9-11
2025/02/27 加筆・修正しました。次話も短かったのでくっつけました。
平穏無事な毎日が過ぎていく。スパルタクスやペリューンの指導は相変わらずだが、生徒達もついて行けるようになってきた。アランにひたすら走り込みと筋肉をつけるために素振りなどをさせられている生徒も多いからこうなるのは当然かもしれないが。
ロキは基本的にアンドルフに教わった通りの動きしかしない。それは変な癖をつけないためでもあるが、それ以外の動きが今までいらなかったこともある。バルディッシュを振るう時はせいぜいバルドルと対面している時くらいで、後は素手でも捻れる相手が多い。進化個体というのはこういうところでスペックに差が出るのだなとロキは納得した。
また現在、ロキは週に2回はエリオと会い、魔道具の作成に精を出している。エリオにとってはロキと一緒に居られる時間はとても貴重なものであるらしく、ロキに会えばすぐ飛び付くレベルで懐いているのだが、ロキはここまでエリオが懐く理由を知らない。
さて、この日、ロキは手紙を受け取っていた。
封筒の中に便箋はなく、琥珀が突然贈られてきたのである。
「……誰?」
「……」
ロキは椅子に腰かけて琥珀を眺めていた。送り主が書かれていない封筒を見てゼロが眉根を寄せる。
中等部から寮に入っているロキたちには基本的に個室が宛がわれていた。カル、レオン、ロキ、ロゼ、ウェンティ、ホークジェガ、マルグリッド、レイン辺りが個室の生徒である。勿論、このきょうだいも個室だ。
プライベートのスペースがあるというのは良いことだとロキは思っている。こうやって、きっと秘密裏にしておいた方が良いであろう物品のやり取りも容易くなるので。
ロキは琥珀の中に花が入っているのを見て、送り主が誰なのかすぐに理解した。
「……エングライアだ」
「……あの婆さんが……?」
ロキの記憶の中のエングライアはナイスバディなお姉さんだったりおばあさんの姿をしていたりとまちまちである。きっと何らかの薬品でも飲んだのだろう。ゼロが”婆さん”と認識しているように、ロキも最初はエングライアのことを”お婆さん”と認識していた。ロキのエングライア像は一番最初がちゃんと妙齢の女性の姿だったので、お婆さんというより、おばさまといった方が正確なイメージだが。
あれやこれやとポーション――魔力を使用した薬品の呼び方だ――をエングライアが作っているのは皆知るところ。エングライア本人が薬品作りを生業としていることもあるし、ポーション作りの基礎部分を築き上げたのはエングライアである。それまでばらばらだったレシピを体系立ててまとめたとも言われていた。
また、エングライアは“賢者”と呼ばれる人種だ。もともとは薬師だったエングライアが様々な魔術を修めたことで最初の賢者という称号がつけられたようで、今でこそエングライアは『呪い師』だが、元は賢者と言えばエングライアを指していた時期もあったほどだ。
この世界――アヴリオスにはすべての生き物に対して進化の概念が存在している。
ヒューマンにも存在しており、人刃にも存在する。ロキはヒューマンも人刃も混じった血統であったため、最初に純血の人刃へと進化することを目指すことになった。結果的には初のハルバードの真祖という形になったが。
人間の進化には主に4つのパターンが存在する。
1つ目、人として上級種に成る場合。仙人だとか神人だとか呼ばれるものに進化することを指す。これは現在はもはや伝説と化している。
2つ目、人型の魔物に進化する場合。これは死徒列強で言うところの『不朽の探求者』が相当する。アンデッドモンスターならばヴァンパイアやゾンビ、マミー系統だろう。ヴァンパイアと吸血鬼は種族が違うので一緒にすると怒るのだがそれは一旦脇に置いておく。
3つ目、何らかの原因によって不死身になる場合。これはソウルイーター族や不死族が相当する。これは吸血鬼族などになった場合も該当する。大半はまだ神霊が地上に影響を及ぼしていた時代の産物だ。
4つ目、賢者になる場合。これは自身の魔力を長年練って賢者と呼ばれる不老の存在へと自身を高めることを指す。もはや進化するだけのスペックを失いつつある人間にとってはこれが最も不死に近い道であろう。
4つ目のパターンは“賢者”と一括りにされている。方法は1つではないが基本的に常人にありえないほどの知識量を有していることからこの名が付いた。最初にここに至ったのがエングライアだったともいわれるが、ロキ的にはそれは可能性としては低いかな、と思うところだ。エングライアくらいの魔力量の列強は珍しくないからだ。故に最弱の列強、なのかもしれないが。
また、ロキのように、人刃やイミット、巨人や小人のハーフの子孫のような混じり物である場合。これは純血のご先祖様に進化することになる。人間でもスペック的に平気ならば人間になり、人間では足りないと感じれば別の方に進化することが多い。
ロキの場合は、前世が見て来たゲームの進行で未来をある程度予測できるため、これから先の未来で何か大きな戦があるのは分かっていた。ともすれば、人刃から人間に進化することにうまみなどない。ましてリガルディアは基本実力主義である。
「しかし、エングライアもいろいろあるんだね」
「誰かを拾ったのかもしれない」
「そんな簡単に言うな……」
ゼロの言葉に小さく息を吐いたロキだが、あながち間違いでもないような気がする。そも、ロキが会った時のエングライアも弟子を取ったばかりだった。エングライアがいるのはリガルディアの王都を中心に見ているとき基本的に北西である。北西は魔物が多い分エーテルやマナも濃い。薬草の発育が良いので薬草をメインに扱っているエングライアがそちらにいるのはおかしくない。
魔物が強ければ人が死ぬ可能性も上がる。まして今は旧クレパラスト領――現ヴァルブルグ領当主ヴァルブルグ辺境伯が領地経営を始めたばかり。魔物の対策用にフォンブラウ公爵家とそれに付随できるだけの実力者の家を配していたのが政治で潰されたのだから王族としてもかなりここにあてる貴族の選定には気を遣ったはずだ。
政治での潰し方もまずかった。優れた政治手腕を持つ“当主の弟君”が亡くなった直後に潰しにかかってしまったから余計に波風が立った。クレパラスト家は地味だが確実に広範囲の魔物を殲滅する軍事力を当主が持っていたのである。それを潰して市井に追いやった。ロキは本当ならば将来侯爵家を順当に継ぐはずだった従弟の顔を思い浮かべた。
本当ならば危ない目に遭うこともなかったはずの領民たちが魔物に蹂躙されていったという。結果何が起きたかと言えば、田畑も森もすべて巻き込んでフォンブラウ家が一掃にかかった。豊かな大地を焼き焦がし、不毛の大地一歩手前に追い込んだのはアーノルドである。
あの大地を守るためにクレパラストが置かれていたというのに――それを知っている家は少ない。王族、公爵家は知っていた。侯爵家になると知らない家がある。伯爵家は知らない方が多い。子爵家以下はほぼ知らない。
きっと、クレパラスト没落以前のどこかで親を亡くした子供をエングライアが拾ったのだろう。その子供を今育てている途中だが、ロキが会った時にはもうエングライアの外見が変わってしまう何かがあったと見て良い。
エングライアは特に何か実害があるわけではないので、ほとんどの場合放置される列強である。彼女は何も特別なことなどない。ただ、彼女は毒が効かないだとか、ロルディアの子供たちを退けられるとか言われている。そしてそれは恐らくどちらも事実であろう。蟲たちだって死にたくなどない。
「彼女はジャスミンティーがお気に入りだったよね?」
「ジャスミン? 買ってくる」
「あー、待て。なら一緒に行こう。俺も行きたいところがあるから」
ロキは出て行こうとするゼロを呼び止めて出かける支度を始めた。ゼロは外出用の服を取ってくると言って足早に部屋を後にする。
シドが来ない理由はロキにはまだわからないが、おそらく彼も彼で何か用事があるのだろう。縛りたいわけではないから、自由にしていてくれて構わない。
ネイビーの生地に銀糸の刺繍が入ったジャケットを取って来たゼロに礼を言ってロキは袖を通した。そろそろ年度末、一年修了パーティが開かれるまで時間が無くなってきた。切羽詰まっているわけではないけれどもそろそろ衣装について考えた方がいい気がする。シドがいろいろ揃えて来そうなので何も言わなくなっているが。
髪を簡単にまとめてリボンで縛り、外に出た。ドゥーとヴェンが宙で舞っている。
秋も深まるこの時期、空は澄んで風が冷たかった。
♢
出かけたロキとゼロは、先にジャスミンティーの茶葉を買った後、ロキの買い物に向かった。
ロキがまず向かったのは、魔導具屋である。
「魔導具?」
「ああ。お前用にな」
魔導具と魔道具でよくわからなくなりがちだが、明確に違いがある。それは、魔導具は“魔術を発動させる機構”であり、魔道具は“魔術を利用した便利道具”であるという点である。つまり攻撃やら防御やらという話になった場合は魔導具の話をしていることになる。
湯沸かしポットとか、オーブンとか何気に現代に在った物がひょっこり出てきたりするのは魔道具の方である。
ゼロと組手をしていてロキが思うことなのだが、おそらくゼロはイミットとしてはかなり機動力にステータスが振り切れている。何が言いたいかというと、防御に関して、紙ではないが段ボール紙、ということだ。
ロキのようにゼロの速度に追いつける者の場合、ゼロは脅威にならない。むしろ一撃でゼロの首が飛ぶだろう。加えてゼロの魔力属性はその特性上防御や攻撃のステータス補強を掛けることができない。物理で殴れば勝てる。
「お前は魔術や魔法を使うとバフが削ぎ落されるからね。デバフが効かないのは良いけど、もっとも短絡的な物理攻撃を防げんのではお話にならんし」
「う……」
「鱗が薄く生まれたことを悔いろ。そして機動力をメインに鍛え直すように。俺に追いつかれてどうするのさ。ソルにも目で追われていたよ」
「!?」
ゼロがロキの言葉に驚いたように目を見開いた。
ソルが目で追えるということは、ソルの動体視力がバカみたいに高いということのはずなのだが!
「何で追えるんだ……!?」
「……ループでの慣れだろうね。対応されるかもしれないということさ」
ロキは小さく呟いて魔導具を漁り始める。店主の女はカウンターでロキとゼロを眺めていた。
「魔導具で何をさせる気……?」
「あれ、前来た時はあったんだけど……流石に他のやつが買ったか……?」
「何勝手に出歩いてんの……?」
「気にするな」
主人の無断外出は従者であるゼロとしてはかなり気にするところなのだが、ロキは笑んだだけだった。あった、とロキが手に取ったのはペンダントで、ゼロが見ても美しい魔術回路が刻まれていることが分かる。
「これは……リフレクター?」
「ああ。俺が見た中で最も繊細で、美しい魔法陣だよ」
ゼロはロキの手にあるペンダントをまじまじと見つめる。繊細な銀細工で作られたものであるところから見て、おそらくだがそこまで金を持った人の作ではないのだろうことが伺える。
不思議なことに、“優しい”闇の魔力を感じた。
「……アンティーク」
「ああ。……作者は相当な闇魔法の使い手だっただろうな」
ロキはこれならお前にも馴染むだろう、と言ってカウンターへと持って行った。ゼロが魔力に何も感じなかったらきっと買わない気だったのだろうなあとゼロは何となく察した。
骨董品と侮るなかれ。ロキは購入したペンダントをゼロに放って、店を後にする。
「またいらっしゃい」
「はい、また来ます」
ロキは笑顔で店主の言葉を受け、ゼロを連れて立ち去った。
♢
日用品の類をゼロが買いこみ始めたタイミングでロキは刺繍用の布を買い込んでいた。何故男であるはずの彼が刺繍をできるのかなど、問うてはいけない。
身なりのいい子供がこんなところに、と街の者たちは見ていた。ロキが周囲を気にすることなく仏頂面のまま布を睨んでいるのは真剣に布を選んでいるからだ。
近くを歩いていた金髪の男がおーい、とロキに声を掛けた。
「ロキー? 何やっとるんだー」
「スカーフを作ろうかと思っている」
「スカーフならサテンかぁ?」
「サテンは飽きた」
「流石金持ち」
男とロキは知り合いであるらしい。ロキが全く男の方を見ていないので周りは驚いているが、ロキは男をちゃんと認識しているようだった。
「なんか俺にも寄越せ」
「光属性のお前の加護なんぞいらん」
「ひっでえ」
辛辣な反応を返すのは相手をよく知っているからである。ロキは声を掛けてきた青年の正体を、知ってしまった。
金の髪、浅黒い肌、澄んだ浅い海のようなパライバトルマリンの瞳。目元に描かれた幾何学模様。傭兵じみた姿でこそあれ、滲む高貴さは消えない。
彼に贈り物をしてはいけない。彼は精霊である。ロキは今まで知らずに彼と仲良くなっていたようで、最初に言われたのは「まだくれないの?」だったのだから、こいつ精霊だな、というのはすぐに判明した。
「あんま焦らすなよぅ? そのうち絶対俺の加護いるからな?」
「いるとしてもその時までは契約しない」
ロキは基本的に精霊との契約をよく思っていない。他人は関係ない。自分と精霊との契約をよく思えないようなのである。本来ならば喜ぶべき契約を何故彼自身が渋るのか。ロキ自身は覚えのない話であった。しかし実際渋るのはロキくらいなのでロキのループの中に何かあったと見て良いのだが、ロキには記憶も無いのでどういった経緯があるのかわからない。
「そんなギリギリに言われたって契約できないかもしれないぜ?」
「そうやって脅しつつ身を引いて様子を見るのは構わないが、俺が精霊との契約をあまり快く思っていないのは知っているだろう?」
「よりにもよって通常の大精霊クラスばっか拒否ってるってのも知ってるが?」
「ならこれ以上絡んでくれるな。俺とて嫌々ながら契約を結ばれるなど御免だと思っているし、精霊が無償で向けてくる好意が恐ろしいよ」
ロキは青年に言った。青年は肩をすくめて小さく息を吐く。
「今回はいつにもまして警戒心の強いこと。皆泣いてるぜ?」
「えーいうるさい煩わしい。傭兵を装うならそれ然としておけ。貴族に絡むものじゃない」
「逃げんなよ~」
気に入った生地が見つかったのか。ロキは複数の布を手に取ってカウンターへと向かった。
「おーいあんま絡んでやるなよー」
「へーい」
青年に声を掛けた少年が微笑んでロキを見ている。ロキは気付いているらしく、軽く手を振った。
「ちぇ。団長には反応するのかよ」
「どうせお前の契約の件も後引いてんだろ。ルキフェルは無理だしお前が解決してやらなきゃならねえだろアレ?」
「その俺と契約してくれないんですけどォー!?」
――彼らは、ネイヴァス傭兵団。その一部が、リガルディア国内に戻ってきていたようである。
どうするかなあ、と青年は息を吐いた。人工精霊すら拒んでいたのは知っている。今は普通に上空を漂ってロキを見守っている闇精霊と風精霊を見上げた。この世界の精霊とはちゃんと契約を結ぶのに上位者ばかり渋られるのはなかなか不服である。
「既に結構上位者と契約しちまってるもんなあ、“黒”は」
「だから問題なんだろ……このままじゃ俺マジで契約してもらえねえわ」
「お前が遊ぶからだろ?」
「だってまさかここまで融通の利かねえ奴だとは思わなかったんだよ! たった1回だぞ!?」
「人間はその1回が大事なんだろ?」
「うぐぐぐぐ」
少年は赤い髪を揺らしてそこを立ち去る。男は小さく息を吐いてロキが戻ってくるのを待っていた。
じきにゼロが来てロキも戻ってくると、男はまた会いに来る、と言って立ち去る。ロキとゼロは男の背中を見送って屋敷へと戻っていった。




