11-25
2025/05/07 編集しました。
2025/09/19 編集しました。
――その日、フォンブラウ公爵家はスカジが生まれて以来初めて母方であるメルヴァーチ家へと向かうため、王都を出ていた。ロキとトールの顔見せだ。
メルヴァーチ家への日程は3日。転移を使いながらであるから、実際は相当な距離があることが伺える。ロキはその当時、まだ、2歳になる直前だった。生まれたトールを連れて、御爺様たちに会わせてあげましょう、とスクルドは嬉しそうに、誇らしそうにロキたちに語って聞かせてくれた。
馬車に乗っていたのはスクルド、フレイ、スカジ、ロキ、トール、そしてスクルドの専属メイドであるサシャの6人で、スクルドはレイピアを帯剣、サシャも暗器を身に着けての旅だった。
襲撃を受けたのは馬車が出発して2日目の夕方のこと。
人通りが多いためある程度は整っているものの、整備されているとはいいがたい道を、子供たちに大きな負担を強いない速度で進んでいたフォンブラウ家の馬車は、護衛の騎士を数名周囲に配して進んでおり、その騎士のうちの1人があれ、と声を上げたことから、始まった。
それは馬の様子がおかしい、というところから始まっている。
まだ当時新米騎士だったラファエロという男が、変だなあと言いつつ自分が乗っていた馬をなだめているのをロキは見ていた。ロキの目には馬ががっつり興奮しているように見えていたのだが、周りにはわからなかったらしい。フレイは膝の上にトールを抱えて楽しそうに外を眺めていた。
ラファエロという男は弓弾きを得意とする騎兵だったが、新米故にたまに馬から降ろされて歩かされている様子が見て取れた。
転生者であるが故に既に自我が確立していたことから、念話という形で意思疎通が取れたロキは、スクルドから念話を繋いでもらい、馬の様子がおかしい、とスクルドに伝える。スクルドはどうしたのかしらね、と自身の目でも馬を見ていたが、ちょっとわかりづらいなあ、とこぼした。
「少し興奮しているのかしら?」
スカジはこれまで少々馬車の中で騒いでいたので今は疲れて眠ってしまっている。ラファエロが馬の心配をしつつしっかりと進んでいるので、行程に遅れはなく、アーノルドにも知らせるだけで済んでいた。
普通に周辺に魔物が生息している以上、馬車でスローペースで進んでいれば襲撃だって受ける。ただ、王族がいる王都からそう離れた場所ではないが故に、王都からメルヴァーチ侯爵領への移動がとんでもない危険を伴う、などということは、考えにくかった。もし馬車が襲撃されるなら、魔物よりも、人による襲撃の可能性の方が高いと、アーノルドは考えていたようで、自分とスクルドがいるならば、子供たちくらいは守れると、高を括っていた。
ラファエロ以外の騎士たちもざわつき始める。本来騎士が騒ぐなど言語道断だろうが、スクルドは御者として乗っているアンドルフに問いかけた。
「アンドルフ、騎士の様子が変よ。どうかしたの?」
「奥様、魔物が来ました」
「……そうなのね」
要人が狙われるのは珍しい事ではない。
アンドルフはええ、と小さく返事をして、ただ、と更なる懸念材料を投下する。
「やけに統率がとれています。精霊が騒ぐくらいには」
「……普通の魔物の群れではないということね」
「恐らく」
話が聞こえたロキにも戦慄が走った。やはりそこは転生者、魔術や剣に憧れる年頃で転生している――が。魔物と戦ってみたいのはやまやまだが、いくら何でも赤子の時にやりたいなんて一言も言っていない。まだうまく理解できていないスカジと、理解はしているがスカジたちを怖がらせまいと口を噤んでいるフレイが不安げにスクルドを見上げていた。
アーノルドが危険を察知して騎士たちと共に並走することを選んだのは必然だっただろう。
スクルドにあったのは直前の予知もどきのみで、旅程に沿って動き始めると予知はまったく働かなかった。ロキは大人が魔力に過干渉するのはよくないという理由で魔術でのコミュニケーションを封じられていたため、聞いた情報しか持っていない状態だった。
馬車での移動は予想以上に疲労が溜まるもので、ロキは大人たちの騒がしさに飛び起き、状況を確認した。激しく馬車が揺れ、ガラガラと音が鳴る。しかしその合間に、重量物が地面を砕いているような音が聞こえて、ロキはさらに身体を強張らせた。サシャの身体も強張っている。硬質な何かで地面を叩き割る音だ。
窓の外を見ているフレイ、フレイに手を握られたままぶすくれているスカジと、緊張した面持ちのサシャとスクルド。馬車の外で、接近している魔物の種類と、人為的に仕組まれたことを示すような会話が聞こえた。
ブラッドサイス・スパイダーとフォレストウルフが行動を共にしていることをスクルドが教えてくれる。
ブラッドサイス・スパイダーと言えば、大柄な体と鋼鉄のように硬い爪を持つ肉食の魔物である。小型の馬車よりは大柄な個体が多く、護衛を付けた商隊であっても襲われたらひとたまりもないような強力なものが多い。
フォレストウルフは風属性の魔法を放つ平野の狩人、ウィンドウルフが森に適応した姿。もともと群れで狩りをするため、群れているのは特におかしいことではない。やはり商隊を襲うこともあるが、一番被害が多いのは家畜だ。
魔物はもともと同じ種族である。魔物という種族であり、彼らはうまくやれば同じエリアで喰い合いをせずにおいておくこともできる。しかし、そのためには頭となりうる者を置いておかねばならない。この場合、ブラッドサイス・スパイダーが狩人であり、ウインドウルフが追われる側であろう。
アンドルフが何とか魔物を振り切ろうと馬を走らせる。フォンブラウ家の使っている馬は通常の馬よりもパワーがある種だ。馬車を引いているとはいえそれが振り切れないほどの速度で付いて来る魔物。ロキはガタガタ揺れる馬車の中で必死に考えた。考えたところで何もなりはしないが。
ゲームの中に、ロキ・フォンブラウという公爵令嬢の半生なんてこれっぽっちも出て来はしない。だから、どうしようもないのだ。転生者であることが今は全くヒントになりやしない。
「サシャ、これ多分ロキちゃんが狙われているわ」
「予知ですか?」
「いいえ。でも、これが教会の関係者なら、納得できると思わない?」
スクルドとサシャの会話を聞いてロキは耳を疑った。こんな赤子に魔物を放つほど教会はロキを欲しているのか。大人しく渡した方が被害は少ないのではないかと思ったのは致し方ないだろう。
これ以上速度を出すのはよくないと御者を務めていたアンドルフが言うので、スクルドは打って出ることにした。残されたサシャと子供たちはアンドルフと、馬を降りていたために先輩騎士たちから御者台に一緒に放り込まれていたラファエロと共に魔物を振り払うために進み続けた。
アーノルドやスクルドが馬車に強化を掛けてくれたようで、魔物の攻撃が掠ってもそれなりに耐えていて、アンドルフも諦めずに逃げの一手。息を吐く暇もない。まして、アンドルフとラファエロの会話が聞こえてロキは身を固くした。
「いや、フォレストウルフだけではないな」
「別のが来てるんですか」
「ああ」
蜘蛛の魔物に追われていたことを理解していたロキは、フォレストウルフと共に蜘蛛の魔物が追って来ているのだと理解した。泣き出したトールをサシャがあやし、これ以上魔物たちを刺激しないように努めていたけれども、ラファエロが馬車の屋根に移って魔物と交戦を始めたのと時を同じくして、馬車の揺れが酷くなり始めた。
馬に蹴られた魔物の骸を馬車の車輪が踏み越えていたので、そろそろ軸がいかれたのかもしれない。
「サシャ!」
「何でしょう」
「追い付かれる! 迎え撃つぞ」
「承知しました」
アンドルフが窓から声を掛け、サシャは了承した。
アンドルフが何か言っているが、こちらに向けたものではなったようで、ロキには聞き取れなかった。
数拍後、ラファエロが切羽詰まった声で、魔物の魔法攻撃を知らせ、ロキは思わずぎゅっと目を瞑った。サシャに、抱き締められたことは理解できた。
直後襲う衝撃、浮遊感。
魔法を受けて馬車が吹き飛んで、宙に投げ出されたと、理解した。
ガシャーン、と木製の箱が地に叩き付けられる音がして、ひと際ぎゅうと抱き締められたことは覚えている。ロキが目を開けると、辺りは暗かった。ひっくり返った馬車の箱の中と理解したのは、かろうじて座席の布がロキの目線に残っていたからだ。
ロキは、自分とトールを抱え込み、フレイとスカジの頭を自分の胸で庇って頭が割れたサシャを見上げた。フレイと目が合う。フレイは片眼を閉じていて、血がだくだくと流れているのが見える。破損した馬車の破材で切ってしまったようだ。
スカジは気絶してしまったようで、トールは泣き出した。ロキはハイハイでとりあえずサシャの身体を越えようともがき始める。状況確認ができないのは恐ろしい。フレイはロキを抱き締めた後、サシャの身体を超えて外へ行く手助けをしてくれた。
ロキは自分が見ていた4つ目の蜘蛛が追って来ているものとばかり思っていたのだが、それ自体は間違いではなかったようだ。あとから思い返したら、ブラッドサイス・スパイダーは2つ目で、シェロブが4つ目なので、ロキは最初からシェロブと視線を合わせていたことになるのだが。
アンドルフとラファエロのやり取りで何となく相手がシェロブであることは理解できた。相手がシェロブだと理解できれば、狙う場所は絞られてくる。ついでに、シェロブは特に火耐性がとても高い。ロキは漸く役立った前世の知識をフル活用して作戦を立てた。
シェロブの弱点たる弱点は存在しない。しかし傷を負わない訳ではない。狙うのは腹だ。目は狙われやすいので割としっかり叩き落として対応してくるが、実はシェロブは目が悪いので目なんてなくたってどうにか動けてしまう。ラファエロの残り少なそうな魔力を有効に使わねばならないと、異常なまでに冷えた頭でロキは考えた。
そして、考えたものをラファエロに伝えた。
(あー、もしもし、ラファエロ?)
(……???)
(こちらロキです。今から伝えることを忠実に実行してほしいんだよ)
この際魔力が使える理由とかそういうものは全て保留にして、ロキは今目の前の状況をどうにかすることに全神経を注いだ。
(え、ロキお嬢様ですか? これは一体?)
(そうだよ。今伝えたイメージを大事にしながら奴さんの腹をぶち抜くんだ。討伐はできなくても動けなくすることはできるのだから)
ラファエロの良い所は、命令を受けて良いと思ったことはそのままやることだ。目の前の魔物の攻略情報を知っているものが恐らくロキしかいないこの状況下で、ラファエロの素直さに賭けた。
ロキは赤子のはずで、それ以外の事を下っ端も下っ端の新米騎士に教えているはずはない。それでも家族を守りたかった。今動けるのがラファエロしかいないのだから彼に頑張ってもらうしかなかった。
ラファエロが風の魔力を練り上げて弓に番えた。もう魔力が残り少ないラファエロに頑張ってもらうしかないのが、つらい所。シェロブが余裕をもって上段に脚を振り上げたのを見て、ラファエロが叫んだ。
「余裕ぶっこいてんじゃねえぞ雌蜘蛛ッ!!」
その一射がシェロブの腹を貫いて、ヨヨヨ、とシェロブが鳴いた。ラファエロの一射が最後の攻撃で、ラファエロは倒れて護衛はいなくなった。
何が恐ろしいって、シェロブの腹の傷がふさがり始めたことだ。このままでは兄たちも危ない。
ロキは自分が狙われていることを理解していた。ハイハイで馬車から離れることを選んで、ロキは這って馬車から離れていく。膝が痛くて、掌だって砂と小石でじくじく痛む。シェロブの狙いが何かは分からない。ロキは自分が殺されるのか、食われるのか、攫われるのかさえ知らなかった。
蒼い影がちらついた。長い髪、赤、鉄の匂い。全部全部、幻覚だ。
シェロブの赤く細い脚がロキの進行を妨げる。ちょっと突かれただけでロキの身体は転がってしまって、かなり痛かった。
「やめて!」
フレイの声がした。振り返った先には、訓練用の木剣を構えているフレイが居て、振り上げられた脚が、ロキに落ちてこないように、受け止めようと頑張ろうとする。叩き付けられた脚を、一瞬でも耐えたのは流石人刃と言えるだろう。
「あーあー、見とられんぞ、ぬしゃ」
低い声が降ってきて、直後、特徴的な破裂音がした。
フレイがふらついて尻餅をついた。シェロブの細い声。
「おう、おう、こいつぁすげぇな」
声の主を見上げると、大きく張り出した角と、鱗に覆われた翼と尾をはやした人型が立っている。イミットだ、と理解して、ロキは身体を固くした。ガシャン、キンッ、と聞き慣れない音がする。ロキはそれが弾丸の装填を示すことを理解していた。
もう一度破裂音。シェロブの腹が吹き飛んだ。最後に頭部まで撃ち抜いて、完全に停止したのを確認すると、ロキに顔を近付けてきた。
「よう、ロキ。相変わらず危ないことしてんな」
(お初にお目にかかります。とりあえず馬車の中から姉上とトールとサシャを助けてください)
「その口調、覚えてんのか?」
(何のことですかイミットさん。いいから早くしてください)
「覚えてねえのにその上から目線は……いや、いい」
男はロキの要望に応え、馬車の中で気絶しているはずのロキの家族たちを、破損した馬車の中から救出し始めた。
そのすぐ後、アーノルドとスクルドが合流してきたため、イミットの男は両親と話し始めた。




