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2021/09/26 大幅に改稿しました。
2023/03/01 誤字修正しました。
久方ぶりの帰宅の理由が妹の死だなんて、アーノルドはなんて哀れな男だろうか。それは、アーノルドの子供たちにも同じことが言える。
他領地を継いだためにそちらの領地の方でいろいろとやることがあるということで、早々に帰ってしまった弟一家は一旦置いておいて、アーノルドは義弟一家と共に実家で過ごす機会を得た。妻を亡くした義弟よりも、母親を亡くした甥の方が落ち着いているのを見て、アーノルドは甥をロキに任せた。理由は、勘だ。
「アーノルド、ちょっと休みなさいな」
「母上」
アーノルドが領地に戻ってきて早々執務室に籠ったのを心配して、アーノルドの母――ロキたちから見ると祖母に当たる――エメラルディアが声を掛けてくる。真紅の髪にエメラルドの瞳の、気が強そうな美女だ。
「しなきゃいけないことが多いのはわかるけど、子供たちとも遊んであげなさいな」
「終わり次第そうするつもりです」
「おまえは要領が良いから大丈夫だとは思うけれど、心配だわ」
エメラルディアは小さく息を吐いた。彼女の長男は真面目で融通が利き辛いので、子供のことは気にかけておいてやらなければ。少なくともエメラルディアの眼には、アーノルドとロキの相性は悪いものとして映っていた。衝突するという意味ではなく、ロキの体調悪化という形で現れるであろう相性の悪さだ。言葉を交わさなかったが故のすれ違いのような、憐れまれるべき避けられたはずの不孝の類だ。
「……私たちが嘘や改竄に弱いからといって、お前が全部やってしまう必要はないわ。言ってくれればこなせるのだから。アンネローゼのことは……私たちでやってもいいかしら」
「……母上、無茶はなさらないでください。子を喪った竜の嘆きは深いと聞きます」
「……ええ、ありがとう」
気丈な人間の多いフォンブラウ家に嫁いできた元王女は、娘を喪った。彼女には息子が2人と娘が1人いた、本来ならこの程度で死ぬような子ではなかったけれど。
竜は子に恵まれ辛い。エメラルディアが3人も子を授かれたのは、夫が相性の良い種族だったからにすぎなかった。そんな竜種は、漸く生まれた子を喪えば、気が狂わんばかりに暴れまわり、嘆き悲しむ。エメラルディアが悲しくないわけがないから、アーノルドは頑張っている。
「……もう少ししたら私も向かいます。先に子供たちと遊んでやってください」
「……分かったわ。10分以内においでなさいな」
「10分は流石に無理です」
早めにねとアーノルドに言い残して、エメラルディアは執務室を出る。少しだけ気持ちが軽くなったのは、娘にいつか会えることが分かっているからだろうか。エメラルディアは軽い足取りで子供たちがいる談話室へ向かった。
♢
フォンブラウ領は、公爵領の中でも屈指の巨大さを誇るが、同時に魔物の強さも国内最強クラスにして、死徒列強の拠点の数も最も多いなど、領民まで丸っと脳筋に染まる領地でもある。
領地は広いのに街の広がる範囲は非常に狭く、個々が城壁に守られている。
イミットの勢力範囲と重なっているためにこうなっているのだが、それこそドラゴンがしょっちゅう街の上空を通るような場所だ。
ロキの知る限り、かつてはもっと王都から離れたところにフォンブラウ邸城下町があったらしいのだが、今は森に覆われている。森には魔物が多く棲む。人間の相手は死徒だけではない。
かつて一時期愚王と罵られた王がいたのだが、その代の宰相がフォンブラウの力を削ごうとして領地の入れ替えを行った。結果、森に棲む魔物たちの襲撃を受け、それに慣れていなかった入れ替わった領主はものの数か月で邸宅、その城下町周辺を放棄して王都へ逃げ帰った。
それ以来、フォンブラウが入れ替えられたことはない。
それくらい、この土地の魔物は強力なのである。
領地で発生する魔物は、その土地に集まりやすいマナで属性が変わる。フォンブラウは火山や温泉があることから火のマナが集まりやすい土地柄であるため、火属性耐性の高い魔物や燃焼に強い植物などが多く分布している。
ロキは本を読みながら、フレイやスカジが祖父テウタテスの腕にぶら下がっているのを見ていた。ケイリュスオルカも一緒に遊んでいる。アンネローゼが亡くなったので、遊びに来れるのは今回が最後になるだろうという事だった。
現在談話室にアーノルドとエメラルディアを抜いて全員が揃っている状態だ。ロキから見て曾祖父であるアーサー・フォンブラウ、曾祖母フィニア・フォンブラウ、祖父テウタテス・フォンブラウがここにいる。あとはスクルド、メティス、クレパラスト元侯爵、他は子供である。
フォンブラウの当主は基本赤毛かオレンジの髪らしく、アーサーは真紅の髪と快晴の空色の瞳、フィニアは赤い髪にルビーの瞳、テウタテスはオレンジの髪に血のような赤い瞳を持つ。エメラルディアは赤毛でエメラルドグリーンの瞳を持っているので、アーノルドはフォンブラウ家の形質を色濃く受け継いだという事だろう。
アーサーはロキの目を見咎め、美しいと称賛しながらも憐れんだ。フィニアは憐れみこそしないが、瞳をよく見て、その価値を知った方が良いとロキに告げてきた。初対面のような気がしていたロキだが、スクルドによると何度かロキが寝ている間に顔を見に来ていたことがあったのだという。休暇で来てはいるが、どうやら勉強せねばならないようだとロキは思った。
その時、エメラルディアが談話室にやってきた。
「皆! おばあちゃまよ!」
元気なばあちゃんだなと思いながら視線を上げると、娘を亡くしてすぐとは思われない程度には回復したエメラルディアが子供たちの世話をテウタテスの代わりにやるといってぶら下がっている子供たちに腕を見せていた。ぶら下げたいらしい。見せられた腕にぶら下がりに行ったのはトールで、スカジもエメラルディアの腕に移っていく。
プルトスは流石に大人しくソファに沈んでいるが、同じ13歳のフレイがテウタテスの腕にぶら下がっているのでもっと年上に思えてくる。ロキは読んでいた本を閉じて、横に座っているスクルドを見上げた。
「母上、俺の眼っておかしいのですか?」
「あら、誰かに言われたの?」
「アンリエッタ先生にも何か言われましたし、曾御爺様と曾御婆様もよく知る必要があると仰いましたが、何も教えては下さいませんでしたね」
スクルドはロキの眼を覗き込んで言葉を返す。ロキが答えると、スクルドは少し考え込んでから口を開いた。
「ロキちゃんの眼は宝石眼といって、人刃の眼でも特に珍しいものなの。もうフォンブラウ家にしか出ないと言われているわね」
「俺はその宝石眼なんですね」
「そうよ。誰か、鏡を持ってきて頂戴」
スクルドが声を掛けると、メイドが手鏡を持ってきた。ロキは鏡で自分の目を覗き込む。そこにはカットされた宝石の反射のような虹彩の少年がいる。色だけじゃなかったんだと内心震えながらロキは自分の目に青い干渉色が入っていることに気付いた。
「母上、目に干渉色が入っているんですが、これも宝石眼の特徴ですか?」
「干渉色は、特殊個体にのみ現れる特徴よ。ロキちゃんは特殊個体なの」
「自分が元をただせば魔物だって分かっていても図鑑に載ってるような表現で言われるのは不思議な感覚ですね……」
ロキは改めて瞳を覗き込む。スクルドの眼と見比べて、自分の目が派手だと感じる。多分年々もっと干渉色がはっきり見えてくると思うとスクルドに言われ、今よりますます派手になると言われた気がした。
「……属性てんこ盛り過ぎないですか?」
「そうねえ、神子で、宝石眼で、特殊個体で、全属性ね」
「そこに転生者で公爵令息とか何の拷問ですか?」
狙われる要素の塊であることに気が付いたロキはソファに完全に沈み込んだ。プルトスがそっとロキの頭を撫でると、ロキはそんなプルトスに擦り寄る。随分と仲良くなったものである。
先にお茶を始めておきましょうかとフィニアが言ったので、談話室にフレーバーティーとチーズケーキが運ばれてくる。
「まだアーノルド来てないから、スクルドさんに聞こうかしら?」
「いえ、フィニア御婆様、今回のお茶の支度はロキちゃんがやったんですよ」
「あら、そうなの?」
ロキが姿勢を正す。今回の帰省に合わせて、ロキはフォンブラウ家の産業の発展に寄与出来ないかとあれこれやっていた。フレーバーティーもそうだが、チャノキを見つけられたことで、魔物の被害によって食料品の自給ができないフォンブラウ領が珍しく安定的に生産できるものが見つかったのだ。領地内をぐるぐる巡っているイミットの商隊に目を付けて、街道の整備を行うことで、領都の商業の発展に巻き込んで領地各地の税収を上げられないかというロキの提案を、アーノルドが上手く形にした。
ロキがストレートティーばかりで飽きたという個人的な悩みからスタートしていたのだが、シドがやってきた事によってフレーバーティー、ブレンドティーの概念を共有できる状況にあったため、ロキ自身使用人の真似事をするのが楽しかったこともあって、茶の淹れ方からブレンドティーの作り方、フレーバーティーの作り方をシドに教わる傍ら企画書を書いた。
今日のフレーバーティーはレモンティーで、チーズケーキはベイクドチーズケーキである。氷室の概念はあれど冷凍庫や冷蔵庫はなく、作るところから始めなければならないということで、先にチーズケーキのレシピを完成させて持ってきたのである。このチーズケーキを焼いたのはシドだと思われる。
「改めまして、ロキです。父上、母上、上位者の方々、ほか協力者の方々のお気遣いにより無事精神と肉体の認識を合わせられましたことをここに報告します。また、今日のためにお茶と菓子を準備いたしましたので、ご賞味くださいませ」
ロキはソファを降り、皆の視界に入る位置に移動して、ちょっと芝居がかった動作で礼をする。綺麗な動作だな、とテウタテスが言えば、顔を上げたロキが嬉しそうに笑った。
アリアとゼロの手伝いを受けつつシドがセッティングを終えて、子供たちもそれぞれ椅子に座ると、まずはアーサーがケーキを口に運んだ。
「……美味いな」
「お口に合ってよかったです」
続いてフィニア、テウタテス、エメラルディアもケーキを口に運ぶ。エメラルディアの眼が輝いた。
「美味しい!」
「エメラルディアお婆様にそう言っていただけると、レシピを作った甲斐がありました」
「まあ、ロキがレシピを作ったの? 凄いわ!」
ロキがちょっと照れくさそうに口元を手で隠す。お店が出せるんじゃないの、とエメラルディアが本気で言い出した辺りでアーノルドが談話室に顔を出した。
「何事ですか」
「アーノルド、やっと来たのね! ロキが作ったレシピのケーキがとっても美味しかったから、お店出そうって話をしてたところよ」
「ちょ、商いを舐めないでください」
「絶対売れるわよー」
食べた方が早いとアーノルドの前にチーズケーキが置かれ、アーノルドがチーズケーキを食べ始める。特に表情も変わらないところがアーノルドらしいところ。ロキはこのレシピをアーノルドには伝えておらず、もちろんシドも、ついでに試作のために厨房を貸してくれた王都フォンブラウ邸の料理人たちもアーノルドにこのレシピは伏せていた。チーズケーキを食べ終わったアーノルドはロキの方を向く。
「店はやれんが、商品としてなら一考の余地あり、だな」
「父上まで……」
ロキは少し疲れたのか、ソファに座っていた。大事になっちまったぜと既に諦め気味である。喜んでほしくて作ったものが商品価値を付けられれば、混乱するのも無理はないかもしれない。純粋に売り物になると誉め言葉なのだが、ロキにとっては前世にあったものをこちらの人の口に合う様にカスタマイズしただけの印象が強いのだ。
シドをちらと見やると、シドはロキに苦笑を返してきた。まあ、お店に置いてもらうのは悪くないかもしれない、とロキが思ったところで、アーノルドが菓子類の店を持っている趣旨の発言をしたことに気が付いた。
「……父上、お店持ってるんですか?」
「……商会だ。食品部門を飲食店とカフェに分けている」
「カフェってお持ち帰りはしてますか」
「店に入るのではなく購入を、という事か?」
「はい」
「いや……」
ロキが姿勢を正し、シドが紙を、ロキは鉛筆を取り出してローテーブルの上で書き物を始める。売れるというなら売れる仕組みを作ってやろうじゃないかと企画を練り始めただけだが、こんなロキの様子を見て、この子貴族より商人が向いてると皆が思ったのは仕方がないかもしれない。
「スクルド、ロキって本当にすごいわね」
「ありがとう存じます、お義母様。ロキちゃんはとってもすごいんです。加護に負けずに皆と仲良くしてくれて」
「まあ、プルトスも大変だと思うのだけれど?」
「今は仲良くしてくれているんですよ。ね、メティス」
「ええ、一時はどうなることかと思ったけれど、学園に入る前に何とかなってよかったですわ」
エメラルディアとスクルド、メティスが子供たちを誉め始め、プルトスがいたたまれなくなってロキの企画書もどきを覗き込んであーだこーだと言い始める。よくわかっていないトールはコレーとあやとりをやっていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。