3-13
今回は送り出されたあの子の話です。
2023/04/16 加筆修正しました。
「この世界線はまだ終わらないのですよね」
「ああ」
銀の髪の少女――令嬢ロキはほう、と息を吐いた。デスカルは傭兵団の面々と合流している。令嬢ロキをこの世界のロキやソルから引き離すと簡潔に告げたデスカルが彼女を連れて向かったのは、リガルディア王国とガントルヴァ帝国の国境だった。
途中、高い城壁の見える街道沿いをデスカルが疾駆したのには驚いたのだが、その城壁を見て令嬢ロキは息を呑んだ。
フォンブラウ領は関を一切設けていない。魔物が多すぎて関など造る暇がないからだ。隣接しているバルフォット騎士爵領、セーリス男爵領、クレパラスト侯爵領のどことも関の存在しない珍しい領である。
令嬢ロキがこれを知っているのは自分自身がフォンブラウ領の出身であるためだが、デスカルの言葉に、城壁の状態を照らし合わせて納得するしかなかった。
「この世界線は、はぐれにやられたのがバルフォットじゃなくセーリスだ」
「……では、あの焼け焦げた“賢者の遺産”は……」
「死徒列強が暴れた傷跡さ」
通称“賢者の遺産”。遠い昔、賢者と呼ばれた男が残した研究成果の流出を止めるために築かれた、大規模な魔術機構である――と、されている。
その賢者の血を継いでいると言われるセーリス男爵家の血は、元は伯爵位に在った。
リガルディア史上時折ある話で、名家が疎まれ新興貴族にはめられて爵位を剥奪される、という憂き目にあった結果もう一度やり直し、なんてことになることが。
「クレパラストもやられた」
「……戦争に一歩近づいてません?」
「クレパラストがあろうがなかろうが戦争は起こるだろ」
「……そう、ですけど」
ロキは小さく息を吐いた。
「クレパラストがいるだけで随分と敵が減ります」
「そこはロキの手腕だろ。ロキをそこまで持って行ける周りの大人の手腕ってのもあるかもしれないが」
「……」
「だろう? 自分を信じるほどにロキ・フォンブラウはNPCみたいになるんだからな」
ロキ、という存在を中心に世界が回る意味を考えなくてはならないよ。
デスカルはそう言って、軽々と国境を越えた。風の最上級精霊の生死与奪権すら保持する風の上位精霊。風の不死鳥フレイライカと呼ばれる存在。
国境を越えた先はガントルヴァ帝国だ。更にそこから空を駆け、センチネル王国へと向かう。国境を山脈に囲まれたセンチネルは天然の要塞。周囲を囲む山脈を軽々と転移で越えるデスカルに、格の違いを見せつけられた令嬢ロキだった。
ふと思い出したのは、自分の婚約者と想い人。ロキは、ソルのことを好ましく思っていた。しかし人間がいる手前、ソル自身が人間に近いこともあり、この恋は実らないと理解している。ソルはフックスクロウ侯爵家のアレクセイに夢中なのが実情である。
言葉を交わしてみた別世界線の自分は男で、わずかにだが儚い印象を受けた。あれが国中で恐れられる存在になっていくのだと思うと、少しぞくぞくする。自分に向けて婚約破棄をしようとして思いとどまった王子殿下は残念ながら戦争を回避はできなかったが、あれはあれで最後まで見届けようと思う。こちらはそうならないといい。
早く戻らなければ、巨大な魔力タンクがごっそり今なくなっているのだ。自分がいないだけで何人の魔術師が炭化して死ぬだろう。令嬢ロキは嘆息した。デスカルが令嬢ロキに問う。
「元の世界に戻ったらやりたいことってあるかい」
「……もちろんですよ。そりゃあもう……」
一発、シグマはまずぶん殴らねばならない。
きっと殴りに来た令嬢ロキを全力の抱擁で出迎えるのだろうな、あの転移者は、などとデスカルは思う。そういう男だ。精神がそれ以上成長することを無理矢理堰き止められた狂戦士。彼の時は止まっている。止まってはいるが、その年齢は23歳から25歳の間。そこまで子供ではない。
もう、3000年も前からずっと、だが。
「ほら、着いた」
「あっ、女将!」
「ぐっふ!?」
女将、とデスカルを呼んだ人物に見覚えがあった令嬢ロキは吹き出しかけた。
令嬢にあるまじき、と慌てて口を押えて耐えたものの、何故この男がここに、と疑問が駆け巡る。
「ああ、バルティカに会ったことあるのか」
「……会ったことあるも何も、私戦争中ですよ!」
「あっはっは! そーかいそーかい、お前さんはバルティカと戦争してるのか!」
令嬢ロキは思い出す。
バルティカ・ぺリドス。
ペリドスとはまさか、と思って令嬢ロキがバルティカを見る。
死徒列強第13席『魔王』バルティカ・ぺリドス。
『イミドラ』のラスボスである。
「初めまして、異世界線の令嬢。死徒列強第13席『魔王』バルティカ・ぺリドス。メタリカ、ペリドットのバルティカだ」
ああ、やはりとロキは思う。
アウルムの後輩かあ、と。
「アウルムにはお世話になりました」
「先輩のバカ騒ぎいつまで続いてたのかな?」
「いやあもう死ぬ前の晩までずっと」
「いい人だったでしょう」
「……ええ」
バルティカと話していたらきっと元の世界線で戦えなくなる。令嬢ロキはそう思うのだけれども、目の前の淡い緑の髪の男は優しげで、世界線が違うとはいえとても今戦争している相手と同じ人物とは思えなかった。
長い耳、彼が人間ではないことの証。彼はエルフ系列にある。
「……なぜ貴方がここに?」
「私は時を操ることはできません、が、風を操ることができます。索敵範囲なら死徒列強で最も高いと自負していますよ」
世界線だって越えられる。
バルティカはそう言って、令嬢ロキに簡単な質問を始める。
「まず、クレパラストは」
「……没落しました」
「ふむ。結構多いな……」
条件づけることで索敵範囲を狭めているのだろう。令嬢ロキはそう思いながら問いに答えていく。
「君とレインの関係は」
「良好、です。……ちょっと心配するくらいには」
「ロキの従兄弟君て案外ロキにそういう感情抱いてないか?」
「もう少し早ければ、彼との婚約もあったかもしれませんね」
他に聞くことは、とバルティカが少し考えた。
「やられたのはバルフォットのみだな……ああ、セーリス令嬢たちがエングライアの縁者というのを本人たちは?」
「知ってますよ」
「ふむ……」
この世界線においてセーリス男爵領の一時管理者にエングライアの名が挙がっているのもそのためである。
「あと幾つだ」
「7つほど」
「そんなにあるのか」
「ロキが8歳の時点で男に戻ったことで世界線がいくつも分かれ始めるのが早かったからな。女将が上手いこと誘導してくれたし」
「これ以上の面倒は御免でね」
センチネルの空は高く青く、澄み渡っている。
どこでも同じとも思われるだろうが、精霊がこんなに楽しそうに泳ぐ空は悪くない、と令嬢ロキは思う。
「アウルム先輩が死んだ世界線で……ふむ。ロキ嬢」
「はい」
「君は、何属性を扱っている」
「? 氷ですが」
「……女将、この世界線だ」
「……なるほど。術式を切られないように誘導された結果火を封じて氷になったか?」
デスカルの言葉にまさか、とロキは思う。
自分の髪は赤紫っぽく、この世界線のロキの髪は青紫っぽい。それは属性によるものと考えていたが、そうではないのか。
「どういうことですか」
「そのままの意味だな。てか、その顔だとロキが火を扱えることが不思議みたいだけど」
「当然です! 私でさえ今まで一度だって火なんて使ったこと、」
「父親がアーノルドなのに氷しか扱えないなんて思ってたのか?」
「!」
ロキは押し黙った。その通りである。
ロキ自身は氷がメインで水も扱うことができる。
「あいつの目は赤っぽいだろ。フォンブラウの色と言われればそこまでだが、ああいうラズベリルみたいな色は紫の派生だ。アイツはどっからどう見たって紫で、火も水も氷も雷も扱えておかしくない逸材。誘導してたのはループの根源のやつだから戻ればたぶん属性が解放される」
この世界はたとえ救えなくてもと考えた愚かな狂戦士のエゴにもう少しだけ付き合ってやれ、とデスカルが言った。
「悪役令嬢上等だろ。ああそう言えば、ファンアート作家がいたな」
「久留実が見てたやつのことですか?」
「そう、それ」
デスカルが笑う。ここの奴らに伝えるのはまだ先だけどなあ、と。
「あれ書いてんの、ネロキスクってやつだぜ」
「……ネロキスク」
「きっとその名前の意味を君が知るのはもっと先のことだ」
知った時君は、この世界線の本質を知ることになるだろう。デスカルの言葉と共に、緩やかに、淡い光で魔法陣が描かれる。
「これ、転移ですか?」
「ちょいと違うな。これはパラレルワールド用の転移門」
「……パラレルワールド、ですか」
「このループを繰り返しまくった世界で、たった一つ、ようやく最初で最後のロキの選択が世界を変えた、ただそれだけだ」
それだけの理由で、パラレルワールドの一切消えていた世界は再び枝を伸ばしたんだよ。
魔法陣が強く輝きを帯びる。中に入って、と声を掛けられ、令嬢ロキは小さく頷き、足を踏み入れる。
「ゲートを通れば君は意識を失う。君の世界線は今回よりもずっと昔に分化したうちの生き残りだ。ちょっと遠すぎる。少し意識を失って、気が付いたら元の身体に戻っている。その魔導人形は崩壊するだろう。魔力を沢山込めておいた、君には何の問題も無いはずだ」
「ありがとうございます」
令嬢ロキは礼をする。元の世界に戻ったらすぐにでも戦場へ向かわねばならないだろう。
すぐに復帰できるようにしておかねば。
「ロキ嬢」
「はい」
バルティカが口を開いた。
「戦を止めることはできん。その世界線はロキが死ぬ」
「――!」
「教えるのかよ」
「どうせ本来はもう終わった世界線に過ぎないから。……それに、半精霊では肉体は炭化して残ることもない。完全に消滅する。世界の崩壊だ。おそらくそれを伝えれば俺は止まるだろう。先に連合を止めて。俺が止まるのはその後だ」
もう手遅れなのだと、そう言っているのだと。
令嬢ロキは突然言葉にされた自身の死について、すぐに考えを放棄した。
うだうだ考えたって仕方がないのだ。
「分かりました。公爵令嬢として、全力を尽くします」
「姉貴がもう結婚しているだろう。帝国から切り崩して」
「はい」
魔法陣が輝く。足元に青空が映るとはどういうことだろう、とロキは思う。
ああ、言わねばならぬことがある。
令嬢ロキはデスカルを見る。
「ここではもう、戦争でロキの命を危険に晒したりしないでくださいねっ!」
「ああ、安心しな! ここに居るやつらの大半がアイツと契約経験のある上位者だ。全員でもって守ってやるよ嘘吐き騎士さんをな」
デスカルの言葉に令嬢ロキは笑った。
ふわり。
少女の身体が浮く。否。落ちた。
光が消え、青空が消え、令嬢ロキも消えた。
「……これでよかったのですか、女将」
「問題ない。あの子は上手くやるさ。それに、俺たちがロキを守るって言ったのもあながち嘘じゃない」
「……分かってますよ」
「じゃあいいだろ?」
デスカルは集まっている皆に指示を飛ばす。
「お前ら、これからやることはただ1つ。さっきの一瞬で干渉してきたやつらの保護。あいつらがやることやったらあとはなるようになる。ばらけてはぐれ死徒の掃討、及びはぐれ死徒を作ってる阿呆共について資料を集めな。まとめは俺がやってやるから送ってこい」
さあ、次の招かれざるお客様を送り返す準備だ、とデスカルは言った。
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