3-9
魔物学とかいうやつについて。
魔物学基礎、という講義が存在する。基本の講義の中には入っておらず、選択必修というやつで、知識を身に着けたい者や、魔物相手の仕事をする者、貴族の後継以外が取ることが多い科目だ。選択必修と言いつつ他の科目と被っているわけではないので、取りたい生徒はいつでも取れる。3年間の間いつでも取れる科目だが、一度取ってしまうとその後も定期的に顔を出す必要があるので不人気であったりする。
ロキたちは最初の講義の際に魔物の卵を配布され、孵すためにずっと手元に置いておくという状況になっていた。教壇には小太りの背の低い、愛嬌のある顔の男が立っている。
グレイスタリタスがやって来た日から2週間が経過した頃のことだ。
魔物には主に魔獣型と幻獣型が存在している。
魔獣は人間を襲う凶暴なもの、幻獣はそうでないものと分類されているが、魔獣の亜種が幻獣に指定されていたりするので境自体は曖昧である。その為大まかにすべて魔物と呼称される。
また、魔物についてはギルドが指定する分類法とリガルディア国内で使われてきた基準の2種類が存在している。未だに強い魔物が出現すると古い分類法を出した方が大体分かりやすいと言われている節もあった。
魔物についての常識から魔物の増え方までを学んだところで、後は実際に魔物を卵から育ててみようということで、教員が毎年配布する小さな卵を生徒達は孵しているのである。
ロキは美しい白銀の卵を抱えている。面白いことにロキたちが手にした卵の色は何やらカラフルで、それぞれの髪の色にそっくりな色を持っていたため、その色を取った次第である。
魔物学基礎の担当であるハインドフットは今年の生徒達に驚いていた。とにかく魔力総量が多い子やら一点特化ものの子供が多いのである。
代表格はロキであろう。魔力自体は何にでも使えるタイプではあるが、あの魔力に中てられた魔物はそれはそれは攻撃的になるだろう――そんなことを思ってしまうほどには、ロキの魔力は人刃の特徴がはっきりと出ていた。
初日の講義を終えてフォンブラウ公爵から何か聞いていないかと他の教員に確認をしたハインドフットの判断は正しかった。魔術関係講義を受け持つヘンドラが、フォンブラウ公爵が身体があまりに弱い三男が進化条件を満たしたということで2段階に分けての進化の義を執り行ったことを知らせてくれた。
人刃の進化とか何それ見たかった、という自分の興味は一度脇に置いて、ハインドフットは考えた。そういえば2,3年前に王都に魔力の強烈な帳が下りたことがあったな、と。もしかしてそれの事かと問えば、精霊から話を聞いていたらしいレイヴンにも確認が取れているとヘンドラは告げた。
つまり、ロキは本来血統的には人刃とヒューマンと竜の3つの血統を主とした混血児で、何らかの事情で虚弱であるため、その解消に進化を使った。だが、1度の進化では供給できる魔力が足りないと判断したため、2度に進化段階を分けたらしい。
ハインドフットとしては、よく2度に分けた、と教え子であるフォンブラウ公爵アーノルドを誉めたい気分だった。
話をクラスに戻そう。今年のハインドフットの講義を取った生徒の中で一番すさまじいのはシドという平民出身の生徒だ。渡した卵のサイズはダチョウの卵より二回りは小さな卵だったはずなのだが、いつの間にかすっかり大きくなって孵化寸前となっている。
シドとロキの2名は以前にも魔物を孵した経験があるときた。通常は3ヶ月程抱いていると全員の卵が孵る。魔物の卵は温めるのにそんなに時間が要らない。昔はただの犬や猫も存在していたというが、今では魔物が席巻してしまって、魔物以外の動物の姿はないのが実情。どんな生き物でも魔力を持っていると魔物と呼ぶので、ヒューマンだって一応魔物だ。
もうすぐ生まれそうな卵を見るとわくわくする。ハインドフットは笑って教科書をガンガン進めていくことにした。教科書の内容自体は実はぺらっぺらであるからだ。
「魔物との本格的な触れ合いは、まずは皆の卵が孵ってからだなぁ。今は、魔物についての知識を付ける段階だぁ」
少々間延びした口調でハインドフットは生徒たちに告げる。ロキが一度進化をしているということで、進化に関する知識をしっかりつけさせておかないと、生徒たちの身を危険に晒すことになるかもしれないという懸念はある。進化というのは、いくつかパターンが存在するものの、概ね大量に魔力を消費するのである。ロキは体質が体質なので、下手をすると周りの魔物から魔力を強烈に吸い上げてしまいかねない。
魔物学基礎は例年生徒の数が10人いればいい方なので、今年はとても生徒が多い。今年の前期からこの授業を取っている生徒は20人ほどで、ほとんど魔物と触れ合わない平民はさっさと先に取ってしまおうとしている者が少ないくないため、このクラスにかなり1年の平民が偏っていることになるのだが、ロキたち貴族もかなり受講している。とても珍しい事である。
グレイスタリタスの一件でロキはかなり浮いていたが、まあ気にするようなタイプでもなければ、従者2人はほっとくような奴らでもなく、つまるところ何も彼らにとって不利になることは起きていない。グレイスタリタスが居座ったのでビビり散らしていた前年度からいる魔物たちもだいぶ慣れて大人しくなった。
教科書を開き、魔物について簡単な解説を行っていく。リガルディア国内に棲んでいる魔物は種類が豊富だ。なるべく自主的に調べてもらうのがいいが、特によく見かけることになる魔物たちの解説だけは行わねばならない。種類が豊富な分、攻撃的な種も多いのだ。王都から出ないならばほとんど危険はないだろうが、いざ襲われたときは明日調べようと思ってたでは遅いのである。
リガルディア国内は特に魔物の発生地の森が内部に存在することもあり、魔物への対策は必須となる。ロキらフォンブラウ家は特にその傾向が強く、その為だけにあの領地を任されていると言っても過言ではない家でもある――その事実はもうとっくに、忘れ去られてしまっていたのだが。あくまで過去形である。
「じゃあまずは、ゴブリンから行くかぁ。46ページを開けぇ」
ハインドフットはゴブリンの絵を簡単に黒板に描き、ギルドの表示であるDランクを横に記した。
「ゴブリンってのは、小さめの群れを作るもんだぁ。あと、言語もある程度は理解してるぞぉ。ゴブリンの目の前で作戦喋ってたら、ゴブリンに作戦を看破された、なんつぅ事例もあるくらいだぁ」
え、という小さな声がした。生徒の中にはこういう事は知らない者が居るのも事実だ。ハインドフットは振り返って笑う。
「いいんだぞぉ。ゴブリンは人間の言葉を話すことができないからなぁ、人間の言葉を理解できることはあまり知られてないんだぁ」
この授業、選択必修だから選んでくれない生徒も結構いるんだよなぁ。ハインドフットはそう言って黒板に向き直った。
それって割とヤバい事実なのでは、とこの講義を取った生徒が他の生徒に教えるので参加した生徒と同じ階級の生徒の参加が多くなるのは当然のことで、故に例年から平民の参加率が高いのだ。貴族も実は3年時に慌てて取りに来るので3年後期に滑り込む生徒が多い。しかも1年の時に参加した生徒たちもそのまま居残っていたりするので、後期の魔物学基礎は参加生徒が優に100を超えるのだ。そんなに慌てたくなかったら情報収集をちょっとすれば先に取っておいた方が良い講義として有名なのだが、何故か例年誰もそれを積極的に教えようとしない。ハインドフットは何もしていない。
ロキは1年の内からゆっくりするつもりも無かったので、開いているコマを作る気がなく、当然のようにこの時間を埋める講義ということで魔物学基礎を取っただけだったのだが、事前打ち合わせをしたわけでもない、ループの記憶で苦労した夢すら見ていないのにぞろぞろとカルやロゼをはじめとしてレオンやレイン、ソル、ルナ、セトまで来ている事実にループで何かあったのかと勘繰ったほどである。
「ゴブリンも広い意味では“亜人”だからなぁ、人間の言葉を理解できないほど低能つーより、違う言語を使っていると考えた方が正しいんだぁ。エルフやドワーフはヒューマンの言語を通常は使ってるが、魔術や祭典の時は彼ら独自の古代語を使うしなぁ。下位獣人は自分たちの言語で通常は話してるから、ゴブリンたちの状態に近い。下位竜人や下位鳥人は住んでいる地域によって使う言語がヒューマンの言語に準じて変化するぞぉ」
ゴブリンは数も多い上に弱いため小さな群れをいちいち潰していてはキリがなく、大きな群れが出現し、村が襲われる可能性が出てくると討伐隊が組まれる仕組みになっている。別の言い方をするのであれば、ゴブリンは最もよくリガルディア内で見かける魔物ということである。
「ゴブリンは小鬼とも呼ばれてるが、鬼人種に分類されるぞぉ。ちょっとした布を纏っていたり、簡素な武器を持っているのも特徴だなぁ。筋力はヒューマンの3倍から5倍ほどあるんで、殴り合いではまず敵わないからなぁ。故にDランクだぁ」
ゴブリン結構強い、とハンジが呟いたのを聞いて、ロキは苦笑した。
ゴブリンは強い。確かに強いのである。なぜならば、ゴブリンの筋肉量は圧倒的に人間を超えているからだ。実際のゴブリンは大体背が低く手足が細いものが多いのだが、ゴブリンが魔物的な特徴として持っている属性は“強化”である。
そも属性というものは、種族が持っている属性と、個体別の属性が存在する。基本的に魔術を学ぶときに出て来る属性は“火”“水”“風”“土”“光”“闇”の6つの属性だが、この属性を魔力として使うときに、魔力に含んでいる6つの属性の割合で出て来る属性が異なるのだ。赤い色水と青い色水の割合によって紫色の色の偏りが変わるように。
人間は様々な加護を受けていた影響から個体差が大きいが、元々人間の持っている属性というものも存在している。それは、“人”である。
“人”という属性は、正確には“水”“地”“命”“力”などの属性がいくつか合わさったものである。正確には量り切った者がいないため大まかに“人”属性と分類されるが、これは神々の加護のために別の何かが特化することなく、大昔人間という種が生まれた姿そのままの属性を保持しているために起きていることだ。これはヒューマンに限った話ではない。
ゴブリンの場合は、その細い手足に人間よりも筋力を付与された造りをしており、さらにそこに“強化”の特化属性がある。特化属性とは、“その系統の魔法や魔術の掛かりが良い性質”の事で、ゴブリンたちは数とその腕力で種を残す道を選んだ。
強化があるということは、道具を使う人間の場合、その道具を持って行かれる可能性が無きにしも非ず、また、一撃蹴られようものならば数メートルは吹き飛ぶ。特にヒューマンの骨はゴブリンのパワーに耐えられるようにはできていない。よくヒューマンの村人が引きずられていくのはこのためである。村人たちは基本的に魔力をほとんど持っていない者が多い。
「ゴブリンは木の棒なんかを持っていることが多いんだが、ああいうのはゴブリンたちは自分の身体と一緒に強化してしまうんだぁ。だからやたら殺傷能力が上がる。ゴブリンに襲われても逃げろと言われるのはこれが原因だぁ」
ハインドフットがロキを見る。
「フォンブラウはゴブリンに会ったことはあるかぁ?」
「1度だけ。実家のギルドに登録して、その時に少し遊びました」
「遊んだの?」
横からついうっかり口を開いたソルが慌てて口を押える。
ハインドフットが笑った。
「何をしたの?」
「釣りを。ゴブリンって案外手先器用ですよね。骨で釣り針を作ってましたよ」
何もかからないと思う。そんなことを思ったソルだったが、前世で見たことのある歴史の資料集のかつて人類が使っていた釣り針を思い返すとそうでもないか、と思い始める。
「ゴブリンって槍も作っちまうからなぁ。たまにある話なんだが、近接武器しか持ってないパーティで、ゴブリンの小さな群れを討伐しに行ったら槍に突かれて死者が出る、ってなぁ」
ハインドフットは苦笑を浮かべる。ぞっとしない話だ。近接系が多い貴族にとっては特に有益な情報な気もする。
なおこれは正しくは、ゴブリンが自分で槍を作るところまで行きついたのではなく、人間が持っている槍を知っているゴブリンが生き延び、槍を見よう見まねで作った所から、さらに世代交代する中で指導者に成れる素質を持ったゴブリンが登場し、進化して物を作ることに特化したゴブリン・スミスと呼ばれるタイプが出現した段階の話だ。逆を言うならば人間と戦って生き延びたゴブリンはそれだけ危険でもあるということだ。
「ゴブリンの寿命はおよそ10年程度だぁ。生まれて2年も経てば立派な大人でなぁ、子供も作るようになる。だから案外増えるのが早い」
ハインドフットが解説を続け、ゴブリンの進化経路を図示する。
ゴブリンは本来そのまま終わるものが多いが、稀に人間やゴブリンを脅かす種の魔物との接触によって進化個体、強化個体が生まれる場合がある。
これらはゴブリン・メイジ、ゴブリン・スミスなどの特化型進化とホブゴブリンなどの昇級進化とがあり、昇級進化すると、種族が変じる。ただし、能力値は変わってもゴブリンとしての意識を持っている者が多く、これまで通り群れで過ごし、群れを導く指導者的な立場に収まっていくことが多い。
「進化にはいくつか種類があるが、とりあえず今は大事な2つだけ教えとくぞぉ。特化型進化ってのは、所謂専門的な技能を身に着けた進化経路の事だぁ。職業名がクラスについてる奴は特化型進化を起こしてる奴だから、他の個体より強い。無暗に突っ込むんじゃないぞぉ」
人間なら職業というと仕事の内容のような感覚になるが、職業というのは、クラスの補助的な役割を担っているステータスの一種なのだが、そもクラスというのが種族を表していることが多い。RPG的と言うなかれ、かつてはこのステータスを確認できていたというから、もっとゲームチックだったとロキは理解していたりする。
ここでハインドフットが言っているのは、例えば今回話題になっているゴブリンだが、通常個体ならばクラスがゴブリン、職業が魔術師、となっているが、クラスがゴブリン・メイジ、職業が魔術師となっていると危険度が遥かに上がるという話だ。
「昇級進化はクラスが上がってる奴の事だぁ。クラスが上がると基礎スペックが一回りも二回りも上がるから、単純に殺傷能力が高くなるぞぉ」
こうして強化された群れがさらに人間やほかの魔物との邂逅、戦闘を経て進化経路がさらに別れる。通常はホブゴブリンがさらに“強化”属性に特化型進化することでオーガになり、オーガが通常の特化型進化でハイオーガになって打ち止めである。
ただし、戦闘中に“怒り”を覚えるとオーガ及びハイオーガは鬼へと昇級進化する。鬼がさらに昇級進化すると鬼神へ、“忠義”というスキルを覚えると鬼人へ特化型進化する。
「こまけー……」
「逆を言うと、オーガがいるゴブリンの群れは早々に手を打たないと鬼が生まれる可能性がある。放置していても他の強力な魔物とぶつかると鬼になっちまうからなぁ。この場に居る奴らはこれらの魔物と将来的に対峙していくことになる。しっかり覚えておくと、魔物の対処がしやすくなるぞぉ」
キーンコーン、カーンコーン
チャイムが鳴る。
講義の終わりを告げたチャイムに、ハインドフットは笑って言った。
「ちょうどいいから終わるかぁ」
「はーい」
生徒たちが解散していく。ロキたちも卵を抱えて講義室を出て行った。