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シェネスティ公爵家には、軍神の加護持ちの子供が2人居た。名を、アレスとアテナ。2人は男女の双子で、兄であるアレスは武神アレスの加護を存分に受けた、こと戦闘において天賦の才を持つ少年だった。武神アレスの加護は、子供の性格に影響を与えないことで知られる。アレス神は、子供が好きなのだと、伝わっていた。
アテナ女神の加護は、理知的なものを好み、子供との相性はそこまでよくない。その代わり、知恵者や、理性的な者を好み、大人や大人びた考え方をする子供を好む傾向にある。戦略を考えることについては右に出る者はおらず、武神アレスとはあまり仲がよくないとされていた。
アテナ女神の加護とアレス神の加護を持つ双子が確認されたのは初めての事ではあるが、加護持ちの選定基準を知っていれば何らおかしいことはない。とはいえ、アレスとアテナの親であるシェネスティ公爵夫妻はその基準を知っているわけではなかったが。
セネルティエ王国は、地球で言うところのギリシャ神話の影響が色濃い国家である。吸血鬼とドライアドの混血王家なんて実情があるが、ギリシャ神話に限って最も近い表現を充てるとするなら実際のところは、エンプーサとドライアドが正確なところだろう。
今の王族はドライアド色が強めなので、現王妃の実家であるカヴフラム公爵家がドライアド色が強かったのかもしれない。
ロキはそんなことを考えながらアレスの瞳を取り戻す儀式の準備を手伝っていた。
本当はロキよりフレイヤに術者になってほしいくらいのものだったが、フレイヤとアレスは友人ではないし、何よりフレイヤは今年で19歳になる。術者の条件から外れていたので、ロキがやるしかない。
さて、アレスが考えている儀式の手順は以下のとおりである。
まず、アレスから瞳を奪った感情精霊を呼び出す。
次に、マルファスとの交渉でアレスの軍神の眼を取り戻す。
そして、アレスが背負っている加護の負荷をアテナに戻す。
最後に、マルファスにしっかり帰ってもらう。
これがすべてである。概要しか伝わってこない。具体的な作戦が立てられないのはおそらくアレスの加護の所為だ。武力で解決、一に筋肉二に筋肉、三四がなくて五に筋肉、となっていないだけマシだが。
アテナはある程度アレスが筋道を立てて解決に向けた小目標を段階で示したことに驚いていたので、普段のアレスはいろんな意味で脳筋であろうことが伺える。とはいえ、海神の加護持ちがおらず、軍神の加護持ちがセーラー服を着てセネルティエ王国の海軍に顔を出していることを考えると、海軍は不遇かつアレスが軍隊ということでひとまとめに管轄下においている可能性があった。武神アレスは本来陸上での雑兵戦に長けている。アテナか抱えられる負荷がかなり小さいのに、負荷以上の権能を揮っている可能性も視野に入れておく必要があった。
アテナも軍神の眼は持っているが、そこまで精度は高くない。アレスは軍神の眼を以て、アテナに起きた不調を見抜き、負荷を肩代わりしたという経緯があっての現在なのだ。そこは幼少期のアレスとアテナの問題であって、ロキたち外国人が口を出すべき部分ではない。
♢
「……しかし、マルファスを呼ぶだけなのに随分とあれこれ準備がいるんだね?」
プラムの尤もな疑問。ロキはプラムとアテナと一緒に図書館で資料を探していた。プラムは、というよりそもそも転生者でも余程そちらの知識を欲していない限り持ちえない知識を、こちらの資料にあたって調べたいというロキたっての要請でこんなことになっているのだが。
「まあ、マルファスって言われてぱっとソロモン72柱の魔神が出てくる時点で相当な中二病の患者というべきだろうからね」
「つまりロキの中の人、中二病説」
「右目が疼けばいいのかな? それとも左腕に何か封印してる方がいい?」
ジェスチャーを交えるロキにプラムが笑ったのは致し方ないだろう。アテナはロキがそんなことを言い出すとは思わず、絶句していたのはここだけの話である。因みに勿論のことだが、ロキの右目は疼かないし、左腕にも何も封印されていない。
「つーか魔眼が疼くなら俺は両目疼かなきゃダメなんだけどね」
「え、ロキって両目魔眼なの?」
「そうだよ。つっても、挑発系だけど」
「魔術師に一番要らん魔眼じゃないか……いや、人刃族は魔眼持ちが多いんだったか」
「うん」
割と図鑑にも載っている知られた特徴だったらしく、ロキはあっさり開示したしアテナも知っていた。プラムは知らなかった。いや、プラムがやっていたゲームにはそんなこと一言も出てこないので前世の知識をあたっても出てこないのは当然ではある。
「しかし、今はその、ロキの前世の知識の補強が必要なんだろう? 一応どういう知識なのか聞いてもいいかな?」
アテナはあまり中二病の話にはついてこれないらしい。当然だとは思う。アテナ女神はそもそも理性的なので、中二病を患うことが恥であると思ってしまっているタイプだ。ロキは手に取った本をぱらぱらと捲り、これには載ってなさそうだと独り言ちながら本を戻した。
「んー。そもそも、ソロモン王が従えた72柱の魔神、って言われてる魔神が72体以上いるんだけれども」
「72じゃないのか」
「いろんな人がそれについての本を書いちゃったから増えたり減ったりするのさ」
「なるほど」
本の伝わり方や写本のでき方自体は地球とアヴリオスで大差ないと考えられるので、アテナがなるほど、となったのも当然だろう。
「まあ、アヴリオスでは、学問扱いみたいだね。この感情精霊たち」
「あ、この書籍は……!」
ロキは次に手に取った本をぱらと捲り、アタリだったことを示すように、プラムが座っているテーブルに置いた。アテナはロキが取ってきた本に見覚えがあったらしい。
「この本知ってるの?」
「はい、なかなか感情精霊に対し挑発的な内容だったのを覚えています。割と古くからある学派ではありますが、感情精霊、特に黒の感情精霊の扱いが悪いのであまり人気はありませんね」
「へー」
プラムはロキが置いてくれた本を手に取る。本自体はハードカバーのしっかりした革での装丁がなされたものだ。金属製の飾りと小さな宝石までついているほど豪華な装丁でびっくりした。
「……”ゴエティア学派”?」
「うん。まんまだね」
「へー」
ぺらぺらと頁を捲っていく。どうやらそれこそ挿絵付きで72柱の紹介がしてある図鑑のようなものらしい。その中からマルファスの項を探した。
「小型の烏の姿をした黒の感情精霊。魔法で砦を築くことができる。捧げものを喜んで受け取るが、かえって不誠実になる。……これだけ?」
プラムは書いてあることをとりあえずざっくりと情報だけ取り出す。ロキとアテナを見上げると、アテナはそんなものか、と呟き、ロキは天を仰いでいた。
「ロキ?」
「……ん」
ロキがプラムの視線に気付き、プラムの方を見る。
「ロキが欲しかった情報、あった?」
「うん、あった。あったから手を打たないといけない」
「そうなのか?」
「うん」
アテナも特に引っかからなかったようだが、ロキは何を考えているのか。プラムは改めて本に視線を落とす。まあ、マルファスが悪魔だと考えたとき、ちょっと珍しいというか、面倒な性質を持っているようなことは理解できた。
「……もしかして、この捧げものを喜んで受け取るが、ってやつ?」
「うん」
ロキは他の資料をあたり始めた。今度は何を探しているのだろうか。
「今度はどんな資料が必要なの?」
「本当は印章か御守が欲しい。でも、たぶん無い。こっちで悪魔の印章を見たことがないから。だから、ハルファスとマルファスがお互いを装って出てくるって資料が欲しい」
「そんなことありうるのか?」
「マルファスが贄をもらってハルファスですって名乗ったってこっちにはわからないさ。全身黒いゴイサギとカラスの見分け方があるなら是非ご教授願いたいね」
プラムはマルファスの前の頁に書いてあるハルファスの挿絵を見る。見比べる。
「……アテナ、これ見分けつく?」
「ええ、つきますよ」
「……私わかんない」
鳥って案外、同じに見えるものらしい。プラムはロキが言ったとおり、自分の目の前に黒い鳥が現れたらとりあえずカラスだと思うだろうなと思った。ゴイサギとか言われてもわからない。まして、こちらの世界には所謂魔力を持たぬただの鳥類が存在しない。ゴイサギってなんだ。こんな小さい鳥なら精霊に違いない、なんかそんな感じで精霊として祭り上げられたような気がしなくもない。因みにプラムは挿絵をよく見て頭の長い羽根らしきものに気が付いたので、やっと見分けがつくようになった。ロキ曰く、本来のゴイサギは白と暗めの青の鮮やかな鳥だという。
「……ロキ、その、ハルファスがマルファスを、マルファスがハルファスを名乗って現れる可能性って、そんなに高いものなの?」
「いや、正直わからない。そんなことはないかもしれない。けど、その可能性があるなら潰しておくべきだね」
「そこまでする必要があるのか?」
ロキの言葉にプラムとアテナが問う。
「……ハルファスは、普通に贄が要る。マルファスは、贄をやっちゃいけない。マルファスがハルファスを騙って現れた場合、こちらはハルファスをいう名乗りを信じるしかない。悪魔の力を抑える銀の指輪なんて無いし、どの魔方陣に閉じ込めたら言う事を聞くのかとかも書いてない。ウヴァルやフルフルとは違う」
「……その2体は確か、割と扱いやすい感情精霊でしたね」
「彼らは嘘を吐くのがわかってるから、抑える方法もわかってる。信じるなら、だけど。ハルファスとマルファスは、贄の有無で願いが叶うかどうかに直結してしまう。もししくじったら、アレスの瞳は戻ってこない。軍事関係だから軍神の加護持ちの眼なんざ最上級のお宝だろうし、鳥系だから強欲の要素も持ってると思う。強欲の悪魔は自分の宝物を手放さない。宝物と交換になるとしたら? 交換は贄を捧げることになりはしないか? マルファスが相手だったらその時点で詰む可能性がある。マルファスに贄をやってはいけない」
ロキの言葉から彼の思考が垣間見える。プラムとアテナに足りなかったのは、ハルファスとマルファスの立ち位置についての知識であろう。
「待て、ロキ。その分類はどこから?」
「傲慢所属のベリアルから。だから俺の他にもこんな分類について聞いてる人がいて、本に残っている可能性に賭けてる。無かったら、俺はちょっと生贄を用意する必要があるから、調査そのものはそんなに時間かけられないんだよね」
「え、生贄? 人を使うわけではあるまいな?」
「わからない。ベリアルは俺と契約してるわけじゃないから、正規の手順を踏んで生贄を捧げないとベリアルは俺の願いを叶えてはくれない」
プラムは思った。
ロキは、誠実すぎる。
たぶんベリアルは多少ズルをしても目を瞑ってくれる気がする。なんとなく、勘だが。偶にロキの傍に姿を見せるベリアルは、ちょっとばかり胡散臭い黒い翼の天使といったいでたちだ。何なら今この時でもロキにもっと楽な方への誘導を口にしている可能性すらある。プラムの知識にある悪魔とはそういうものだ。
「……ベリアルが要求する可能性があるものとは?」
一応考慮しておきたいのであろうアテナの問いに、ロキは一瞬言い淀んでから、
「人間の生贄か、贄の程度で情報を出し渋るか……俺の貞操」
「……何故最後のを追加した?」
「ベリアルはさっきは傲慢所属だといったけれど、色欲にも片足突っ込んでるんだ」
正直、この傲慢だの色欲だのという分類は転移者か転生者でなければ理解できないだろう。だが、それよりもいろんな意味で淑女に聞かせるべきではない言葉があった。
「わ……私に、何故、聞かせた!?」
「いや、処女女神の加護持ちに言う事じゃないとは思ったけれど、俺が自己保身に走ってることは一応伝えといたほうがいいかなって」
アテナとは、処女女神である。ヘファイストスから逃げ回った神話が割と有名だ。処女以外の女性を受け入れられない、というとアテナの器が小さく聞こえるので、守護範囲が違う、という言い方をする。既婚者、妻、などの立場を守るオリンポスの神はヘラだ。
アテナは貞操、と抽象的な言われ方をしたので何とか受け止められたようだったが、今度は冷静になってくるとロキの言い回しが気になってくる。
「……ロキ、貴方のそれ、絶対自己保身じゃないから安心して頂戴」
プラムは、とりあえずそれだけ言う事が出来たのだった。




