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2021/08/28 大幅に改稿しました。
「雨になっちゃったな」
「そうですね」
前日のバタバタで少々疲れが残っているロキは部屋で本を読んでいた。フレイとは天気だったらスカジも一緒に武術の師範であるアンドルフの所へ行こうという話になっていたのだが、残念ながら雨だった。とはいえロキは今日万全でないので雨になってくれて少しほっとしたところもある。
「今日はせっかく勉強お休みなのに。ロキは何かする?」
「んー……特に何も……」
昨日デスカルから言われた情報がなかなか頭を悩ませていて、ロキはフレイとの会話にも集中できなかった。フレイはそんなロキを気遣って、言葉を掛けない代わりにロキを膝の上にのせて頭を撫で始める。
「?」
「いいよ、ロキ。昨日色々遅くまでお話してたって聞いてる。ゆっくりしてていいんだよ」
フレイなりの気遣いなのだろう。ロキはフレイの胸に背を預ける。5歳と9歳の体格は一回りも二回りも違うので、ロキが寄り掛かったところでフレイはびくともしない。
すぅ、とロキが寝入ったのを確認してフレイはロキをベッドに寝かせた。
「……本当は、分かってなきゃいけないんだろうけど、分からないんだ。ごめんな、ロキ」
部屋の前を通りかかったときに漏れ聞こえた、覚えていないだろうな、というデスカルの、赤の他人に向けられた言葉が何故かフレイの脳裏にこびりついて離れない。知っているはずの事実を、知らないが故にロキがこんなにも困難に晒され続けているように見える。自分は知らなければならない。少年の悲壮な決断を、精霊たちは見ていた。
♢
ロキの体調は午後には回復し、アーノルドは仕事、スクルドは茶会に行った状況で、デスカルとアンリエッタが子供たちに魔術を教えることになった。ロキに魔力操作を教えるところまではアンリエッタとデスカルの意見は一致していたが、その先で意見が分かれ、結果的にはデスカルの方の意見が通った。
「ロキ様は精霊を目視できません。それは事実ですが、それでも余りある魔術の才能をお持ちであると私は自信を持って言う事ができます」
「そこは同意するがね、今のロキは他人による術式で魔力を無理矢理吸い出されてるんだ。下手に魔力を扱えるようになって、奴さんに渡す魔力を増やしては意味がない」
魔術を一刻も早く教えてあげたいアンリエッタと、ロキを呪っている張本人が組んだ厄介な術式を解除するまでは手出し無用と主張するデスカルの意見で、アーノルドは今回ばかりはデスカルの意見を取ったのである。
上位者が警戒する個人とまともに子供をやり合わせる気はないという事だ。
上位精霊との突然の契約にスクルドが反対の声を上げたが、これもアーノルドが退けた。普段であればスクルドから乗って来そうな意見であるのにと呟いたロキに、上位者が絡むと彼女は未来が見通せないからな、とデスカルが教えてくれた。スクルドがスクルドなりにロキの事を思ってくれていると分かって、胸の辺りが温かくなったものだ。
フレイとプルトスが火の玉と水の玉をそれぞれ浮かべている。夜には客人が来るということで武術の訓練は少しだけやることになったので、アンドルフもこの場に来ていた。
「ところで、ロキ様が精霊を見ることができないものは精神的なことに起因すると聞いていますが、具体的には? ロキ様はまだ5歳です。精霊との間に何かあるとは思えません」
アンリエッタの放った言葉にロキは目を見開いた。魔術の訓練をしながら、アンリエッタはデスカルにロキの事を問うたようだ。
「……ロキの魔力回路がやたらめったに絡みついているのは知ってるな」
「ええ」
「原因は同じところにある。魔力回路の絡みさえ無きゃ、精霊がどうとか晶獄病とか言わなくて済んだんだがな」
デスカルの言葉で、ロキは自分の精霊が見えない事実がループに起因するものだろうと理解した。本当に5歳ならばいざ知らず、前回があるとなれば、話は全く変わってくるだろう。しかも、最低20年とデスカルは言っている。この5年で魔物に襲われたり病を発症したり自分以外の転生者に会ったりとバタバタしていたロキは、20年もあれば精霊の事でトラウマを抱えてもおかしくないんじゃないかと思えてくるのである。
どん、と音がしたのでそちらに視線を向けると、フレイの火の玉がプルトスの水の玉を打ち消したようだった。辺りに水蒸気が立ち込めている。フレイもプルトスも一旦魔術を撃つのを止めて、水蒸気が晴れるまで待っていた。
ロキは自力で魔力を扱う練習のために、魔力循環を行うことが決まり、その時付き合うのは基本リオに決定した。リオは闇属性の魔力を持っていることと、ロキと最も魔力のマナ構成が近いためだ。上位者とは相性が存在するという事でもある。
アンリエッタの方は、ロキの事を抜きにすれば、スカジとプルトスを受け持っている状態になった。スカジが予想以上にアンリエッタの授業についてくるので、プルトスと同じレベルの魔術を今は学ばせている。プルトスもフレイも決して魔術の才能が無いわけではない。フレイに関しては後継として担当の家庭教師が別に居るので、其方に任せられている状態だ。
フレイとプルトスの撃ち合いは、後継者のために選ばれた家庭教師と、後継者を支えるほかの子供たちの家庭教師のそれぞれの評価基準となってくる。リガルディア王国で何よりも優先されるのは貴族としての在り方ではあるものの、同等に考えられるのが実力であり、魔術の才能であり、実戦に向いているかどうかである。
アンリエッタは後継であるフレイ以外の子供たちをアーノルドから託された。ならば元冒険者としても、人生の先達としても、この子供たちを導くのが自分にできる精一杯のことだろう。
それにしたってロキの事は気にかかるわけだが。だから手を出してきている上位者に直接ずけずけと聞いていく。
「ロキ様の魔力循環はどうやっているんですか」
「一番相性のいい奴に任せてるが、基本的には魔力を流し込んで溢れた分を受け取って、っつーの」
「環状循環法ですか。一般的な練習法ですね」
「ロキ様はちょっと人肌に慣れさせないといけないからな」
一体ロキの何処に人肌に慣れなければいけない事情があるのかさっぱりわからないロキだが、デスカルはまだアンリエッタにループの事実を知らせていないためこんな曖昧な物言いになっているとロキだって理解している。プルトス、フレイ、スカジはループを知らせたところでなんだか納得してしまいそうなくらい頭が回るというか、加護の所為もあるかもしれないが、とりあえずループを知らせても問題はないと思っている。子供に教えることではないから、もっと皆が大人になってからでいいやというのがロキの意見だった。
マナの流れが見えないことにより八方塞がりのロキを、どうにか生かし続けるためにはこの上位者たちが努力せねばならない。ループのせいで子供のような存在を巻き込まれたと言っていたが、感情的にデスカルが言うほどの大きな原因に思えない、ロキは自分の達観ぷりをどこか遠く考えていた。
♢
デスカル、アツシ、リオの3人も一緒に食事を摂ろうという話になった段階で、デスカルが流石にツッコミを入れた。
「アーノルドさんや。流石に傭兵を同じ卓に着かせるってのはどうなんだ???」
「問題あるまい。お前たちは上位者でもある。身分でうだうだいう意味がない」
「人間の社会に溶け込んでるんだから人間らしくしなさいよ人刃の申し子め」
デスカルはアーノルドの指示で料理人が準備してしまった温かい食事を無碍にも出来ず、一緒に食卓を囲むことが決定する。食事がやたら多いなとロキは思っていたのだが、準備ができたすぐ後に食堂中の窓がガタガタと鳴り始め、アーノルドが「来た」と呟いたので、どうやらムゲン一家が来たらしいことが分かった。
ガルーとリウムベルがさっといなくなって、5分ほどで食堂に3人の人影を連れて来る。2メートルはあろうかという黒髪に蜂蜜色の瞳の大男と、すらりと背の高い黒髪に赤い瞳の女、そして黒髪に赤と蜂蜜色のオッドアイの少年だ。
ロキと少年の目が合う。
「皆、こいつがムゲンだ」
「こっちがドゥルガーよ」
アーノルドとスクルドの紹介の後、大人2人が名乗る。
「ムゲン・クラッフォンだ。アーノルド、お前のチビ数多くねえか???」
「ドゥルガー・クラッフォンだ。こっちは私たちの子供のゼロ。ロキ君と同い年だよ」
「……」
ドゥルガーの脚にしがみついているゼロは、年相応に見えた。けれどその目はじっとロキを見ている。ロキは首を傾げた。目を逸らすタイミングも無く、2人は見つめ合っていた。
「とりあえず、食事にしよう。冷めてしまう」
「おお、まじか」
アーノルドの近くに客人であるムゲンとドゥルガーが座り、ゼロは子供たちの隣に座る。漸くゼロと視線が交わらなくなったロキは、食事の間ゼロがずっと自分を見ているような気がしたのだった。




