12-32
「ロキ君、紅茶どうですか」
「いただこうか」
合宿の終了から1週間。合宿そのものはひとまず終了したが、留学生が大事に巻き込まれたということで採点どころの話ではなくなってしまった。カミーリャはあの時怪我をしたロキの世話を焼き続けている。
ロキはカミーリャの淹れた紅茶を飲んでいる。申し訳なさそうなカミーリャを見ていると、こんなつもりじゃなかったんだけどなという後悔がロキの中に降り積もった。帰ると言い出さなかっただけまし、とタウアには言われたし、何なら胸倉をものすごい勢いで掴まれて顔を思い切り殴られたけれども、やっちまったもんはしょうがないというのがロキの感想である。
カミーリャが使用人紛いの事をするのは、ロキに迷惑をかけたと思っているからだろう。ロキは、せっかく友達になれたと思ったのにな、とは、言わなかった。多分余計にカミーリャに辛い思いをさせるだけだ。
【ターンアンデッド】は本来ロキにはダメージは特にないのだが、ヘル女神の権能の行使権を持っている今のロキには引っかかる状態だったようだ。引っかかってしまったらあとは光属性の魔術として受け取るしかない。結果、先の大火傷に繋がるのだが、カミーリャの場合はカミーリャ自身にダメージが無かったことも気負う原因になっているように感じる。
カミーリャはあの後父親宛に手紙を書いて、こちらの状況をある程度知らせたようだ。プラムもその分帝国との小競り合いの原因をリガルディア王国に教えてくれた。
♢
「水源……ですか」
「ええ。アルティが居たあの辺りに水源があるの。結構大きめのがね」
プラムの言葉でアルティの討伐された理由が見えてくる。口上はゾンビの活動を収めるためにアルティを討伐すると言っていた隊長殿であったが、帝国の本音としては水源確保のために邪魔なアンデッドモンスターを討伐しただけだろう。わざわざ魔術師の格好をした神官を連れて来るとは、随分と狙った犯行だとプラムは呻いた。
【ターンアンデッド】を発動させることができるのは基本的に神官だけだ。それもかなり高位の神官でなければならない。魔力も祈りの強さも必要なのだから当然の事だろう。ましてリッチであったアルティを還すなら複数人必要だったはずで、不法入国とかいろいろと言いたいことが沢山ある、とプラムは零した。
「だいたい、ロキもロキですよ! アルティが還されるとは思わなかったにしても、せめて、何かしてくださっても良くないですか!? アルティが居なくなったらどうなるか、一番貴方がよくわかってるはずでしょ!?」
「あー、まぁなぁ」
プラムの怒りの矛先がロキに向く理由が分からないカミーリャはその場で首を傾げているだけだったが、それを見たカルが口を開く。
「アルティは今までアンデッドモンスターが地上に出て来るのを防いでくれていたのだ。今後ゾンビ騒動で騒がしくなるぞ」
「えっ!?」
「アンデッドが邪魔だからと言って頭を潰したのは早計だったということだ。帝国はこの程度の事さえもう忘れてしまったのか……」
カルの目に落胆の色が見える。カミーリャはますます意気消沈してしまった。ロキが脚を組み直す。
「まあ、アルティを狩ったところで何も変わらんし、寧ろ状況が悪くなるのは認めるがよ、上位者である彼をいつまで人間の事情で縛り付けておくつもりだい? 解放されてよかったじゃないか」
「そう考えられるのは多分ロキだけですよ」
「はは、俺は人間好きじゃないから?」
ロキは薄く笑みを浮かべてみせた。ニッと笑うこともあれば、ここまで酷薄に笑みを浮かべることも出来るのだから、本当に役者のような男だとカミーリャは思う。
ネメシスがブチ切れてロキとカミーリャを叱り飛ばし、2人は1週間の謹慎を言い渡された。謹慎と言いつつもその実はロキの火傷の治療だったり、リガルディア側とのごたごたを収めたり、帝国と有利な条件で会談を進めるための準備のための大掛かりな仕掛けの始動期間だったりしたようだが、ロキとカミーリャは気まずくならずに済んだ。ロキがうだうだとネメシスへの愚痴を零していたからである。カミーリャは相槌こそ打たなかったが、ロキが独り言を言っているのでないことは分かっていた。ならば当然会話になるわけで、カミーリャがなかなか切り出せなかった謝罪にだけ一切触れず、ロキは日常会話を続けてくれた。
本来ロキが色々と愚痴を言う男でないのは何となくわかっている。つまり愚痴が爆発したというよりカミーリャとの会話の為だったはずだ。今問えばはぐらかしてくるかもしれないけれども。
「……アルティが、そんな役目を持っていたのだとしたら、どうして帝国には伝わっていないんですか……?」
弱気になりつつあるカミーリャの問いに、ソルが答える。
「人間と魔物の世代が全く同じなわけないじゃありませんか。帝国が人間の支配体制になって既に1000年以上が経過してます。2000年以上前から存在していただけの、襲ってこないリッチの話なんて、忘れていくに決まってますよ」
「物語としてすら伝わらないなんて、そんなことがあるのですか……!? 列強の事を列強なんて呼び始めたのは帝国なのに……?」
カミーリャの言葉に、カルとプラムが顔を顰めた。びくりとカミーリャが肩を震わせるが、ロキが口を開く。
「カミーリャ。俺たちリガルディアも、プラムたちセネルティエも、魔物の国と言って差障りないくらいには血が魔物に寄っている。帝国が帝国なりに俺たちを受け入れようとした結果なのかもしれないよ」
「え……?」
「魔物の国で人間が支配下に置かれていたら、戦争を仕掛けてでも人間を解放するのが筋だと、人間は考えるのさ。あくまでも、表向きは」
裏側に領土問題とか労働力の問題とかが絡んでくるのは致し方ない、強者が弱者を支配するのが世の常なのは事実で、魔物の血が濃い国家は特に実力主義の風潮が強いのである。人間ならばこう考えるだろう、というロキの主張は、あながち間違いではないとカミーリャは思った。
「待って、まさか建国時の伝承も残ってないなんてことある?」
プラムの言葉にカミーリャは首を傾げる。
「帝国の建国の伝説ですか?」
「竜帝の愛し子の話。周辺国にも伝わってる話だけど、御存知?」
「竜帝の愛し子が関わっているのは聞いたことがありますが、知らない人が大半だと思います。俺も父の行商について行ったときに知りました」
プラムは天を仰いだ。カミーリャの父親が巨人族と交流を持っていたことは先のベヘモス戦で知れている。カミーリャはまだ見識が広い方だろうとも見当がついた。
「リガルディアどうにかしてくださいこれ」
「俺たちに何と言おうと無駄だ。そも、人間は忘れていく生き物ではないか。俺にどうこうできるものではないわ」
カルがばっさり切り捨てる。冷めてきた紅茶をタウアが淹れ直した。カミーリャがロキの世話を許されたのは寮室の中のみで、校内では基本的に帝国の立場を守るためにカミーリャは堂々としていなければならない。
「カミーリャ、アンタが不安に思う事なんてないぞ。そもそも帝国の人間が竜を追い落としたの自体が1000年以上前の話だ。アンタが悪いわけじゃない」
セトの言葉にカミーリャは小さく「はい」と頷いた。プラムは資料を作成し終わったらしく、ひとまずこれを見て、と紙の束をテーブルに放り投げると、一番近くに居たカミーリャがそれを手に取って読み始める。
「……アルティが消えたことにより考えられる影響とその解決方法、ですか」
「とはいっても、解決なんてできないようなものだけれど。リガルディアにお金が流れるぅ」
「傭兵業に貴族が参加してるからな、リガルディアは」
「いろいろとリガルディアの体制おかしいと思います!」
プラムとカルが戦う事の話をしている理由は、資料をある程度読めば理解できた。
そもアルティは、リッチという、アンデッドモンスターとしては最上級の種族に分類されている。その上に居るのはノーライフキングとかオーバーロードとか呼ばれる存在で、これらが存在しないこの大陸において、間違いなく最強のアンデッドだったアルティが、アンデッドモンスターたちに対して命令権ないし統制権を持つのは当然だったと言える。
「アンデッドモンスターって命令権とか行使できるんですね」
「アンデッドモンスターの大半は命令を受けて動くからね。あ、生まれ持って屍のやつらもいるから、そこは全く別物だと思っておいて」
「あ、そうなんですか」
アルティはアンデッドモンスターに対し基本的に墓ないし存在地点からの大規模な移動を禁じそこにアンデッドたちを縛り付けていた。この中にはドラゴンゾンビもおり、何体もドラゴンゾンビを抑えていたのはアルティである。神格の影響で軛を解かれるものも存在するが、そうでない限りアルティの命令にのみゾンビたちは従っている。
命令権を持っていたアルティが消滅したことによって、これら全ての軛が解かれ、今後旧戦場を多く抱える帝国や周辺国はゾンビ騒動が多発する可能性が高い。ゾンビたちを完全に討伐するには神官の力が必要で、教会の神官たちが休息を取らねばならない状況に陥っている現状、教会からのまとまった支援は一切見込めない。
資料を読めば読むほどカミーリャは蒼褪めていく。帝国は色々と取り返しのつかないことをしてしまったのではないか、と思い始めたようで、微かに手が震えていた。
「ロキ、お前とヘルでどれだけ還せる?」
「戦場にいるやつは無理だ。病気とか処刑とかで死んだ奴らならどうにかしてやる」
「いつごろまでの死体が起き上がってくるかによりますよねそれ」
「セト、オシリス殿でどれだけ還せると思う?」
「兄貴はあくまでも自分が審判を下した判定になってる人だけかもって。多分兄貴がいた地域の人に限定されるんじゃねえかな」
「ないよりはましだな」
冥界の長たちの加護を持つ加護持ちがこれだけいるという事なのだろう。プラムはふと、アレスとアテナを見た。戦場、戦場とこれだけ言っているのだ。軍神の加護持ちたちに視線が向かない訳も無く。
「申し訳ございません殿下、私には無理です」
「アテナはそういう権能は持ってないんだっけ?」
「はい。私でどうこうできるのはあくまでも生者のみです」
プラムがアレスを見る。アレスは顔を背けた。
「アレス!」
「無理なの分かってるだろ! 今の俺じゃ何も出来ねえ!」
「なら軍神の眼を取り戻せばいいだろう!」
「それができるならとっくにやってるっ!!」
突然目の前で勃発した兄妹喧嘩にプラムが目を白黒させる。ロキとセトがそれをじっと眺めていた。カミーリャがロキに小声で問う。
「ロキ君、軍神の眼とは何ですか?」
「そのままの意味だ。軍神の加護を受けた眼球の事で、戦況や大局、相手の弱点なんかが分かる。特にアレス神は武神だから、相対している個人の弱点を見るのが得意な加護だ」
「へえ」
カミーリャはロキの説明で理解したのか、今度は少し考え込んだ。
結局、アルティの代理になるような強力な力を持った者が現状おらず、今のままではゾンビ騒動待ったなしの状況なのである。正直、これで一番困るのは帝国のはずなのだが、いまいちカミーリャでさえも置かれた状況の悪さを理解できていない気がするのは間違いではないだろう。
「ゾンビって、厳密には属性みたいなものなんだよ。ドラゴンだってゾンビになるし、植物だってゾンビプラントといって、タチの悪い寄生植物になる。人刃ってゾンビ化するの?」
「人刃はゾンビ化はしないな」
「いや、今の世代ならあり得るよ。俺やセトはならなくても、トールとか、スカジ姉上ならあり得る」
「うわ最悪」
「絶対相手したくない」
カミーリャは目を見開いた。プラムも流石に吸血鬼の一族として知るべき情報くらいは持っていたようだ。
「ともかく、リガルディアは土地の清浄化ができる人があまりいないから、土地を穢されるのを防ぎたいのよね? 教会はだめ?」
「貴族子弟を神子であるからという理由で取り上げてきた教会なら数年前にフォンブラウ公爵が貴族街への立ち入りを完全に禁じたが?」
「嘘でしょリガルディアが予想以上に人間嫌いになってってるヤバい」
プラムの方は何か現状を理解したようで頭を抱えた。人刃はそもそもゾンビ化を恐れる必要が無いのだろう。だからこそこんなにゆったりと構えている。ドラゴンだって、死んで耐魔力が無くなった後でなければゾンビ化はしない。リガルディアが人間が邪魔、という考え方に変わりつつあることを悟ったプラムは慌てているのだ。
「リガルディアは、人間のことはもう考える気はないのか?」
「ロキに色目を使うような奴らが束ねている神官どもを信じよと? うちの神官はドルイドで十分だが?」
「ああそうだったケルトと北欧メインだった……!」
「ロキ、お前あれはどうだったんだよ。あの枢機卿」
「やめろ思い出させるな。俺は崇拝されるのが大嫌いなんだよ」
ロキがその整った顔に嫌悪を滲ませた。プラムとしても、ロキに対する教会関係者の異常なまでの崇拝というか狂信というか、それはおかしいと分かっているので、リガルディアがこれ以上人間側に傾くことはないと理解する。説得しても無駄だろう――子供が性暴力に巻き込まれそうになったのに、その犯人と同じ目の人間を自分たちの庭にあの公爵が入れるはずがない。
「――とりあえず、それぞれの国家がゾンビ騒動を収めるために動いていくことだけは分かりましたね」
ナタリアがあっさりとまとめる。そうだ、最終的にはそこしか今のところ確定した事実は存在しない。
「質問なんですが、この、ゾンビというのは、生きた人間がなるようなものではないんですよね?」
「そうよ。生きたままゾンビ化した奴はまた別の種族で、『屍族』ね。基本的には軍神の壁の向こうが生息域の、めちゃくちゃ強力な魔物よ。ゾンビってのは、死体が魔力だまりになっちゃって動き始めたアンデッドモンスター。近くに術者がいる場合は要注意」
「……分かりました」
今後ゾンビの討伐依頼も増えて来るだろう。セネルティエの国庫の事を考えるとあまり公共事業にしたくないのだが、そこはもう仕方がない。
プラムは小さく息を吐いて、カミーリャはほんの少し、ロキに近寄った。タウアはそんな主を見て瞑目した。
これにて第12章は終了です。次は新登場人物をまとめ次第投稿します。




