2-16
2022/02/07 加筆修正しました。
2026/03/10 加筆修正しました。
ロキの魔力操作訓練と魔術の基礎訓練は、まるでこの数か月分を取り戻そうとするかのように、尋常ではない速度で進んでいった。思ったより早く進んで行くな、と思っていたのは一部の教員だけだったらしく、大半の教員がにこにこと微笑ましいものでも見ているような様子だったので、ロキは、特に気にしなかったのだ。ロキ自身の事前評価によるものか、そもそもこの程度の速度で進んでもおかしくないものなのか、そのあたりの判断基準をロキが持っていなかったことが主な理由である。
だって、誰が思いつくというのだろう。
――実は初等部の教員の実に3分の2が世界回帰前を多少の差はあれど覚えていた、なんて。
♢
そんな夏休みの最中のことだ。
「なんだこれ」
「卵だろどう見ても」
ロキは王都フォンブラウ邸の中庭で白地にカラフルな模様の付いた30センチほどの高さのある卵を見つけた。
どう考えても誰かが置いたものだが、いったい何の卵だろうか。そしてこれ見よがしに置いてあったこの卵、一体どうせよと言うのかと、シドと共に首を傾げていた。
「……何の卵だろ」
「中身と親が同じとは限らんぞ」
「マジで?」
「まじまじ」
シドの言葉にロキは驚いて卵を見る。一目見ただけでこれが魔物の卵であることは理解できた。魔物にとって大切なのは、卵の親が何の種類か、ではなく、卵が孵化するまでに置かれていた状況と、魔力を与えてくれた環境に何が居て、どれくらいの魔力を吸えたのか、である。
「魔物ってのは、環境に一番合った姿に成長していくもんだ。群れれば集団を、何もなければ場所に合わせた強い個体へと」
シドは卵に近付こうとしない。どうした、と小さくロキが問うと、俺だと孵してしまうから、と言った。
「……卵割り機?」
「やめろその例え! 俺は名前だって似てっけどなァ、持ち運びできるモンスターは専門外なんですわ!」
そらポ〇モンなんてこの世界にはおらんわな、とロキが笑う。
とにかく、この卵はいったい何だろうかと2人でいろいろといじっていると、そこにアリア――もといセトナ・ノクターンが通りかかった。結局彼女は今後もロキ付きの侍女として働くことになったそうで、今日も今日とて普通にメイド服である。
「あら、どうしたの?」
「アリア」
ロキはあくまでも侍女のアリアとして彼女を扱うことに決めたらしい。呼び分けをいちいちするのも大変だからという理由らしいが、フォンブラウ公爵家内部にも、アーノルドやスクルド、メティスらで統括できていない使用人がいるらしく、ロキとアーノルドたちの話し合いの結果であった。
なおガルーとリウムベルに話をしたところ、あらためてガルーは人狼族、リウムベルは列強第6席『吸血帝』派閥の吸血鬼だったことを知らされた。ロキが感じていた死の匂いはリウムベルたちのものだったようで、ロキ様は生き物としての本能が強い個体なのですね、とまで言われたくらいだ。
セトナが何も手に持っていないのを確認したロキは、卵を示す。
「これ、何の卵なんだ?」
「コボルドの卵よ。親が死んじゃってたから貰ってきたの」
コボルドは犬型の獣人種の近縁にあたる魔物で、獣の要素の方が色濃く残る種族である。人狼族の下位種族であり、道具は使えるが魔術を自由に扱えないので人間扱いにはならない。だが頭の良い個体は複数の言語を話すことも出来る、そんな種族だ。
「親は結構大きくてね、その卵も結構上等よ」
「へぇ……?」
セトナの言葉にロキは首を傾げた。
ロキ的には魔物というものの増え方がいまいちピンとこないのだろう。そもそもコボルドは犬の要素が強いとはいえ二足歩行であるし、卵生で魔物だと言われてもピンとこないのかもしれない。魔物学は基本的に中等部に上がらねば習わない。初等部では基本的な歴史と、詩の作り方と、計算と魔力操作と簡単な魔術を教えるだけだ。
「……家にも図書館にも魔物に関する書物がほとんどなかった原因は?」
「人刃は魔物と相性が悪いのよ」
「理解した」
ロキの問いにセトナが答える。そもそも魔物に関する本自体がほとんどリガルディアにはない。基本的に人刃にとっては、魔物など紙切れと同じだったのだろう。人刃についての記述のある本自体が少ないため、ロキも今必死に探しているところだ。
魔物に関する本は魔術関連に比べると種類は無いし読んでも図鑑みたいなものばかりであるが、それもそこまで種類が無く、図書館も邸宅内の図書室も、司書に助力を願いながらいろいろと調べまわったロキだったが、有用な資料は見つけられていないのが実情だった。
そもそもの問題として魔物を調べる必要性を感じないのであれば、そんな本は著されない、道理である。
「まさか公爵家にすらなかったとは」
「仕方ねえな。人刃の公爵家ともなると、よほど訓練されてないと馬がビビって逃げ出すし、魔物でも人刃といるのはきついんだぜ?」
シドの解説にロキは首を傾げる。
「そうだったのか。の割には獄炎騎士団は馬を持っているが?」
「あの馬たちは私の旦那が手配してるの」
「ノクターン卿が?」
「ええ」
セトナの夫と呼ばれる人物は本来複数いるが、一番有名なのがノクターン卿である。
彼はもともと小さな都市国家で馬を育てていたのだが、その領域がセトナのものになった際に腐敗した国をセトナに売り飛ばし、その当時セトナと共に行動していたガルガーテ帝国の王族との交渉によって都市国家は一都市としてガルガーテの元に下ることとなり、ノクターン卿自身はセトナの第一夫という形で収まった。
現在までひたすら馬を育てているというノクターン卿。
彼が今まで生きているのはセトナに眷属にされたためで、つまり彼も死徒の1人ということになるのだが、その魔力に中てられて育った馬は、死徒を恐れなくなるという。
旧ガルガーテ帝国にあたる地域では、ノクターン卿の戦馬と呼ばれるある種ブランド化した馬を所有することが貴族たちのステータス化している部分があった。このノクターン卿の戦馬を育てているのがセトナ・ノクターンの第一夫ノクターン卿であり、彼が育てた馬は、旧ガルガーテ帝国から続く貴族血統に多い死徒系の血統を恐れない。その為、死徒系の血統が馬に乗らねばならない、となった時に乗ることができる数少ない種類の馬として知られ、死徒系の貴族が愛用してきた。ノクターン卿の戦馬にしか乗れない貴族は基本強い者が多い為、死徒に慣れて恐れず気性が荒いノクターン卿の戦馬たちを結果的に力で抑え込めるなど、一定以上のスペックを持つことの証明となったのである。これが長らく続いたため、ノクターン卿の戦馬の所有が貴族のステータスとなってしまったのだ。
また、したがって、ノクターン卿の育てた馬以外は、まともにリガルディア貴族は使うことができない。リガルディア貴族は、実のところ、貴族家の実に6割が人刃族や吸血鬼、人狼族や魔人族などといった死徒血統と呼ばれる血統を継いでいる。残りの4割も、獣人やエルフ、ドワーフや蜥蜴人やイミットなどの亜人族が多く、純粋なヒューマンのみの血統の家はほんの2,3家にとどまる。
「そもそも人刃って、軍神直属なのよ。上位世界にも似たようなのがいるらしいわ」
「へー。上位者だと軍神って誰にあたるんだ?」
「こっちだと女将と族長とドルバロムだな。あと女将の双子の兄だった奴と、半獣人のやつ」
デスカルという名でいる以上彼女がサッタレッカと呼ばれる存在であることはほとんど知られることはない。そも、神々には権能の側面によっていろいろと呼び名がつくものだ。デスカルもまた、地上で活動するときはデスカル、破壊神の権能を使う時にはサッタレッカ、風の怪鳥などと呼ばれるときにはまた別の呼び名がある。
風の怪鳥と呼ばれるときの名には、よく似たきょうだいの名前が他に3つあるので、大抵はそれぞれが氷、風、火、大地の4つの属性の上位者として恐れられていた。
「ドルバロムだけはっきり言うってどういうことよ……で、デスカル様の双子の兄って?」
「吸血鬼の天敵だぞ。有名だろ、世界樹まで怒りで凍らかして世界丸ごと停止させる不死鳥だよ」
「ライフレイカのこと?」
「そう」
シドとセトナの会話から察するに、セトナたち死徒列強ともなると上位世界の連中との関わりも出てくるのだろう。ロキは宗教関連のところへはほとんど行かないが、リガルディア国内にカドミラ教の教会よりも上位世界の住人たちを祀る教会が多いのは有名な話である。
「あ、俺らが“ナツナ”って名を出したらこいつだと思えよ」
『日本人的な名前だな』
日本人という単語は存在しないので反応したロキの発話が日本語になったのは致し方ない。
『あー、そうだな。まあナツナの名前を付けたのが随分言葉が日本と似てるところの人だったから』
「ちょっと2人だけで話さないでよ」
「だってニホンジンって言ったってまともに音写できないだろ?」
「……発音できませんコノヤロウ」
セトナは小さく息を吐き、卵を示す。上手く発音できなかったので話を移すことにしたらしい。
「その卵、ロキ様が抱えていたらなんか変わったのが生まれないかなと思って」
「上等だ」
ロキはすぐに受けるが、シドは苦笑を浮かべる。
「ロキって名前がある以上、最初の4個は何が来るか大体決まってるんだけどな」
「ああ、ヘル、スレイプニル、フェンリル、ヨルムンガンドか?」
「おう。ところでアリア先輩、吸血鬼はヘル直下なんだがいいのか?」
「よくないー!」
もうどう叫ぼうが仕方ないことであるとロキは笑う。ロキはこの卵を孵すと決めた。
ヘルはロード・カルマが少女として生きた時代に魔物に落とされた神の1柱であるといわれている。
18名いる死徒列強の中でも最強と称される、第1席『人形師』ロード・カルマ。黒髪に赤い瞳の少女であると伝わるその姿だが、その正体は、1万年ほど前に起こった『神々の戦争』により降り注いだ神々の力を受け止めるための器にされた人間だという。つまりこの説が正しいなら、ロード・カルマは1万年前から生きている純粋なヒューマンということになる。
この世界で有名な軍神と言えば筆頭に上がるのが武神アレス。ついで戦女神アテナ。そして彼らの直属の部下で尚且つ、日本語で名の記された者たち。
ゾーエー・クスィフォスとカツキと記されているその名は、知っている者たちからすればまあそこそこ有名な名である。
彼らは神々の戦争、はたまた神々の祝福を受けた者たちの戦争を戦い抜き、当時影響力の強かったゼウスやらオーディンやらの神々をこの世界において神霊と呼ばれる影響力の薄いものに変えてしまった存在であり、その戦争があったから死徒が生まれた。
今も冥王ハデスに始まる死神タナトスや眠神ヒュプノスら冥府の神霊と戦場を見守る武神アレスを筆頭とする軍神一派らはこの世界においてそこそこの影響力を持つが、それでももはや地上に降りること叶わず、彼らは見守るのみとなっている。一部の神話系統の神々はいまだに影響力を保持しているが。
この戦争のさなか、ヘルはゾーエーやカツキの味方側で参戦していたが、戦争相手の加護によって魔物に堕とされた。
さらに、父であるロキ神の名の許にしか生まれることができなくされてしまった。
それが偶然にも冥府側の存在だった彼女の神格によって、ハデスらがこの世界を見守ることができる原因になっているとは実に皮肉な話と言えるだろう。
神霊の力などほとんど感じたことのないロキにとっては全く分からないお話だが、ロキはロキ神の名を享受した者であり、その許にヘルが生まれてくる可能性は全くゼロではないのだ。
「もしかしたら、ヘルが湧くかもしれんな」
「やめてくださいよー」
「4つ卵を持ってきてくれたら早々にわかるのでは?」
「それ早々にヘルが来るってことじゃないですかー!」
ロキにとっては誰が来ようとあまり関係はないのだが、それでも彼は、ヘルが来るのでは、という言葉にシドが表情を曇らせたのを見て取っていた。
♢
「シド」
「なんだ?」
ロキは卵を抱えて自室に戻る途中、シドに問いかけた。
「ヘルと俺に何かあったのか」
「……ヘルはお前の公開処刑の目印みたいなもんだ」
「……ああ、確か……英雄でない死者を自由に蘇らせることができる、だっけか」
「お前が神話に詳しくて助かったぞ」
前世が好き好んで神話の知識を持っていたのだから致し方ない。簡単な説明をするならばそういうことになる。
「お前は誰彼構わず一般人を殺すことができたのさ。万が一間違って英雄を殺す、なんてことはなかった。お前は確実に国を1人で追い詰めて、最後に裏切られたリガルディアの王侯貴族が逆転してお前を追い詰めるんだ」
「ゼロの後何かあったか?」
「いや、俺の記憶整理してたら出てきた。お前が処刑されるのを俺が見てないんじゃなくて、ゼロが話してた周回知らないだけだったわ。思い出さなきゃよかったとマジで思った。お前笑ってたよ」
「マジか」
ロキがどことなく自分の事として受け取れずにいることを察したシドは、小さく息を吐いた。
裏切りはロキの公開処刑の合図だ。
ロキは近頃随分と表情作りが上手くなってきたなあと、そんな感想を抱いたシドだった。
「ま、そうならねーように何とかするしかねーな」
「ああ、そうだな」
ロキはじゃあなと言って自室に戻っていった。
シドは静かに宛がわれている部屋へと戻る。部屋に戻って、ドアを閉めて、そこでずるずると崩れ落ちた。
「……お前は本当に何も変わらねえなぁ……台詞が違うのは、周りが変わってるからか? なあ、畜生……“黒”……お前どこまで自分という人形を放置しとくんだよ……」
そんなに下位世界が好きか。
そんなに皆が好きか。
助けたいと願うループを引き起こした者がいれば、それに便乗する者もいるだろうけれど。
「自分が変わることがないと信じたうえでの選択。とんだ自信家だなくそったれ」
ロキに言ったところで通じないから、覚えている者が苦しむだけなのだ。ロキ・フォンブラウは何もかもとまではいわないが、大半の事は忘れている。きっとつらかったはずの周回の記憶を引き継がない。引き継がないと思っているのはシドだけで、本当は覚えていることも、思い出すこともあるのかもしれないが、少なくともこれまでシドがその事実を認識できたためしはない。
その上で、シドがこれまでの周回の記憶を整理したら、普通に考えたらおかしいと思えるような傾向が見えてきた。
だからシドは今、自信を持って言える。
ロキという人物は、何故か概ね行動が変わらない。本来変わっていなければおかしいと思える場面においても、変化がなかった。上手くシドはそれを言葉にはできなかったが、ひとまず思考に留め置く必要を感じて、自分のあまり出来の良くない頭を呪った。
ロキは、自分の事を度外視して動く傾向がある男だ。それは間違いないし、分かっていることである。だが、ロキが自分の考えている方向へ意地でも流れを変えようとし始めると、ロキの自身の気持ちとか、生存とか、幸せとか、そういったものを置き去りにする癖は、回避が難しいのだ。何故なら、それは緩やかではなく、劇薬として行使される権力的な強制とか、突然の裏切りとか、そういう形で現れる。
――そうやってまたお前を取りこぼしたことに気付かぬまま俺たちが過ごしてたら、どうしてくれる。
考えなければならないことはわかる。けれど、ロキの思考に追いつくのは難しい。ただでさえシドの方は頭の出来が良くない。ロキの尋常ではない回転速度の速い頭に追いつくには、少しスペックが不安すぎるのである。自分が頭脳労働に向かないのはシド自身が一番よく分かっている。だから、技術とか、戦闘とかそちらの方で役に立てるようにいろいろと出し惜しみしないようにしているのだ。
ロキにとって、俺が、絶対頼れるやつだったらまた違ったのかね。
並べ立てられる上位精霊にして前世での友の呟きは、誰にも拾われることはなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




