2-25
2022/12/20 編集に伴い話数を変更しました。
その瞬間は唐突に訪れた。
『ぱぱー!』
「!?」
ロキは朝起きるとまず窓を開ける。今日もいつも通り窓を開けた。
すると、黒い髪の幼女が室内に飛び込んできたのである。
しかも、ロキの事を“ぱぱ”などと呼ぶのである。一体何事かとロキは驚いたが、少し冷静になって幼女を見て気付いた。
「お前、いつも近くにいる闇精霊だね」
『どぅーだよ!』
「ドゥー?」
黒い髪、どれくらいの美形かと言われると人外級か。瞳はラベンダーカラーで、白と黒の衣装にワンポイント程度に紫と濃桃色の布が合わせられている。
『どぅー。どぅんけるはいと!』
「――」
ああ、なるほど、と。
ロキは理解する。
闇を表すこの言葉で、彼女に名付けたのが自分なのだと。
他の精霊を見たことのないロキには最初分からなかったのだが、彼女は人工精霊の証ともいうべき幼少期の貴族令嬢と同じような服を着ていた。
本来の精霊は服を纏うことはなく、せいぜいが布切れ一枚であるのが常。
つまり彼女はどう考えたって人工精霊なのである。
『やっとぱぱに会えた』
「……ずっと、待ってたんだな」
『なでなでしてー』
「ん」
ドゥーことドゥンケルハイトの姿をロキが視認できるようになったことで、ロキは自身がマナを視認できるようになっていることを知った。けれどとりあえず今は、自分のことよりもこの、自分に認識されたことを酷く喜んでいる幼女を撫でておこう。
『ぱぱー』
「……はは。パパなんて言われる歳か、俺」
この身体の年齢はまだ12歳になってすぐのはずなのだが、彼女がどれくらい待っていたのかによってそこはまた変わってくるだろう。
『ぱぱ、どぅーのおなまえよんでー』
「……ドゥンケルハイト」
がちん、と何かがはまったような感覚と共に、ドゥンケルハイトの魔力を感じ取れるようになる。契約が成立したのだと気付いた。遅かった。そもそも契約を結ぼうとしてここにいるのだろうと思い当たった。
ドゥンケルハイトを撫でていると、ふわりと風がロキを包み込んだ。その風に含まれた風のマナの濃度に、ロキの目の前が銀に染まって何も見えなくなってしまう。カルたちがたまに眩しい、と言っていたのを思い出して、そこに精霊がいることを察する。
「……風精霊、だったか」
『――ええそうよ、愛しい子』
ドゥンケルハイトなんて、名前をドゥーと呼んだ瞬間に契約を結ばれてしまった。真名を呼んだからもっと強力な契約に切り替えられただけなのだろう。
迂闊に風精霊の方も名を呼べないと思いつつ風精霊の姿を探すと、淡い緑の色合いの薄衣を纏っただけの人外級美女がそこにいた。
人工精霊にあらず。
彼女はいわゆる、最上級風精霊に分類される精霊であった。そんなこと、ロキは露とも知らなかったのだが。
『私のこともちゃんと繋ぎ止めておいてちょうだいね、愛しい子』
「おうふ……契約を御望みですか……」
『毎回同じ反応するのね、面白い子』
ロキは若草色の髪をなびかせる風精霊に耳元で告げられた名を口にした。
「――ヴェント」
『うふふ。今度はちゃんと守るからね』
「……はは。精霊まで振り回しているんだね、俺は」
『でもぱぱやさしーもん?』
『そうよねー。本当はもっと一緒に居ようとする子たちがいたのだけれどね、上位の存在に排除されちゃってるのよ? 私も、風不死鳥フレイライカが保護してくれなかったら同じように排除されていたわ』
フレイライカ、と口にするとふと、馴染むことに気付く。
ロキはこの名の持ち主であるデスカルを思い返した。
赤い髪ではあるが、その瞳は確かにペリドットの如く煌くオリーブ色を呈していた。
なるほどやはり彼女は風なのであろう。本人は死を運ぶなんて言われているぞと言っていたが、日本では風も風邪も同じ音ではないか。今更である。
「ドゥーは、いつから」
『その子は誰にも排除されないわ。だって闇だもの。その子はあなたが作った夜の闇』
精霊は契約者にしかその名を示さない。ドゥンケルハイトはドゥー、ヴェントはヴェンと呼ぶことになった――ヴェンは音を紡ぎ出した。
眠れ、眠れ、愛しき子。
その身を挺して熱を遮ることはできないけれど。
冷えた闇は涼やかに、隣の温もりを感じさせるもの。
眠れ、眠れ。
身体を休め、また明日。
日が昇る、その時まで。
ロキは小さく、その言葉を。
「眠れ、眠れ、愛しき子。冷めやらぬ熱を抱く、黄昏過ぎて空の錦。戦士の眠る夜深く、刃を休め、身を鎮む、星空の許の事。曙は詠う、暁の訪れ」
ロキは、ドゥンケルハイトを見やる。
「アルはどうした」
ロキの知らないその名前の持ち主を、ロキはそれでも知っているような感覚を覚えた。ループによる経験ってやつだろう、と勝手に納得する。
『……どこか、行っちゃったわ。あの子を作った時、あなたは別の人の血を使ったから』
ロキの問いに答えたのはヴェンだった。ドゥンケルハイトにきょうだいのような人工精霊がいたらしいことを、ロキは確かに感じ取っている。本来ならばそんな痕跡を辿れるなんて恐ろしい実力なのだが、ロキがその事実を知ることは無いだろう。
『ドゥーはお前の傍に居ないと安定できなかった。だからお前はあの子に他の人間の血を混ぜてマナの器を作った。それだけ』
「……そっちに引っ張られてそっちに行っている、と考えるべき、だよね?」
『ええ、あの子がいる場所も私ならわかる。でもちょっと、今はお出かけ中ね』
ヴェンはさらりと実力自慢をしてみせ、ロキは小さく笑んだ。
「まだどういう関係をアルと築いていたのかなどは全くわからないし、分かる気もないけれど、とにかく今は君たちを見ることができるようになったというだけで良しとしようか」
『ぱぱ、ソルベ!』
「ドゥーはソルベが好きなのか」
というか食べれるのか?
ロキの問いにヴェンが笑う。
『ドゥーは食べれるわよ。あ、私ちょっと近くに知り合いがいるの、喋ってきていいかしら』
「ああ、構わないよ」
『行ってきます!』
『いってらっしゃーい』
「戻ってきたら知らせてね。いってらっしゃい」
『はーい』
風とは気紛れなものだ。
この日、デスカルたちもふらりとロキの前に姿を現した。
♢
「おー、お見事、マナもきっちり見えるようになってるな」
「そのせいで目の前がちかちかするのですが?」
「その辺は慣れでマナをあまり見えないようにすることも可能だ。自分の身体と話し合え」
ロキたちは食堂にいた。ソルベを食べたいとねだったドゥーのためにロキが厨房を借り、出来上がったレモンシャーベットをドゥーがさっそく食べているのだ。
強化系は教えたぞ、とデスカルが笑う。ロキは小さく頷き、横に座ってレモンシャーベットをぱくついているドゥーを撫でた。
「しかし、後はお前の中のその子が目を覚ますだけだな」
「他のことはもう終わったのか」
「ああ、大まかな部分はもう終わった。ただ、最後は結局その子が目を覚まさないと終わらないしどうしようもない。つか、その子が目を覚まさなきゃこっちからアクセスできねえとこまでは行った」
デスカルはそう言って、チャリ、と小さな音と共に金色の鎖に繋がれたオリーブ色の石をテーブルに出す。
「それは?」
「ペンデュラム。『魔王』からの贈り物に俺が祝福を掛けた」
「待て何してやがる」
「いいじゃあないか、アイツは俺が育てたうちの1人だもの」
デスカルはつまり、様々なメタリカを育てているということか、とロキは理解する。
死徒列強第13席『魔王』の名にはペリドスという、ペリドットからもじられたらしい名がついており、これはつまり彼がメタリカの血族だったことを表していた。
「ロキ、お前がどんだけ精霊たちを待たせていたのかについていろいろ言ってやりたいことはたくさんあるんだが、とりあえず回復おめでとう、とでも言っておこうか。餞別とでも思え」
「……あんたからのものだと思うと受け取りがたいね」
「ははは」
ロキの言葉にデスカルが笑い、静かに席を立つ。
「とりあえず、いろいろとこれからやりたいこと一杯やっていけばいいと思うぞ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「んじゃ、これは受け取る方向でな?」
「……了解」
ロキはペリドットのペンデュラムを受け取る。
手に持つと、ペンデュラムは淡く光を放った。
「うまくいったな」
「そういうものか」
「まあな。これで風の精霊全般の力を借りれるはずだ」
こんなにいろいろしてもらっちゃ頑張るしかないな、とロキは笑い、シャーベットを食べ終わったドゥンケルハイトがロキをつつけばその頭を撫でる。
「どうだった?」
『おいしー!』
「そうか、よかった」
ロキは微かに笑みを浮かべた。
「そのうちアストたちも何か寄越すだろうから、そん時はちゃんと受け取れよ」
「……そんなに加護と祝福だらけになっていいのかな?」
「今更というか、もうマジでそのままでも加護と祝福だらけだぞ?」
デスカルはそのままその手に鎌を持った。
最近どこかへ行っていることが多いなあと思う。
「今度はどこへ?」
「いろいろあるが、とりあえずお隣の国かねえ。本隊が今向かってるからな」
「そうなんだ」
ネイヴァス傭兵団の幹部クラスが数名ここに居る状態なのだからまあ、傭兵団の様子を気にするのは致し方ない部分もあるだろうとロキは考えた。
「ああ、それと」
「ん?」
「そろそろ物語が動くぞ」
「――ヒロインか」
警戒はしときな、と言って、ぱ、とデスカルは軽く手を振ると、風に解けるように姿を消した。




