3-10
2023/04/13 加筆修正しました。
「――」
ロキは、目を覚ました。
中等部からは寮生活が始まる。寮の、ロキに割り当てられた部屋は、ロキが公爵家の令息であるために堂々と1人部屋で、その隣には使用人室が設えられている。
月光の差し込む部屋は青白く光っていた。床は大理石で無駄に高そうだとロキは呟いていたものだ。寮の部屋とはいえ、ここはロキの性格を反映して物はほとんど存在しない。備え付けられているベッドはダブルサイズ、クロゼットと勉強用机と、小さめのテーブルと椅子のセットも学園の備品とはいえ高級なものが用意されている。ベッドが小さめなのは部屋自体がそんなに広くないからだろう。
ロキは胸に手を当てる。
当然のようにそこには鼓動が響いていて、しかし気付く。
「……」
どくどく、と少しばかり早まっているような気がするのだ。
はて、とふとロキは部屋を見渡し、姿見を見て驚いた。
瞳が青緑に変わっている。
赤っぽいはずの瞳が青ければ驚くというものだ。そしてこうなっている原因に思い当たり、ロキは小さく宵闇に溶けた契約精霊を呼ぶ。
「ドゥー、リオ」
『はーい』
「なーに」
ロキの事をちゃんと理解したうえで、最初からスタンバイしていたのであろう。2体の契約精霊は間髪入れずに姿を現した。
「“彼女”は目を覚まそうとしているのかな」
『……うん』
「デスカルを呼んだ方がいいよぉ。グレイスタリタスの気に中てられすぎたのかもね」
リオ――ドルバロムの言葉に、ロキは苦笑を浮かべた。分かるか分からないかの瀬戸際みたいな薄い表情だが、それを見たドルバロムは柔らかく微笑んで姿を消した。
『ぱぱ……』
ドゥーはこんな経験は初めてなのだろう、不安そうにロキに擦り寄ってくる。ロキはそんなドゥーを撫でてやり、ベッドに寝転ぶ。虚空から棺を取り出し、ふたを開ける。
中には、銀髪の少女型の魔導人形が収まっていた。
絹のような銀髪、白磁の肌、菫色のリボンを結い付けた横髪。
悪役令嬢ロキの少し幼い姿と言えばいいだろう。
なんでこの姿なのか。ロキは、なんとなくわかっているつもりでいる。
いや、事情自体は一度聞いているのだ。ただ、その姿をちゃんと想像できていなかっただけで。
「――ッ、けほっ、」
ロキは突然咳込んだ。
ビシ、と音がしてロキは慌てて羽織っていた上着を脱ぎ捨てた。夏が近いので問題はない、いやそういう意味ではない。
「ッ、けほ、けほッ」
『ぱぱ、大丈夫!?』
「あ、あ……げほッ、」
“彼女”が、目を、覚まそうとしている。
ロキは胸に手を当てる。
「ッ、まだ、起きんじゃ、ねえぞッ……!」
ビシビシビシ、と低温の水が衝撃で凍るような音がして、ロキの右手がタンザナイト色の魔力結晶に覆われた。
ああ、油断していたよ。
そうだったな。
(――俺の晶獄病はまだ、完治してはいなかった)
毎日卵に魔力を食われていたので問題なくなってきただけだった。
忘れたか。
まだ、自分の中には爆弾があることを。
浮草病にばかり気を取られてはいなかったか。本来死因のメインとなるのは、この晶獄病であるということを、忘れちゃいなかったか。
右手首がごぎゃ、と嫌な音を立てて折れた。ブシッと水を入れた風船が弾けるような音がして、皮膚を突き破って飛び出してきた結晶は赤く血に濡れている。
白いシーツに赤い血が飛んだ。
こんこん、と窓がノックされる。ロキはドゥーに目配せして開けるよう指示し、ドゥーは窓を開け放った。
こっ、とヒールで窓に足を掛けたデスカルが姿を現した。
「うお、あ、こりゃ拙い」
「……」
「お前の表情が歪むほどの痛みって相当だな」
デスカルは横に姿を現したドルバロムを見やる。ドルバロムは小さく頷いて防音と気配遮断の結界を張る。
女将、と小さく声がしてデスカルはそちらを見る。まだ寝ぼけまなこのシドとゼロがそこにいた。何かあったのだとそれだけは察知して起きてきたらしい。
「シド、ゼロ、覚醒しろ。ロキの中の子が目を覚ますよ」
「……? ……!? なっ、」
「手伝いな。ゼロ、また柱になってもらうよ」
「……?」
ゼロはまだはっきりとは覚醒していないようだが、ロキに近付いて、は、とそのオッドアイを見開いた。
「ロキっ……!」
「ロキの血の匂いで覚醒したか。つくづく御主人様命だな」
デスカルは小さく笑みを浮かべ、ロキの額に触れる。脂汗の浮いた額や首筋に薄っすらと光が走っている。
「回路が暴走しかけてる」
「ドゥー、ロキの魔力食べちゃいな。中に抑え込むと本末転倒だ。これ以上結晶化する前に流してしまえ」
『はーい!』
デスカルはロキに語り掛ける。
「ロキ、今から意識を奪う。次目を覚ましたら全部終わってる。今はこちらに任せろ」
「っ……」
薄く目を開けたロキは呼吸が上がって体温も上昇しているらしく。
ドルバロムはロキのシャツのボタンを外してやる。咳込みこそしなくなったが状況はよくはない。
デスカルは数え始める。
「3」
シドとゼロが錨と柱としてのマーキングを終え、術式を組み始める。
「2」
ロキの目がゆっくりと下がる。
「1」
ロキの身体から力が抜け、ドゥーに寄りかかった。
「はい、落ちた」
デスカルはすぐに術を組み上げ始める。
魔法として使うモノではあるが、少々緻密で面倒なものだ。破壊に特化してしまった彼女が、守る、など。滑稽だとは誰も笑いやしないけれど。
ふたを開けられた棺桶の中身の魔導人形に対応する術式を同時進行で組んでいく。こうしている間にもロキの身体の節々を突き破らんとする魔力結晶は増えている。
デスカルの刻んだ術が光を放って消失した。
「よし、完了」
♢
デスカルは濡らしたタオルでロキの汗を拭くシドを眺め、静かに視線を魔導人形へ移した。
ロキの中にかすかに残る紫色の残滓は青い炎に焼かれ、燃え尽きつつある。目を覚ましてしまえばこんなに対応が早かった。
つまり、やはり中にいたのは。
「……」
魔導人形が目を覚ます。
瞳はラズベリル。銀の髪は少々赤っぽいだろうか。
赤紫。そう称するのが最もよかろう。
ロキがタンザナイトであるというならば、きっと彼女はアメジスト。
デスカルはそんな例えを思い描きながら、魔導人形に声を掛けた。
「おはよう、ロキ」
「……おはよう、ございます」
魔導人形はゆるりと視線を上げ、驚いたように周囲を見渡した。そしてベッドの上にロキを見つけ、ほう、と息を吐いた。
「安心しな、乗っ取ったわけじゃない。魔導人形だからワンテンポ遅れるかもしれないがね」
「あー……はい、大丈夫です」
デスカルは術式による固定が上手く行ったことを確認し、少女に問いかける。
「さあて。ロキ、君は一体どこのロキかな」
少女は少々顔をしかめ、しかし小さく息を吐いて答える。
「どこの、などと聞かれても分かりませんわ。貴女が上位者のどなたなのかも存じ上げません」
「サッタレッカだ。ネイヴァスは知ってるかい」
「傭兵団でしたら。……アウルム、が……所属していたのだと、聞いております」
弾かれたようにシドが振り返る。ゼロに後を任せてシドが近付いてくる。
デスカルはシドを示す。
「こいつ、見覚えは」
「アウルム……と、いうことは、まだこのルートではそこまで時間が経っていないのですね」
「ロキ」
「?」
シドが声を上げる。
「ロキ、いや、今は涼として話をしたい」
「……え、っと」
「俺もループした。お前よりは事情は分かってる」
「……分かったわ」
う、と小さく呻く声。ロキが、目を覚ました。
「……ロキ、平気か」
「……内側から焼かれるようだった」
上半身を起こしたロキはゼロをねぎらうとデスカルたちの近くへやってくる。椅子を引いて令嬢姿のロキに勧める。
「……イケメンに育っちゃって……」
「……? 誰だい、君は?」
「ロキ。ロキ・フォンブラウよ。正真正銘、悪役令嬢の」
令嬢ロキが苦笑を浮かべた。
「ロキ、彼女は自己紹介があった通り、ロキ・フォンブラウだ」
「ああ、つまり『イミラブ』の登場人物に近しい存在であるということだね」
「そうですわね」
「……女口調なのなんとかなんないか? 自分のパラレル的存在だと思ったら気持ち悪い」
「これからシリアスな話するときに雰囲気壊すなこのシリアスブレイカーが!」
シドがブランケットを持ってきてロキの肩に掛ける。ゼロが血の付いたシーツの始末をつけて寄ってきた。
「確か、君の状態は俺への付与、だったな。術者の心当たりは?」
「ありまくりです。戦争中だもの」
「……それ、早急に戻らなければならないのでは?」
「当然よ。エリオが別の国の王女殿下と結婚したせいで同盟に引き込まれたのです。アウルムは半精霊だからってタンク扱いですし、私だってタンクです」
魔力タンク扱いなので早急に戻らなければ、被害が大きくなるだけなのです、と令嬢ロキは息を吐いた。術者はもしかすると、とシドが呟く。
「女将、術者はシグマで間違いない」
「あいつ意外と考えて動くよな。狂戦士の定義って何?」
「思考がぶっ飛んでるってのでいいんじゃね」
待て、とロキが言う。
「シグマ? 彼が?」
「ああ。おそらく、アイツ的には他の方法が思いつかなかったんだろうよ」
「……どっかのギャグファンタジー読んでる気分になってきた……」
「俺もだわ」
ロキの言葉にシドが同意を示す。
良かれと思ってやってもその結果がこんなめちゃくちゃではどうしようもないではないか。
「シグマ、てことは『狂魂喰』シグマですね? 彼転移者だって聞いてたから結構仲良くしてたんだけどな」
「こっちのシグマには恐らく記憶がない。お前が生きてるってことはまだその世界はループに巻き込まれてない時点なんだろうからな。その世界線はまだ誰も回収してないはずだ。俺以外」
「お前が早々に死ぬのが悪いのよ!」
「その節はホントにスンマセンでした!」
令嬢ロキとシドの会話に何となく状況を察したロキは嘆息する。全ての術やら絡んだ事情がラスボスに繋がればいいのだが、そううまくはいかないものらしい。
ロキは腕を掴んできたゼロを宥めるように頭を撫でる。
シドと令嬢ロキは漫才の如くヒートアップしながら言い合っていた。
「それで、君は早々に元の世界線へ帰りたい、俺たちは君を元の世界線に帰したい。手立ては?」
「干渉して来ようとしてる奴らが別に存在してるんだなこれが。で、メインでこっちに干渉したがってて、なおかつ干渉が必要なのはこいつらの方。このループの原点様だ」
ロキの問いにシドが答える。
「つまりそいつらを迎え入れるために私が柱になるってことでしょうか?」
「ああ。正確には、その魔導人形が、だ」
令嬢ロキの言葉にはデスカルが答えた。
魂は柱にならないからな、と言う。物質が無ければ柱にはなれないのだと。
「被害者を出さない方法はいくらでもある。お前らがそれをお膳立てしなきゃ俺たち上位者は干渉しねえ。条件をクリアできたから俺たちは干渉してやる。そんなとこだな」
「……魂の扱いは俺たちには無理だからな。頼む」
「どうせ乗り掛かった舟だっての」
令嬢ロキはロキを見る。
身長は140センチ前後だろうか。小さい頃のロキは小柄である。これが高等部に上がると長身になるのを令嬢ロキは知っている。
「そう言えば、君はいくつなんだ?」
「私? 20よ」
「お。結構長いな」
「開戦したのが春だったからね。どれくらい経ってるか分からないけど、魔力タンクがいる限りレオンが全部焼き払える。私がいればソルにこれ以上負担を掛けずに済む」
「ソルが?」
「ええ」
ソルは魔術が強力だから前線で戦っているわ、と令嬢ロキが言う。ロキは小さく頷き、明の魂がソルに転生していることを告げれば、私のところではアレクセイにお熱よ、と笑った。
「どちらかというとロキは普通に男以外で生まれるの全部が異常だからな」
「あらまあ。てことは、『イミラブ』そのものの設定がおかしいのね……」
「ま、後のことは任せな。お前が目覚めた以上ここに長居すればロキに影響が出る。行こう」
「はい」
荷物は一切持たない。
ロキはふと、手元に鏃のような魔力結晶を作り出す。それをシドに渡すとシドがワイヤーで固定してペンデュラムにする。
「これを持って行け」
「ペンデュラム?」
「お守りくらいにはなるだろう」
令嬢ロキは苦笑しつつ受け取る。
「ロキ、別世界とはいえ私自身だから言っておきます」
「――」
「あんまり無茶、しないでね。大事にしてくれる人は、沢山いるわ」
「……ああ」
ロキはふ、と口端を微かに上げた。
デスカルは黒いローブを令嬢ロキに纏わせる。
「行くよ」
「はい。じゃあね、ロキ、アウルム、ううん、シド。あと、ゼロ。お前も頑張ることね。お母様生きてるんですから」
「!」
ここに居るってことはそういうことでしょ、と令嬢ロキは言って、窓からデスカルに手を引かれて姿を消した。
「……あいつの世界、ドゥルガーさんは死んだのか」
「ま、人間の活動範囲に手負いのブラックドラゴンがいたら討伐するわな」
「……ゼロ、今度の長期休暇、ドゥルガーさんに会いに行くか」
「ん」
一先ず寝るか。
ロキはそう言ってまたベッドに転ぶ。もう一緒に寝てしまおう、と言ってシドとゼロも一緒にベッドに引き込んだので、多少寝苦しかったのは致し方なかろう。
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