2-16
2022/02/07 加筆修正しました。
夏休みの最中のことだ。
「なんだこれ」
「卵だろどう見ても」
ロキは王都フォンブラウ邸の中庭で白地にカラフルな模様の付いた30センチほどの高さのある卵を見つけた。
どう考えても誰かが置いたものだが、これを一体どうせよと言うのかと、シドと共に首を傾げていた。
「……何の卵だろ」
「中身と親が同じとは限らんぞ」
「マジで?」
「まじまじ」
シドの言葉にロキは驚いて卵を見る。一目見ただけでこれが魔物の卵であることは理解できた。
「魔物ってのは、環境に一番合った姿に成長していくもんだ。群れれば集団を、何もなければ場所に合わせた強い個体へと」
シドは卵に近付こうとしない。どうした、と小さくロキが問うと、俺だと孵してしまうから、と言った。
「……卵割り機?」
「やめろその例え! 俺は名前だって似てっけどなァ、持ち運びできるモンスターは専門外なんですわ!」
そらこの世界にはおらんわな、とロキが笑う。
とにかく、この卵はいったい何だろうかと2人でいろいろといじっていると、そこにアリア――もといセトナ・ノクターンが通りかかる。結局彼女は今後もロキ付きの侍女として働くことになったそうで、今日も今日とて普通にメイド服である。
「あら、どうしたの?」
「セトナ」
もうアリアと呼ぶことはない。家の中で彼女をアリアと呼ぶのは客人が来た時のみになる。
ガルーとリウムベルに話をしたところ、あらためてガルーは人狼族、リウムベルは列強第6席『吸血帝』派閥の吸血鬼だったことを知らされた。ロキが感じていた死の匂いはリウムベルたちのものだったようで、ロキ様は生き物としての本能が強い個体なのですね、とまで言われた。
セトナが何も手に持っていないのを確認したロキは、卵を示す。
「これ、何の卵なんだ」
「コボルドの卵よ。親が死んじゃってたから貰ってきたの」
コボルドは犬型の獣人種の近縁にあたる魔物で、獣の要素の方が色濃く残る種族である。人狼族の下位種族であり、道具は使えるが魔術を自由に扱えないので人間扱いにはならない。だが頭の良い個体は複数の言語を話すことも出来る、そんな種族だ。
「親は結構大きくてね、その卵も結構上等よ」
セトナの言葉にロキは首を傾げた。
ロキ的には魔物というものの増え方がいまいちピンとこないのだろう。そもそもコボルドは犬の要素が強いとはいえ二足歩行であるし、魔物と言われてもピンとこないのかもしれない。魔物学は基本的に中等部に上がらねば教えられない。初等部では基本的な歴史と、詩の作り方と、計算と魔力操作と簡単な魔術を教えるだけだ。
「……家にも図書館にも魔物に関する書物がほとんどなかった原因は?」
「人刃は魔物と相性が悪いのよ」
「理解した」
ロキの問いにセトナが答える。そもそも魔物に関する本自体がほとんどリガルディアにはない。基本的に人刃にとっては、魔物など紙切れと同じだったのだろう。人刃についての記述のある本自体が少ないため、ロキも今必死に探しているところだ。
魔物に関する本は魔術関連に比べると種類は無いし読んでも図鑑みたいなものばかりであるが、それでも楽しく読めてしまうらしいロキには関係なかっただろう。
魔物を調べる必要性を感じないのであれば、そんな本は著されない、道理である。
「まさか公爵家になかったとは」
「仕方ねえな。人刃の公爵家ともなると、よほど訓練されてないと馬がビビって逃げ出すし、魔物でも人刃といるのはきついんだぜ?」
シドの解説にロキは首を傾げる。
「そうだったのか。の割には獄炎騎士団は馬を持っているが?」
「あの馬たちは私の旦那が手配してるの」
「ノクターン卿が?」
「ええ」
セトナの夫と呼ばれるのは本来複数いるが、一番有名なのがノクターン卿である。
彼はもともと小さな都市国家で馬を育てていたのだが、その領域がセトナのものになった際に腐敗した国をセトナに売り飛ばし、その当時セトナと共に行動していたガルガーテ帝国の王族との交渉によって都市国家は一都市としてガルガーテの元に下ることとなり、ノクターン卿自身はセトナの第一夫という形で収まった。
現在までひたすら馬を育てているというノクターン卿。
彼が今まで生きているのはセトナに眷属にされたためで、つまり彼も死徒の1人ということになるのだが、その魔力に中てられて育った馬は、死徒を恐れなくなる。
つまり、彼の育てた馬以外は、まともにリガルディア貴族は使うことができない。
これは魔物も同じである。特に、人刃は。
「そもそも人刃って、軍神直属なのよ。上位世界にも似たようなのがいるらしいわ」
「軍神って誰にあたるんだ?」
「こっちだと女将と族長とドルバロムだな。あと女将の双子の兄だった奴、半獣人のやつ」
デスカルという名でいる以上彼女がサッタレッカと呼ばれる存在であることはほとんど知られることはない。そも、彼女の名はたくさんある。
その中の1つの名と似たような名前が3つあり、それぞれが氷、火、土を表し、そちらはきょうだいを表している。
「ドルバロムだけはっきり言うってどういうことよ……で、デスカル様の双子の兄って?」
「吸血鬼の天敵だぞ。有名だろ、世界樹まで怒りで凍らかして世界丸ごと停止させる不死鳥だよ」
「ライフレイカのこと?」
「そう」
シドとセトナの会話から察するに、セトナたち死徒列強ともなると上位世界の連中との関わりも出てくるのだろう。ロキは宗教関連のところへはほとんど行かないが、リガルディア国内に上位世界の住人たちを祀る教会がたくさんあるのは有名な話である。
「あ、俺らが“ナツナ”って名を出したらこいつだと思えよ」
『日本人的な名前だな』
日本人という単語は存在しないので致し方ない。
『あー、そうだな。まあナツナの名前を付けたのが随分言葉が日本と似てるところの人だったから』
「ちょっと2人だけで話さないでよ」
「だってニホンジンって言ったってまともに聞こえないだろ?」
「……発音できませんコノヤロウ」
セトナは小さく息を吐き、卵を示す。上手く発音できなかったので話を移すことにしたらしい。
「その卵、ロキ様が抱えていたらなんか変わったのが生まれないかなと思って」
「上等だ」
ロキはすぐに受けるが、シドは苦笑を浮かべる。
「ロキって名前がある以上、最初の4個は何が来るか大体決まってるんだけどな」
「ああ、ヘル、スレイプニル、フェンリル、ヨルムンガンドか」
「吸血鬼はヘル直下なんだがいいのか?」
「よくないー!」
もうどう叫ぼうが仕方ないことであるとロキは笑う。
ヘルはロード・カルマが少女として生きた時代に魔物に落とされた御柱であるといわれている。
死徒列強の中でも最強と称される、第1席『人形師』ロード・カルマ。黒髪に赤い瞳の少女であると伝わるその姿だが、その正体は、1万年ほど前に起こった『神々の戦争』により降り注いだ神々の力を受け止めるための器にされた人間だという。つまりこの説が正しいなら、ロード・カルマは1万年前から生きていることになる。
この世界で有名な軍神と言えば筆頭に上がるのが武神アレス。ついで戦女神アテナ。そして彼らの直属の部下で尚且つ、日本語で名の記された者たち。
ゾーエー・クスィフォスとカツキと記されているその名は、知っている者たちからすればまあそこそこ有名な名である。
彼らは神々の戦争、はたまた神々の祝福を受けた者たちの戦争を戦い抜き、当時影響力の強かったゼウスやらオーディンやらの神々をこの世界において神霊と呼ばれる影響力の薄いものに変えてしまった存在であり、その戦争があったから死徒が生まれた。
今も冥王ハデスに始まる死神タナトスや眠神ヒュプノスら冥府の神霊と戦場を見守る武神アレスを筆頭とする軍神一派らはこの世界においてそこそこの影響力を持つが、それでももはや地上に降りること叶わず、彼らは見守るのみとなっている。
この戦争のさなか、ヘルはゾーエーやカツキの味方側で参戦していたが、戦争相手の加護によって魔物に堕とされた。
さらに、父であるロキ神の名の許にしか生まれることができなくされてしまった。
それが偶然にも冥府側の存在だった彼女の神格によって、ハデスらがこの世界を見守ることができる原因になっているとは実に皮肉な話と言えるだろう。
神霊の力などほとんど感じたことのないロキにとっては全く分からないお話だが、ロキはロキ神の名を享受した者であり、その許にヘルが生まれてくる可能性は全くゼロではなかった。
「もしかしたら、ヘルが湧くかもしれんな」
「やめてくださいよー」
「4つ卵を持ってきてくれたら早々にわかるのでは?」
「それ早々にヘルが来るってことじゃないですかー!」
ロキにとっては誰が来ようとあまり関係はないのだろう。
それでも彼は、ヘルが来るのでは、という言葉にシドが表情を曇らせたのを見て取っていた。
♢
「シド」
「なんだ?」
ロキは卵を抱えて自室に戻る途中、シドに問いかけた。
「ヘルと俺に何かあったのか」
「……ヘルはお前の公開処刑の目印みたいなもんだ」
「……ああ、確か……英雄でない死者を自由に蘇らせることができる、だっけか」
「お前が神話に詳しくて助かったぞ」
前世が好き好んで神話の知識を持っていたのだから致し方ない。簡単な説明をするならばそういうことになる。
「お前は誰彼構わず一般人を殺すことができたのさ。万が一間違って英雄を殺す、なんてことはなかった。お前は確実に国を1人で追い詰めて、最後に裏切られたリガルディアの王侯貴族が逆転してお前を追い詰めるんだ」
「ゼロの後何かあったか?」
「いや、俺の記憶整理してたら出てきた。思い出さなきゃよかったとマジで思ったわ。お前笑ってたよ」
「マジか」
ロキがどことなく自分の事として受け取れずにいることを察したシドは、小さく息を吐いた。
裏切りはロキの公開処刑の合図だ。
ロキは随分と表情づくりが上手くなってきたなあと、そんな感想を抱いたシドだった。
「ま、そうならねーように何とかするしかねーな」
「ああ、そうだな」
ロキはじゃあなと言って自室に戻っていった。
シドは静かに宛がわれている部屋へと戻る。
「……お前は本当に何も変わらねえなぁ……台詞が違うのは、周りが変わってるからか? なあ、畜生……“黒”……お前どこまで自分という人形を放置しとくんだよ……」
そんなに下位世界が好きか。
そんなに皆が好きか。
助けたいと願うループを引き起こした者がいれば、それに便乗する者もいるだろうけれど。
「自分が変わることがないと信じたうえでの選択。とんだ自信家だなくそったれ」
そうやってまたお前を取りこぼしたことに気付かぬまま俺たちが過ごしてたら、どうしてくれる。
並べ立てられる上位精霊にして前世での友の呟きは、誰にも拾われることはなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




