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2025/03/19 編集、改稿しました。
少女が1人、母親と紅茶を飲んでいた。小さな中庭に日光が差し込んで花々を照らす。
「エリス、最近調子はどう?」
「うーん、上々、かな?」
緩くふわりとカールの掛かった髪を風になびかせた桃色の瞳の少女は、薄い色の茶髪の母親と共にこの家に引き取られた。10歳で魔力を発現した少女は、珍しい光属性の持ち主であったため、父親と思しき男爵家に引き取られたのである。
元々母親はこの男爵家で使用人として働いていた。結局ありがちと言えばそうなのだろうが、妻との関係から逃避した先が彼女だった、その結果生まれたのが少女、というわけだ。
少女は女神の祝福を受けてエリスと名付けられ、下町で大事に育てられていた。
恐妻家だった男爵はそのままエリス母子を下町に放置するしかなく、しかし病に倒れた妻が療養のために別荘へ移ったため、エリス母子を迎え入れたということになる。
エリスは貴族の子弟の中でも魔力量がそこそこ多い方に相当したため、初等部から学校に通わされることになってしまった。10歳の誕生日直前で魔力を発現させたエリス。珍しい光属性を持っているという状況は、エリスを王都に呼び出すには十分な理由となってしまった。
現在は王都に住むイルディ男爵。男爵家といえど貴族、庶子であっても貴族だ。この国は、貴族は貴族たれという考え方が非常に強かった。
また、エリスには少々特殊な事情があった。転生者だったのだ。
そのためにエリスは、転生前の記憶の取得によって高熱を出し、結果的には、無事1人の人間に収まった。当初は2つの人格があり、感情も2人分という状態だったのだが、2人の人格に差異がほとんどなく、何となく気が付いたらもう1人がいなくなっていた、という感覚である。両方の記憶があるので混じったのだろうと予想ができるが、同じような感情を抱き、同じように騒いでいたら溶け合っていました、とはなんとも。
魔力操作は精神年齢が高い転生者の自覚のおかげで嫌がって逃げ出すようなことはなかったので良かったかもしれない。
(まあ、魔力操作がこんなに面倒だとは思ってなかったけど)
エリスは日本人からの転生者である。最初に自分の顔を見た時には、なんだこの美少女は、と思った。具体的に言うと、平民として市井に暮らしていたにもかかわらず、貴族も顔負けの美しい髪と、貴族でもそうそう持って生まれない光属性を持っているためにその姿はわずかな光を纏い、他者に彼女を特別なものと感じさせる。
エリスの前世の名は、橋本美央といい、不運なことに交通事故で死んでしまったのだが、美央の好んでプレイしていたゲーム『Imitation/Lovers』通称『イミラブ』の世界に転生していた。その事実を知った時、とりあえず自分の立場を再確認して溜息を吐いたものだ。
エリスはエリス・イルディという名でヒロインとして登場するのだが、光属性を扱うためか、『イミラブ』の攻略難易度が最も低かった。
美央は基本的に元はといえばアクションゲームやシュミレーションゲームの類をプレイしていた。その為、『イミラブ』を知ったのも元は『イミドラ』を知っていたためといえる。
『イミラブ』でエリスの過去はほとんど描かれない。その為、このゲームでいうところの“過去”に相当する時間はなんやかんやといろいろ考える必要が無いと美央は思っていた。どうせ恋愛にもそんなに興味はない。本来なら攻略対象の心の傷ができる前に、なんて話になるのかもしれないが、『イミラブ』は男爵家庶子が出入りできるエリアに攻略対象はいない。流行の悪役令嬢物のヒロインよろしく悪役令嬢な主人公が攻略対象の心の傷を作る前に何とかしてくれることを祈っている。
さて、エリスには異母兄がいる。兄は母について行くことができなかった。12歳で初等部卒業を控えていたためだ。中等部でも抜けるなんてまず貴族の子弟ならば考えられないのだから、どうしようもなかった。
兄は荒れた。父はその相手で精一杯であり、エリスもエリスで今まで父親なんざいなかったのだから問題なく過ごしていた。その中で発症した浮草病については、買い物に出かけるとよく顔を合わせていた商人の息子が教えてくれた。あまり気にしていなかったら治ってるねと言われてとりあえず心配がなくなったならいいやとエリスは深く考えることを止めた。
「エリスももうすぐ学校ね」
「はい!」
エリスははっきり言って学校とかどうでもいいのだが、光属性の回復魔術が使える土台があるというのは実にいい。下地だけでは使えるようにならないのが魔術というもの。こればっかりはもっと勉強をして魔術を使えるようにならねばならないため、学校に行くことは反対ではない。
ふと、今日の分の剣術の鍛錬のために中庭に出てきた兄と目が合う。
兄の名はイザーク。髪は赤く、瞳は桃色。エリスと同じような瞳の色であるものの、若干イザークの方が目の色は薄い。
現在イザークは14歳、エリスは12歳になっている。13になる年になればエリスは中等部へ入学することになる。
「イザークさん、お茶はいかがですか?」
「結構です」
エリスの母の声を断って、イザークは静かに剣を振り始める。今度剣舞をやる、その剣代表になったのだと喜んでいた。
エリスからすれば、よくもまあそんなに重そうな両手剣軽々と振れるなという話なのだが、エリスの一番高い適性はナイフなのでそう思っても仕方ないのかもしれない。
「エリスも鍛錬するの?」
「はい。イザークさんと一緒の方が何かと気楽ですし」
エリスは紅茶を飲み終えると部屋へ戻り、シャツとストレッチパンツに着替える。傭兵がよく好んで使うと言われて倦厭されがちだが、元平民の彼女は持っていたにすぎない。だって動き易いんだもの。それになぜか安い。
「イザークさーん」
「……来たのか」
「はいー」
イザークはエリスの金髪を僻んでいる節があった。
エリスの金髪はエリスの母方の祖母が金髪だったことに由来するのだが、そんなこと知らなかったイザークはエリスに僻みを言ってしまったことがある。即刻切り返されてそれだけで終わったが。エリスは見た目に反してかなり気が強い子供だった。そんなに語彙力も無いだろうと思って厭味をぶつけたらキレッキレのナイフのような言葉が返ってきた。
――光のイルディ男爵家に取り入ろうとして染めでもしたか、売女の娘が!
――はぁ? うちの母は売女じゃなくてイルディ男爵家のメイドだったと記憶しているんですけど違いましたっけ? 売女を男爵様に近付けちゃう程度の差配しかできない方なんですね男爵夫人って。
いやはやクリティカルヒットした。イザークの言葉一つで母親に波及させてイザークの逆上を狙うとかマジえげつない。この後イザークは見事にエリスに殴りかかったのだが、多少なりとも魔力を扱えるようになってしまったエリスにはとるに足らない動きであったらしく。
見事に一本背負いされた、イザークにとっては苦い記憶である。
エリスはふわふわとカールしている髪をあまり伸ばしていなかったが、男爵家に引き取られてからは令嬢扱いされるということで髪を伸ばし始めた。貴族は魔力の操作の補助として髪を伸ばしている子供が多い。実際髪を伸ばし始めた途端に自覚できるほどに魔力操作がやりやすくなったため、エリスは髪を伸ばすことを決定した。
現在は動くために適当にポニーテールにしているのだが、ちゃんと身の捌き方を学ばねば髪など掴まれて終わりであろう。捕らわれでもしたら話にならない。
「ドレスは邪魔なんだな、やっぱり」
「あんなもの動きにくくて敵いませんから。ちょっと走って来まーす」
エリスがランニングを始める。
イザークはそれを見送って剣の素振りを再開した。男爵家であり、魔術師の系統であるイルディ家は、剣術を使える者はあまりいないのである。一通り習ってはいるが才能が無いと言われるような者ばかりで、だからといってそこまで裕福でもないので専門の家庭教師などを雇うだけの余裕もなく、我流になってしまうのだった。
我流でも他の生徒と会うことができるイザークは交流から自分に足りないものを補う機会がある。特に、“槍姫”の渾名をつけられつつある少女と同学年であることも相まって、だ。彼女は槍が特に得意であるとはいっても、剣も扱えないわけではなかった。彼女に一通り見てもらい、我流の動きを安定させようと試みている。
軽いランニングを終えたエリスはそのまま少し呼吸を整えるとナイフを構える。魔力のワイヤーで柄の後ろの部分を繋いでおり、伸縮自在である。魔力であるため斬られてももう一度構築すればいい。
投げても引き戻せる、最高ではないかと勝手に喜んでいるエリスである。
魔力を彼女がここまで緻密に扱えるのは父の影響である。もともとさる名門貴族の分家だったというイルディ男爵家は、緻密な魔力操作を得意としている一族だった。加えて、現当主であるイルディ男爵は、魔力を糸状にして操るのが得意だった。
エリスはその影響を色濃く受け継いでおり、糸を縒合わせる感覚を魔力で想像していた結果、エリスの中に残っていたエリスとしての人格と美央としての意識はどちらも解かれ、糸になり、縒り合さって今のエリスを作り上げた――という状況らしい。自覚していないので何とも言えない部分ではあるが。
双剣スタイルで戦う気でいるエリスはくるくると回りながらナイフを振る。エリスがその腕の軌道がぶれないようにと、腕に筋肉をつけなくては、などと言い出した時は、イザークも何をする気かと思っていたのだが、それを愚痴のように“槍姫”に伝えれば、「両手にナイフだな」と言っていた。実に的確な答えと言えよう。
「……そういえば」
「はい?」
「“槍姫”の、弟君がいるそうだ。2つ下に」
「へー」
エリスはまあ、興味が無いと言わんばかりの反応である。
そもそもエリスは攻略対象と近付く気がないですから、と。
(だって“槍姫”って。スカジ・フォンブラウのことだし)
その2つ下の弟君というのが少々気になるのだが。
エリスの前世たる美央が知っていた『イミラブ』では、スカジには2つ上の兄が2人、2つ下の妹が1人、3つ下の弟が1人、5つ下の妹が1人居るはずであり、2つ下の弟は存在しない。
(やっぱラノベでありがちなアレ? ゲームによく似た別世界、的な?)
今はとりあえずこの認識でいいかと、エリスは思う。
「それで、その方がどうかされたのですか?」
「転生者だと、豪語しているメンバーの中に入っているらしい。お前もだろう?」
「……いつごろばれました?」
「父上が、浮草病ではないかと仰っていた」
何だあの父親、意外と見てるじゃねえかなどと女の子らしからぬ口調で考えつつ、エリスは、そうでしたか、と言葉を紡ぎ出した。
「お前は光属性なんだ。治癒魔術が使える人材は極めて少ない。公爵家の令息が確実に守るスタンスに入っている今、そこにお前を入れることができないかと父上が母上に頭を下げたらしい」
「……先日の、あの、魔物の出現確率が上がっているという話ですね」
「ああ」
現在、国境付近にある男爵家や騎士爵家は多発している魔物の発生に手を焼いている。フォンブラウ公爵家のように魔物の群生地を抱えているわけでもないのにこれというのは少々いただけない。
そして魔物との戦闘確率が上がり、負傷者が増えると治癒魔術の使い手が必要になる。治癒術の使い手たちが前線へ行ってしまうのは避けられない。が、それだと後継が育たない。実に面倒な話である。
回復魔術、治癒魔術などと呼ばれるこれらは、様々な属性が扱うことのできるものだが、特に光が効果が高いと言っていい。他の属性はそこまでどれだけレベルが高くても無くなった腕など生やせないが、光だけはそれが可能だった。
イザークの母親は実家が伯爵家の人間であって、そりゃあプライドも高くなるというもの。ちなみに一概に彼女を悪く言えない事情もあって、なんともまあ扱いが難しい。
これがただの貴族社会によくある政略結婚だったならそれほど楽だったろうか。
というのも、当時伯爵令嬢であったイザークの母は、元々イルディ男爵の兄と婚約していたそうである。そして結婚直前になって、兄が逃げ出したらしい。他にきょうだいもおらず、イルディ男爵は兄が座るはずだった当主の座を押し付けられ、恋人だった使用人とも別れて夫人を娶ることになった。
そりゃ元恋人のエリスの母の所に来たくなるのも分かる。平民如きが自分に敵うとも思っていなかったのでイザークの母はエリスの母をそのまま使用人として雇うことを良しとした。手も出されるに決まってるわそれはとエリスは苦笑したものだ。
「イザークさんの母親に頭下げるお父様……まあ、一番最初に消耗するのは騎士爵と男爵ですしね」
「まあ、そうなんだが。うまくいけば、私の代には崩された城壁の補修ができるかもしれないからな」
「そこはもうお願いしますね。皆をきっちり守ってください」
下町の方がなじみ深いものだから、実家の話をすると村人守ってくださいねと笑顔で言い切るのだった。エリスは学園への入学を嫌がったことはないけれども、故郷の下町を離れるときは悲しんだものだが。イザークが、自分の感情を横に置いておくにはまだ幼かったことと、そんなイザークよりも転生前から年上であったことも相まって、エリスはイザークよりも大人だった、残念ながら。そんな大人な対応をする妹が兄にとって目障りになるのは、致し方ないだろう。
このエリスが件の槍姫の弟君ことロキ・フォンブラウに会うことになるのは、中等部入学後のことである。
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