12-27
合宿のための準備を終えて、班員の申請を行うにあたって、ロキはカルと共に、班員に選びたい者たちへ一気に誘いをかけた。アキレス、サンダーソニアの2人に対して、カルとロキの2人で頭を下げたらしい。
カミーリャは特に動いていないが、タウアが別に動いていることから、班を分かれたのだろうと周りは噂していた。
「……むむむ」
暗い縹色に白いメッシュの入ったおさげ。印象的な赤色の瞳。
ナージャ・アストレイは、誰の班に入れてもらうかをものすごく悩んでいた。
能力でのバランスを見て皆自分たちの班員を決めようとするのは当然のことながら、家同士の繋がりをぶち切る勢いで班を組んでいる者が多いのは、政治的な対立をなるべく学校内に持ち込まないことを念頭に置いているセネルティエ王国の貴族院が頑張っているからであろう。
平民であるアストレイ家のナージャは、特にどうしろという指示を家族から受けたこともなければ、特段誰かと仲が良かったわけでもない。強いて言うのであれば、ほんの少し、この国の貴族よりも列強との繋がりが近いくらいだろうか。
タウアに言われた、組みたい人と組めばいい、というのは、なかなか彼女にとっては酷な話だった。彼女の一族の話を聞けば、大半の人間は逃げるのだから。戦闘時班員の動きを阻害しては、余計な減点も食らってしまうだろう。合宿の時は気を付けなければならない。
「とはいってもなあ……」
ナージャ・アストレイ。名の通り、能力的には真っ当なものではない。
自分の特性を考えた時組みたい人物と、自分が組みたい人物とが同じ人物なので、その人に声をかけることは確定しているのだが、何せ相手が上流貴族なものだから、気後れしているのである。
ええいままよ、とナージャが無事に立ち上がったのが班員の完全確定まで残り1日という段階だった。
「失礼します!」
「ゲッ」
モードレッドの呻き声。自分の教室ではないので声をかけてから教室に入る。行くべき所は呻き声をあげたモードレッドの横の席。銀糸の髪を適当にバンダナで結っただけの少年は、ナージャにとっては夢のような存在だった。
「う、嘘だろ、こっち来る」
「モードレッド、いくら何でもレディに失礼だろ」
「お前はこいつのやばさを知らねえからそんなことが言えるんだよ!」
モードレッドは悲鳴に近い声を上げたが、ロキは小さく笑う。ロキとて彼女の噂を知らないはずはない。つまり、分かった上でこんなにも落ち着いているということなのだ。ナージャはごくりと唾を飲み込んだ。
「ロキ・フォンブラウ様、お願いがございます」
「はい、なんでしょう?」
にこやかな笑みを浮かべたロキの前に立ってナージャは息を吸い込む。モードレッドはひえ、とガウェインの方へ逃げた。失礼な奴だとは思わない。そもそもそういう反応のほうが当然だからだ。
「私を、貴方の班に入れていただきたいのです」
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「私が、貴方とお話ししたいからでございます!」
ナージャの発言にクラス中が凍り付いた。プラムとアレス、アテナの3人でさえ、驚いた表情を見せる。ロキは小首を傾げて、口を開く。
「俺には貴女と話す理由がございません。あと、俺は貴女様の名前を存じ上げないのですが」
「チャンスをいただきたいです! あと、ナージャ・アストレイと申します!」
「別に俺にメリットがないです。別に名前を教えてくれとは申しておりません」
「くっ、流石悪役令嬢! ガードが堅い!」
撃沈したナージャが塩をかけた青菜のようになると、流石にカミーリャが手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます、カミーリャ様……大丈夫です」
ナージャはひとまずカミーリャの手を取って立ち上がる。カミーリャはハンカチーフを取り出すと、ナージャが地面に突いてしまった膝をそっと拭って砂埃を落とす。
「ロキ君、あんまりいじめてはいけないでしょう」
「いやあ、こちらとしては貴方とカルの安全のためにも、いろいろと考えているんですよ?」
「ふふ、ありがとう、ロキ君」
「そこで礼を言うのは無しでしょう」
ロキが席を立つと、そっとカミーリャが離れる。失礼、と小さくナージャに告げると、ロキが指を軽く振って、ナージャは水の魔力に包まれた。
綺麗にされたことに気が付いたナージャは、慌てて礼を言う。
「ありがとうございます」
「レディに少々意地悪しすぎてしまったようです。少し話をしましょうか」
「!」
ナージャは目を見開いた。ロキがちらと視線をナージャに寄越して、教室を出ていく。慌てて追いかけると、周りの生徒たちが心配そうにロキを視線で追っているのが見えた。
♢
「ここでいいでしょう」
「ありがとうございます」
使われていない開け放たれた教室に入り込んで、ロキがナージャに向き直った。彼が気にした言葉がどれかはわからないが、ナージャにとっては、ロキと話せる状況になったことを喜ぶべきだろう。
「直球にお聞きします。貴女は転生者ですか、それともヒロインですか?」
ロキが目を細めて問いかけてきた。ナージャはしまった、と思った。反応した言葉が”悪役令嬢”であったことに気が付いたからだ。男である彼に悪役令嬢と言うということは、自分がゲームのプレイヤーでしたと主張しているようなものだろう。
「てっ、転生者です! ただのオタクです! ヒロインではないはずです!」
要らん情報を言った気がする。ナージャは顔が赤くなるのを感じながら縮こまった。机に軽く腰を預けているロキの姿をとりあえず目に焼き付けたい衝動に駆られている。
両手で顔を覆いつつ視線を上げたら見えたりしないだろうか。
「……」
少し視線を上げると、ロキは窓の外を見やっている。ナージャが夢にまで見た、”最推し”がそこに、居た。開け放たれた窓から吹き込む風が彼の銀糸の髪を梳いていく。
上位精霊と契約した証の大粒の宝石を耳飾りとして身に着けているロキは、白い色を最大限生かした容姿をしているのだ。
ロキがふっと視線をナージャに投げた。目が合う。柔らかく細められた眼にドキリとする。
「……」
はぁ、と息を吐き出すと、少し落ち着く。すっ、と小さく息を吸って、ナージャはしっかりと顔を上げた。
「私は、転生者です。前世の名前は、永田蘭です。転生前は、30代のOLでした」
「そうですか。どうしてそれを俺に言うんです?」
「えっと……」
自分が思っている状況とあまりにも似ているから、と呟くように言うと、ロキが少し呆れたように肩をすくめた。
「それで違ったらどうするつもりですか。おっちょこちょいなレディですね」
「だってロキ様、私の最推しそのまんまなんですよう!」
”悪役令嬢”に反応してここに自分を呼び出しているということは、間違いなく彼も転生者だ。彼の話は少し漏れ聞こえてくる程度の情報しか持っていないけれども、ゲームに出てきたキャラクターがそのままの姿で、解釈違いを起こさずにそこにいてくれるというのは、なかなか良い経験である。
「……貴女の最推しが俺と同じなら、もっとお喋りができそうですね」
「ロキ様です! 悪役令嬢ルートも、攻略対象ルートも、両方好きです!」
「……そうですか」
何か拙いことを言っただろうか、と少し逡巡する。
「……一つお聞きします」
「はい!」
「確かに悪役令嬢ロキには、好感度メーターが存在しています。そのことを指しているんですか、それとも、自分が知らないだけで、別にゲームが存在するんですか?」
おっと、これは驚いた――ナージャは、アプリゲームの話をしたつもりだったのだが、彼はもしかすると前世ではプレイしていなかったのかもしれない。
「はい、えっと、もしかすると、御存知ないゲームかもしれないです。アプリゲームなんですけれど」
「何年リリースですか」
「えっと――」
リリース年代を答えると、ロキが苦笑を零した。
「すみません、俺の前世はそのゲームのリリース当時は既に死亡しています」
「えっ」
ナージャはおろおろし始める。ロキは紙を出して何か書き始めた。よく見る羽ペンではなく、羽ペンに見せかけた万年筆であることに気付いて、ナージャは目を見開く。
「俺が確認しているだけでも、死亡したタイミングと転生のタイミングに法則性は基本ありません。俺よりも数年後に死亡した方が同い年に生まれていたり、数千年前に生まれていたりしていますので」
あくまでもロキにとっては情報が提供されたにすぎないのだろう。そんなクールな対応も良い。目の前に推しがいるだけでテンションは上がり、その言葉を自分に向けてくれていると思うと有頂天になりかける。これは良くない、ナージャの最推しはそういう周りの人間の心の機微を正確に読み取ってくるのだ、引かれたくない。
「えっと、ロキ様。貴方も、転生者ですよね?」
「ええ、そうですよ。死亡当時は高校を卒業したばかりの18歳元男子高校生でした。この身体に恥じぬ行動を心掛けているところですが、皆さんからはどう見えているのやら? 興味は正直ありますね」
「現実に推しがいるって、正直全く違和感なかったです。というより、ロキ様転生者説考察班が出してましたよ」
ロキの動きが止まった。
「……その考察班というか、そいつ名前カタカナでリョーとかいうやつじゃなかったですか?」
「よく御存知ですね! あ、もしかして仲が悪かったり……!?」
「いえ……ソレ、前世の俺です」
ロキは観念したように少し肩を落として、静かに机に深く腰掛ける。
「え、本人?」
「そうだよなぁ……転生者っぽい素振りあったよな、令嬢……」
「えっ、でも、まだ更新あってましたよ!?」
「ホラーかな?」
「えっ」
「えっ」
暫くロキとナージャは互いの顔を見つめあっていた。
漸く動き出したとき、2人はどちらともなく教室を出て、食堂へと向かう。飲み物を買って、テーブルに着いて、落ち着いてから、改めて口を開いた。
「この世界の回帰――ループについてのことをお話しします。その方が破綻がないとかいう鬼畜仕様になってます。フ〇ム脳が必須アイテムですこれ」
「仮定と状況証拠から結論を出したらそうなるんですねわかります。上級騎士なのでお任せください」
「よろしくお願いします」
どうやらナージャはロキからある程度の信用を勝ち得たようである。
「ああそうだ。貴女を班員として加えるのは、俺の一存ではないので、皆の了承を得てからになりますが、よろしいですか?」
「はい! 御一考くださるだけでも十分です!」
ナージャはご満悦だった。だって目の前に推しがいる。転生者であるにもかかわらず、急激に態度が変わったりすることもなく、そこに居る。推しと喋れている。もう死んでも大丈夫な気がしてきた。
「ロキ様、生まれてきてくださってありがとうございます」
何気なく零れたナージャの言葉に、ロキが目を見開く。ナージャはロキが何も言わなくなったのでロキの方を見た。
ロキは、先ほどまでの苦笑はどこへやら、きゅっと引き結んだ口元に笑みを浮かべていた。
「……悪くないですね」
様々なものをすっ飛ばして告げられた言葉に、それが良い方向に受け取っていいものであることを感じ取ったナージャは、無垢な少女の表情で笑った。




