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「とりあえず、ロキ、ベリアルに頼るのは一旦やめて。せめて肩代わりできる贄にしてよ!」
「そうだぞ。お前の、貞操など、替えが効かんではないか!」
プラムとアテナは口々にロキに詰め寄った。おぉん、となんだか情けない声を上げてロキはちょっと引いている。
「そもそも、感情精霊にしては代償が大きいな?」
「まあ、特殊な感情精霊だと思ってもらえれば」
ロキはそう曖昧に答えただけだった。そもそも感情精霊にも大物とそうでないものの大別ぐらいはある。無論ではあるが、よく名の知られた感情精霊はそれだけ大物扱いになっている。ゴエティア学派の感情精霊研究はそれなりに感情精霊たちの地位を確固たるものとしていた。
ゴエティア学派の影響がなくとも知れられているのが、ルキフェル、アモン、アザゼル、ベリアル、ベルフェゴール、ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルあたりだろうか。ゴエティア学派が有名にした感情精霊はまさしくゴエティアの魔神たちである。
「うーん、まあ、俺も確かに、最後の手段にしたいんだよね」
「ああ、そうだな。其れと、私たちの持っている情報だけでは君の思考に追いつくのが難しいようだ。先ほどのように、私たちにも思考を開示してもらえるとありがたい」
「あー、うん、わかったよ」
ロキは思考に飛躍があるようで、実はちゃんと間が詰まっているようだとアテナは先ほどのやり取りで理解できた。ましてロキがアテナの知らない情報まで持っている可能性が高い今の状況で、アテナがロキの言う事に逆らうのは得策ではないようにも思える。特に、正直あまり時間的に余裕があるわけでもない。
「とりあえず、ロキ、ハルファスとマルファスについての資料を探すとして、資料がなかった場合は?」
「その時は、別の案で行く予定だよ」
「べ、別の案があるのか……」
「マルファスを呼んでハルファスが来なければいいだけだもの。ハルファスを確実に呼べる人がいるから、その人に協力を要請するよ」
「そ、そんな人がいるんだ……」
ロキの言葉にアテナもプラムも驚いた。この手のことは行き当たりばったりになりがちだが、一応2つ手段をロキは用意していたことになる。
「その相手に協力を要請するとして、タイムリミットは?」
「この人を使うなら、別にタイムリミットはないかな。ちょっと長く探し物できるよ」
「ふむ、それなら今はとりあえず資料を探すか」
「そうね」
ロキとアテナが再び資料探しに戻る。所用で出かけていたゼロが戻ってきて、ロキの資料探しを手伝い始め、資料を探す速度は上がった。プラムはアテナとロキが持ってきた資料から転生者が書き残したような痕跡や悪魔や天使、ディアボロなんかのキーワードで流し読みをする。引っかかったらその付近を眺めるのだ。
図書館の一部のスペースは図書が避けてあり、水分補給のためのスペースとして利用されている。ゼロがいい加減水分補給をしろ、とロキ、プラム、アテナを休憩スペースに連れて行ったのは、もう日が傾いてきた頃だった。
「ロキ、そろそろ連絡した方がいい」
「あーくそ、マルファスとハルファスが同一の感情精霊かもしれないっていう記述すらない。完全に別扱いか」
「それが分かっただけいいだろう」
「よし、調べものはここまでにしよう」
この時代の図書館というのは、ほとんど資料整理がされていない。五十音順に並んでいる図書館とか、いかに整理されていたかがわかるというものだ。しかしセネルティエ王国には転生者であるプラムがいた。プラムは図書館の資料を、文学と研究書に分け、文学の方は文字ごとに整理。研究書は何についての研究か、その中でまた文字ごとに整理するよう言いつけ、参考資料を司書以外でもある程度探せるように模様替えを行ったのである。これを模様替えと言って良いかは謎ではあるが。
結局ロキとアテナとゼロで図書館にあった感情精霊に関する資料の半分以上を読んでしまっている。プラムが見た資料もそこまで重要度の高いものはあまりなかったし、外部の協力者への連絡を取るならこの時間が最後だろう。
ロキは調べものを中断し、ゼロとともに先にその協力者への連絡を取りに向かう。プラムとアテナは片付けをそこそこに残りを司書に任せ、ロキの後を追った。
♢
ゼロが出ていた所用というのはそもそも、この外部協力者への報酬の手配だったそうである。アテナはロキに問いかけた。
「件の協力者とは?」
「リガルディア王立学園、今は高等部にいる人だよ」
連絡を取る、とは言うがどうやらリンクストーンを使うつもりであるらしい。談話室は人が多くなる時間なので、こっそりと人気のない空き教室へとロキはやってきた。
「とはいえ、その人に直通ではないから、仲介がいるけれどね」
「仲介がいるのか……」
「こればっかりは仕方がないよ」
夕刻、斜陽の光で教室が朱く焼ける。教室には、プラム、アテナ、ロキ、ゼロの4人だけだ。
ロキは一旦椅子に座って、ゼロに頼んだ手配の確認を行なった。
「――と、よし、頼んだ分は完璧だな」
「……よかった」
「ま、最低限ウェンティの下にくっついてる先輩たちは覚えとけっつったしな。ちゃんと覚えてるようで何よりだったぜ」
ゼロは無事ロキの思い描いた通りの動きをしたらしい。プラムはウェンティ、と名前を聞いて、ファルツォーネ侯爵家の次男坊だ、と記憶を辿った。留学生にこそなっていないが、リガルディア王国のみならず、貴族としてやっていくにはあまりにも自由な性格の者が多い風属性の家にあって、自由の風よりも大風の如き威風を備えた当主が率いる家、ファルツォーネ侯爵家。リガルディア王国に限って言うのなら、今はゴルフェイン公爵家よりも力がある家ではなかろうか。
「リンゴ、気に入ってくれるといいなぁ」
「酒も送ったがよかったんだよな?」
「ああ、てかストライク先輩とアンディ先輩が絶対飲むから必須だわな」
「フックスクロウ先輩もな」
「あー、そっか、お酒好きだったね、ナイヤ先輩」
こうしてプラムが知らない名前が出てくると、ああ、ちゃんとロキは外国から来た人なんだよなと改めて実感するのである。
いや、ちょっと待て。侯爵家と一緒に侯爵家がいるのはどうなんだ。
「バランス……」
「そんなものは猫の餌にでもしとけばいいのさ。じゃ、連絡するよ」
ロキがリンクストーンを起動する。ロキの耳につけていた小さなピアスが光り、青緑に染まる。赤や暗めの黄色など様々に色を変えながら、リンクストーンは明滅した。
「聞こえるかい、ウェンティ」
ロキが声を掛けると、明るいトーンで声が返ってくる。
『あ、やっほーロキ君、そろそろ連絡来る頃だと思ってたよ! まずはお疲れさま、留学楽しい?』
「ああ、楽しいよ、知識の取り込みも十分だし、ガラスが見ていて楽しい」
『そっか! いいねえ、今度思い出をたっくさん聞かせておくれよ!』
「ああ、帰ったら嫌でも付き合ってもらうさ」
『あっはは! 楽しみだね~!』
ロキとぽんぽんと会話をしていく少年、ウェンティ。フルネームを、ウェンティ・ファルツォーネ。風の神々の加護持ちである。
ゼロがロキに小さく何か耳打ちし、ロキは少し驚いた顔をした。そしてそのままウェンティに言う。
「ねえウェンティ、もしかしてトレイス先輩たちとスタンバってくれてたりする?」
『あはは! そうだよ? 僕すごいでしょ?』
「ああ、ほんとに、すごいよ、ウェンティは」
リンクストーンの向こうで人の気配がする。ウェンティ以外にも人がいる証拠だ。ピアスなのでロキからは見えないが、周りに人がいるとその魔力を感知して振り分けられた色を発するのである。ウェンティの青緑以外に見える赤や黄色をプラムはちらと見やった。
どの色が誰を現すのかは身内だけで分かっていればいい情報だ。ロキはウェンティと気安く喋っている。アテナとプラムは顔を見合わせた。
「ウェンティ、お礼は今度届けさせるよ。それで、本題なんだが」
『うん、おっけー。トレイスは起こしたよ!』
『最初から起きてましたー!』
抗議に割り込む男子の声はちょっとばかり高い。ロキとウェンティは笑っていた。
「トレイス先輩、もしかしたらもう分かってるかもしれないですけど、ハルファスをそっちで召喚してください。色々と、自分の中でも情報が錯綜してるっつーか」
『おー、ロキ君の方から頼ってくれるのは嬉しいな。ハルファスをこっちで召喚すればいいのね、わかった』
「よろしくお願いします」
ロキから頼られたこと自体が嬉しいらしいトレイスと呼ばれた男子は、因みに、と続けた。
『一応理由聞いてもいいかな』
「あー。まあ、存在しないものの証明は難しい、ってやつですかね」
『ん? ハルファスってなんか面倒なことあったっけ?』
「いえ、どこかで見た記述、程度の知識なものですから、対策すべきなのか、対策したとしてちゃんとできるのか、まあわからないことだらけなんです」
『あちゃー。で、とりあえず問題点だけ明確にして解決策が俺だったと』
「はい、そういうことです」
おーけーおーけー理解理解、と割と軽いノリで返してきたトレイスに、プラムははっきりと悟った。その言い回しをするのは転生者だと。トレイスという男子生徒は転生者であるらしい。
『ま、そんならロキ君の軍師としての頭の中でもハルファスに聞いてみますかね』
「あっはっは、俺は軍師は向いてませんよ。ただ、それをするならスカジ姉上を頼るとよいでしょう」
『あーそっか、軍神の下に来るのか。いいこと聞いたわ、サンキューな』
「こちらこそ、ご協力ありがとうございます」
ロキとトレイスの会話が終わったところで、再びウェンティが口を開く。
『ねえロキ君、よかったら僕のお願い聞いてもらえないかなぁ?』
「内容によるかな。どんな?」
『ユーゴがガラスボウルが欲しいって。耐熱』
「あー……時間かかるけど大丈夫?」
『大丈夫だよ! ごめんね、よろしくね!』
「あいよ」
リンクストーンの向こうでよっしゃ、と別の男子の声がする。リンクストーンはちょっと暗い赤に光った。
「じゃあ、また」
『うん、まったねー!』
『またなー』『身体に気をつけろよー』『ん』『元気でねー!』『無理しなさんな』『留学終わったら、セネルティエで見た料理教えてほしいっス』
「はい、是非」
別れの挨拶がごちゃっとなるのは致し方ない。リンクストーンの光が消える。ロキがプラムとアテナに視線を戻したので、プラムは口を開いた。
「リガルディアって思ったより転生者がいるんですね?」
「そうだね。まあ、あの人たちは今は大丈夫だと思うよ」
転生者という存在について、今は語る時ではない。それが分かっているから、ロキはあまり詳しく言及される前に話題を変えた。
「さ、これでマルファスを確実に呼べる状態になったと思うから、俺はアレスのところに行くよ」
「あ、ちょっ」
プラムは慌ててロキを追う。恐らく、ロキも“おーけー”なんてこちらでは使わないことが頭から抜けていたのだろう。だから、彼らに特に注意もしなかった。言及されて気付くのは、それが日常的なものになっていて気付かないからだ。
いずれ聞こう、と思いながら、プラムはアテナを伴って、意外と歩くのが早いロキとそのすぐ後ろをついていくゼロを追いかけた。




