11-5 とある世界線の話
2025/04/26 編集しました。
ネメシスが小さく息を吐く。目の前にこの青年が現れるのは二度目だ。一度目は留学生として。そして現在は、少々頭のいかれた使者として。
ネメシスの目の前に現れたロキは、留学生だったころとはずいぶん異なる様相を呈していた。
銀髪も濃桃色の瞳も何ら変わりない。いや、まったく違うというべきなのだろうか。
色に変化があるわけではなく、ただそこに影が落ちただけのこと。
眼だけでわかる、こいつはいかれていた。
担任を受け持った経験からすれば、彼は非常に優良な生徒だった。時折飛び出すよくわからない言葉に突っ込みを入れるほかの留学生たちとの掛け合いはなかなかに面白いものがあった。公爵家の子などと言っても普通の子供なのだなと思いながら眺めていたもので、ゆっくり大人になっていくのだと思っていた。
いや、あの頃からすれば現在はずいぶんと変わってしまったのだけれども。
交換留学生ということでロキたちが国に戻ってからはプラム王女が他に数名連れてリガルディアへ留学した。その先でプラムがリガルディアの第2王子と恋仲になったのを、ロキは反対していたという。
公爵家を継ぐ立場にないとはいえ、ロキの発言力は極めて大きかったはずだ。それをプラムは押し切り、晴れて婚約を結ぶに至った。国内の公爵令嬢を蹴落とす形にはなったが、そちらとも第2王子は婚約したままだという。公爵令嬢の方を側妃として娶ることを決めていたようだ。
そしてそれ以外ではロキが頷かなかったとも聞いている。
ロキが現在いかれた状態になっている原因はこれで、国のためにと列強側に身を捧げる役目を持っていたのだとは、ロキの付き人としてやってきたセト・バルフォットが告げた。
約束を守らないようなやつの国のために身を捧げるなどごめんだと。
列強に守られていることをリガルディアはまだ忘れていない世代が生きている。ロキはその世代を家に抱えているのだろう。
誰のもとへ行ったのだと問えば、ロルディアだと返ってきた。ロルディアといえば男からは恐怖の対象でしかない。ネメシスはロキに同情した。きっと今も腹の中で蟲が蠢いているのだろう。いかれて当然だ。
よく生きて帰ってきたと告げれば、それが役目だとこちらを小馬鹿にしたような態度で告げてきた。非常に癪に障った。でもここで何か言えばロキの思うつぼのような気がしてやめた。
♢
当然のようにあることなど何もないと、ロキはよく言っていた。
本当は誰かに本音を聞いてほしくて、けれどきっと誰にも言えなかったのではないかと、ネメシスは今なら思うのだ。
ネメシスはバルティカに育てられたエンシェントエルフの1人である。故に、バルティカがロキを愚か者と呼ぶことも知っていたし、ロキのことをそういう目でバルティカが見ていたことを知っている。
多くを抱えすぎたのだと、抱え込ませすぎたのだと、今ならばはっきりと言える。
少しばかりふらついたロキは非常に魅力的だっただろう。支えたいと思わせただろう。さぞや依存対象を求めていただろう。相手を潰しかねないほどに。
ロキは残念ながら本当に好きな人間に依存するタイプではない。誰から何と思われようと構わないという体で、けれど実は親しい人間からはかっこいいと思われていたいかっこつけな人間だったのだ。
依存などできるはずがない。ロキは不器用だった。すぐ傍に置いていたソルという女性は、依存を許しはしなかっただろう。彼女が死んで以降、ロキはそれはもういろいろと投げやりになったとも聞いている。ロルディアはそんな状態の彼を返した。ロキの役目は生き延びることだと無情にも言い放ったのだ。
今のロキは誰かに言われなければ生きていられないのだ。
もう、彼に自力で生きるだけの気力はないのだ。
愛する女を腹の子ごと殺された、ただそれだけのことだけれども、死を運命だと受け入れてしまうエルフと違い人間の慟哭はすさまじい。ネメシスにはきっと一生わからない。
一刻も早く妻子のもとへ逝きたいと言わんばかりのロキの態度を何とか諫めているセトの健気なこと。他の学友も数名ロキは喪っているらしく、セトは自分が死ねばいよいよロキを止める者はいなくなるだろうとネメシスに愚痴を零した。
そして現在、ネメシスは思う。
これが加護の力か、と。
ネメシス、必然、復讐、因果応報の女神。
ロキたちの死は定められたことだったということか。
そこで途切れている彼らの光を、ネメシスは何と呼べばいいのだろう。
ネメシスの目に映った消えた光は、元気だった彼らを知っているからこそ物悲しい。ここには誰ももういない。ソルも、ロキも、ナタリアも、ゼロも、オートも、もういない。
現在ここで戦っているのは敵国にいたはずのカミーリャである。
タウアもいるが、その右腕はボロボロになっていた。どくどくと気味の悪い血管が浮き出て脈動している。もうあまり長くは保たないとその目が訴えていた。
リガルディアはよく頑張った、と列強は笑って言った。誰も悪くない、誰も悪くなどなかった、時期が悪かっただけだ、と。ならばなぜ彼らは死んでしまったのだろう。何も悪くなくても死んでしまうのか。エルフでは考えられなかった。
ロキたちがもういないから、悪くなかった子たちがもういないから、何も聞くことができないのは非常に残念である。
帝国と戦争をしている現状、帝国内部での離反が相次いでいる。主だった離反者は反戦派だった帝国の上層部の中核層だ。カミーリャも離反者だ。旗頭になって反旗を翻したのは勇者と呼んで帝国が担ぎ上げていた平民だったから、まあ、ネメシスからすれば滑稽なものである。
「誰も助けなかったくせに、お前らは助けてなんていうのか。虫が良すぎるんじゃないの? 俺の友達は誰も助けてくれなかったのに」
因果応報。勇者の友達、それがリガルディアの彼らだっただけの話だ。リガルディアの民はよく頑張った。関係のない戦に巻き込まれたのに友達のためにとわざわざギルド経由で傭兵としてやってくるくらいには立場と状況を理解していた。
良い子たちだった。
ネメシスは思うのだ。
結局誰も悪くなどないけれど、小さな不幸が重なってあんなに強かった子供たちもあっさりと死んでいくのだと。
けれど、それとこれとはまた別の話だ。
復讐してはいけないなんて誰も言ってはいないのだ。
復讐の女神ネメシス。
彼女は確かにネメシスに、加護を与えたもうた。
だから例え、こんなはずじゃなかったと泣いている小娘がいたとしても、それがだから何だという話なのだ。
こんなはずじゃなかった?
次はもっとうまくやれるなんて保証はどこにもないのだ。
「嘆くなら最後までやり抜かんか、戯け。嘆くなとは言わん、だから最後までやれ。どうせお前が俺たちに与えた機会なんだろう? 機会を希望にするか絶望にするかはその者次第だろう?」
問いかけても、娘は泣いているだけだ。きっとそれでも泣いても何も変わらないから最後には同じことをするのだろう、この娘は。
「こんなの認めない、もう一回!」
ようやく声を上げた娘を見送り、ネメシスは静かに目を閉じる。
さらば、助からなかった世界。
終わらぬ悲劇のその先へ。




