9-13 どこかの世界線
2025/03/01 加筆・修正しました。
ロキ・フォンブラウという少年。
彼は小さく息を吐いて外を見ていることが多かった。
多くの精霊から嫌厭されていた彼は、精霊の力を借りずとも確かにその道を歩むことができる少年であった。
彼の中には戦争が起きるビジョンが浮かんでいたのだとは、後に分かったことである。
泣いていることが多かった幼い頃と、全くと言っていいほど涙を見せなくなってしまった今のロキとの差に、家族は悲嘆に暮れていた。
フォンブラウ公爵アーノルドがロキに構ってやれなかったのは仕方がないと皆割り切っていた。ロキが割り切っていたのが一番大きいのだが、父アーノルドこそが何よりも苦しんでいた。構ってやらねばならないという焦燥があった。そうしなければいつかどこかでロキが壊れると、そう、分かっていたのではないだろうか。
アーノルドだって、大切なモノを、喪っては居るのだけれども。
高等部を卒業すると同時に戦線へと放り込まれた貴族の子弟は大半がロキの事を嫌厭していた。ロキは自分の意見を求められた時以外言わず、任された仕事はこなし、嫌がらせを受けても少々怒りはするがそれだけで、感情が薄く感じられる存在だったのだ。理解できないものを怖がるのは人間も人刃も同じだったのだろうか。
「――ロキ、この作戦任せるよ」
「ああ」
レオンが作戦の説明を終えてロキに確認を取る。ロキは笑みを浮かべたまま小さく頷いて見せた。レオンはこのロキの表情が嫌いだった。何を考えているのか全く読ませない、社交界に居る古狸と同じ雰囲気を纏う同級生が、苦手で、気味悪がっている。正直言ってカルのお気に入りだから一緒に居るだけだった。
任された作戦を基本的にしっかりとこなしてくるから有能なのだろうけれども、それでもこの表情が嫌いだ。本心を読ませない張り付けた仮面のような笑みを叩き壊してみたかった。
ガントルヴァ帝国との戦というのは、基本的に厄介ごとが多い。
幾つもの手立てを事前に仕込んであるのか、対策をとっても次の手がすぐに繰り出されてくる。相当な切れ者が中枢にいるのではないかとは割と囁かれている話だ。
そして今回は、相手の取ってくる手段がいまいちわかりにくかった。情報が錯綜したのを相手の嘘に踊らされている、と言い切ったのはロキだった。今の今まで黙っていたのに何を今更と思いもしたが、逆である。ああ、お前が口を出してきたということは、もう限界なんだな、とカルが呟いたのを、レオンはきっとずっと忘れることはないだろう。
ロキがひとつひとつ情報の整理をして、嘘であろうものを潰して、導き出された相手の作戦は2つ。
1つは近接部隊についてで、其方はリガルディア側でも対応できる者を向かわせることになった。正直言って、ロキが口を出してきた時点でかなり追い詰められていた。近接部隊に銃と弓で対応してきていた帝国軍がまさか一騎当千クラスの近接戦闘ができる騎士を送ってくるとは思わなんだ。その騎士単騎に当時戦線を率いていたグラート公とコンフィテオルを討ち取られ、リガルディア王国軍、もといグラート公率いる竜混じりの部隊は瓦解した。
カルだけでなく、多くの王族やアーノルド公まで憔悴してしまったのは記憶に新しい。
だからもう、取れる方法も、残されている方法も限られている。カルが直接動けなくなって、ロキが指揮部隊に参加してきたというのが実情。
崩れた部隊を立て直すのが難しいことを悟られてはいけないと、別の貴族を立てることになったが、その貴族もロキが選定した。
カルはロキに全面的に信頼を寄せているようで。正直、レオンにとってもグラート公とコンフィテオルの討死はかなり応えた。そこに参加してきたいけ好かない奴とか、ストレスでしかない。
そしてロキがもう1つ明かした相手の作戦が、召喚術による上位者の前線への投入であった。
これに関しては、もうどうしようもない、というのが正直なところだ。上位者に敵うなら、皆上位者を崇めたりしない。力を借りなければならない絶対者のような扱いなどしない。
だから、今も作戦などと言ったって耐久しかなかった。貴族が矢面に立って、平民の避難の時間を稼ぐくらいしかもうやることはない。王族と民草を生かせば国は生きる。貴族は消耗品だ。そう言い切ったロキを、レオンは非難しない。そう言い切ってくれるだけの実力者は彼以外居なかった。彼がそう言わねば、誰かは逃げ出したかもしれない。
自分も消耗品だと言われた気がして嫌だったのは事実だけれども、けれども。
消耗品と言って、自分をそうやって擦り減らしているのは、ロキも同じだった。有言実行ならばついて行くしかない。むしろカル王子からは監視を仰せつかっていた。
『――たぶん無茶をするから、死なないように見ててやってくれ』
ロキは、どんな無茶をすれば死ぬのだこの男と言わしめたフォンブラウ家の三男である。なのに心配されていた。カルがなぜ彼を気に入っているのかもわからない。分からないことだらけで知らないことだらけだ。それでもレオンはカルについて行くと決めていた。カルは、魔力量が低く周りから馬鹿にされていたレオンを庇い、取り立ててくれた。恩義ひとつといえばそうだが、レオンにとってはそれが全てだった。
ただ、レオンにも分かっていることがある。カルは、竜混じりの王種だった。王種は自分の民が死ぬことを嫌う。グラート公もコンフィテオルも竜混じりだった。ロキも、祖母が王族なので竜混じりだろう。ロキが死んだらきっと王種は悲しむ。そして、レオンもまた、竜混じりだった。王種が悲しむのは、嫌だ。
「――1つだけ、いいだろうか」
「ん?」
ロキが口を開いたので驚いたレオンは首を傾げた。
「どうした?」
「……俺は。光属性を扱えない。お前が要る時点でお察しだが」
「……ああ、属性相性のことを言っているのか? 私がいるだろう?」
「……」
ロキが珍しく眉根を寄せて分かりやすく渋っているので、レオンはさらに首を傾げる。
「何を戸惑っている?」
「……やっぱりだめだ。レオン、お前は逃げろ」
「は?」
レオンは鈍器で頭を殴られたように感じた。ロキは今何と言った?
「逃げろだと? 何を今更!!」
「話を聞け。これから当たる相手は光以外の魔術も魔法も効かん」
「なんでそんなことが分かる?」
「……言えない」
ロキは渋った。素直に何か言ってくれればいいのにとレオンは思う。
ロキの襟首を掴んで詰め寄った。
「お前が言えないなら確固たる証拠もないんだろう? それともお前が向こう側と通じていると?」
「――そう思われるのも仕方がない言い方をしているのは自覚している」
「素直に言ったらどうなんだ」
「誰も信じない」
「言ってもいないのに信じないって決めつけるのか」
「昔言った。誰も信じなかった。それだけだ」
ロキは温度のないラズベリルの瞳でレオンを見据えた。レオンは目を見開いた。
ああ、思い出した。昔ロキは不思議君扱いを受けていたのだったか。そうだ、あれがあったから、私は、ロキを。
「……たしか。この世界みたいな物語を知っている、だったよな」
「……」
「この世界を物語だとでもいうつもりかと言って、怒ったよな、私は」
「ああ……」
ここで言い出したということは、言わずにいたそれを表に出したということは、隠し続けてきたそれを言い出したということは、きっと。
「……一応言い訳を聞こうか」
「……向こうに召喚士がいるだろう? あいつらの召喚に連鎖で反応するやつがいる」
「絶対か?」
「絶対だ」
「何?」
「ベリアル」
「……愛と狡猾さの御柱が?」
「倒せない。押し返すしかない」
「回避法は」
「ない。圧倒的魔力量でやるしかない」
「私ではだめか」
「俺クラスの魔力量が必要だ」
「お前は光が使えない」
「精霊の力を借りる」
「馬鹿か!」
レオンは悲鳴を上げた。ロキは何を言っている。死ぬ気か。精霊と契約を結べないロキにとって、ただでさえ相性の悪い光属性の精霊の力を借りるということは、自殺志願に近い。
「精霊がそう簡単に応えるわけがないだろう! お前は精霊に嫌われているんだぞ!?」
「強制契約以外に何かあるか」
「精霊を傷つけてどうする!」
「嫌われ者がこれ以上嫌われて不利益があるとでも?」
「――」
ああ、だめだ。分かってしまった。
レオンには、分かってしまった。
ロキは死ぬ気だ。
嫌われているからこそロキはこんなことを言いだしたのだ。自棄になったわけじゃない。それ以外に思いつかないからこうなっているのだ。
カルが言った言葉の意味を。
やっと理解した。
レオンが聞きたかったのはそれではない、そんな、同僚の死を覚悟したようなセリフではなかった。
誰も引き留める者はいないのだろうか。
ロキの人間関係を思い返す。
家族――きっと悲しんでくれるだろうけれども、跡取りは兄のフレイだと決まっている。ロキが頓着するはずがない。
友達――いない。ロキには友人と呼べる者がそもそもいない。まさかわざと作らなかったのではないだろうなとロキを睨みつける。
恋人はいない。理由は不明だ。ロキがソルという男爵令嬢に思いを寄せていたのは知っている。けれどついぞ告白もしなかったらしい。全部カルから聞いた。学生時代細かくカルがレオンたちを集めてロキの近況報告などしていたが、その知識が役立とうとは思うはずもない。
ああだめだこれではだめだとレオンは奥歯を食いしばった。
逃げろと言った意味を考える。
何故ベリアルだと分かっているのか、きっと不思議君であることに直結するのだろうけれども。
「……何故私を逃がす?」
「お前なんかにあれが止められるものか。裏ボスだぞ」
「裏ボス?」
「物語に関係の無い所で挑戦する敵だよ。あいつが出てくる条件を満たした以上、バッドエンド以外にエンディングは存在しない」
「本当に物語みたいに言うんだな」
「……案外俺はお前らのことを1キャラクターとしか見ていないのかもしれないな?」
酷い男だなとレオンは思う。絶対にそれは違うだろう。もし本当にキャラクターだと扱っているなら、こんな泣きそうな眼はしないはずだ。
襟首を掴んでいるのにバレていないとでも思っているのか。
自分の身体が震えているのに気付けないわけじゃないだろうに。
物語だと割り切らないと前に進めなくなっているだけじゃないのか。
レオンはロキから手を放す。
「……お前は酷い男だな、ロキ。私が気付かないとでも思っているの?」
「……賢しいやつだな、君は」
泣き言が言えないのは、きっと言い方が分からないからだ。
怖くないわけじゃなくて、スーパーヒーローでもなくて。
きっと、嫌われていると自覚があって、苦しんでいたのではないだろうか。
誰にも何も言えない、そんな貴族の子弟はたまにいる。けれども。
誰が、彼を顧みたことがあるだろうか。
家族も、親族たちも、友人たちも、従兄弟たちだって、きっと手探りで、自分の命を大切に生きて、ロキも、そうだった。ロキ自身だって、自分の命を精一杯生きようとした。
けれど、それだけでは駄目だった。
誰にも顧みられなかった白銀の青年は。
泣くことなく、金髪の青年と別れた。
♢
強制契約。
精霊に多大な負荷をかけるものだ。
ロキは光の上位精霊に声を掛けた。精霊は嫌がった。だからこそロキは全力で強制契約に持ち込んだ。すぐに魔力が回復するように魔術と回復薬で仕組んで、ベリアルに備えた。
来るのは分かっていた。知っているから。ゲームで散々お世話になった存在だ。
厳密には裏ボスの1人程度の認識なのだけれども、それであったとしても苦しめられる相手であることに変わりはない。
今、ロキは、彼の御柱を押し返さねば国が潰される状況に置かれている。ベリアルはこの世界においては神の一角に等しい。神を殺す力はこの世界にはない。
ベリアルだって上位世界の住人だ。
だから、同じく上位世界の住人に頼る。
己の全てを擲って。
大丈夫。
俺には振り返るべきものは何もない。
だって、全部置いてきた。
置いてきてしまった。
置いて来れてしまった。
想い人と通じ合ったわけでも、自分の実家の跡取りが自分だったわけでもない。
ああ、そうだ。
――俺は、無敵だ。
この先の世界を夢見て。
ロキ・フォンブラウには、最初から何もなかった。残念ながら、ロキ自身はそう思っていた。
死ぬなと言ってくれる家族も、ロキの持つ加護を恐れてロキと距離を置こうとする者たちも、加護を気にせずつるもうとしてくれた友人たちも、大好きだと言い続けてくれる従兄弟たちも、全部、全部、本当は守りたかった。
何もないなんて、そう思いたがっている、子供の強がりだ。
遠くで立った召喚の金色の光の後、世界の空が赤く染まり、空が黒く割れた。
赤い空の黒い裂け目から、烏の如き黒い衣装の男が姿を現す。異常なまでの美丈夫、象牙色の肌、真紅の瞳、烏羽の大きな翼。
無理に契約を結ばされた上位の光精霊はベリアルの出現を見て、しまったと思った。
『ベリアルが来るなら最初からそう言えばよかったものを、このクソガキ!』
白銀の髪の青年は答えなかった。
身体が震えている。怖いのだろうと悟った。
真っ直ぐにベリアルを見据えている。そうでもしないともう立っているのも辛いだろう。
恐ろしい。けれど向かわねばならない。
「……何でそこまでする?」
ベリアルが薄く笑みを浮かべた。青年は目尻に涙を浮かべていた。
血の気が引いている。倒れることはないけれども。ああ、そんなに怖いなら立ち向かわなくてもいいのに。
「やっぱりあいつらお前のことを結局認めてくれなかっただろう? なぁ、ロキ? 大人しくこっちにこいよ。お前はこっちに来る権利がある。堕ちる権利がある。こんなに心も身体もズタボロになって、まだあんな奴ら庇うのか?」
ベリアルはこの世界のとち狂った回帰に気付いているのだと光精霊は悟った。ベリアルの声はきっと魅力的だ。囁くのは甘言。乗ったらきっと国は滅ぶ。けれどもロキは唇を噛み締めて、息を吐き出して。
「……ありがとう。けれど俺はそちらへは行かない。俺を、認めてくれた人がいるんだ――あの人たちを、護りたい」
ベリアルが目を細めた。やれやれと息を吐き出して、じゃあな、と言って。
「今回のお前はここでおしまい。まさか自分の守護精霊をぶっ飛ばしに来るとはなぁ。なんで堕ちないのか疑問だわ~」
「!?」
光精霊は驚愕した。守護精霊を、ぶっ飛ばす。事の重大性に気付いた時にはもう遅かった。
ベリアルがロキに触れる。
「大人しくお前の魔法で吹っ飛ばされてやるよ。だから今度は――」
ロキは困ったように、微笑んだ。
「俺はもう会いたくねえよ、ばぁか」
光精霊は気付いてしまった。自分にも向けられた言葉だと。もう会いたくない――強制契約で自分を縛ったくせにそんなことを言うのか。
怒りが湧いた。けれども、言っている意味も分かってはいる。
「ルキフェル、貴様の属性を貸せ」
何も言わなくても使ってしまうくせに。
「あばよ、ベリアル――極彩の世界に、許されぬものは無し。故に認めぬ、その色に。潰してくれるな、この光。柔らかな木漏れ日と陰と成れ。戦神は過ぎ去った! か弱き命の肯定される、穏やかな世界のために。赤は燃え、緑が覆う。青は流れ、灰を積む。金が照らす、黒の過ぎる、鮮烈なる世界へと、伸ばす暗き腕の主へ。振り下ろされるは断罪の刃、この身の悉くを以て、錠を落とす――【ヘブンズゲート】!」
世界が白く塗りつぶされていく。一番弱い魔法でよくここまで威力を出してくれるものだとルキフェルは思う。けれど、その先に待っているのは。
――大丈夫。もう、こんなことはしないからね。ありがとうございました。
♢
ベリアルとロキが消失したとの知らせを受け取った瞬間、発狂したように悲鳴を上げた少女がいた。
何でどうしてこんなことになるなんてと呻き始めた彼女はやつれた顔で声高に叫ぶのだ。
「こんなの認めません――もう一回!」




