2-12
初等部の終業式は簡単な挨拶のみで終了である。ロキの魔力回路を焼いたのがつい先日で、これから夏休みの間、ロキは訓練を行うことになったため、アーノルドの実家にも、スクルドの実家にも帰らないことになった。領地が比較的遠いレインやセトも残るらしく、訓練相手には困りそうにない。
そんな夏休みが始まって3日ほど経ったある日、ロキは手紙を受け取った。
『話がしたい。テラスに準備していてくれ。
―――リーヴァ』
来た、とロキは思った。すぐにソルとヴァルノスに連絡を入れた。ヴァルノスの提案で研究していた風精霊を介しての連絡方法を試運転中で、それを利用しての連絡だ。ロキたちの世代は粒揃いと言われるのも頷ける。
リーヴァ、列強第4席『竜帝の愛し子』。人間に対して友好的な列強ではあるが、気を抜くわけにはいかない。近いうちに列強と接触することになるだろうとは聞いていたが、実際にその時間が迫っていると感じると緊張してくるものだ。
ソルとヴァルノスが知識として持っていた情報は、ロキとリーヴァには3年後に関して協力している節がある、ということだけだった。
「リーヴァは3年後のメンバー……『イミラブ2』のハズレの一角」
「死徒が入ってる原因は、ロキの手引きによる……か」
ゲームとの違いはロキの性別以外に存在しないため、未来の基本情報は『イミドラ』『イミラブ』をベースにしたもので考えていいだろうというのがソルとヴァルノスの考えである。デスカルからも、世界の流れの大筋を変えることはできないと言われているし、大筋から離れられないならその過程は外れない可能性が高いという予測の元だ。
また、ロキの持っている情報は『イミドラ』に特化している。こちらでは全く役に立たない。
『イミラブ』シリーズには総じてハズレの攻略対象が存在する。
これはおそらく『イミドラ』の世界観故に発生したものではないかといわれており、総じて死徒であることが特徴として挙げられる。まあ、その考察を出したのはロキの前世である高村涼であり、考察を上げた時は賛同の方が多かったことを覚えていた。
「……ま、ハズレって、今ならわかるが……戦争の引き金を引かせないための役だな」
「そうね。まあ普通に考えて、乙女ゲームって実現したら国がいくつか滅ぶよね」
攻略対象が至極真っ当なことを言っているように見せかけながら、自分の感情を優先して、婚約という家と家の約束を個人的に反故にしている作品が存在する。実は『イミラブ』もその1つだった。
リガルディアは何よりも血統がものをいう。そんな国に住んでいれば、嫌でも乙女ゲームでの異常性が理解できる。
「……そういえば、この国の貴族って大半がヒューマンじゃないんでしょ? なんか裏付けとかない、ロキ様?」
「……証明になるかどうかは知らんが、メティス様は俺たちのことを人刃として認識している様子だったな」
リガルディア王国は基本的にヒューマンの数が少ない。ヒューマンの中に別の種族が入り込んだのではなく、もともと共存関係にあったヒューマンの数が激減したため、王として立つに至ったのが今の王家の大元――ガントルヴァ帝国時代の皇室の直系である。それくらいの歴史は、ちょっと調べればすぐに出て来る。
「リガルディアなんか特にそうだな。まあ、死徒の血統だってんなら? 問題ありませんよ? セトみたいに爵位をちゃんと継ごうとしないで下々に混じってるのもいるし?」
普段人間と呼ぶとヒューマンの事を指すことが多いのだが、正しくは人型の種族全般を指す言葉となっている。人刃もそうだが、エルフやドワーフなど、ヒューマンが“亜人”と呼ぶ種族や、限りなく魔物寄りの存在とされているゴブリンやオークなど、武器が扱えて言語を扱える者の事を人間と呼ぶのだ。どの種族もリガルディアの王家たる竜からすれば等しくその程度の存在であるし、人刃からしても武器が扱えるか否かが論点になってくるので、リガルディアでの判断基準はそこになっている。
ロキは知り合いの前ならべらべらと喋るタイプである。ソルもヴァルノスもそんなものだと思っていたけれど、話す内容は専ら魔術に関することや魔物、精霊についてが多い。国の歴史とか種族とかそんな話はあまりしたことがなかった。
「まあ、セトはギルドに入り浸り状態らしいしね」
「実力主義的よね」
「そのうち皆そうなるでしょ」
はは、と3人は顔を見合わせて笑った。
ソルとヴァルノスが提案して、夏休みの間も適当にロキが学校へ出てくる日にレイヴンが魔術回路を作り込むために残っている。まあ、彼は平民なので茶会への参加も無く、特に問題もないとのこと。ロキとは精霊の話でかなり盛り上がっているようだ。
夏休みに入るまでロキが魔術の訓練をしないという選択肢はなかった。浮草病が完治したとデスカルから宣言されたのでほっと一息というところだが、ロキにはまだ晶獄病が残っている。魔術を使えるようになって、魔力が必要以上に身体に溜まる状態を解消しなければ、晶獄病の完治には至らない。
それもあいまって、夏休みに入る前から訓練は始まっていたのだが、そのたった数日でロキは皆に追い付いてしまったのである。
アヴリオスの1日が実は24時間ではなく48時間なのではないか?などとくだらないことをロキが考えつくくらいには余裕だったようである。
余談だが、ここで話題となっているセトの血統バルフォットは、代々なぜか1代か2代ずつ飛んで騎士爵を賜ることで上層部には結構有名な人刃血統である。
もともとは成人男性で160センチないくらいの身長であることが多かった血族だ。人間と混じって、随分体格がよくなってもいまだにショートソードを扱う方が上手く、もっと上手いのはナイフ。昔から残っている血統であるため、恐らくは速度重視型の小柄な人刃だったと考えられている。
「あ、そういえば」
「どうした」
「セーリスってかなり古いらしいわね。エングライアの関係だって言ってたじゃない?」
「言ってたな」
「その薬学的な功績でもともと伯爵だったんですって。曾御祖父さんが必死で爵位を上げたがってたって聞いたわ」
ソルも夏休みということで、一度実家に戻ってとんぼ返りしてきた。実家で思い出話として語られたことなのだろう。エングライアの血統だと聞いたことがあるが、エングライアの使徒としての特性は遺伝するものではない。
セーリス家についてもっと調べてみようかな、などとロキが考えたところで、アリアが顔を出す。
「ロキ様、そろそろですよ」
「ああ、知らせてくれてありがとう、アリア」
菫色の髪を揺らし、アリアは姿を消す。
手紙でソルとヴァルノスが一緒にいることは知らせてある。
さあ来い、リーヴァ。
♢
暁と称するにふさわしい朝焼け色の髪の青年が、王都フォンブラウ邸に降り立った。
「いらっしゃい、リーヴァ」
「ふむ。おぬしがこんなに長い間人間の下で働くとは思っておらなんだ」
菫色の髪のメイドが青年を出迎えた。旧知の仲か。
2人はそのままテラスへと向かう。
「先日のあの膨大な魔力の爆発は何だったのだ」
「バルフレト様よ。ロキの魔力回路全部焼きやがった」
「……ロキは無事なのか?」
「それはもう。サッタレッカ様が介入したらしいわ」
2人はそんな言葉を交わしながらテラスへ踏み入れる。
「ロキ様、お客様をお連れしました」
「ああ、ありがとう。ひと段落ついたらアリアも来てね」
「……畏まりました」
リーヴァと視線を交わして彼女は姿を消した。
「初めまして、が正しいな、ロキ」
「回帰の記憶があるんですね、リーヴァ殿」
「うむ。大体の事情は理解していそうだな」
リーヴァは静かに準備されていた席に着く。ロキが手ずから紅茶を淹れ、リーヴァの前に出した。
「紹介はいらないかもしれないけど、俺がロキ・フォンブラウ、こちらの赤毛の令嬢がソル・セーリス、茶髪の令嬢がヴァルノス・カイゼルです」
「ソルとお呼びください」
「ヴァルノスとお呼びください」
「リーヴァ・イェスタ・ガルガーテ。リーヴァと呼べ。この際余のフルネームは気にせずにいてくれると助かる」
リーヴァはそう言って3人を見渡し、ヴァルノスに視線を向けた。
「回帰――ループについてはどこまで?」
「ループしている、としか存じあげておりません」
「ふむ。内容の是非は置いておくとして、そうだな、ヴァルノス嬢、初めましてだ。中身の魂には何度か会っているが」
リーヴァの言葉でヴァルノスは微笑んだ。
「やっぱり私は存在しないんですね」
「……生まれてきたのだから、大事にな」
「ええ、死ぬ気は毛頭ございません。それに、私がいればカイゼルは存続します」
ヴァルノスがゲーム内に存在しないキャラクターであることはデスカルにも肯定されたことだったし、分かっていたつもりだった。
「――」
ロキはヴァルノスを見て目を細めた。
「ロキ、どうしたの?」
「……いや、ヴァルノスはそもそも彼女が初めてなのだから手本も何もいるはずがなかったな、と思って」
「……家背負うのって、結構なプレッシャーだよね」
「それが普通だろ?」
今でもロキの脳裏にはっきりと浮かぶ、悪役令嬢と呼ばれたロキの姿。ロキの前を彼女がずっと走っている。貴族として恥ずかしくないように、そうありたいという強い意志を持った、凛とした女性の背中。いつから彼女のような在り方を自分に望むようになっただろう。
ロキの頭にふと、手が置かれる。リーヴァがロキを撫でていた。
「?」
「……こんなに早く、おぬしの口からそれが聞けるとは思わなんだ」
「――」
何故かはわからないけれど、いや、知っているのだろう。ロキは目を細めて、もっと撫でろと言わんばかりにリーヴァの手にすり寄った。リーヴァはそれに応えるようにロキを撫でる。ループの経験によるところもあるのだろうが、ロキはリーヴァを敵とは見なしていないということなのだろう。
「基本的に竜族は皆記憶を持っている。そうだな、クラッフォンの倅以外は、と言っておこうか」
「……ゲームに関わったイミットは記憶がないってことでいいのかしら」
「否、ドラクルの倅はそれが原因で気が触れた……。一周回って最初と何も変わらんがな」
「……」
ロキが少し顔をしかめた。
「ドラクルの倅って拙くない?」
「拙い。『イミラブ2』と『イミドラ』にまたがるやつだから」
「でも、一周回ってってことは、人間にまったく興味がないだけじゃない?」
ヴァルノスの言葉は冷静だ。ロキは小さく頷いた。
「まあどうあれ、ここに生きていればいいだけだよ」
「……変わらんなあ、ロキは」
「俺だからね」
生きていれば、何とかできる。死んでしまったら、どうにもならない、どうすることも出来なくなってしまうから。
あ――、ソルは思う。
「……そういうことね」
「?」
「何でもないわ」
不思議そうな顔をするロキを横目に、ソルは紅茶を飲む。ロキが焼いたというクッキーをつまみ、リーヴァは口を開いた。
「さて、余の本題の件だが」
「ああ」
「お主らの卒業後の高等部に入れてほしい」
「理由は?」
「主な理由はドラクルの倅の暴走を止めるためだな。クレパラストが潰された以上は余らが動くほかない」
「いいよ」
ロキは笑う。
「そんなにあっさりと通していいの?」
「考えるそぶりもなかったな」
「考えるよりはリーヴァを信じたほうがいいでしょう? なんたって俺は、ドラクルの倅を知らない。知りもしないやつを気に掛けてどうする? 俺の両手は同級生と家族でいっぱいだが?」
ロキは、何をこんな自明のことを、と馬鹿にしたように嗤って見せた。口調が明るいせいで、ギャップがなんとも。
「イミットがなんだ。大公家の倅がどうした。それは俺が気にかけてやる理由にはならないのさ」
「……ああ、そうだな。そうだった。お前はそういう男だったよ。女の姿でもほとんど対応は変わっておらんかった。お前はお前で、何度繰り返そうがそこにお前の記憶はなく、記憶はなくとも経験がものを言い、お前はもっともよかった選択を辿る。お前にとっての最適解をお前はいつだって選んでしまう。だから余も女王も皆が命を賭してまでお前を守らんとするのだ」
リーヴァは苦笑を浮かべた。
ソルは漸く、周りが見ているロキの姿を聞いた気がした。
「死徒に命を掛けさせるとは、相当だね!」
「それだけのものをお前が築き上げてきた。そういう事だろう。お前の選択なら余たちは追従してもきっと後悔などしないよ」
「責任重大だな!」
「死徒の行動に責任など取らなくていい。あるのは生と死のみだ」
ソルとヴァルノスは顔を見合わせて苦笑を浮かべ、ロキに空のティーカップを、リーヴァにはクッキーを押しやる。
「ロキ、おかわり」
「分かったよ」
「リーヴァは考え過ぎですよ。もっと気楽にいきましょう」
「……うむ」
そこへ戻ってきたアリアが追加で冷たいチーズタルトを持ってくる。
「ロキ様、タルト要りますか?」
「ああ、ありがとう」
ところで、とロキはソルに紅茶を淹れながらアリアに問いかけた。
「いつになったらこの認識阻害の魔術を解いてくれるのかな、セトナ・ノクターン」
「――」
ソルとヴァルノスが弾かれたようにロキを見る。ロキは愉快だと言わんばかりに笑っている。アリアが小さく息を吐く。
「ばれないとでも思ったの、セトナ・ノクターン。俺がもう魔術を使えるようになったのは君だって知っているはずだ」
「……いつ、バレたのかしら」
「魔術回路の形成初日。舐めるなよ?」
ロキの口調はそんなものだが、特段アリア――セトナ・ノクターンを責める声音ではなかった。
そりゃそうである。
「……早すぎでしょう……」
「アリア、ロキは元より嘘と騙しを神格の中核とする柱だ。何よりおぬしの神の親だぞ。騙せるわけなかろ」
「ううぅ……これでも自信あったのに」
アリアが指をパチンと鳴らすと、アリアの菫色の髪がなびき、その瞳が赤く煌いた。
「え……セトナってやっぱり……」
「死徒列強第8席『吸血姫』セトナ・ノクターン……」
ソルとヴァルノスはそう呟いて改めてロキを見やった。
「紹介します。アリア、もといセトナ・ノクターン」
ロキは自分の自慢だと言わんばかりの笑顔で言い放った。
「俺の侍女です」
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