2-14 とある世界線
とあるイミットと公爵子息のお話
暗めです。
2023/03/15 加筆修正しました。
「うあぁあああああああああ―――!!」
少年は慟哭する。
黒い髪、涙に濡れた黄色と赤のオッドアイ。
雨晒しの下、黒竜の死骸がそこに放置されていた。前足にブレスレットのような金細工がはまっている。
鱗はところどころ剥がれ、皮も一部は剥ぎ取られ。瞳はない、眼球の在った部分は洞となっている。
ねえどうして。
どうしてこんなことをしたの。
少年の慟哭に近くを通る者たちは足を止めたりしなかった。雨を凌いでいる人間たちは不思議そうな表情を浮かべていた。だってなんでドラゴンの死骸の前で少年が泣いているのかわからないのだ。ドラゴンというものは、種類にもよるが、討伐対象である。リガルディア王国で最も大事にされる生き物であり、かつ、最も民草からは縁遠い生き物であった。
「何をしている?」
男が少年に声を掛ける。少年はまだ泣いている。男のことなど気にするそぶりもない。少年の耳は少々先端が尖っているように見える。男は悟った。
「……お前、ムゲンの息子か」
「――」
少年の返事はない。けれどそれでいい。
男は知っていた。このドラゴンを知っていた。どうしてこうなったのかわからなかった。
何故このドラゴンが死んだのかもわからなかった。このドラゴンは、少なくとも人間に危害を加えるような性格ではなかった。
このドラゴンは、人間に近い形で生活を営んでいた。
金細工のブレスレットが何よりの証拠だった。男はムゲンと知り合いだった、それだけだ。このブレスレットの細工をしてもらうのはどこがいいかなあなどと惚気話を聞かせるついでのように言い放ったムゲンに店を紹介したのは男だった。このドラゴンの名前も、夫と子供がいることも知っていた。
彼女は、数日前に近くの森で討伐された。人里に近い所に降りてきたドラゴンは狩られる。種類によるが人並み以上の知能を持ち、言語を操り、強力な魔法を使う彼女らを、王家や貴族は基本的に狩らない。必要性のある時しか、手を出さないのが貴族連中である。だから、彼女の討伐を行ったのは平民たちを中心とする、ギルドの人間だった。貴族たちであれば、彼女の正体を見抜けただろう。
ギルドの人間たちが、意気消沈していた。彼女はよくギルドに顔を出していたのである。知り合いを自らの手で討伐した事実を突きつけられ、彼らはここ数日泣き暮らしている。それでも喪われた命は返らない。死者は甦らない。
「……ごめんな、隠してやれなくて」
本当は、隠してやりたかった。けれどそれが許されないのがドラゴンだ。
ドラゴンは死ねばすぐにマナに還ってしまうはずで、そのためには精霊のいる場所に置いておかねばならない。ドラゴンといえど死んでしまえば得意の魔法も使えはしない。豊かな黒髪を持つ女性の姿を取っていた彼女は、もう二度とその姿にはならない。ドラゴンの身体は捨てるところがない。放置していればそれだけ、彼女の身体を解体しようとするものが現れるのも道理であった。
では、何故すぐマナに還るはずの彼女の遺骸が残るのか。
――息子がいたはずだ。
ムゲンは今傭兵業のために国を出ている。
息子は1人で残されてしまった。きっとそれを心配していてマナが還ることを拒んでいるのだと、そう思った。
だから、雨晒しの中でも放置した。けれどそれは、この少年にとっては耐え難い屈辱だったはずだ。親の死体を晒されたも同然で、誇り高いイミットのことである。人間に恨みを抱いても何らおかしくない。条件は、とっくに揃っている。
「ゼロ君」
「……」
「親父さんの友達で爵位の高い奴を知ってる。そいつんとこに行け。今のお前さんには庇護者が必要だ」
「……」
少年は男に赤い瞳を向けて、次の瞬間に一閃した。
「ッ」
「この上人間に頼れと? 無理だよ、いらないよ、だって母さんを殺したのは人間じゃないか!!」
少年――ゼロは叫んだ。
「人間なんか頼らない!! 森に帰る! いいじゃないかドラクルのとこに行けば!! 人間を頼る? 人間を助けようとしてわざわざ列強のところに向かった母さんを殺した人間なんか助ける価値もない!! 殺す価値もないよね、その辺で腐れ死んでしまえばいいよ、ううん死ななくていいや生きたままで腐って行けよ治療と称して皮を剥いで目を抉って骨を砕いて、ねえねえねえねえ!!!!」
ああ、厄介なものを敵に回した、と男は思う。
そんなとき。
「――息子に会えたのにまだマナに還らないってことは? 加工されたいのかな?」
ボーイソプラノがコロコロと笑った。
ゼロは振り返る。
「母さんに触るなッ!!」
「うわあ、激おこだ!」
そこにいたのは銀髪の少年だ。
男は顔をしかめる。
何でこの人がここに。
ラズベリルの瞳を煌かせて銀髪の少年は笑う。
「あはははは♪」
「こい、つッ」
「やめろゼロ君、この人にゃお前じゃ敵わん」
男はゼロを留めようとして、手の平の骨を砕かれる。
「い゛ッ……!」
ゼロが少年に殴りかかる。少年は軽くゼロの手を払い、足を払って浮いたゼロの身体を一本背負いで石畳に叩きつけた。
「あ、がッ……!」
「分からず屋だねえ。ちょっと、ダイクさんこいつ抑えてて」
「今俺骨砕けたんですけど?」
「ハイハイ診せろ。ん、はい治した」
「相変わらず何でもありだな、くそ」
ゼロには何をされたのか分からなかった。殴りかかったと思ったらいきなり投げられたのだ。この術を使う者をゼロは知っていた。
「なんで、柔術を」
「ドゥルガーに教わった」
ドゥルガー。
ゼロの母の名前だった。
ゼロは目を見開く。
「な、ん」
「フォンブラウ家第5子ロキ」
ゼロを拘束した少年――ロキは、男――ダイクにゼロを任せ、ハルバードを虚空から取り出す。
「人間に頼らぬというのなら、母の骸くらいは持って行け」
ハルバードをロキは静かにドラゴンの骸へと向けた。
四肢を関節から切り落とし、腹を裂いて、解体を始める。ゼロはもう何も言えなかった。
分かってしまったからだ。
口調こそ軽かったがこの少年は誰よりも心境が自分に近いと悟ってしまったからだ。
幼い頃に交流を持った相手の亡骸を晒されて、内心ロキも穏やかではいられないことぐらい、容易に想像がついたからだ。
ロキによって解体されたドゥルガーの素材の内、鱗と角の1本を受け取ってゼロは姿を消した。
ロキに任せれば問題はないと思ったから。
「もういいのか」
「あとはお前が持っていろ」
それ以来ゼロとロキは会うことはなかった。
とある戦場までは。
♢
目前に広がる焦土。
ロキは戦場に立っていた。
相対する黒髪の青年の赤と黄色いオッドアイには見覚えがあった。
「……お前、そっち側なんだな」
青年の言葉に小さくロキは頷いた。
「まあ、もうじきそっちに行くがね」
「……裏切りの神格故、か」
「俺も、たった一度会っただけの親の知人の息子にそこまで割いてやる気力も無いんだよね」
どうせ友達のためにしか動かないくせに何を言っているんだろうこいつは、と青年は――ゼロは思う。
ゼロがドラクルに身を寄せたことを知った直後、ロキはそれまで一定の距離を置いていた王子殿下に接近、イミットの保護に奔走し始めた。
それを知らないゼロではない。
どこまでこいつの手の平で転がされているのかと、そう思いながら戦場を眺めた。敵の殲滅のためにこの土地を焼いたのはほかならぬロキである。
ああ、流石はフォンブラウ、獄炎の担い手。ゼロが頼るよう言われたのもこの家の人間だった。
煌く浄化の焔が王家ならば、フォンブラウは裁きの業火。
並べ立てられる2つは相対する。
この銀髪の君の本領は“青”と聞いている。にも拘らずこの熱量。
そして何より彼の本気はこれではないとゼロは手に取るようにわかってしまう。
なぜなら、ロキは全く疲れていないのだ!
まだ余裕があると、悠々と敵をひねりつぶすことができるだろうと、しかしそれを彼がしないのは理由がある。
人間対死徒の戦争。
それは、リガルディアで起きるはずのない戦争。なぜこんなことにと誰もが言った。
ロキはそれを解決してやると言って出てきたのだ。そんな彼が裏切るなどと知ったら国は大混乱に陥るだろう。
ゼロは別に構わなかった。ロキが必死でイミットを守ろうとしてくれたことも知っているし、それに新上層部が追従していることも知っていた。
そのロキが突然裏切るとはいったい何を表すのか。
ゼロにはもうわからなかった。敵が単独になるほど人間はそちらに意識を向けるのだともうわからなくなっていた。たった1人の裏切り者によって瓦解する人間側が脆いなあと、そんな感想を抱いただけ。
ロキはただ、笑って人間側を裏切った。
人間側は瓦解した。
ロキが消えた穴を埋めるために必死に走り回る新騎士団長。
ロキと情報を共同で管理していたためにその処理に追われる薔薇の新王妃。
ロキが裏切ったことを、仕方がないと諦めた目をした新国王。
「これでいいのか」
「これでいいのさ」
「本当に? 何のためにお前が負けるような状況を作ってるんだ?」
「この先に俺の望む光景があるだけさ」
どうしてこうなったのかわからない。何でドラクルが人間の味方をしているのかもわからない。ドラクルは死徒なのにとゼロはぼんやりと考えていた。
どうしてロキは突然裏切ったのか。
ゼロは裏切られたわけではない。
ロキが世界を丸ごと巻き込んで魔王などになったのが悪いのだと死徒列強は言う。それはもう悲しそうな目で。
世界の崩壊なんて大それたことをやろうとしたロキは手を組んだ死徒と人間の勢力によって捕らわれた。死ななかった理由は不明だ。
それだけロキが強大だったということだろうか。
終戦後、牢獄にいるロキにゼロが会った時、ロキは言った。
「俺、案外計算は得意なんでね」
ロキはそう笑い、翌日には処刑された。
公開処刑だった。
それをロキは笑って受け入れた。
民衆は歓声を上げた。
「……下らん」
ゼロは思う。
ロキが本当に取り戻したかったものとは。
一時的に人と死徒の共存関係を作り出すことか。
その後それを維持するのは他の皆に丸投げするのか。
けれどゼロが思っていたよりも、新王たちはうまくやった。
国は崩壊せず、持ち直した。大陸全土を巻き込んだ戦争は、リガルディアの国際的な地位向上と帝国の世代交代を引き起こし、ロキが持っていた最後の魔法からとって“ラグナロク”と名付けられた。
「世界は平和になったけれど、これじゃロキは救われないな」
新王の言葉がやたら大きく謁見の間に響いたことを、ゼロは忘れないだろう。
ロキには魔物の連れがいた。その中にいたヘルの力によってロキは死者たちを蘇らせて見せたのだ。
死者のいない戦争。
こんな滑稽な話があるか。
処刑されたロキ以外の犠牲者のいない世界。
馬鹿馬鹿しい。
あの日。
ドゥルガーの骸の前で泣いていたゼロに声を掛けた時から何もロキは変わっていなかった。誰かのために動ける男だった。
その誰かの規模がちょっと、大きすぎただけだ。
それをできる力があっただけだ。
できたからやってしまったのだろう。
「……なあ、もっとちゃんとお前と関わっていたらお前がそうやって死ぬのは止められたか」
ロキは墓を作ってもらえなかった。
作るわけがないだろう。
人間はそういうものだ。
本当はあるのだけれど、そこにロキの骸はない。
ロキの葬儀はひっそりと貴族の間だけで行われた。そも彼の亡骸は――。
なんだ結局彼の行動の意味は貴族には伝わっていて、お前は一つだけ計算間違いをしていたぞとゼロは言ってやる。
「……お前が死んでは意味がなかったんだ」
「大馬鹿野郎だお前は」
「お前が頑張ったから、人間に紛れている人刃たちは変わったんだ」
「だから、お前の行動をちゃんと皆分かってたぞ」
空はただ青い。
何でここにこの平和を作った人がいないのだろう。
「なあ、物語じゃないんだぞ」
「こんな」
「ありきたりな小説みたいな悪役の終わりなんて嫌だ」
「お前英雄ってすら言われないんだぞ」
「国を裏切った逆賊だぞ」
「こんなのでいいのかよ」
――こんなの嫌
――やり直しよ
――ロキ様が死んじゃ意味がないの
少女の声が響いた気がした。
ゼロはそこで、意識を失った。
「私はこんなの認めない、もう一回!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。




