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2025/05/16 編集しました。
「お願いします」
アルは目の前で自分に礼をしている少女に小さく頷いて、もう大丈夫だよ、と声をかけた。先ほどから最高司令官となった老齢の騎士・アグラヴェインと話をしていたのだが、外は思った以上に状況が切羽詰まっていたらしい。
ブレスの構えをとっていたはずのべへモスが今は咆哮しており、空気が震えている。遠くに見えるワイバーンはゼロだろう。アダマンタイトがある壁の位置は大体印がつけられているのでわかりやすくなっているが、ロキが何かしたからべへモスが暴れているのだろうということはなんとなくわかる。
「アテナ嬢、ロキ君はいったい何をしたのかな?」
「べへモスの口に氷を生成したようです。ブレスは不発とまではいきませんでしたが、こちらには飛んできませんでした」
「……思った以上に発動が早かったのかもしれないね」
基本ブレスも魔法の一種である以上は、一定の発動までのタイムラグはあるはずなのだが、それが思ったよりも早かったのだろう。ロキは咄嗟にべへモスの口を塞ぐ決断をした。
「……と考えると、ドレインの効果は更に薄くなるかもしれないね。とにかくまずは足止めだ。鉄機兵隊はどうしてる?」
「アイゼンリッターによる包囲網はもう少しで完成します」
予想以上に近付いてきてしまった、とアテナが付け加えれば、押し返せばいいんだね、とアルは言い、ふわりと浮かび上がる。近くを通ったヴェンとドゥーがアルを支えるために近寄ってきた。アルとヴェン、ドゥーが魔力を集め始める。虹色に輝く幕が立ち上がり始めた。
『包囲完了しました!』
『膜が立ち上がっている! これが封印石の効果か?』
『ベヘモス、進行停止しました!』
ロキがリンクストーンをいくつか作成して、ポイントになるであろう人物――プラム、アテナ、アレス、セネガル、カミーリャ、タウアに渡していたため、連絡がかなり取りやすくなっており、しかも改良されていつの間にかすべて小さなピアスサイズにまでなっていた(カミーリャとタウアにだけはイヤーフックの形で渡されていた)。技術を秘密裏にオートがリークしていたようで、プレッシェによってアイゼンリッターの搭乗者たちにも配備されたのだ。
「ロキ、そっちはどうなっている?」
『すまん、少し多めに魔力を使った』
アレスとロキの会話が聞こえる。ロキは魔力が多い分体力がそれについて行かないという魔術師タイプの典型例なのだが、進化個体であるが故に無理やり身体をついて行かせているような状態だ。アレスも薄々それに気付いている。
「水、掛けるよ」
『うん!』
『手伝うわ、ぼうや』
アルは静かに目を閉じる。両脇を支えてくれる2柱の精霊が、アルの水のマナを支えるように周辺に闇と風のマナを溢れさせた。闇のマナの中に、アルが放出したマナを取り込んで水のマナを生成していく。
『どーう?』
「うん、ありがとう」
『パパもきっとらくになーる!』
ドゥーが笑い、アルも笑みを浮かべる。ロキは水を生成できない。だが、あって困ることは無かろう。アルはカルたちの友人であるヴァルノスを信じることにした。アルにロキの作戦にはきっと必要だと言っていくようにと言ってきたのはヴァルノス・カイゼルだった。
動けなくなってしまったらしいベヘモスがその場で足踏みをする。それだけで大地が揺れ、兵士たちは立っているのもやっとの状態のようで、アルたちの足元では一部の壁が崩れたのか、兵士たちが騒いでいるのが聞こえた。
もともと国境警備ぐらいにしか配属されていない上に、リガルディアとの国境で問題などほとんどないのだ、兵士の練度はそこまで高くも無いし、急遽配属された騎士たちも、こんな大きなものと戦う機会なんてほとんどない。大きくても5メートルがいいところだ。リガルディアで見られる10メートルを超える魔物なんてそれだけで災害級に指定される。
リガルディアの者たちならばベヘモスをどれくらいのものとしてみるんだと問われ、カルは静かに答えていた。
「きっと、公爵級だな」
公爵級。いうなればアーノルドが軍勢を率いて出撃せねばならないレベルのものをいう。公爵が1人で、それ以下の、騎士、男爵、子爵、伯爵、侯爵全員を率いることで互角となる、とされる階級を、リガルディア王国では、公爵級と呼ぶ。
「……俺、何のために来たんだろう?」
「ロキから指示は受けていないのか?」
「受けてない。何発撃てるかは確認されたけどね」
レオンはカルと共に城壁で待機している。ワイヤーを使用する彼はナタリアと同じく近接戦闘ではあまり効果が見込めない。アルの魔力が広がり、魔法陣が現れ、ベヘモスの体全体を押し返すように、足元と頭、正面の甲羅部分に重点的に、4本太い水が撃ち出された。
2人が暫く話していると、2人の横に立っていたオデュッセウスが背負っていた大弓を構えた。立てかけられた投擲槍を見れば、いつの間にか矢のように羽が付いている。ロキが生やしたのだろうことは想像に難くない。1本だけ投擲槍の形のままなのが気になった。
『いきます!』
投擲槍を矢のように番え、ギリギリとオデュッセウスの剛腕で恐らくミスリルであろう大弓を引き絞る。びゅん、と風を切る音がし、およそ50キロメートルほど離れた位置にいるはずのベヘモスに真っ直ぐに向かっていく。が、ベヘモスが下を向いた。瞳が閉じられ、橙色の光に頭部が包まれる。
1本目の槍が砕け散った。
「――な」
『次、構えろ、カミーリャ』
『わかっています』
ベヘモスの周りに薄っすらと紫色の帳が下りる。大ぶりな動作で首を振るったベヘモスは、まだ四肢が動かないことを確認するように身じろぎした後、再び首をもたげた。
『レオン、撃て!』
「俺かっ!」
レオンが手をピストルの形にしてベヘモスの口を狙う。大きく開かれた口に、マナが集まっていくのが見える。
「我は光の竜の眷属なり。導き照らす光の先、閃光は地平を切り開く。【オーバーシャイン・カイ】」
ブレスを撃たれるのとどちらが早いか、というぎりぎりの状況で、レオンは自身の魔法が発動した後すぐさまアダマンタイトの壁の内側に逃げ込む。ベヘモスのブレスの当たる箇所に、突然氷の壁が立ち上がり、一部は空へと跳ね返されていった。
城壁を越えたベヘモスのブレスの通った後が真っ白になって、生えていた木々が白く固まった。ベヘモスの咆哮が轟く。
「どうだ」
「中ったみたいだな」
レオンとカルが壁から顔を出した時、服で城壁の表面を擦ったが、ざらざらと塩が服に着いた。まじかよ、とレオンも目を見開いて、直後ナタリアが階段を駆け上ってきた。
「殿下、レオン様、御無事ですか」
「ああ」
「大丈夫だ」
ベヘモスを見やれば、口元から煙を吐いている。無事にレオンの魔法は中っていたようだ。レオンはリンクストーンでロキに連絡を取る。
「ロキ、どうなってる」
『投擲槍は効果なし、オーバーシャインはダメージはありそうだが、やはり内側からやるしかないみたいだな』
「わかった」
レオンのクローディ公爵家血統魔法をロキと一緒にあれこれいじった結果、レオンでもどうにか複数回撃てるようなものに改良したこの魔術。魔術なのでパワーダウンは否めないが、詠唱後の発動速度は随一だった。レオンが撃っているのでそれなりの威力は保証されていた。それでもこのザマか。
レオンが横を見やると、アダマンタイトの城壁の内側に張り付いていたらしいオデュッセウスが上がってきた。
「……カミーリャ殿、もはや熟練搭乗者」
「いつから乗ってるんです?」
「今日」
「はい??」
ひょいひょいと壁を登ってきたオデュッセウスは再び投擲槍を大弓に番えた。
『もう一度目を狙います』
『頼んだ』
カミーリャが再びタイミングを見計らう。遠くにロキ達を乗せたゼロらしきワイバーンの姿があった。
咆哮を終えたベヘモスが今度は真っ直ぐに城壁の目立つ場所にいるプラムを見た。身じろぎし、氷が崩れていった。突進の構えを見せたところで青紫の薄い帳が再びベヘモスに降りる。ベヘモスの首がワイバーンに向いた。
『今っ!』
オデュッセウスが再び投擲槍を放った。
投擲槍は、吸い込まれるようにベヘモスの眼球に刺さる。
『刺さったぞ!』
モードレッドの声が早いか、カミーリャはオデュッセウスで矢状に加工されていない投擲槍を持って飛び出した。




