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2025/02/24 加筆・修正しました。
王宮、執務室。アーノルドは書類とにらめっこしていた。
「……はあ」
ここ最近あまり他国の動きがよろしくない。外交問題にならない程度のことではあるが十分警戒するにこしたことはない、そんな状況、現状。
原因はちゃんとある。魔物がまた活性化しているのだ。フォンブラウ領の税収がやたら上がっているので弱い魔物が増加しているのは分かる。
魔物の活性化は定期的に起こる話だ。数年に一度、ロキが生まれてからは2年に一度は報告されるようになった。慣れてしまえば日常である。
フォンブラウ領のことをほぼ任せている父母と祖父母はまだまだ現役状態であるし、何も心配はいらない気がするのだが、不安で仕方がないのだ。
第2王子カル・ハード・リガルディアがアーノルドに提案してきた来年の『計画』のこともある。もうすぐ終わってしまう今年を懐かしむ間もなさそうだ。新年早々大人は外交という名の机上の戦争を行なうことになるだろう。きな臭い情報が多すぎるうえに、ロキが生まれてすぐ綻びができ始めた教会関係に労力を割いた結果、何やらしょっちゅう男爵級の魔物が出現していることに気付くのが遅れた。
幸い私営騎士団や男爵、騎士爵の出撃でなんとかなっているが、このままだとその内子爵級が出てくるだろう。そうなってくると、群れを作り出す。群れになったら手が付けられない。
上がってくる報告書に頭を悩ませているのは一緒に執務室にいる国王ジークフリートも同じで、はぁ、と溜息が聞こえてアーノルドはジークフリートを見た。
「そろそろ休憩を取るか、ジーク?」
「そうだな、そうしよう……肩こっちゃった……」
こんなに連続で書類を見続けたのは久しぶりだとジークフリートはぼやく。確かに、ここ最近は多少ロギアが仕事をしてくれていたのでアーノルドの所にここまで書類が溜まることも無かった。ロギアが珍しく協力してくれても尚アーノルドとジークフリートの所にこれだけ書類が溜まっているともいう。
ロキは書類仕事で疲れている話を聞きつけたのか、これから寒くなることを見越してか、そしてまだ働けと言っているのか、いわゆる“着る毛布”と回復薬を手紙と一緒に送ってきた。着る毛布なるものは、どうやらロキの前世に関係するもののようで、アーノルドたちが知っているよりもふわふわとした軽い毛布だった。
「息子の愛が痛いよ……」
「いいじゃないか手紙と贈り物があるだけ。うちの子たちあんまり手紙も書かないぞぅ」
カルはロキの影響かたまに手紙と贈り物をしてくることがあるのだが、エリオの方は全くない。そんなことをアーノルドに告げると、そう言えばトールも何も贈って来ませんねとアーノルドから返ってきたので、致し方ない事のようである。
ジークフリートのためにレモンティーを淹れてきたアルが執務室へやってきた。もう遅い時間なのに2人とも大変だなあという目をしている。アルの婚約話を早くまとめなければならないジークフリートを気遣っているのだろう。
ジークフリートの子供は現在5人。上から順番にアル、アイシャ、カル、エリオ、ソフィアである。アルがプルトス・フレイ、アイシャがスカジ、カルがロキ、エリオがトール、ソフィアがコレーと同い年となっている。カルに既に婚約者の話が出ていて、4つ上のアルに婚約者の話が出ていない訳もなく。
「父上、お疲れ様です」
「あぁ、アルもお疲れ様」
「アーノルド卿も、ご苦労様」
「アル殿下も、お疲れ様です」
アルはその金色の瞳をアーノルドに向けた。アーノルドはそれに気付いて目を指し示した。
「え、今金色になってますか?」
「ええ。気を付けられてください」
「分かりました。ありがとうございます、アーノルド卿」
リガルディア王国の法律では、髪と目の色を偽ることは禁じられている。属性を騙る輩が現れるからだ。そしてそれは大罪とされている。主に金髪の子供関係で、王族の血を引いているだのなんだのと問題が多かった時期があったらしい。そして属性を騙ることは、魔術を扱う者として、決してやってはならないことでもある。持っているのに申告しなかった属性で、立ち入ってはいけないはずの場所へ立ち入って、甚大な被害をもたらした、なんて話がまことしやかに伝わっていたりする。
しかしアルは普段、瞳の色を変えて生活している。これは、そうしなければアルが狙われるからだ。もともと王族というのは狙われやすい立場であるが、アルの場合は、金銀の瞳、半精霊を表すそれ。王族は魔力も高く普通の貴族よりは精霊に近しい部分があるため、稀にこうして半精霊が生まれるのだ。
アーノルドはぐっと伸びをして休憩のために席を立つ。あまり座りっぱなしはよくないとロキが言ったので定期的に歩き回ることにしている。
窓の外は曇天だ。もうすぐ雨が降り出すのだろう。
「……平和だな、ジーク」
「そうだな、アーノルド」
呟きは拾われて返事があった。ただの書類仕事に精を出している現状は、平和なのだ。
「そう言えば、アーノルド」
「ん?」
「最近嫌な夢を見たことは?」
「最近……ないな」
嫌な夢、が何を指すのか。アーノルドとジークフリートの中では、子供たちが何かしらに巻き込まれる夢だった。
この夢を見るとき注意しなくてはならないのは、視界の端に映っている銀髪の少年――ロキである。
夢の未来においてロキが生存するものは少ない。それにアーノルドが気付いて慌ててロキを追い始めた。現実でも次々と問題を抱え込むロキの事である。どうせろくなことじゃないとロキの動向を追った。
――結論から言うなら、最悪だった。
夢とはいえ、何が悲しくて何度も子供が公開処刑される場面を見なければならないのだ。まして笑って首を切られるなど。
裏切りの原因となった国を守って満足そうに死んでいく悪の役目を負った姿など。
それに気付けなかった周りの心象やいかに、泣き叫ぶ従者や恋人やきょうだいのことを寂しそうな目で見るくらいならば最初からそんな道選ばなければいいだけなのに。
アーノルドが見る夢はたいてい、アーノルドがほとんどロキを見ていない、または気に掛けるには掛けるが最低限度だった。
味わうのは伸ばされた手の取り方さえ分からないロキの姿だ。ロキは抱きしめられればフリーズし頭を撫でられれば嬉しそうに頬を赤く染めた。そんなことにも気付かない夢なんて、なんて悲しい。
いや、アーノルドは知っている。おそらくこの夢が過去に起きた現実であることを知っている。ロキが何度も口にした“ループ”という言葉はそれだけのものがあり、なおかつ証明するように世界回帰を経験している者たちが存在することをアーノルドは知っている。
ロキはただ覚えていないだけだ。しかも覚えていることができたにもかかわらず覚えていることを放棄したらしいことが分かっている。
夢の中のロキが存外諦めやすいことに気付いた。自分の意見を通すことを諦め、父の言葉に従った。そっちの方が楽だからと本人は答えるけれども、絶対それだけではないと思うのだ。
貴族として育てられたロキの中には、今のロキの中に在る通った芯はない。あの芯さえも、そう、誰かのために動ける精神性さえループの中で獲得したものだとしたら?
それはアーノルドにとって恐ろしい結論を導き出す。
もしもロキがあの状態で戦場に引き出されたとしたら、きっと彼はそれこそ楽しいから、という理由付けをしてラグナロクを引き起こしていくのではないだろうか。民草を守るにはそれでも良いけれども、皆死んでしまう。ロキ自身さえも。
きっと、自分の身を顧みることができなくなっていったのだ。ロキという神格から離れた行動をとるようになったが故に彼は自分のことに頓着できなくなっていったのだろう。自分がこれと決めた道を突き進もうとする姿勢は悪くないけれど、それが自滅の道でも構わず走っていくのはやめてほしい。
何か劇的な出会いがあったらしい夢の中で、ロキは諦めなくなった。何度だって挑むさ、あの子を助けなければ、と言った。諦めようとしたことを誰かに叱責されたらしい。その誰かは分からないけれども、ロキの中にそれ以降芯が通った。あの子という言からみて、この時にはロキは前世の記憶がある状態であろう。
感情表現が豊かになったロキは反比例して感情が表情に出にくくなっていった。表情を作るのが上手いのは考え物で、よくわかっている状態で見ると素晴らしい役者であるなと思うと同時に、胸糞悪いと悪態を吐きたくもなった。
どうして本音が言えないんだよ、そこは頷いちゃいけないだろ、何で自分を顧みないんだ、死なないでくれ。
夢の中でどれだけアーノルドが叫ぼうと関係なく、世界はロキを奪っていった。ロキが味方に付く回数も増えた。けれど味方に付くほど戦争で戦死するのだから笑えない。
魔力量が減っていたりだとか、友達が増えていたりだとか、友達のために魔力を使い切って炭化したりだとか。
――もう、沢山だ。
「……最近見ていないなら、お前の役目は終わったのかもしれないな」
「?」
ジークフリートの言葉にアーノルドは現実に引き戻された。
「俺の役目が終わった?」
「ああ。だって、お前言ってたじゃないか。夢の中の自分はロキ君に構ってやれてないんだ、って」
それはきっと彼にとってはとても大きなことだよ。
ジークフリートの言葉にアーノルドは考え込んだ。
ロキがあまりにも身を引きやすいから慌ててその手を取った記憶がある。転生した分精神年齢の高かった彼は迷惑にならないようにと注意を払いつつアーノルドを気遣っていた。
それが何か怖くて構おうとした。
それはもしかすると、構ってやらなかった結果使ってくれる王族への忠誠に傾倒し、その果てに魔力結晶を提供しましょうなどとほざいて王城の地下に大結晶の鉱床を形成して死んでしまったことが後を引いているのだろうか。
アーノルドが構えなかったが故に、きょうだいほぼ全員から悪影響を受けて価値観が歪んでしまって、自分を使ってくれた王族への忠誠に傾倒して、王族の間違いを間違いではなかったと言うために、その証明のために、ロキ自身が命を賭してしまったことが後を引いているのだろうか。
たぶん、きっとそうなのだろう。放っておくとロキは死んでいきそうだ。
“寂しい”が言葉にできない子供だった。最初はよかったかもしれないが、前世の記憶があるということはそれだけ前世の状態に影響を受けたはずだ。誰かの温もりを、求めたはずだ。
「……私の役目って、何だ」
学生時代のような素の口調に戻ったアーノルドが問えば、親として、構ってあげることじゃないか、とジークフリートは笑った。
「子供にとって親ってすごく大事なものだからな。ロキ君も寂しくなくなって一石二鳥だろ?」
ジークフリートは逆に、夢を見ることが多くなったんだと言う。
「きっと選手交代なんだろ。お前の所にいたロキ君がようやく俺たちの元へ出てきた。きっとこれはリレーだ。お前は走り終わって、次の走者は俺なわけだな」
「バトンは渡された、か」
「そゆこと」
なんとなく、それが事実であるように思えた。
「……ロキを頼む」
「頼まれた」
さて、そろそろ書類整理に戻ろうか。
ジークフリートの声にアーノルドは頷いて机に戻った。




