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2022/12/20 編集に伴い話数を変更しました。
2023/03/21 アーノルドの発言部分他改稿・修正しました。
アーノルド・フォンブラウの仕事は主に、魔物への対策と西方の国境の軍事、王家直属宮廷魔術師団の取り纏め及び国法の制定である。仕事が多岐にわたることに対する不満はない。窓の外を見ると既に星が煌々と瞬いていた。ああまたこんな時間になってしまったと、手元の書類にサインをして席を立つ。近頃あまり王都内部の状況がよろしくない。教会を追い出したからだと一部の貴族が喚いているが、そんなことは無い、と、思いたい。
アーノルドの仕事が終わらないのは、別にアーノルドの仕事が遅いとかではない。ただ、仕事が多すぎるだけだ。下手に宰相でも置こうものなら、3代前の惨劇を繰り返すだろう。だから、せっかく3代かけて取り戻した親政を放るわけにはいかない。
アーノルドが王都邸宅に戻ると、ロキがまだ起きていた。近くに控えているのがガルーだったため、ロキが何かアーノルドに言うために起きていたのだろうと考えられた。その予想は中っていて、アーノルドは数日後の会議の議題にそのことを挙げることになった。
「父上、狼がいましたね」
♢
魔物の大規模な移動が起きると、生態系が変わってくる。生態系が変われば、これまでのバランスを保っての生活は難しくなる。基本そういうことに頭を悩ませるのは領主たちである。
彼らは今、王宮に集まっていた。
貴族の中でも筆頭と呼ばれる公爵家、5つある家の中で最も力を持っているのはフォンブラウ家だ。フォンブラウ公爵家は基本的に魔物の増減の影響を大きく受けるため、王宮で話し合いの場が持たれるときは専ら居る。似たような傾向の家は大体王都詰めと領地を治める領主で兄弟が担っている場合が多い。アーノルドのように、父母や祖父母がいる場合はそちらに領地を任せることもある。今回は近場に居る当主は招集され、遠くにいる領主は補佐が招集された。
今回の議題は、魔物の移動についてである。
魔物たちの大規模な移動とはいっても、目に見えての移動ではない。ゆっくりと、群れが森の中を移動しているだけの状態を指している。魔物の大半は縄張りの関係上あまり動かないため、今動いているのは比較的力の弱い個体であろう。
アーノルドは改めて国土の地図を見下ろす。王国の中央付近に王家の直轄領があり、北西一部にクローディ家、南西がフォンブラウ家、南がソキサニス家、東がロッティ家、北東がゴルフェイン家の治める領地が広がっている。もとは異なる配置だったと聞くが、今はもともとの配置など分からないし知ったことではない。
リガルディア王国は基本的に西と東に魔物の発生地点が集中している。西がフォンブラウ家領内、東はロッティ家の東の国境が隣接する軍神の壁の向こう側だ。大陸内で最も魔物が強力なのは軍神の壁の向こう側であり、壁の向こうに人は住めないとされている。フォンブラウ領は竜と精霊の住まう活火山と、漏れ出た魔力の侵食を受けた魔樹の森、一部の汚染され瘴気を吹き出す温泉が存在する。森に至ってはフォンブラウ領の実に30パーセントを占めている。魔物の巣窟だ。
そしてそんなフォンブラウ家の魔樹の森と接しているのが、旧クレパラスト侯爵家領、セーリス男爵領とバルフォット騎士爵領となっている。ソキサニス家はフォンブラウのように他家と領地を接しているのではなく、ソキサニス領内に蜥蜴人ら他種族他部族がコロニーを形成している状態だ。
(まったく厄介なことになった)
デスカルが隣の国に行ってきますと言って姿を消してはや1週間。
魔物の動きが活発化してきており、ロキに至っては結界魔術で守られている学園にいるにも関わらず、帰宅したアーノルドに尋ねにくそうに「狼がいましたね」と言ったのである。ロキは魔物の大まかな種族まで区別がつく――そこまで、近付いたということかと。
異常なまでの移動速度であるとアーノルドは思う。自領の様子を父テウタテスや祖父アーサーに尋ねれば、ただ一言。
――大公が、動いた
「皆の者」
声が響く。その声の持ち主はおよそこの口調が似つかわしくない男であるのだが、それを知っているのは同期だったアーノルドたちぐらいなものだろう。
アーノルドが顔を上げればそこにはリガルディア国王ジークフリートがいた。
「緊急の軍事会議、集まってくれてありがとう」
礼をただ一言述べ、ジークフリートは言った。
「皆の持つ情報のすり合わせをし、公爵家と王家で魔物の一掃に動くこととする。今回は魔物が多いからな」
「正気ですか陛下!?」
声を上げる者もいるが、国内最強の肩書すら手にしているジークフリートに魔物退治について何を口答えするというのか。
ジークフリートはアーノルドを見る。
「フォンブラウ公爵、どうなっている」
「ロキが魔物の大まかな種類まで言い当てました。おそらく影響を受けたカル殿下たちも一定のことは理解しているかと」
「やれやれ、下水にスライムがいるという話をやたら引っ掛けてくると思ったらそういうことか」
カルはどうやら王都内に張り巡らされた下水路にいるスライムを探知したらしい。
ちょっと笑える話をここで持ってくるのがジーククオリティと割り切ってアーノルドが続けようとして、ジークの言葉に耳を疑う。
「帝国側から逃げようとしていると言っていたよ」
「……帝国側から、ですか」
呟いたのは誰だったか。
皆で地図を取り囲み、どの方角に魔物が移動しているかという情報をアーノルドが魔力で書き込んでいけば、見事に一定方向から散開するように逃げているのが分かった。
リガルディア王国は大陸の中でも国土面積第2位の大国である。
そんなリガルディアは周囲、北東はナヴィリア小国群、北は山脈を挟んで小国セネルティエとセンチネル、西はガントルヴァ帝国と隣接する。東から南東にかけては軍神の壁、南は海だ。
帝国と呼ばれるのはガントルヴァのみである。
つまりガントルヴァに何かがいる。魔物が逃げ出すような何かが。
「……巨大な魔物、でしょうか」
「ベヘモス級のか?」
「ドラゴン種ではないのは確かだ」
ドラゴンが相手なら、と小さくジークフリートが歯を軋ませた。
「ドラゴンではない? なぜでしょうか」
「ドラクル大公が動いた。倅を置いてな」
「……ドラクル大公が?」
ドラクル大公。
死徒列強の一角であることを知らぬ者は貴族の中にはいないと言わしめる実力者、その席順こそ18人の中では第14席と低いが、それは歴代ドラクル公がそうなっているだけであり、初代にしろ今のドラクル公にしろそんなに低いだろうかと問われればそこは首を傾げるしかない。
しかも倅を置いて、である。
息子を巻き込むと何か拙いことがある、という判断によるものと考えることができる。単純に面倒だからと答えてきそうな点が実にイミットらしくもあるが。
そして少なくともイミットはドラゴンと事を構えたりはしない。彼らもドラゴンの一種とカウントしていい。同種で争いはしないのが常のドラゴンなのだから、イミットが動いているということはドラゴンではないという判断に繋がるのだ。
「ヨルムンガンドの線は外れたな」
「ロキの名を持つ者が生まれているのに他国にヨルムンガンドがいるとは思えんな」
「そりゃそうか」
ドラゴン型に分類される中で最も巨体を誇るのが世界蛇ヨルムンガンドである。属性は闇、ただしほとんど実害はなく、せいぜい移動の際に森に道ができるくらいだろうか。異なる次元を行ったり来たりしていると言われる。
「大型の魔物であるとしても、それなら何か反応が帝国側からあるのでは」
「ああ、それがないってことは、魔物じゃない可能性の方が高いな」
ふとアーノルドは周囲を見渡す。
この場にいる貴族たちの顔を基本的にほとんど覚えている。
ロッティ公爵、クローディ公爵、ソキサニス公爵、ゴルフェイン公爵。
カイゼル伯爵やほとんど影響を受けていないはずのイルディ男爵もいる。王都に居たのだろうなと思いつつ、王都に出てきていたはずの友の顔を探した。
そして気付いた。
居ない。
居ないのだ。
アーノルドの考えの中で最悪の場面が浮かぶ。
「陛下」
「どうした」
「拙い」
「何がだ」
ジークフリートは時折要領を得なくなるアーノルドの言葉を、それでも待ってくれるのだから優しいやつである、なんて考えて。
「セーリス男爵が居ない」
♢
ロキが授業をほとんど聞いていないことに気付いたオリヴァーは授業の手を止めた。
「フォンブラウ、何やってる」
「……」
聞こえていないのか、意識を飛ばしかかっているのか。
とにかくロキの反応が薄い。普段はそれでも教科書に視線を落としていることが多いのだから、窓の外をこうもあからさまに見ているのは珍しかった。
「……おい、ロキ・フォンブラウ!」
オリヴァーは気付いた。
慌ててロキの肩を掴んでその目を覗き込んだ。
「どうしたんですか、先生」
もういい加減ロキのしっちゃかめっちゃかな魔術の規模にも皆慣れてきたころのことで、カルは特に冷静に対応できていた。
「何か探知してる、ここに意識がねえ」
「飛ばしてるってこと……ですか?」
ルナの問いにオリヴァーは小さく頷いた。
「こないだから魔物がどうの言ってたが、ヤバそうだな。殿下、王宮で何かありましたかね」
「陛下が貴族を突然招集しておられた。緊急会議だと仰っていた」
「いつです」
「昼休み頃」
オリヴァーは察した。
ああなるほどコノヤロウ、と上司にもこの状況を察してしまったロキにも舌打ちしたい気分だ。
詳細な状況は全く分からないが、ロキたちが何か感じているのは確かである。
「おい、ロキ。戻って来い、何が何だかさっぱりだよ。僕にも分かるように説明して」
レインがロキに触れると、一瞬でロキの目に光がともる。
オリヴァーの顔が近くにあったため簡潔にロキはまとめた。
「ちょっと気になる魔物を見ていたんですが、思ったより遠くに逃げていました。意識もそっちに引っ張られました」
「魔物?」
「バイコーン。森にいるはずなのに平野を走っているなんて不思議だとは思わない?」
ロキはつまり変だなあこの辺には棲んでないのに、と思ってその戦馬にもなるような魔物を意識で追いかけていたわけだ。
「どういうこと??」
「森に棲んでるはずのバイコーンが平野を走ってた? どれくらい?」
「5頭ほど」
「若いのが1頭ならわかるが、5頭か」
オリヴァーは苦い顔をする。
冒険者ギルドにおいては魔物の分け方が強い方から種類でS、A、B、C、D、E、Fとあり、さらに個体によっても同じ分け方をされるため、最も強い種の個体となるとSSランク、と呼ばれることになる。
種類別のランクの場合は、Fランクで一般人でもなんとか倒せるかくらいのレベルを示す。魔術があればなんてことはない。代表としてはホーンラビットや小型のスライムである。
Eランクは魔術が使えないと倒せないレベルを示す。絶対に倒せないわけではないが、怪我をしたくないなら逃げろと伝えられるレベルであり、平民に倒すことは難しい。代表は単独のアルミラージなどであろう。
Dランクは少々気をつけなければならない、このあたりになってくるともう簡単な魔法を撃ってくる。魔力量の低い人間はけして立ち向かってはいけない。代表はゴブリン種。
Cランクは冒険者ギルドに届け出を出さねばならないと決められている領が多い。とにかく平民は近付くな、冒険者や貴族の騎士団に任せろと言われるレベルとなる。代表格はオークや下級ワイバーンが相当する。
Bランクは貴族が軍隊を動かすのが常のレベルであり、CからBまでの間が結構開くことになる。大半の中型の魔物はCであり、大型になってくるとBランク、といったところであろう。代表格としてはオーガや下級ドラゴン、アンデッド系が相当する。
Aランクは個々にリガルディア王家や公爵家たちが出撃するレベルを示す。ここでもまた随分と規模に断絶が存在する。代表格の魔物は中級ドラゴンやジャイアント・インセクト種――これは群れる上に巨体を誇るため通常は実力折り紙付きの師団(約1万人)が出撃する。
Sランクはリガルディア王家とドラクル含む公爵家が集まって直接出撃するレベルである。ベヘモスやリヴァイアサン、ヨルムンガンドやフェンリルといった神話級の魔物を指す。ただし、単純に身体が大きいものを示す場合もある。
バイコーンはこの中で中型にもかかわらずBランクに分類されている。
それだけの魔物が逃げる相手とは?
生徒達も会話に巻き込み、ロキたちは首を傾げていた。




