面の白狼に身振り手振りが出てしまう。
別の思いが頭の中を占めていて、説明とは裏腹に目は宙を読んでいる。
「どうかなされましたか?」
「うーん…いえ、なんとなく目の前で起きてることが信じれないという思いがあります。
あなたは異世界に来ました、ここで卵を守ってください。
……なんて言われても信じることできると思いますか?」
どんな返事が返ってくるのだろう?
八坂はそんな思いから、しばらく黄金色に光る二つの目を眺めている。
しばらく考えた後、ウルは短いが気持ちを深く入れた言葉を発した。
「信じてもらうしかないとしか言えません。
そして、信じて欲しいと私は願っています」
これには八坂も少し驚いく。
信じろと言われるのは予想できたが、懇願までされるとは思ってなかったのだ。
「どうしてウルがそんなものを望むのですか?
私以外の、この世界に住む人間を選ぶのでは駄目だったのですか?」
「龍様が貴方を選んだからです。
そこにどんな思惑があるのかは分かり兼ねます。
しかし、人間の器用さと知恵に獣の私では対抗しきれないでしょう。
龍様自身も、暗い洞窟の中を幾年も離れることができず、疲れておられます。
今は、八坂殿だけが頼りなんです」
ゆっくりと相手の目を見つめ、言葉の一つ一つに思いを込めながらウルは説得を続ける。
その場しのぎの嘘でないことは八坂も肌で感じていた。
「ウルの話は信じましょう、しかし納得はできていません。
言うなればこれは誘拐と同じでしょう?
私を元の世界から勝手に呼び寄せては卵を守れと命令して、こっちが帰る手段を知らないから断れないことを理解はしているんでしょ?」
問い詰めると大きな狼は体を縮め俯いてしまう。
八坂は帰る手段を知らない、おそらく卵が羽化するまでこの場に留まるしかないのだろう。
お願いしますと言われているが、喉元に刃物を突きつけられている気分だ。
「申し訳ありません。
謝罪の代わりと大それたことを言うわけではないのですが、私にできることなら何なりとお申し付けください」
「元の世界に戻りたいと言う願いは?」
「申し訳ありません、それだけは…」
この話題について喋りだすと苛立ちが募り、腹の奥底に重い熱を感じ始めた。
不満と疑心が脳を食いつぶす。
思考の糸が縺れ始め無造作に膨らんでいく。
「もういいです、今ここで言い争っても虫の居所が悪くなるだけです。
捕まえた男を尋問して今回の襲撃を処理してしまいましょう」
頭の中がこんがらがった時は兎に角手を動かす。
腹を据えて牢屋へと足を踏み鳴らしていく。
帰る手段はあるのか?
足を動かしていてもそればかりが頭の中を閉めてしまっている。
昨日戦った大男は格子の向こうで胡座をかき床に座っていた。
「手短に聞いても答えられそうか?」
やや強めの荒い口調で八坂が男に問いかける。
男は何も言わず、無言で頷く。
「昨日襲撃してきた集団は盗賊か山賊の類だと考えている。お前はその仲間か? なぜ襲ってきた?」
「お前のいう通り山賊みたいな輩たちで、俺は仲間ではない。村の人間が人質に取られており、やむなく手を貸した」
過不足ない答えだが、ここまでは八坂の予想通りだった。
質素ではあるが手入れの行き届いた男の風貌が賊のようには見えなかったからだ。
「お前の手を借りるためだけに人質をとったということか?」
「人質をとったのは別の要求のためだ、襲撃への手助けは後から迫られた」
「ではその別の要求とは?」
「我が村で婚礼の儀を執り行う事を強要された」
「え? 結婚式を挙げるために村人を人質に取ったと?」
「そうだ」
予想もしない原因で頭が痛くなる。
人質をとった理由をまるで理解できない。
だが、隣で聞いていたウルは納得できたような顔をしている。
「山を三つ超えた先の、赤い百合を携えた精霊の村か?」
「ああ、奴らは式を盛り上げるために財宝を奪いにきたんだ」
どうやら両者はお互いの言葉を理解しているらしい。
一人蚊帳の外の八坂はウルに小声で問いかける。
(一体何を話しているんです? 精霊ってなんですか? なぜ挙式のためにわざわざ人質を?)
(村の中には精霊の加護を受け、崇拝の対象としている場所もあるのです。
その加護の影響で、彼の村で式を挙げた夫婦の仲は永遠に約束されると古くから有名なのです。
おそらく村人たちに挙式を拒否されないために人質をとっているのでしょう)
この世界ではおよそ自分の常識とはかけ離れた風習があるらしい。
舞い込んでくる情報の量に脳の処理が追いつけなくなる。
(そこまですることなんですか?)
(微妙なところです、精霊の加護といっても万能ではありません。ちょっと運が良くなる程度のものとお考えください。
ただ、古くからの伝統でもあるので、慣例を守る人や虚栄心の強い人は祝福を受けたがる傾向にありますね)
宝石を着飾るように見栄を張るという意味なのだろうか。
彼らとの認識が合わず八坂の顔に困惑の色が浮かぶ。
「悪いけれど、そちらの説明を何一つ理解できない。けれど、武器や食料を提供すれば解決できるか?
ここの情報がどこから来たのかを教えてくれれば、お前を開放して必要な物資を提供しよう」
聞いていて面倒になった八坂は今後の砦の防衛に必要な事情だけ聞き出し厄介払いをしたくなった。
それに昨日の戦闘で盗賊達の戦力は大きく減少しているはず、あとは村の男たちでも十分のはずだ。
「……襲いかかったこちらが言える筋合いでないことは理解しているのだが、君の助力を願えないだろうか?
村でまともに戦えるのは4,5人くらいであり、正直に言って人質を無事に救出できるだけの自信はない」
「村に自警団などは組織されていないのか?」
「あることにはあるが、若手の連中は遠くの都市へ集団で訓練に出かけている。
通商に出かけた者達も多く、今が一番村の手薄な状態だ。
加えて敵はまだ20人弱はいるはず、こちらの手勢ではどうにも勝機を見込めない。
君の持っている武器は1人で倍以上の相手と戦えるんだろう?」
「なるほど、一番嫌な時期に攻められたわけですか。
ちなみに私の武器は……いや、この話はやめときましょう」
銃の存在を知らないならそのままにしておくべきだと八坂は考えた。
宝ではなく、こちらの保有する銃火器の威力を狙って訪れる人間が増えるのを避けるためだ。
『八坂よ、少しいいか?』
『えっ!?』
急に頭の中に龍の声が響きあたりを見渡してしまう。
鉄格子の向こうで座っている男も不思議そうな目でこちらの挙動不審な動きを見ている。
『驚かせてすまない、近くにいるなら直接話しかけることができる』
『魔法って便利ですね……っていうか盗み聞きしてました?』
まるでその場に居るかのように会話に割り込み方だ。
どこかで聞き耳でも立てていたのかと勘ぐってしまう。
『安心しろ、ウルを経由してだ。お前の聴覚を勝手に借りるようなことはしておらん』
『それってそういう事も出来るってことですよね? 趣味が悪いですよ?』
『そう言葉尻を捉えて邪険に扱わないでくれ、話が進まん』
『なんとなく面倒なことを頼まれそうな気がしたので』
『話が早いな、ではその男に手を貸してやってほしい』
『もちろんお断りします』
自分が(半ば脅される形で)頼まれたのは龍の卵を守ることである、それ以外の仕事など冗談でも受ける気は無い。
『そうかでは仕方ない、お前を元の世界に返すのは諦めるとしよう』
『はぁっ!? 幾ら何でも横暴すぎるでしょう!?』
苛立ちから口調が荒くなる。
『八坂よ、無理を頼んでいるのは理解している。だが、しばらくは私の命に従ってほしい』
『それって脅しって言うのでは? っていうか拒否権ないのでは?』
『まあそうなるな、申し訳ないが牢屋の中の男に手を貸してやってくれ』
龍の口調は丁寧なようで中身は脅迫と厄介な依頼の勢ぞろいだ。
立ち込める苛立ちに目頭を押さえつつ目の前の男に向き直る。
「いろいろ考えた結果、貴方に手を貸すことにした。
ところでそちらの名前は? 私は八坂です、一時的とは言え手を貸すのですから名くらい知っておきたい」
「助力、誠に恩に着る。俺の名前はリーウッド、よろしく頼む」
牢の鍵を開けると彼は手を差し出してきた。
「悪いけど、利き手では握手はできない」
彼が伸ばした右手に覆いかぶせるように左手を上げる。
「それは失礼、ではよろしくお願いする」
口調とは裏腹に八坂の手を握るリーウッドの力は強い。
表面には出ていない彼の焦りを八坂は感じ取れてしまった。