9-4 とある世界の話
2025/01/25 加筆・修正しました。
ごう、と、空気を吸い込んだ炎が青く燃え上がる、そんな情景が脳裏に浮かぶ。
王はたとえそれが夢でも目を離すことはない。
これは俺の罪だ。
友を蔑ろにし、国を放棄し、臣下として従ってくれたあの男を貶めた、俺の。
彼が何度、婚約者ともども止めようと動いてくれたか。
こちらが止まらぬと知ってとうとう婚約者が牙を剥いた時、彼女をあの男は止めなかった。
戦火に焼ける世界を見下ろして、王は思う。
あの男が一体何を代償に払うのかなど考えたこともなかった。
国を背負っていると、それは自分だけだと、いつから錯覚していたのだろうか。
王は泣くことは許されなかった。
王自身の判断ミスがこの結末を招いたのだと、突きつけるためだけに、あの男を殺して連れてきた『魔王』の判断は決して間違ってなどいなかった。
どうしてだと問い掛けてもあの男はもう何も答えてはくれない。
「へーいーかー」
間延びした呼び声。
耳に心地よいテノールボイス。そのあとぱん、と小さく手を叩く音がした。
その声の持ち主を王はよく知っている。
謁見の間の玉座で目を閉じていた王の意識は現実へ引き戻された。
「――ロキ、ソル」
王はよく見知った者たちの名を呼ぶ。
目を開ければ、美しかった銀髪を短く切ってしまった笑顔の男と、長い赤い髪をポニーテールに括った女がそこに立っていた。
衛兵たちは2人を止めなかったのだろう。
この2人がこうなってもう半年になる。
彼らはこの国の重鎮たちの罪の象徴である。
「ロキ、ソル、まだ来ちゃダメだろうに」
「へいか、しごとないって、とうさんが」
「アーノルド卿か……」
ロキは王が玉座を降りてきて両手を広げたことで、王に飛びついていった。
ロキの言動が幼くなった。
かつて国を動かしていた一角であるうえに、将軍職に収まっていた彼を知る者は、今の彼をただ痛ましいと称するだろう。
王――カルには、そうは思えない。思わないようにしている。
だってそれは、精神汚染、凌辱といった人間のそれよりも強力な術を扱う死徒列強第13席『魔王』バルティカ・ペリドスと戦ってくれたロキへの侮辱でしかなかったからだ。
死徒と人間の国の開戦。ロキは最後まで戦場に出たがらなかった。
逆に、ロキの従者だったシドはすぐに戦場に出されてしまい、部隊への魔力供給という過酷な任を負い、魔力枯渇で炭化して死んだ。
そこからロキが参戦し、バルティカとの戦争が本格化した。
バルティカ以外に戦った死徒は第3席『蟲の女王』ロルディアと、第14席『蟲王子』クーヴレンティ。3席とも、全て軍勢を持っていることで有名な列強であった。
今となってはどうしてそんな3席と戦争を始めたのかわからない。
ただ、リガルディア王国は巻き込まれてしまったとだけ。ガントルヴァ帝国が始めた戦争。婚姻関係にあったがために同盟国として巻き込まれたセンチネルとリガルディアは、それぞれ多大な犠牲を払った。
センチネルは、武王家である辰砂家が、最強と謳われたドゥリーヨダナ、補佐官だったドゥフシャーサナ、ドゥリーヨダナの親友だったオレイエを筆頭として多くの命を失い、ドゥリーヨダナの異母兄弟だったユユツのみを残し全滅。
リガルディアは白銀の将軍ロキ・フォンブラウと旭日の魔女ソル・セーリスの身柄をバルティカへ引き渡すこと。
これらの結果と条件を以って、休戦調停が行われた。
ガントルヴァ帝国に巻き込まれる形だったとはいえ、あまりにもセンチネルとリガルディアも犠牲が大きすぎた。
さらに、ロキは魔物に零落したヘルの権能を使わせないことを条件にこちらに帰されることになったのだが、ロキの意を汲んだヘルが権能を使うことを危惧しての対策を講じてきたのだ。
ソルもこれ以上その強力な魔術を使えぬようにとその喉を焼かれ、二度と声は出なくなった。
命だけはあるのだからよかろう、と吐き捨てて行ったバルティカは、ロキとソルに対して、帝国の者たちが自国の民にやったことを行っただけなのだからたちが悪い。
ついでに言うと、ロキは別にバルティカに怒ってなどいなかった。今現在ロキの傍にトールがいないのがすべての証明となっているだろう。
ロキの半ば虚ろな目で見つめられると、カルはどう反応していいかわからなくなる。
ソルの目は煌いたままであるにしても、ロキを制止する力はもう彼女にはない。彼女の声はもう誰にも届かず、ロキは子供と変わらない。
その代わり、国の立て直しのためにバルティカがリガルディアに残った。バルティカの治めていた土地をリガルディアに編入し、死徒も亜人も受け入れられる国へと体裁を整えるためにバルティカをドラクル公と同じく辺境大公に任命することとなった。リガルディア王国への介入、これがバルティカの要求。
ロキとソルはバルティカに面倒を任せている。バルティカを見ればロキは笑ってナイフを手に取るのだが、そこはなんとかソルが押さえている。
自殺でもされたらかなわない。
「へいか、みてみて」
「む」
カルの頭から王冠が奪い取られ、代わりに花冠が被せられた。
何の花だろうと思っていたが、どうやらシロツメクサであることに気付いた。
葉も編み込んであるものであるらしく、三つ葉が目に入った。
「――」
カルは思った。
この花の意味を知ってここに持ってきたわけではないんだろうな、と。
だって、別の方を見れば、四つ葉も一緒に編み込まれているのが見えたので。何も知らず、わからず、思いつくままに花冠の要領でシロツメクサの王冠を編んでみただけなのだろう。
「ロキ、ソル、今日はいよいよバルティカ卿のお披露目会だ。乱闘だけは起こしてくれるなよ」
「はーい」
ぱん、と小さく手を打ち鳴らしたソルに、カルはロキから王冠を取り返し、謁見の間を出て行った。
♢
「さて。今回の終わりはこんなものだったけれど、どうですか?」
柔らかなオリーブ色の髪の青年が、茶髪の女にそう言った。茶髪の女はずっと生かされてきた。喉を潰されて詠唱ができぬようにと。
「お前のやっていることがいかにあの子たちを苦しめることであるのか、もうわかっているのでしょう? どうして続けるの?」
青年――バルティカ・ペリドスは女に問いかける。
「……まあ、答えなくてもいいよ。別に、君が理解すればいいんだし」
バルティカにはこの女に興味などない。
彼はその手に掴み、その手で犯した白銀の青年を思い浮かべた。
「ロキ、綺麗だったなあ。あの子はとても美しい。あのありようも、心持ちも」
清らかな肌も、意志の強そうなあの瞳も、そして何より、アレは啼き方を知らなかった。
なるほどあれはよいものだ。
凌辱には屈さなかった。
けれど、あれが大事にしていた弟を目の前で指先から潰していったら、案外簡単に助けてくれと懇願した。
なるほどこの子は家族が大事なのかとそんなことを思った。
――ああ分かっているとも、次は君の家族は私が守ろう。
彼の名はバルティカ・ペリドス。
人を魅了してやまないロキが悪いのである。
少しでもその心を砕いてもらえるようになったならきっと昇天するような心地であろうなあと、思うのだ。
ロキには伝えていない。
トールをひと思いに殺さなかったのは彼自身の中に在ったほの暗い願いに答えたからである。きっと繰り返し過ぎてトールの中の純粋な部分も歪みを生じている。
早く先に進んであげなくては。
「さあ小娘。祝詞を唱えよ。願え。生れ落ちるその前に戻るがいい。次こそロキを救える世界にしてみせろ」
バルティカは女の喉を修復する。女は憎悪の炎を瞳に宿し、バルティカを睨みつけて叫んだ。
「お前なんか殺してやる!!」
バルティカはうっそりと目を細める。女は叫ぶ。こんな世界は否定されるべきだと。
「――こんな終わりは認めない。もう一回!!」




