2-11
ロキは小さく息を吐いた。
バルフレトの炎に包まれて全身が痛い。
ここは白亜の空間。周りに何もない。影がない。平面世界にでもいる気分だった。バルフレトが起こしている紅蓮の炎と、それに照らされた周辺だけが立体感を持っていて、なんだか視界がバグりそうで気持ちが悪い。
しかもバルフレトは勝手にロキを抱えておいて今は立てとロキに命じて立たせている。正直立っているのがかなり辛い。
「ッ……」
炎が舐めるように全身を這う。とうとうロキは蹲った。苦しい。その呟きを噛み潰した。
「んー。なかなかうまくいかないな?」
バルフレトが呟く。しかも腕を掴まれて引き上げられる。加減を知らない上位竜の握力でロキの腕がミシリと嫌な音を立てた。
「~~ッ!!」
炎が一瞬青く染まった。ロキの身体がびくついた。目尻に涙が浮かんでいる。相当な苦痛となっているのだろうことは想像に難くないが、それが如何程のものかは量ることはできないだろう。
「うーん。火傷、させないようにするの、面倒だな」
「るせーわ太陽婆!」
赤毛の女――デスカルが、姿を現した。横に、鳥籠を伴って。
「……?」
一瞬緩んだ痛みに、ロキはデスカルの声がした方を見る。鳥籠の中身はゼロだった。
この場所には、ゼロは本来入ることができない。
これはデスカルが準備した、下位の世界の者をこの場所に連れてくるための、結界。
そして、生身でここに居られることこそが、ロキが上位世界へ踏み込んでいることの、証。
「ロキ、ちょっと俺の方に耳貸しな」
「……、」
「ここは上位世界、白亜門の間だ。俺たちの出身であるオルガントの周りを囲んでいる世界で、ここにお前が生身で来れることが、お前が上位者に突っ込んでる証だ。バルフレト、ここを選んで座標変えたドルバロムに感謝しとけ」
「はいはい」
白亜門の間、などといわれてもロキにはわからない。けれどいちいち反応を返すだけの余力はないのが一目でわかる。バルフレトに引き上げられている左腕、無防備に晒された魔力回路の中心部分、そこに灯った蒼い炎。おおよそ火傷しているであろうことを思うと、早く実行に移さねばロキが保たないかもしれない。
デスカルが魔力を纏わせた手でロキに触れて呟いた。
「【風鳥結界】」
「【火竜焔】」
デスカルの術に重ねるようにバルフレトが炎の火力を上げる。ちり、と炎がデスカルにも飛んで、デスカルの肌が焼け付いた。
「――――ッ!!」
ロキが声にならない声で泣き叫ぶ。ロキの魔力回路であるらしい細い線が浮き出るが、そこを薄緑の光が絡み合っている部分を重点的に通るように太く走り、薄緑の光の上を紅蓮の炎が駆け上る。焼け落ちる細い線、ロキは必至で目を見開いて、バルフレトが摑んでいないのに動かない身体を必死に捩って苦痛を逃がそうとする。
「ロキ!? ロキ!!」
ゼロが声を上げる。バルフレトはゼロを見やった。
「デスカル、これが柱?」
「ああ」
「わかった」
バルフレトの目が一瞬赤く光る。ゼロの身体が炎に包まれた。焼ける炎ではないと瞬時に判断したゼロは鳥籠の金網を掴んで吠える。
「魔力回路焼くってそんなに苦しいのか!?」
「魔力回路にバルフレトの魔力を逆流させてる状態だ、苦しいに決まってる」
「な――」
「今は黙っとけ」
デスカルから答えが返ってきて、ゼロが一旦口を噤んだ。
しかし耐えるな、とデスカルはロキを見つつ思う。しばらく悶えていたロキが意識を失ったのを確認し、デスカルは手早く魔法陣を刻んでいく。
「それ、は」
「ロキの意識はない方が楽だからな。ゼロ、その炎消すなよ」
「……」
不服ですと顔に書いてある状態でゼロは胸の前で炎を抱えるように手を構えた。ゼロを包んでいた炎は集まってきて、ゼロの手の上に集約される。
バルフレトはロキの魔力回路を自分のマナで埋め尽くすと、パン、と手を合わせた。
じり、とロキの内側を焼き始める。
バルフレトは目を細めた。
「複雑だね」
「ゴーに確認しただけでループ回数100万回は超えてる。その絡まり方、だいぶ簡素な方だぞ」
「100万ってどれくらい?」
「お前とガイトルアサシアの年齢差くらい」
バルフレトはへー、と特に興味もなさそうな返事をして、ロキの魔力回路を焼き払った。ロキの身体が最後にビクン、と撥ねた。
「終わった」
「俺が火傷したわ」
「ごめんて」
「いい。俺が刻んどいたほうに魔力流しただけマシ」
余波はデスカルが負ったらしいことをゼロは悟る。デスカルの肩から先の腕と、膝付近と首元から背中にかけて火傷が浮かんだ。デスカルは小さく息を吐き、2つの石を取り出す。
「バルフレト、これに“浄化の焔”と“再生の焔”を」
「わかった」
取り出された石はガーネットとルビーである。デスカルはそのままロキの傷の修復に取り掛かる。
「ったく、お前が何も介入しないから」
『あーあー、やだやだ、そんな言い方』
ゼロは耳を疑った。
ロキの声が聞こえた気がしたのだ。
『おー、クラッフォンのヤンデレ坊やが来てるなぁ』
「なんだ、お前は一緒じゃなかったのか」
『俺に従者なんていなかったよぅ?』
いいねえ頼れる先をたくさん作れるようになったんだねえ、とその声は言う。デスカルはその声の正体を知っているらしい。
「で、これ以上介入する気はねえのか?」
『本当に必要な時以外はしないよ? ここから先の記憶なんて、もう部外者が見る必要はないだろう?』
「お前、消えるのか」
『そうだな。俺は消えたかったんだよ。もっといい道があるならそっちにぜひとも統合していただきたい』
「てめーの記録だけはキッチリ残してやる」
『え、嫌がらせかいそれ』
「当然」
デスカルはクスリと笑い、そして静かに目を閉じた。
「ちゃんと“白”と“紅”には事情説明しとけよ」
『わかってるよ』
デスカルの魔力が霧散した。
「……」
「はい全部終わり。これでロキの抱えていた身体的な不調はすべて取り除いた。柱の形成も確認した。後はなるようになる。俺たちにあとできるのは中身の転送と戦闘のみだ。ロキをしっかり支えろよ。そうするって覚悟決めたのはお前だからな、ゼロ」
一方的に色々決められて頭に来ない訳ではない。けれど、今は。
ゼロは小さく頷いた。デスカルはパチン、指を弾く。ゼロは意識を手放した。
さあ、もう戻る時間だ。
ロキを抱えたデスカルは鳥籠の中にロキを下ろし、バルフレトからガーネットとルビーを受け取った。
「ドルバロムが説教のために待ってるぞ」
「えー、アイツの話長い」
「闇竜なんだから仕方ない」
デスカルは受け取ったガーネットとルビーを仕舞いこんで、鳥籠を閉める。
「バルフレト、今度から降りるときはコート着ろコラ。魔力量だけで威圧しちまうんだよ、ロキに言われただろ」
「あ、うん、言われた」
「素肌晒して降りて来るな。ただでさえ魔力の塊なんだから」
「つまんないの。熱いとこ多いんだけど」
「そりゃおめーのせいだわ」
ドルバロムがゆらりと姿を現し、デスカルは再び指を鳴らす。鳥籠は白亜門の間から消えた。
♢
「――」
「ロキ」
「……」
ロキは目を開けた。
ああ、なるほど、ソルが自分の顔を覗き込んでいる。
ロキは気が付いたのだ。傍に見える金色も黒も緑も赤も、友人たちの色だと気が付いた。
「――ソル?」
「ええ」
ソルは小さく笑った。
ロキはどうやら、膝枕されているらしい。
身体の節々が痛い。
けれど身体は軽い。
「……俺、は」
「魔力回路は全部焼き払った」
「……」
横にスタンバイしていてくれたらしいデスカルの言葉にロキはふと微笑んだ。
そうか、終わったのか。
よかったよかった。
「それと、もうひとつ」
「……?」
デスカルは少しばかり困ったように言葉を紡ぐ。
「お前の魔力回路のベース、前世の方だったみたいだ」
「……ああ、分かった」
ロキは自分の中にある記憶を手繰ってみて、前世であるはずの高村涼の記憶が少し他人事のように思えることに気が付く。
「……その影響がどう出るかちょっとわからん。想定では特にマイナスはないはずだったんだが、浮草病の発症以外にも噛んでたみたいだ。その辺はサポートするから、遠慮なく言え」
「分かった」
つまりどういう事、とソルが問いかけてきたのでデスカルは答えてやった。
「体調不良の原因だった薬飲むのやめたらちょっと別の症状が出ました的な?」
「事前に分からなかったの??」
「もしかするとバルフレトが余計なところまで焼いたのかもしれないけどな。俺の防御が甘かったとか」
「つまりよくわからないってことね」
「面目ない」
ソルは息を吐いた。やってしまったことは戻らない。デスカルが言う通り、ロキのサポートをやってもらおうじゃないか。
「ロキは今後加護に振り回されることが増えて来ると思うけど、無理に逆らおうとするな。魔力の伸びが減るしロキのステータスというかスペックの利点が潰れるから」
「……分かった、と言いたいところだけれど、プルトス兄上みたいになるってことでいいのかな?」
「人を弄り倒したくなるだけだ、ちょっと友達減るだけで済むだろ」
デスカルの言葉が容赦ない。ロキはからからと笑った。
「ま、これからはやりたいことをやりたいようにやればいい。ああそれと、精霊が見えないってあれだが」
「ん」
「今回ので精霊の干渉を受けやすくなってる。その内精霊たちを見ることもできるようになるだろう。それでも。ゴー……シドとの契約はしてやってくれ。どっちのためにもな」
「……いずれな」
ロキは小さく頷いて、身体を起こした。
視線を上げると、レイヴンをはじめとして、他のクラスメイト達も廊下でロキが起きるのを待っていたらしい。
「もう安定した。浮草病の完治をここに宣言してやろう」
「マジか」
「ロキの魔力回路を形成するのはこれからだ。今日授業ができなかったのはロキを責めないでやってほしい」
「ええ、分かっています」
レイヴンは苦笑を浮かべ、デスカルは礼をすると、傍に座っていたシドと倒れたままのゼロを伴って黒いドアを形成する。
「デスカル」
「なんだい」
「俺が帰るまでにゼロを叩き起こしておいてくれ」
「あんまり乱暴はしてやるなよ。お前夜の方も主側だろ」
「ザ・俺」
「その立ち方止めなさい」
ジョ〇ョ立ちを披露したロキに回復早々お前楽しい奴だな、とデスカルは笑った。
「ちなみにゼロはものすっごい甘党だぞ?」
「スイーツ店ならリサーチ済みだ」
従者に労力を掛けることを厭わない主人様だねえ、とデスカルは言って、ドアを開けて姿を消した。シドは振り返り、綺麗に一礼してドアを閉めたのだった。
「ロキ君、回復してよかったよ!」
「レイヴン先生……」
レイヴンはロキの頭をそっと撫でて、さ、帰りの会をしようか、と笑った。
「明日からロキ君も一緒に魔術の訓練を始めよう。魔力回路を形成するところからだからね。そうだ、皆で教えてあげるのもいいと思うよ」
「周りへ頼ることを覚えさせろって言われましてよ。皆さん、明日からちょっとの間だけ皆でロキの先生やりましょう!」
「「「はーい」」」
ロキは教室に入ってきた皆に、礼をする。
「皆、明日からよろしく!」
「なんかロキ君明るくなった?」
「そう言ってもらえると嬉しいよ!」
「違和感ががが」
ソルの言葉にロキはニッと笑った。ソルは悪戯っぽいロキのその表情に、今までロキに掛かっていたロキ神の加護が全く持って本気を出していなかったことを悟るのだった。
♢
帰り道、ロキはスイーツ店に寄った。
馬車での送り迎えだが、魔術が使えるようになったら転移でもゲートでも使ってやろうと心に決めているロキである。
ロキだって甘いものは割と好きだ。甘すぎると駄目なだけで。あと、カロリーの高いものを食べていると魔力の生産量が馬鹿みたいに上がるので自制していただけだ。
「ロキ様」
「ちょっと待って」
アンドルフが今日はついてきた。ロキは笑ってアンドルフをとどめる。
「ゼロは食う量が多いからね。ああ、このベリータルトとチーズケーキ1ホールずつ」
「畏まりました」
氷が必要です、と小さく店員が呟くと、ロキは笑む。
「普通の氷なら出せるから」
「えっ」
「ありがとうございます!」
店主が困惑した表情を浮かべたが、ロキは屈託のない笑みを浮かべて見せた。
「家族への感謝の気持ちを表したいんだ。一学生の行動だと思って、ね?」
「しかし……」
「ほら父さん、せっかくなんだからいいじゃん。お客様、ここから何分くらいかかりますか?」
「30分ほどです」
「ならこれくらいで」
ロキに普通の客に対するのと同じような対応を始めたスイーツ店の娘に、ロキは満足そうに笑い、注文に応えて氷を出し始めた。
「包装はこれでいいですか?」
「その青金のリボンがいいな。母上が好きそうだから!」
「はい」
「それと、ああそうだ、こっちのモンブラン追加で、黒金のリボンを」
「はい、畏まりました!」
少女は笑っててきぱきとケーキを包み、ロキに渡す。
「小金貨5枚になります」
「……高いなぁ。やっぱり小麦の問題かな?」
「え、あ、はい」
独り言を呟いたつもりだったのかはたとロキが顔を上げる。口に出ていたことを今のでロキは完全に理解しただろう。誤魔化すようにロキは笑って、小金貨6枚を少女に渡した。
「え、6枚ですか」
「1枚はチップだと思って。君は俺の望む対応をしてくれたから!」
ロキはアンドルフに向き直る。
「行こうアンドルフ」
「はい」
見送りのために少女は外に出て、去っていく馬車の紋章を見て、絶句した。
「と、父さん……」
「どうした、マール」
「今の人……」
「フォンブラウ公爵家の人だった……!」
翌日、この店にはフォンブラウ公爵夫人がおいしかったとつづった手紙が届いたとか。それからこの店は王都でも有名な店になっていくのだが、それはまた別の話。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




