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2025/04/21 編集しました。
プラム・セネルティエにとって、苦手なものができた。それは、リガルディア王国からの留学生の1人であるロキ・フォンブラウ。
プラムとアスターの目の前で留学生たちの動向を掌握してみせると豪語した彼からは、何かとてつもなくヤバい匂いがするのである。
ナタリアがプラムを責めるのは仕方がないとプラムは思っていたけれど、アスターからすれば妹が理由も無く他国の貴族、しかも男爵令嬢から責め立てられるという怪現象が起きていたことになる。ロキがあの時割って入ってくれて正解であった。というより、ロキは自分を表に出すことでナタリアを守ろうとしているのだろう。恐らく、事実として、ループで正気を失ってしまった彼女が、カル・ハード・リガルディアの足を引っ張らないようにするために。
プラムに対しては敬語で話していたが、カルたちと話しているのを聞いている限り、どちらかというと努めて砕けた話し方をしている気がする。素は少し威圧感のあるタイプなのだろう。というか、リガルディアの貴族はどちらかというと丁寧な口調の者が少ないのでごくごく普通のリガルディア貴族だと言えるだろう。
プラムは吸血鬼族の血を引いていることもあって目が良いが、ロキの瞳、というか虹彩に宝石のカットのような模様が入っていることと、青いシラーが入っていることに気付いて、あの後祖父と父に相談した。結果、返ってきたのは、「一番大切に扱わねばならないのはロキ・フォンブラウである」という結論を下された。その後すぐにピオニーもセネガルも仕事に戻ってしまったので理由は分からないままだが、恐らく人刃の格を表す何かなのだろう。早めにカルかロキに問わねばなるまい。
あまり喋りたい相手ではないのだけれども、そうもいっていられない。プラムがまだ掌握できていない貴族子弟に、どう考えてもロキに喧嘩を売りそうなやつがいるのだ。普通そこ、喧嘩売らないだろうと言いたくなるような組み合わせになるだろうが、セネルティエ王国は割と人間の血が強いため、世代がすぐに入れ替わって事実が忘れられていく傾向にある。特に、リガルディア王国が帝国とタメを張るくらいの軍事国家であることなど見聞きもしていないような世代しか学園にはいない。
留学生が来るというのは、同年代の他国の王侯貴族の子弟に自分の政治手腕を見せる場にもなり得る。リガルディア王国は基本的に政治的に相手を利用するとか考えない国であると伝わっているものの、ロキの名があるならば話は全く変わる。ロキ、つまり賢しき者の手の平で総て廻る傀儡国家が出来上がってもおかしくないのだ。リガルディア王国の王族が考えることをやめているわけではない。人間ではない者たちの中に、頭の回る人間のことが分かる人間ではない者が現れたという状況なのだ。
人刃族は吸血鬼族にとっては天敵である。同じく血を媒体として獲物を狩るものの、人刃族は人間にとって有用であると同時に、人間を侵食することで数が増えるのだ。人間の欲を叶えるかのように。寿命を恐れれば侵食して半永久的に生きる人刃に変える。力を欲せばその身を刃に変え、戦場を駆ける一騎当千の将へと人間を変える。
そして、吸血鬼は人刃に侵食される。
もう恐れる以外の方法がない。というかこっちくんな。
それ以外言えないのだ。通常の人刃族は吸血鬼をも人間とカウントするため、危害を加えられることはほぼありえないのだが、フォンブラウ家に現れるロキには気を付けろ、と、プラムが見たことのある御先祖様たちの日記には載っていた。どういうことだ。
ロキがプラムの頭を悩ませる原因になったのは、これらの理由による。吸血鬼族以前の問題としてフォンブラウのロキってそんなにとんでもない存在であるらしい。セネルティエ王国もせいぜい1000年続いているだけの国なので、リガルディア王国の貴族たちのことを調べるなら帝国かリガルディアに行かなくてはならない。
さて、このロキは客人である以上は邪険に扱うことも出来ずどうすることもできないのだが、プラムはなるべくロキとかかわらなくていい日を作ろうと思い立った。だがここで予想外に嬉しいことが起きる。なんとびっくりロキ側から提案してきたのだ。自分の主な行動パターンとスケジュールまでメモ書きして渡してくれた。まさかロキがプラムを苦手としたわけではあるまい。多分、というか十中八九プラムがロキを苦手にしていることにロキが気付いて気を遣ってくれたのであろう。分かっているそんなこと。みなまで言うなというやつだ。
しかし、これからは客人のおもてなし等々を含めて、同学年のプラムの仕事となる。公爵令息であるロキと話すのを避けるのはあまりよくない。そもそもロキはカルの傍にぴったりくっついていることが分かっている。
「元気ないわね、どうしたのよ」
「何でもないです……」
目の前の通称“怪物王女”に茶会に付き合ってもらいながらこれからのことを考え、小さく息を吐いたプラムだった。
♢
リガルディア王国の留学生一行に与えられたのは、王宮内の仮の部屋。カルとロキは1部屋ずつ、従者であるゼロは使用人部屋に、オートとセトが同室、ソルとナタリアが同室、となる予定だったが、ロキが先にプラムに部屋割りについて変更を伝えたため、オートとセト、ゼロが同室となった。オートがドワーフ混血で広い部屋に慣れていないこと、セトもゼロも護衛役を兼ねているのであまり部屋が広がるとよくない、という理由付きだ。リガルディア側の我儘という形で最初から持ってきたのがなんともいやらしいとはピオニーの言である。プラムもそう思った。セネガルは、ロキ君を警戒しすぎだ、とおおらかに笑っていたけれども。
ロキに与えられた部屋は二階にあり、カルの部屋と使用人部屋で繋がっている大きめの貴賓室で、恐らく代々リガルディアの貴族を迎えるときに使用していたと思しき落ち着いた意匠の多い部屋だった。何が怖いって、竜と人刃は金属や宝石に詳しいのである。芸術作品の価値こそ理解し得ないが、メッキや質の悪い宝石などを使っていたら絶対に目についてしまう。あと、カルたち王族やイミットに限らずリガルディアに生息するドラゴンの多くは光るものが好きだ。宝石があったらつつき回す。無意識に。なので、リガルディアの貴族を迎える部屋は多くの場合布や木工、ドワーフレベルの彫金の施された家具の類しか置かない。使う茶器は陶器がいい。ガラスは目を引いてしまう。
こまけーんだよ!!
という声が聞こえてきそうだが、ロキもこの法則は知っている。人刃は宝石を無意識に大事にしている人の目と見比べるし、防御力に極振りしているリガルディア王家は確実に鋼竜のイミットが混じっている。鋼竜は宝石に溜まった魔力を喰らうので、宝石の質が分かる鋼竜は質の悪い宝石を避ける性質を持つ。質の良い宝石は魔力をふんだんに溜め込むのだ。
布や木をメインに装飾を施すのはもう1つ、リガルディアぐらいにしかもう残っていないとみられるドルイドを尊重する形にもなる。ドルイドは金属を身に着けられない。木をあえて使うことで雰囲気も合って一石二鳥だろう。
そんなこんなで、ロキのいる部屋の雰囲気は、青っぽく統一されていることを除けばロキの部屋と雰囲気が似ていて、ロキは落ち着いて過ごすことができた。ちなみにカルの方の部屋は赤かった。リガルディア王宮は赤がメインなのでいっそ落ち着いているそうである。
下町に降りた際、ロキは早速セネルティエの本を2冊ほど購入した。製紙技術が発展している関係か、カドミラ教の経典のコピー本が出回っていてつい手に取った。敢えて原本と同じ古代文字で書かれた経典は、ロキでも知らない言い回しが混じっていてむしろ勉強になっているくらいだ。古典を読む気分ってこんな感じだったのだろうか。前世にて大学で人文学に進んだというルナに一度聞いてみたいものである。
「ロキ、そろそろ休憩にしないか」
「ん、」
ゼロの声にロキは顔を上げた。ライトを消して、春先の柔らかな日光で本を読んでいる。栞を挟んで、ゼロが目の前に置いた煎茶を飲んだ。ゼロが自前で持ってきた湯呑は磁器で、貴族の前に出すには地味なんだろうなと思いながら湯呑をローテーブルに置く。
ゼロに正面への着席を許せば、正面にゼロが座った。ロキは背もたれにもたれてぐだっている。暇なのだ。外に出てプラムを困らせる気にもならないし、学校が始まる直前まで入寮はできない。学校についての注意事項についての資料を作ってくれているというプラムは、多分ロキのことが苦手だ。視線が合うと暫くは平気だが、よく目が合うのでロキを見ているのだろう、そのうちプラムが固くなってしまう。あまりそうならないように笑みを崩さないようにして敢えて視線を切ったりしているのだが、まあ、ロキの顔は、まだ幼さが抜けないためそこまでではないとはいえ、切れ長の瞳の迫力のある美人という形容が最もしっくりくるのだ。何度も視線を合わせたり見つめ合おうものなら気圧されるだろう。
母上は肝が据わっていたのだなあと関係が無いというか斜め上の方向に思考を飛ばしたところで、ゼロが珍しくロキではなく窓の外を見ていることに気が付いた。
視線をそちらに向けると、窓の外、遠くに人影がちらっと見えた。庭園を歩いているようだ。ロキは人刃であり、目が良い。ゼロも目が良いので見つけてしまったのであろう。こちらに歩いてきているので、散策が終わって戻ってくるところなのだろう。
黒い髪の少年が2人。背が高い方は赤いジャケットを纏っており、背が低い方は学ランのようなものを着ている。軍服だろうか。セネルティエの軍人にしてはデザインが違う気がする。
ふと、視界から出る前に背の低い方の男子とロキの目が合った。
「――」
「――」
学ランの少年が構える。赤いジャケットの少年が学ランの少年に何か言っている。気配を無意識に消していたようで、ロキが窓を開けると漸く赤いジャケットの少年を目が合った。
「――ええと、どちら様でしょうか」
赤いジャケットの少年は、赤みがかってはいるが茶の瞳をしていた。この大陸ではほとんど見ない色だ。日本人みたいな色だと思いながら学ランの少年を見れば、こちらは瞳が真っ赤だ。また、マナの流れがおかしい。“合成物”を見るのはロキも初めてだった。
「ロキ・フォンブラウと申します。リガルディアからの留学生ですよ」
「ああ……名乗り遅れました、キョウシロウ・フォン・カミーリャと申します。できれば名字で呼んでいただきたい」
「わかりました、カミーリャ殿」
ここで名乗らないということは“合成物”はおそらく彼の従者なのだろう。ゼロが名乗るかと小さく問うてきたが、名乗らせる必要も無い、相手への失礼になる。
「あまり聞かない名ですね。もしかしてイミットの?」
「はい……祖母がイミットの血を引いているらしいです。変わった名だとよく言われます」
前世では溢れていたと言っていいが、ロキも特に何を言うでもない。致し方ない。
ロキは“合成物”に目を向ける。帝国貴族でイミットの血を引いているならば彼の苦労も偲ばれるというものだ。ガントルヴァ帝国は人間至上主義且つ純血主義を掲げており、リガルディアやセネルティエの王族と結婚する可能性のある王族は疎まれているか、よっぽど政治的に邪魔な位置にいるかのどちらかであることがほとんどだ。
しかしそんな帝国で辺境伯の位を戴くとは、このキョウシロウと名乗る少年の父親はどれほど皇帝の信任厚い存在であるのか、是非会ってみたいものである。案外、皇帝がやんちゃしていた頃の仲間だったりするかもしれないが。
ロキはちらと“合成物”の少年に視線を向けた。
「彼は鬼ですか」
「!」
明らかにカミーリャが警戒態勢に入る。まだ触れない方がいいのだろうが、興味が湧いたものは仕方がないだろう。こういうところがロキがリガルディア貴族であることの証明であるかもしれない。しかしロキだって引き際くらいは弁えている。
「ああ、そんなに警戒されるなら触れないでおきましょう」
ロキはふと、記憶の隅に引っかかっている前世で世話になった“センパイ”の顔を思い返す。自分は、その人からその役職を受け継いだのだったと記憶している。
「なんで笑っているんです……?」
「……いえ、貴方がたが、前世での先輩たちにあまりそっくりだから、懐かしくなりまして」
「……転生者なのですか?」
「ええ、こんなナリですがね。京四郎先輩名前変わってねえや」
ロキは小さく呟く。もう会えない人たちだ。何度繰り返したかわからないから、正しくは前世なんかじゃないのだ、遠く遠くはるか昔におそらく失われた命だ、きっと彼らはそんな彼らの平行存在とかいうものなのだ。自分の中の高村涼が完全に消えたらきっと、この感覚は完全になくなってしまうのだろう。消えかけているこの感覚も、懐かしむことさえも出来なくなるだろう。ループの上に成り立った前世の記憶のフィードバックであることの証明かもしれない。少なくとも、ロキの中の高村涼の記憶は、徐々に薄らいでいっている。
早く終わらせなくてはならない。このふざけたループを、時は進むべきなのである。
「そちらはユウイチという名ではありませんか」
「……」
困惑気味にカミーリャを見る男子に、カミーリャが小さく頷いた。
「そうです。彼はユウイチといいます。呼ぶならばタウアと」
「わかりました。ついでと言っては何ですが、こいつは俺の従者のゼロ。イミットです」
ロキが流れでゼロを出せば、ゼロが窓に近付いてきて、カミーリャに軽く会釈をする。カミーリャも軽く会釈を返し、タウアもまた会釈を返す。
「これからよろしくお願いします。留学生同士仲良くやりましょう」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ロキはでは、と言って窓を閉める。カミーリャとタウアは静かに踵を返した。ロキは彼らに背を向けて読書を再開する。
カミーリャの留学の理由がどうであれ、帝国貴族というだけでセネルティエ貴族からはかなり目の敵にされるはずだ。帝国はリガルディアよりもデビュタントの時期は早いが、あの調子ならば多分まだ場数をそんなにこなしていないのではなかろうか。もっとこなれないと、人間の中にぶち込まれたらあっという間に潰れそうだ。
「仲良くなれるといいな」
「そうだな」
ロキの思いをたった一言に集約して見せたゼロに相槌を打ちつつ、ゼロが入れ直した煎茶を飲み干した。
♢
「……不思議な人だったな」
「……はい」
カミーリャの言葉にタウアは小さく頷いた。こちらの名乗りが不足であったにもかかわらず何も言わずに流し、前世の話をして、そのまま帰っていった。
転生者であることを他国の貴族に明かすのは絶対に良くないことだが、いきなり触れられたくない部分に触れた詫びとでもいうつもりだろうか。微妙に何を考えているか分かり辛い薄い表情の少年、名は、ロキと名乗っていたか。
タウアを連れて与えられた部屋へと向かう。
フォンブラウならリガルディア王国の公爵家。とんでもない大物が留学してきているものだなと思いながら、カミーリャは今後の予定を思い返す。
カミーリャは2つの使命を背負っている。使命などと言うと大事に聞こえてしまうけれど、1つは父の願い。帝国とリガルディアには実は交流がほとんどない。それは商人から成り上がった彼の父にとって障害でしかなかった。まずは、交流のために閉ざされたルート開拓が必要になるのだが、ここを、一番国境に近い所にいる貴族にやってもらおうという腹積もりである。そこまで交渉遣ったことないのになんで俺をこんな状況に放り込んだんですか父さん、と今更だが言いたくなった。
だってリガルディアの西を治めてるのって、フォンブラウじゃないですか、やだー。
カミーリャがちょっと胃の辺りを押さえたのを見てタウアが後方で慌てているのは、また別のお話である。
最終的にはどうせフォンブラウの許可がいる。なら、ロキに話を持って帰ってもらうしかないだろう。しかし、ロキの名を持つ賢しき者との交渉とは、大人でも苦労するのに子供の自分にできるか不安になるカミーリャである。しかも、見ただけで分かるほどの実力者ときた。
カミーリャ家、帝国の新興貴族、辺境伯。代々魔術が得意だった血統の娘を娶り、カミーリャ――キョウシロウの父が興した家である。商人からの成り上がりながら、現在は西側諸国に対しての壁の役目を果たしている実力主義の家。
カミーリャ自身は魔物との戦闘経験が浅く、そこも含めて色々学んでおいで、とは送り出してくれた母の言葉である。相手を見ただけで何となく実力が分かるあたり、既にそこそこ練り上げられた域に到達してはいるのだが、如何せん相手は人刃である。人間の交渉がまともに通じる相手ではないのだ。
見ただけで分かったロキとの実力差。ロキは非常にほっそりとしているのが腕にまとわりついていた袖部分のふくらみで分かったし、けれど筋肉がないわけではないのもわかった。あれで得物は何だろうか、重量武器だったらそれはそれで笑ってしまうかもしれない。
きっとタウアよりもロキの方が強い。ロキは近接型ではないような気がするが、リガルディアの国風は知っている。老若男女関係なく実力主義だ。貴族は特にその気風が強いと聞く。公爵家出の彼が近接戦闘をこなさないとは思えないのである。
王族であるカル・ハード・リガルディアの丸め込みは“怪物王女”に一任しているとはいえ、ロキの相手は骨が折れそうだ。
ロキが彼に勝手に懐かしさを覚えて協力しようという姿勢になっていることなど、カミーリャは知る由もない。ロキの外見の威圧感なんて見掛け倒しだと、カミーリャが気付くのはそう遠くない未来のことである。




