1.平穏との境界線
紅は同時に窓から飛び出す。
向かっていたのは志楽駅であるが、志楽駅プラットホームに降りるとは言っていない。
ヴァーン────
魔法陣の様な境界線が現れ、そこに飛び込む。
紅はまるでそこには存在していなかったかのように消滅し、電車はそれに気づかぬまま、紅が向かっていたはずの志楽駅へと向かう。
その志楽────死枯木という境界線は、歩いていくには険しい道のりである。
だから、電車から飛び出すしかない。
「カーマイン、参上しました」
カーマインの名の通り、洋紅をしたボディースーツに身を包む。
紅は、未だにこれが恥ずかしい。
先に来ていたらしい、同じ隊で琥珀色のアンバーと、翡翠色のジェイドが振り返る。二人とも、今日は学校帰りで疲れているらしい。
「チェリーは?」
いつもは一番乗りの桜桃色のチェリーが、今日はまだ来ていない。
「まぁ死枯木には一番遠いからな」
「そうだね、俺達は近いけど」
アンバーにジェイドが応える。
彼らは同じ学校に通っている男子高校生で、紅より一年年上の三年である。
ちなみにチェリーは中学二年だ。
────────────
西暦20XX年。
突如、日本各地に『平行世界』から異邦人が襲来、甚大な人的被害を出した。
政府は日本国内全域に緊急事態宣言を出し、異邦人が多数出現した十地点に境界線を生み出した。その境界線に次元を持たせ、その境界線の先からは、結界が張り巡らされた現実世界が広がっている。
境界線には奈良の死枯木を始めとし、関西には大阪に二箇所、京都に一箇所が存在する。
また関東には、埼玉に一箇所、千葉に一箇所、神奈川に二箇所、東京に三箇所が存在する。東京の三箇所のうち、新宿境界線に、境界線防衛部隊の本拠地が置かれている。
境界線防衛部隊員は、それぞれコードとして色の名前を持ち、その色のボディースーツを着ている。
ボディースーツは境界線に入った時に換装され、本来の隊員の身体ではない。
ボディースーツを着用している間、隊員は圧倒的な身体能力と屈強さを手に入れられる。
その上、どんなにボディースーツを傷つけられようとも、隊員の身体が負傷するということは無い。唯一言うならば、頭を負傷した時のみ、思考回路にラグが発生してしまうために、戦闘不能となる。
しかし現在、ボディースーツが切り取られた時は復活できないという弱点が存在する。
────────────
「チェリー、参上しましたーっ!」
ぴょんと跳ねたアホ毛を遊ばせながら、死枯木隊のオペレーターであるチェリーが現れる。
「ようやくか、チェリー」
「あ、ごっめーんっ!アタシ今日、テストの追試で忙しくって⋯」
「大丈夫かよ」
アンバーとジェイドの総攻撃。
しかし、防衛部隊のオペレーターを任されるほどだ、そういう方向には天才である。しかもそれは、若干中学二年の少女であるのだから。
チェリーはオペレートシステムにログインすると、今日の状況を確認した。
オペレートシステムは、オペレーターに代わって基本情報を伝えてくれる物である。これによって、オペレーターは、視覚情報共有を始めとする戦闘サポートに尽力出来るのだ。
「あ、まだ全然大丈夫だね」
「そんなに増えてないか」
「うん。この程度ならどんなクソアマでも全滅させられると思うよ」
「お前は相変わらず毒舌だな」
「まぁ、あと二時間くらいしたら出よう。てか今日ってさ、新しい隊員が来るんでしょ?」
「らしいな」
「コードネームは?」
「知らねぇな」
「ふぅん、まぁこんな激戦区に来るんだから、東京のエリート隊員とかだったらいいなぁ⋯。あとイケメン属性とかあったら最高」
チェリーが夢を見る。
死枯木境界線は、十地点の中でも有数の異邦人激戦区なのだ。
その間に、亜麻色のエクル、藤色のウィスタリア、象牙色のアイボリー、硫黄色のサルファーと、これまた全国的に有名な隊員が現れる。
今までなら、これで全員だ。
しかし今日からは、もう一人の新しい隊員が加入するらしい。それが、新しい隊長らしい。
「エクル、知らない?」
チェリーが、高校一年のエクルに尋ねる。
「あ、なんか有名らしいっすよ。東京の新宿の配属だったらしいんすけど、最近腕が振るわなくなったとか何とかで、ウチに来るって」
「何でそんな知ってるのよーっ!ずるいーっ」
チェリーが拗ねる。
どうやらエクルには、新宿境界線の方に情報通がいるらしい。
「ま、期待する程でもないな」
「腕が振るわないんだろ?」
アンバーとジェイドが並んで小馬鹿にする。
そして、期待する程でもないか、とでも言いたげな顔で、大学一年のウィスタリアが肩を竦めた。最年長の大学二年のアイボリーは、まぁまぁ、と場を取り繕おうとしてくれていた。
マイペースな高校二年のサルファーなんて、もう寝転んでいる。
「もうちょいまとまれよ⋯」
紅が溜息を吐く。
今までは、紅が隊長が正式に赴任してくるまで隊長代理をしていたのである。
「でも、これが死枯木だしさーっ」
「まぁね」
そう言って、紅はアイボリーが出してくれたコーヒーを口にした。
紅は椅子に座る。
チェリーが見ている情報パネルは三枚。左は異邦人が存在する場所に赤い点、隊員が存在する場所に青い点が点灯する地図だ。右には隊員や他の境界線との連絡を繋いでいる掲示板がある。そして中央が、機械の駆動や視覚情報共有など、戦闘をサポートするための総合操作パネル。
これを同時に操るのだから、チェリーは相当な頭脳を持った天才なのだろう。
「異邦人、増えてきてるでしょ?」
左の情報パネルを指差す。
チェリーは十分前の地図を引き出すと、増加数と移動を即座に計算し、中央の情報パネルに座標やら予測やらを組み込んでいく。これが、戦闘をサポートするための手掛かりになるのだ。
チェリーは目にも止まらぬ速さで作業をこなす。指がそれぞれに意志を持っている様だ。
「そろそろ準備お願い」
チェリーの目が本気になる。
紅はその目を知っている。獲物を狙って離さない、ハイエナの目だ。この目付きになると、彼女のスイッチは完全にオンになる。
紅は、隊長が来ていないことに気付く。
「隊長はまだか」
「まもなく到着すると、本部から連絡が来た」
「忙しいのにサンキュな、チェリー」
「うん」
紅はチェリーに声を掛けると、チェリーは無愛想に首を縦に振った。
「アザレア、参上した」