シンバル叩きのサル
『シンバル叩きのサル』
道を行く旅芸人の一座があった。
玉に乗るもの、綱を渡るもの、踊るもの、楽器を弾くもの、様々であった。
その中に一匹のサルがいた。
サルは音楽に合わせてシンバルを叩くことができた。
さて今日も今日とて一座は街にたどり着く。さっそく公演の準備に取り掛かり、その夜には盛大に芸を見せ始めた。
サルも陽気にシンバルを叩く。ジャーン、ジャーンと街中に響くシンバルの音。その元気さに街の人たちも笑顔になった。
公演はいつものごとく大成功。一座は一夜中食って飲んでの大騒ぎ。サルにもごちそうが用意された。
いつもと違ったのはサルのごちそうを用意した人間が水と間違って酒を出してしまったことだった。
サルは酒を飲み、酔っ払ってしまい、そのままどこへかしこへフラフラと、終いには木の上で眠りこけてしまった。
次の日サルが目を覚ますとそこに一座はいなかった。一座もサルのことを探したのだがサルも動物、逃げてしまったのかと思い、次の公演日も決まっていたので仕方なく街を去ったのであった。
最初は一座を探していたサルも徐々に諦め始める。そんなところでサルのお腹が鳴った。
サルは商売道具であるシンバルをいつも肌身離さず持っていたが、逆に言えばそれしか持っていなかった。
だけどもサルはシンバルを人の前でうまく叩けば餌を貰えることを知っていた。
サルはすぐさま広場に向かい一度お辞儀をしたかと思うとシャンシャンとシンバルを叩き始めた。
道行く人は足を止めサルの演奏を眺めた。演奏といっても音楽はなく、ただリズムをとってサルがシンバルを叩いているだけなのだがサルが一匹でシンバルを叩くという光景自体が娯楽的であった。
サルが演奏を終えお辞儀をするとサルの足元にはパンの端や小銭が置かれた。
サルは不服ではあったがとりあえず貰ったパンを食べることで腹を満たした。貰った小銭はサルには使い方がよくわからなかったものの一座の人間が大事そうにしていたのを見ていたので自分も大事に寝床に隠すことにした。
お腹が減ればシンバルを叩く。餌を貰ってお腹が膨れたら遊ぶ寝る。そんな毎日をサルは送っていた。
最初は気ままな生活をそれなりに楽しんでいたサルだったが、一座にいた頃に比べると餌も悪く寝床も悪い。楽しかった演奏も一人っきりでは味気ない。次第にイライラが募っていった。
そんなイライラからかその日は力一杯シンバルを叩いた。
ガシャーン!
シンバルは割れてしまった。
大切な商売道具を、いやそれ以上にいつも肌身離さず一連托生だった相棒を壊してしまった。
サルは落ち込んだ。落ち込みに落ち込んだ。シンバルが治らないかくっ付けたり離したり。そんなことをずっと繰り返していた。
そうしてその日は暗くなっていった。
どれだけ悲しくともお腹は減る。
サルは困った。悲しいのとお腹が減ったのでめちゃくちゃだった。だがサルにはもう商売道具が無かった。
サルは一晩中考えた。どうしたら餌が手に入るのか。
次の日、サルはある青果店の前に来ていた。
その日は大きなスイカが売られていた。店主がスイカを叩くと中身がしっかり詰まっていそうな音がした。
サルは店主の死角からこっそりとスイカに近づいた。
そして店主が客の相手をしている隙にスイカを一玉抱えて走り出した。
店主はすぐに気がつきサルを追いかけた。
だがそこは動物、軽い身のこなしでひょいひょいと人ごみを走っていく。店主がぜいぜい言いながら、やっとの思いでサルに追いつくとそこは広場だった。
サルは一度お辞儀したかと思うと勢いよくバク宙しながら地面に置いたスイカに飛び乗った。
そして器用にコロコロと、スイカを転がし始めたのだ。前に後ろに右左、飛んだり跳ねたり逆立ちしたり。それは玉乗りであった。サルはスイカを盗む気などなく、一座の玉乗り師の真似をしただけだったのだ。
最初はあっけにとられた店主だったがサルの見事な身のこなしに次第に楽しくなってきた。
ひとしきり技を見せ終わるとサルはスイカからヒョイと飛び降りお辞儀をした。
店主はそもそもサルに悪気がなかったことを理解するとサルのことを許すことにした。
しかし食べ物を地面で転がすのは褒められたことじゃねぇ、と店主はサルをたしなめた。代わりと言っては、と店主は自分の甥が昔遊んでいた大きめのボールをサルにやることにした。
玉乗りに使ったスイカも店じゃ売れねぇわな、とサルにやることにした。
サルはその日、大きく、みずみずしいスイカで腹を満たした。
次の日サルは玉を転がしながら街をうろついて芸を見せては餌をもらっていた。
すると街の外壁近くで大泣きしている子供とオロオロしている大人たちを見つけた。近づいてみるとどうやら子供の持っていた風船が外壁から突き出た木の枝に引っかかってしまったらしい。
サルは考えた。木の幹が地面から出ていたなら簡単に登れたであろうが残念ながらサルにも壁は登れない。
サルが周囲を見渡すとロープの束が転がっているのが目に入った。
サルはロープを手に取り結び目を作ったかと思うと器用にそれを出っ張った木の枝に引っ掛けた。そしてそのままロープをスルスルと登って入ったと思うとあっという間に風船を取って地面に降りてきた。
周りの大人たちもこれには拍手。子供はすぐさま笑顔になった。
俺たちが持ってるよりもよっぽどいいだろうと大人の一人がサルにロープをやることにした。
そうするとサルは壊れたシンバル、ボール、ロープを持ち歩くことになり、とてもではないが身動きを取れなくなってしまった。
それを見た子供の母親がこの子にはもう必要ないから、と乳母車をサルにあげることにした。
サルが乳母車にボールやロープなどの道具を入れて街を練り歩く姿はすぐに街の人々に親しまれるようになった。
サルはたくさんの商売道具を手に入れてたくさんの芸を人に見せることができるようになったがそれでも心のどこかでシンバルのことを考えていた。
ある日のこと、サルはその日も芸を見せながら街を練り歩いていた。
カーン、カーン。
聞こえてくるのは鉄の音。
サルは気になって音のなる方に向かった。
そこでは真っ赤に燃える焔の近くで鍛冶屋が鉄を叩いていた。
その姿を見てピンときたサルは割れたシンバルを取り出して鍛冶屋に見せた。
これを直せっていうのかい。あいにく金のない奴は客じゃないんだ。と軽くあしらおうとするとサルは小銭をジャラジャラと鍛冶屋の前に差し出した。
悪かった。確かにあんたはお客さんだ。だけど残念ながらこれっぽっちじゃ全然足りない。それに俺は武器や防具は作れるが楽器のことなんかてんでからっきしなんだ。と突っぱねようとした。それでも必死に頼むサルの姿を見て、それじゃあ取引だ、とサルにある提案を持ちかけた。
鍛冶屋が店の奥から本を持ってくるとそれを開いてサルに見せた。
その本には花の絵が描かれていた。
この花はこの街からそう遠くはない山の崖に咲く花でな、なかなか人間じゃとるのは難しいんだ。俺はこの花がどうしても欲しいんだが、どうだ。この花を持ってきたら確かに楽器を直してやる。
サルは分かったと言わんばかりに小さくお辞儀した。
サルが扉から出ようとすると一人の美しい町娘が入ってきた。
あら小さなお客さんね、とその町娘はサルに微笑んだかと思うと鍛冶屋と親しげに話し出した。
鍛冶屋は終始そっぽを向いていた。
それからサルは乳母車を押しながら山の中を練り歩いた。乳母車の中にはもらった道具や保存のきく食料を詰め込んでいた。シンバルは鍛冶屋のところに預けることにした。なんでももし直すとしたならどういうものか理解しなくちゃならないからだそうだ。サルにはよくわからなかったが。
サルは何日か山を探し続けた。
探してるうちに野犬などにも襲われかけたが木の上に登ることでどうにか逃げることができた。
持ってきた食料だけでなく山に自生している植物を食べることもあった。
大変な目にあいつつも花を探して、サルは山の上の方で小さな谷に突き当たった。そして谷の向こう側の崖際に本で見た花をついに見つけたのだ。
だがそう大きくは無いとはいえこの谷はサルには飛び越えられそうにはなかった。サルは風船を取った時のことを思い出し、同じ要領で向こう側にロープを投げ込んだ。谷のこちら側では手頃な岩にロープを結びつけた。そしてロープが外れないことを確認するとサルは綱渡りを始めた。観客は無く、落ちれば死んでしまうようなそんな綱渡り。だがそこはサル。存外あっけなく谷の向こう側へとたどり着いた。そして崖の花をそっと丁寧に手に取るとすぐさままたロープを渡って戻っていった。
サルがロープを渡り終えると回収の仕方がわからないことに気がついた。大事の前の小事。ロープは犠牲になったのだとサルは惜しくもロープを諦めた。
サルは花を握ったまま気分上々といったところで山を降りていた時だった。
グルルルル
またしても野犬だった。しかも結構な数の群れである。
残念ながら近くに木は無くサルは窮地に立たされた。
今にも噛み付いてこようとせん野犬の前でサルの取った行動は乳母車に飛び乗ることだった。
そのまますごい勢いで山を駆け下りていく乳母車。サルは必死にバランスをとった。
そのあまりの早さに野犬は追いつくことができなかった。
サルが後ろを確認すると野犬はいなくなっていた。
ほっと息をついたのもつかの間。サルは止まれないことに気がついた。
そう思った時には目の前は川。
サルは乳母車ごと川に突っ込んだ。
サルはどうにか水面から顔を出したが川の流れは速く、今にも溺れてしまいそうだった。
もうダメかと思ったその時水面からボールが浮き上がってきた。サルはどうにかボールにしがみついた。幸運にもボールにはサルを支えるだけの浮力があった。そのままサルはボールにしがみついたまま川を流されていった。手には花をしっかりと握って。
またしても幸運なことにサルの流れ着いた先は街だった。
サルはビショビショのまま鍛冶屋の元へ向かった。
満身創痍で店の扉を開けると鍛冶屋に花を手渡した。
こんなにボロボロになって、そんなにこの楽器は大切なものなんだな。絶対に元どおり、いやそれ以上に鍛え直して見せる。男と男の約束だ。
鍛冶屋はサルを休ませ、シンバルの修理に取り掛かった。
それからしばらくして、街では盛大な結婚式が執り行われた。
新郎は鍛冶屋。新婦はあの時の町娘だ。
そして式の音楽に花を添えていたのは光り輝くシンバルを叩くサルだった。