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2021/09/07 大幅に修正しました。
「ロキ、今日は動けそうか」
「ええ、大丈夫ですよ、スカジ姉上」
ロキの部屋を訪れた姉の言葉に応え、ロキは武術訓練の準備をする。ロキの身体が少女のものから少年のものになって、3年が経過していた。
晶獄病による魔力暴発の危険と身体の弱さは相変わらずだが、少女だったころに比べると熱発など病に倒れることはなくなった。アンリエッタもほっとしていたし、アーノルドもスクルドも対処が分からない病に倒れることが無くなった子供に安心した様子だ。
この3年でロキの周りで変わったことがある。まず、性別を男に確定してアーノルドが漸くロキを戸籍に登録したそうである。今までロキは戸籍が無かったらしい。とはいえジークフリートの許可は得ているとアーノルドは言っていたので、特に問題が無かったのだろう。
ロキが知らないだけで、貴族は戸籍が無ければ冒険者ギルドへの登録ができないので、大きくなる前に戸籍はどちらにせよ登録せねばならなかったのだが。
次に、従者となったゼロ。番になってくれとロキに言ったことを弄ってやろうとタイミングを窺っているのだが、なかなかチャンスが訪れない。5歳のころに出会って3年間でかなり従者として鍛えられている。ムゲンとドゥルガーは、ロキが目を覚ました時、ゼロが自分から傅くとは思っていなかったと言っていた。ロキの事を相当気に入っていなければ、従者教育にも反発して逃げ出しているはずだと、スクルド宛のドゥルガーの手紙からも窺い知れる。
次に、シドという少年もロキの従者として見習い生活を送っている。デスカルとアツシの息子のようなもの、と言っていた金属精霊はかなり転生を繰り返す質らしく、今回は人間から生まれる精霊の一種、半精霊として生れ落ちていた。
こちらはゼロと違い最初の1年程度でガルーとリウムベルから及第点を貰い、ロキの身の回りの世話をしている。
デスカルから聞いてはいたものの、ロキにとっては前世での親友だった“金子奏斗”だなどというものだから、本人の口から聞くまで半信半疑だった。本人だと分かった瞬間理由は分からないがとにかく彼を殴らねばならないと思ったので一発殴っておいた。
最後は、ロキの武術訓練が始まったことだ。この数年で騎士団を辞した元騎士の中でも抜きんでた実力を持つ男、アンドルフ・ウルカン――彼が、子供たちの師を務めることとなった。とはいえ、ロキはアンドルフが無敵の騎士というわけではないことを知っているので、スカジやトールのようにがちがちに固まることはなかったが。
「ロキ様ー、起きてますかー」
「起きてる」
「失礼しまーす」
少しおちゃらけたというか、明るいやんちゃ坊主の印象を抱く声音でシドが入室してくる。黒い髪は前髪を残してオールバックにしている。何故かゼロも近い髪形に落ち着いたのだが、ロキもやってみたら似合う顔をしていたので、デスカルに確認した。ロキの想像通り、この2人はロキを主人としていたことがあり、ロキはオールバックにしていたのだとか。
この時点でロキはデスカルの失言に気付き、ジト目で睨んだのは言うまでもない。最初からデスカルたちはロキが男であることを知っていたのだ。俺が悩んだ5、6年間はなんだったんだとロキが思うのも致し方ない事である。髪型からこんなことが判明するとは思ってもいなかった。
話は戻るが、まだ小さいし、髪は下ろしていいやというロキの判断によって、ロキはその銀髪を緩くまとめているだけになっている。
シドが持ってきたお湯を張った桶を受け取って、洗面を済ませる。転生者であり、かつループに関しての知識を持っている状態のシドは、傭兵として世界中を飛び回ることになるデスカルたちにとってもかなりありがたい連絡役なのだという。
「ロキ様もすっかり慣れたな」
「……むしろ男の所作に慣れる方が早かったけどな」
「まあ、そこは、な」
ループで慣れていたからどちらの所作も覚えるのが早いのだとはデスカルも言っていたのだが、それでも身体に馴染むのが早かったのは男性の所作の方で、身体に感じていた違和感や怠さも無くなり、ロキはだいぶ健康的な少年として育っていた。とはいえ、トールと比べられたら話にならないくらいには相変わらず虚弱だが。
男の姿をロゼ、ヴァルノス、ソルには先に見せておきたかったので茶会に誘ったのだが、なかなか予定が合わず、結局ロゼには今の今まで会えずじまいである。ヴァルノスとソルは茶会に来てくれたので無事にお披露目できた。
「今日はスカジ様の誕生日パーティっスから、ロキ様にもそれなりに上等なモン着てもらうことになります。今日は嫌がっても駄目っスからね」
「それくらいは分かってる」
ロキは今日この日まで、王族を避けに避けてきた。本当は男の姿になった時にジークフリートにくらいはお目通りすべきだったのだが、なんやかんやとアーノルドが動けずここまで放置されていた。せっかくスカジの誕生日があるし、王家にも来てもらおうということになったのは致し方あるまい。一番の問題は、今日のパーティの主役が今から少しでも武術の訓練をしようとしている所だろうか。
「先にスカジ姉上とアンドルフの所へ行くから、準備だけしててくれ」
「かしこまりました」
自分のお披露目を兼ねていることを知っているロキは今回スカジの説得役も任されている。ロキは稽古用の動きやすい服に着替えると、朝食も食べずにスカジが待っている中庭へと向かった。
アンドルフは見る対象の適性武器が分かるスキルを所持しており、指南役としてはこれ以上ないくらいもってこいな人物なわけだが、アンドルフがロキの武器適性を見た時、なんか偏っていると言っていたのだ。
アンドルフはロキが男になったことで武器適性の偏りの理由が分かったと言っていたので、今度詳しく聞いてみなければならない。
「ロキ様、おはようございます」
「おはようございます、アンドルフ先生」
「おはよう、ロキ」
「おはようございます、スカジ姉上」
アンドルフは、ロキが覚えている限り、平民出身であることを鑑みても獄炎騎士団でも突出した実力を備えていた人物である。ロキが2歳の時の魔物の襲撃の際にもロキたちを守ってくれていた騎士だ。守れたかと言われるとそこは微妙であるし、それを気にしてかアンドルフの退役は予定よりも随分と早まったとアーノルドが愚痴を零していたが。
ロキが視線を走らせる。スカジの従者が後方に控えているのが見えた。早く訓練を切り上げなければ、今日のパーティの主役は着飾らなければならないのだから。
「今日は早く切り上げなければいけませんから、軽く打ち合うだけにしましょう」
「えっ」
「わかりました」
アンドルフの言葉にスカジは固まった。スカジはパーティの準備から少しでも逃げるために訓練に顔を出していたようだ。表情が何よりも雄弁に物語った。ロキはにこやかに笑みを浮かべる。
「スカジ姉上、せっかく姉上の誕生日なのですから、皆に祝っていただかないと。俺はただでさえこの頭なので、姉上より目立っちゃうかもしれません。そしたら俺の前に人が来ますよね?」
「む……むむぅ……!」
スカジが唸る。揺れてる揺れてる、とアンドルフが少し楽しそうにスカジの様子を窺う。後方のスカジの従者は澄ました顔をしているがちょっと笑っているのが見えた。普段は割と自分の意見をがっつり言ってくるタイプのスカジが押されているのが面白いのだろう。
ロキが自分に甘いスカジの性格を利用してパーティの準備に引きずり出そうとしているので、アンドルフはそれを見守ることにした。
「俺、まだあんまり人数の多いパーティに参加したことがないので、そんなに人に囲まれたら、怖いです。……姉上と一緒なら、怖くないかも」
ちら、とスカジの方を見上げるロキ。絶対わかってやってるよねとはアンドルフは突っ込まなかった。
「……わかった。アンドルフ、今何時だ?」
「……もうすぐ2の鐘が鳴る頃ですね」
「では、結晶時計が緑になるまで打ち合いをしよう。それなら、準備にも時間はかけられるだろう?」
「そうですね。姉上の綺麗におめかししたお姿を見れるのが楽しみです」
「……やっぱり水色までにしよう」
結晶時計はおよそ1時間ごとにがらりと色が変化するが、現在の色は藍色である。水色までは2時間、緑まで待っていたら4時間経つことになる。現在の時刻はおよそ8時。最後のダメ押しでお昼近くまで打ち合いたいというスカジの意見を叩き折ったロキであった。
♢
アンドルフが見ている前でスカジとロキはそれぞれ礼をした。正直身体が出来上がっていない2人にあまり厳しい訓練をさせるわけにはいかないので、アンドルフはお目付け役も兼ねている。
スカジとロキは両者共に長柄の武器を扱う。スカジは槍を、ロキはハルバートを扱うが、どちらが強いかと言われると、スカジに軍配が上がる。ロキは近接戦闘はそこまで強くなかった――いや、弱くはないので、語弊があるかもしれない。
スカジとロキはそれぞれ木槍を構える。短く息を吐いてスカジが突きを仕掛ける。ロキはスカジの突きに速度が乗る前にさっさと叩き落とし、スカジが槍を落とすまいと握り込んだところで柄を握る位置をずらす。スカジの槍の柄を滑らせながらスカジの手を穂先で叩く軌道に捉えた。スカジが慌てて槍を強く握り直し、柄を蹴り上げてロキの槍の軌道を逸らす。
振るわれる得物が木槍とはいえ、当たれば打ち身程度では済まないだろう。たった10歳と8歳になる子供が振るってここまでの技術戦が見れるのも珍しい。
プルトスもフレイもアンドルフが教えたが、2人は剣だった。プルトスは杖の方が適性が高かったためアーノルドが棍を教えた方が良いだろうという結論に至ったが、フレイは今もアンドルフからバスタードソードの手ほどきを受けている。
スカジには圧倒的に槍の適性が高かったこと、怪力であることから男性的な戦い方と女性的な戦い方の両方を教えており、始めて2年になる今ではリーチの差からフレイを圧倒することも多い。圧倒的な実力に裏打ちされた同年代の者への若干威圧的な発言が気になるが、加護の事を考えるとまだましな方だろう。プルトスやロキに比べると加護のランクは低いが、それでも普通お目に掛かれない高ランクの加護持ちだ。ちょっと突っ走るところがあるが、これはスカジ本人の性格だと思われる。
ロキには筋力の無さをカバーするために受け身からのカウンターをメインで教えている。適性武器はハルバートと扱いづらい武器だが転生者だということもあってか物覚えが非常によく、理解もなかなか早い。それでいてアンドルフの言う事をしっかり聞いてくれるので、転生前はかなり素直な性格だったのだろうとアンドルフは思っている。ゼロがイミットの武術の訓練をしているのを見て一緒にやっていたので、転生前に知っていたものがこちらの世界にもあったのだろう。ロキは学びを大切にする子だった。
スカジが一旦距離を取ってジリ、ジリ、と脚を動かしている。ロキはわざとらしく大きく隙を作っているが、そこに打ち込むほどスカジも浅慮ではなかった。ロキは隙を大きく作ってわざと他の隙を少なくしている。今のロキができる精一杯の“誘い”だ。まだきちんと誘いは教えていないので、これができるということは、ロキは何も言ってくれないだけで槍術の知識はあるのだろう。それか、転生前に何か学んでいたか。
さて、現状の話にはなるが、スカジの方が身体が大きく、更にロキは人刃族には珍しく筋肉が付き辛い体質のようで、力押しもスカジより弱い。スカジは現時点でアンドルフと真正面から打ち合えるほどの膂力があるため、ロキがまったく筋力が無いというよりはスカジが怪力なだけだろう。
スカジが大きく踏み込んで突きを繰り出す。槍の基本は突きだ。リーチの長さを活かせるし、柄で相手を打つことができる。槍は最も扱いやすく、最も奥深い武器だとアンドルフは思っている。要は、技量が出やすい。
ロキは落ち着いて大きく開けた隙を狙ってこなかったスカジに苦笑しながら、上方に跳んでスカジの突きを避けると槍を横薙ぎに払う。槍の穂先の腹の部分に軽く足を乗せてスカジの武器を拘束することも忘れていない。
「むう……!」
槍を引けないと悟ったスカジは柄を大きく持ち上げてロキの槍を受け止めた。スカジの槍の柄はかなり持ち上がっているのにロキは足元を見ずにバランスを取っている。ロキの体重は割と軽いが、槍の穂先部分に乗っているせいで重たくなっているらしい。ロキは舞う様に再び槍を振るい、今度はスカジの手を確実に打ち据えた。
「いっ……!!」
「そこまで!」
アンドルフは結晶時計を見る。そろそろ水色に染まり切る頃、スカジの約束の時間である。ロキはスカジの槍の穂先から降りて、スカジに笑いかけていた。
「またロキに負けた……」
「スカジ姉上が俺に力押しを挑まないからですよ」
少し前までスカジにロキが敵うことはなかったのだが、近頃は3割ほどロキが勝つようになってきた。ロキは自分の弱点をしっかりと理解している。力押しには敵わないから、相手の力押しを封じ込めるような戦い方ばかりしている。そこは良いが、他の対応もちゃんと教えなければいけないだろう。今はそこまで体格の変わらないフレイやスカジが相手になることが多いので今のままでいいが、トールが成長してきたらまず確実に力押しで負けることになる。トールは猪突猛進の四文字がこれ以上ないほどに似合う真っ直ぐな子だった。
「スカジ様、お時間ですよ」
「もうか!?」
「はい、お約束の時間でございます」
スカジは項垂れた。丁度楽しくなってきたところだったのだろう。しかし女性の着替えは何時間もかかるものだ。これからスカジは風呂に入って全身を磨き上げなければならず、今から始めたとしても多少メイドたちには妥協してもらわねばならないくらいであろう。
「うう……、ロキ、楽しかったぞ。また打ち合おう」
「はい、俺も楽しかったですよ、スカジ姉上。では、行ってらっしゃい。お待ちしております」
スカジは従者に連れられて自室へと戻っていく。ロキもそろそろ戻らねばならない。男であるから女児程の時間は取られないが、ロキは外見が一級品であるため、メイドたちが張り切るのが分かり切っている。
「アンドルフ先生、ありがとうございました」
「いえいえ。2人の打ち合いは、騎士団の若い連中にも見せてやりたいくらいです。ただ、スカジ様は小手先頼りになりつつあるので、そこをもう少し強みを活かせる戦い方にもっていきたいところです」
「姉上はもっとお強くなられるのですね」
「ええ。そしてそれはロキ様も同じですよ」
ロキはアンドルフを見上げて少し目を丸くした。
「俺も、ですか」
「ええ、ロキ様は力押しに苦手意識があるのだと思うのですが、スカジ様相手であるからそう思われるだけで、同年代の人間に引けは取りません。戦術の幅が広がるので、基礎部分から特化訓練をするのではなく、身体が出来上がるまでは基本の基本を教えます」
人刃族は成長が遅いため、比較的基礎部分をきっちり教えておかないと将来痛い目を見るのは人刃本人である。人間に比べて習慣づいたものを変化させるのに労力がいるため、いっそ基礎をみっちり徹底的に叩き込んでやった方が良い。
アーノルドが国内有数の戦棍の使い手となったのもこの方針におかげである部分は多大にあるので、アーノルドにも武器の扱いを教えてきたアンドルフ的には、確実な方法だろうと踏んでいる。
では、とロキが自室へと戻っていく。迎えに来ていたのはゼロで、どうやらシドの方はロキの準備をしているようだ。アンドルフは自分も引退してしまったばっかりに礼服で参席せねばならなくなったことを思い出し、慌てて準備をするために部屋へと戻っていった。
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