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2022/12/20 編集に伴い話数を変更しました。
2023/03/23 会議室への乱入シーンを加筆修正しました。
ごう、と。
街が焼けていく。
青い空に煙が立つ。民草の抵抗が、容易く手折られ蹂躙される。
崩れた外壁。漏れ出る魔力。まさに厄災。
「――まさか、こちらだったとは」
「……」
灰がかった暗い赤毛の男が小さく唸るように呟いた。傍に寄り添った女は嘆息するにとどめる。もうどうしようもないのだ。こうなってしまったからには。
「こればっかりは、この領地の構造上致し方ないわ」
「……よりにもよって。こんなことなら、君を王都に押し込めておくべきだった」
少しばかり膨れている女の腹に優しく触れたあと、男は女を抱きしめた。
きぃ、と扉が開かれる音がする。
「さあ、仕上げよ。娘の下した決断、しかと受け止めなさい」
鈴のような声を発した、黒い髪の少女が、その手に似つかわしくない2メートルほどの青い槍を持って2人へ近付いた。
♢
半日ほど時は遡る。
「あ、ロキ様」
「?」
学園長の指示で生徒たちが早めに帰宅することになったので、終礼のために子供たちがそれぞれの教室へ戻っていく。ロキも教室へ戻ろうとしていると、少年が手に紙を持ってやってきたのだ。
「ルナちゃん知りません?」
「どうかしたのか?」
「ソルさんかルナちゃんにこの紙を渡せって言われたんです」
教員が連絡事項の一つとしてそれをこの少年に渡したのだろうか。中身は一体なんだろうかと思い、ちょっと貸してくれとロキは言う。
「え、でも」
「いいから。同じクラスだし、俺が渡しておくよ」
「あ……はい、お願いします」
少し頼みにくそうではあったが、ロキが自分から言い出したことなのである。ロキは少年から紙を受け取って開いて見てみる。特に封も何もされていないその紙には、走り書き。
ただ一言。
ソル、ルナ、愛している
「――」
ロキははっと顔を上げ、少年を呼び止めた。
「ねえ! これ誰から?」
「2人のお父さんとお母さんからだよ」
「嘘! セーリス男爵夫妻は今領地に居るはずだよ!」
ソルから聞いていた話が本当ならそのはずだ。
「……君、誰」
よく見たらこんな生徒は初めて見る。生徒じゃないのかもしれない。なら誰だ? 侵入者か?
ロキの表情が険しくなっていくのを見て、少年は肩をすくめた。
「僕は、その手紙を、彼らの娘に渡すよう頼まれただけだよ。ほら、ロキ、早く行って。君なら最適解を出せるはずだ。早くしないと、間に合わなくなっちゃう」
ベージュとダークグレーの髪の少年が手を振る。ロキは、ソルの所へ行かなければ、と思った。
ロキがソルの所へ転移する。ロキははっきり悟った。あの少年もまた上位者の類だ。
手の中の紙を見る。指先が震える。この先に起きることを、理解したくない何かを理解しかけていたからだ。
「ソル」
「あら、どうしたのロキ? まだ終礼中なんだけど」
ソルのクラスは早く集合しきったのであろう、ロキのクラスはまだなのだが終礼が始まっていた。
ソルの担任は変わらずレイヴンだった。ロキはレイヴンに小さく礼をして、ソルの手を掴む。
「ロキ?」
「いいから来い」
「あら、有無を言わさないのね。でもどこへ?」
転移を使うなんて焦ってるの、とソルが問う。ロキは小さく頷いた。
「説明する時間が惜しいくらいにな」
「……分かったわ。先生、ちょっとロキに付き合ってきます」
「はい、気を付けてね」
レイヴンとしてはもうすっかりロキやソルの扱いにもなれたものだ。他のクラスの担任たちがあたふたしているのを茶を飲みながら見物しているだけ、なんて状況を作るくらいにはソルたちの扱いに慣れていた。
ソルの手を握ってさっと転移で姿を消したロキに、レイヴンは呟く。
「転移ってものすごく魔力使うんですが、ロキ君じゃそんな魔力消費量ほとんど苦にならないかな?」
ロキとソルは転移で王宮前に降り立つ。王宮内に入ったことのあるロキからすれば王宮内に直接乗り込むことも可能ではあるが、それはいろいろと問題があると判断し、受け取っていた紙をソルに渡し、王宮前に転移した。
「!?」
「誰だ!?」
唐突に現れた12歳程度の子供2人を見て王宮の出入り口を守っている衛兵がハルバードを構える。ロキは家紋の刺繍の入ったスカーフを見せる。
「え……フォンブラウ?」
「父上に早急に報告せねばならないことがある。通るぞ」
「お待ちください、今は会議中で」
「おそらくその内容に大きく関わる」
まあ、通されなくても通るがな。
ロキはソルの手を引いて衛兵たちの横をすり抜けて王宮に入る。どうやってすり抜けられたのか衛兵たちには分からなかった。
「平気なの?」
「お前の方こそ、あの言葉を読んでよくもまあ平気でいられるな」
「……平気なんかじゃないわ。今更イベント思い出したのよ。使えないと笑ってちょうだい」
「……」
ロキは笑わない。
会議室はどこだと小さく問えば、周囲を飛び回る風精霊が案内を始める。
ロキはソルを抱きかかえて全力疾走で風精霊を追った。
♢
「どういう、ことだ」
「分からない」
「くそっ、一体何がどうなってる!?」
会議中なのはそれぞれの公爵と国王のみである。他の階級はここに居ない。
哨兵を、送った。が、連絡が途絶えた。
アーノルドの最悪の予想が当たった形になってきている。
「セーリス領は無事なのか……?」
「南西側全体と連絡が取れんのだぞ、どう判断せよと!」
声を荒上げて言葉を交わす公爵たちの耳に、扉の外で口論が聞こえてくる。直後、扉が開かれた。
「お待ちください、ロキ・フォンブラウ公爵令息!」
「父上!!」
「ロキ!?」
学校が終わるのはもう少し後だったのでは、とアーノルドは結晶時計を見る。
「何故ここに居る」
「陛下、父上、公爵様方に早急にお伝えせねばならないと判断しました」
「無礼者」
「よい」
ジークフリートがいきり立つソキサニス公爵を制止し、申せ、と。
ロキはソルを横に置き、立ったままで失礼します、と告げてから、ソルから紙を受け取って、見せた。
「……愛してる、とな?」
「学校にこれが届けられました。ソル嬢、ルナ嬢宛に、上位者を介して」
「「……は?」」
その意味に気付いたアーノルドとジークフリートの表情が凍り付いた。
上位者が噛んでいるというだけで逼迫している状況であることが察せられる状況下。連絡が取れないセーリス男爵領と、そこから娘たちに中てられた今際の際のような言葉。
ソルが連れてこられた意味はどっちだ、はたまたどちらもか、とアーノルドは眉根を寄せた。
「今回の魔物の大移動は“はぐれ死徒”が絡んでいます」
ロキの言葉に、アーノルドは完全に動きを止めた。
魔物は死徒を嫌うものだ。
その死徒というのは、ソウルイーター、人刃、ロルディア系統の蟲、吸血鬼、そしてアンデッドの進化個体としてのゾンビ系死徒を指している。
「確定か?」
「ええ」
「何故スクルドの予知が働かなかった」
「母上の加護だって万能ではないのは父上も知っての通りです」
ソルたちの実家の方に転移門を設置していればまた何か変わっていたのかもしれないが、フォンブラウとの直通経路は陸路とタウンハウスの方だけだ。
「だが」
「父上。今回襲われたのはセーリス領です。セーリス領全体を取り囲む賢者の遺産を破るのがいかに大変か、父上はよく御存知のはずです」
何故それをお前が知っている、と言おうとしたソキサニス公爵は、横にそのセーリス領の娘がいることに思い至った。が、アーノルドとジークフリートの口からは全く別の言葉が紡がれる。
「「前世の知識か」」
「はい。ソル嬢はおいそれと家の秘匿情報を周りに言いふらすような方ではありません」
「転生者だったのだな」
「はい、ソキサニス公爵」
ソルは先ほどからずっと俯いている。胸元をぐっと握りしめているのが痛々しい。
ロキは言葉を続けた。
「セーリス領を救うには、はぐれが噛んだであろう住民たちの排除が望ましいが……哨兵が帰って来ないのではどうしようもない」
クローディ公爵が小さくそう告げると、まさか、とアーノルドが口を開いた。
「ロキ、列強に頼む気か」
「それ以上に人間とゾンビの判別の目が利く者もそう居ません」
「だが彼らは関係ない人間でも連れて行く可能性が高い」
「信じないからそう見える。大事なのは信頼ですよ」
「彼らが一体何をした。我々に信用されるだけのことを彼らがしているのか?」
「少なくとも」
アーノルドだって信じていないわけではない。ただ、民草への被害が広がるというだけで。
ロキは笑った。
「俺は、俺に会って“よかったまだ生きてる”なんて言うやつらを、信じないほど人間出来てないんですよ」
エングライアはロキに微笑んだ。
セトナはずっと面倒を見てくれた。
よかったとラックゼートが笑った。
「これは国家の決定じゃありません。死徒と知り合いだったクソガキの単独行動。ただ、報告だけはあげておこうと思っただけです」
「やるのは確定なのか」
「手紙を届けたのは恐らくネイヴァス所属の一般構成員でしょう。だから頼まれたことしかしていない。ソルとルナにこれを届けてくれと、そう頼まれただけ」
紙を握りしめたロキは、ソルの方を向いた。
「ソル、俺を恨んでくれて構わないよ」
事態は一刻を争う。このイベントは、ロキの方がよく知っていたはずだった。何故ならこれは、『イミドラ』の最初のイベントなのだから。平和にかまけて、何もしなかった。その結果がこれだ。ソルとルナの両親が生き残る保証はどこにもない。生き残ったとしても、セーリス領の地形なら、最悪の事態が起きることを考えたら――。
虚空からロキはガーネットのブローチを取り出す。カボションカットされたガーネットが紅く灯り、ブローチがゆるりと魔力を帯びて、声が発された。
『あら、案外対応が早かったわね』
「ロード」
ロキの声は震えることなどなく。淡々とその願いを口にした。
「セーリス男爵領のはぐれ死徒を起因とする死徒の勢力拡大を止めてくれ。領民らの生死は問わない」
くす、とブローチから響く声が笑う。
『随分と非情な決断を下すものね』
「貴女方のいるところからセーリス男爵領まで早くても半日は掛かる。死徒の拡大速度などその比ではなかろうが」
『うふふ。じゃあ、セトナとラックゼートちゃん借りるね』
「構わないよ」
ロキの判断は冷酷で、早すぎる判断で、もっと誰かを救えるかもしれないのにという思考を最初から切り捨てたものだ。
けれど、ソルが顔を上げた。
「ロード・カルマ」
『あら』
「……他の皆を……セーリス男爵領民の生死は問いません。一刻も早く、他の領の街が襲われる前に食い止めてください」
『……分かったわ』
ブローチが帯びていた魔力が消失する。
ブローチを虚空へと仕舞い直したロキはソルを見る。
「正気か」
「何よ、セーリス男爵領をどうするかの権限は今私にあるのよ?」
「……ルナに恨まれるだろうな」
「関係ないわ。死徒の勢力拡大は止めなくちゃ」
ああ、と。
アーノルドは思う。
やはりこの子たちは、中身が大人なのだな、と。
酷く青ざめた顔色の2人は、こうして見ているとただ衝撃的な事実を述べられて固まっているだけにも見えてしまう。たった今判断を下した彼女らは、立派な貴族だ。こうやって、机上でできる最速にして最適な回答を出した。
机上の空論が最適解なこともある。自分たちの感情は置き去りにして、当主が不在の今、最高権力を持つ当主嫡子兼長子が判断を下した。
ゴルフェイン公爵が口を開いた。
「ソル嬢、こんなことを聞いて申し訳ないとは思うが……賢者の遺産が正常に働いている可能性は?」
「……ありません。連動してたアミュレットの反応が無いんです。賢者の遺産は恐らく破損しています」
ソルが胸元からペンダントを取り出す。先ほど胸元を握り締めていたのはこれを確認していたらしい。光の消えた魔石。ペンダントに組まれた術式を見て、ソルが言っていることが正しいことを公爵たちは確認した。魔術機構に組み込まれた所謂センサーである。これは本体が破損すると光を失い、本体に異常があったことを知らせる簡易版のものだが、賢者の遺産はそのものが完璧に近い形でまとめられていたため、後付けの機構がうまく働かず、こんな簡易版の後付けが行われていたはずだ。
被害に遭っているのがセーリス男爵領だけとは限らない現状、迅速に動き出すことが求められる。ジークフリートたちもこの後大規模な捜索隊やら補給部隊やらを西側に送らねばならない。
「いいのかね、列強に任せてしまって」
「……賢者の遺産が越えられた時点で、そこんじょらの人たちで敵う相手じゃないじゃないですか。もともとあの領に住んでいる人たちはそれだけ戦える人たちです。それが被害に遭っている可能性が高いから、列強クラスじゃなきゃ徒にゾンビが増えるだけ。親が壁を越えられる以上子もそうなる可能性が高い。だから今のうちにそんな芽は摘み取っておかなくちゃ」
ソルはそう言いながら、ぽろぽろと涙を零し始めた。
備えが全くなかったわけじゃない。でも、油断していた。
「……ゲームでは、バルフォットだったのに……」
「ソル……」
今回のこの騒動は、『イミドラ』における最初のイベント、主人公ハンジが初めて戦闘をして、故郷を旅立つための一大イベントだ。ゲーム通りなら、ハンジの故郷を襲ったはぐれがハンジに追われてリガルディア王国のバルフォット騎士爵領までやってくる。国境ということで越えるか越えないかの選択が成されるが、越えない選択をした場合、ハンジは故郷の村に戻って村人全員を発現した光魔術で救う。国境を越える選択をした場合、ハンジは無事はぐれを仕留めるが、故郷の村人は全員ゾンビ化し、ガントルヴァ帝国上層部の決定により村丸ごと焼却処分される。加えて越境による国際問題への発展が待ち受け、リガルディア王国とハンジのつながりが形成されていく。
そんな事情に巻き込まれることを想定していなかったソルは決して悪くない。賢者の遺産をはぐれが越えられるなんて知らなかった。ゲームのイベントと大体同じことが起こるから、警戒するべきはバルフォット騎士爵領の方だと思っていた。
セーリス男爵領は、ガントルヴァ帝国とほぼほぼ隣接している。賢者の遺産より少し離れた場所に国境を示す関が設けられているから、ほぼ、だ。バルフォット騎士爵領と隣接している。バルフォット騎士爵領はガントルヴァ帝国と完全に隣接している。はぐれがハンジの故郷の村からリガルディア王国に入り込むルート上にはバルフォット騎士爵領、セーリス男爵領、旧クレパラスト侯爵領がある。その先がフォンブラウ公爵直轄領だ。
もっと警戒するべきだった。今更思ったって遅い。
『イミラブ』の攻略対象に名を連ねている、セト・バルフォット。その過去は、はぐれ死徒により母親と妹を喪うという悲惨なもので、死徒、特にアンデッド系を嫌っている。今のところ死徒を嫌っている様子がほとんど見られなかったことにはソルだって気付いていた。まだその過去の事件が起きていなかっただけだった。
これから起きることを知っていても、与り知らぬところで起きていてはどうしようもない。ソルは学んだけれど、代償が大きすぎた。こうするのが正解、とは、分かっているのだ、頭では。
だから、先に判断を下して、そしてゆっくりと考えて。
涙が、止まらない。
知り合いだって、居たのだ。
友達と呼べる者もいたのだ。
それらを皆、切り捨てた。
親諸共。
「……ロキ」
「ん」
「……わ、たし。おと、との、顔、見たか、た……」
しゃくりあげ始めて、まともに喋るのが困難になっていくソルを、ロキは抱き締めた。
ソルの前で決断を下したロキは泣かなかった。
ソルを抱きしめて、その背をポンポンと軽く叩いて慰めるだけ。
その表情が今にも泣きそうだったのは、ジークフリートの見間違いなどではないはずだ。
セーリス男爵領、壊滅
後送られた兵の調査によれば、領民の生存者確認されず
列強による拉致の可能性は濃厚
原因と思しきはぐれ死徒の絶命を確認
一時セーリス男爵領の管理を第18席『呪い師』エングライア及びフォンブラウ公爵に任せることとする
また、国防の英断を下したとして、成人可能年齢到達と同時にソル・セーリスを伯爵に任ずる
ここまで読んでいただきありがとうございます。




