8-7 孤児院Ⅲ
2025/01/21 加筆・修正しました。ショッキングな内容を含みます。苦手な方はご注意ください。
男たちは焦っていた。自分たちが追いかけていた金髪の子供を庇う様に、銀髪の子供がやってきたからだ。銀髪の子供は魔力が多いようだったが、男たちには関係ない。逃げ出した少年は、とても良い商品になりそうだったのだ。逃すわけにはいかない。金髪で身元が怪しい子供などそう居ない。
銀髪の子供の狙いは金髪の子供のようで、時間稼ぎでもするように徹底的に逃げの一手だった。
「くそっ、逃げ足の速い冒険者だな……!」
「あいつらどっちも赤銅のタグだぞ!?」
「でもあれくらいのガキなら赤銅はかなり強いぞ」
男たちの声。銀髪であることに対する言葉は一切なかった。神子のことを知らないくらいカドミラ教に関心の無い層なのだと考えていいだろう。ロキはミカエルを抱えて飛翔している。セトがフゥとヴェンと協力しながらそれとなく男たちに妨害を行いつつロキを追ってくる。
こういうところは器用な男なのだ。
問題はミカエルの首についている革製の首輪である。これはまだ正式な奴隷契約がなされていないことを表しているが、ロクでもないことに巻き込まれるのは分かり切っている。最低でも一度奴隷商の所へ連れて行かねばならない。そうしてこの首輪を外せる比較的良心的な奴隷商であるかどうかを確かめる必要があるだろう。
「ミカエル、一つ聞きたいんだけど」
「……?」
「お前、誰かに買われた後じゃないよね?」
「ま、まだだよっ! 番号付けられる前に逃げたしっ……」
奴隷市についてロキも詳しいわけではないが、番号が振られたらもうアウトに近い。おそらく直接オークションにかけられる準備の前に逃げ出したのだと判断する。
本来ミカエルはあまりロキに良い印象を持っていない。ミカエルの加護のせいであろうことは想像に難くないが。今は珍しくロキに触れられても暴れないのでこのままの勢いで追っ手を振り切りたい。それは置いておくとして、ロキは小さく息を吐いた。
「一応一度奴隷商の所へ行くよ。最悪の場合は俺が買って孤児院へ連れて行く。それでいいかな?」
「先にコレ外して!」
「お前の首が締まるだけだよ、よせ」
ロキはミカエルを嗜め、大通りへと向かう。奴隷市は決まった場所でしか開かれない。まだ首に革の首輪が付いているということは、また市自体は続いているはずである――。
「僕に商品になれというのか!」
「馬鹿か。そんなことになったらむしろ俺が一生養うレベルだよ。甲斐甲斐しく尽くしてやる」
「それはそれで気持ちが悪い!」
「なら放っておきなよ。お前は火属性の最上級の神霊の加護を受けているんだよ。その力を狙われて、下手に掴まって買われてみろ、奴隷制度が廃止されるようなことがない限り誰かの犬になることになるさ」
「――」
ロキはミカエルとは正面からぶつかって良いと考えていた。何せ既に12歳の子供であり、なおかつロキの事を会ってすぐに「首無し」と呼んだのだ。無貌とか顔無しとかではなく。こいつ公開処刑ルート回収済みですね、とオレイエに確認を取ったのだが苦い顔をされた。要するにそういうことである。
「ロキ……お前……ムカつく。正義面しやがって」
「俺は一度も自分が正義だなんて名乗った覚えはないけど」
「正義の真似事すんな!」
「悪いけど俺はオレイエのような聖人じゃないんでね、死にたかァねえし何もくれてやる気はない。俺はただ、やりたいことをやっているだけだよ」
ミカエルがぬぬ、と唸った。
「セト、曲がるぞ」
「おう」
「ヴェン、殺さないでね!」
『分かっているわ』
ロキはセトと並んで道を走る。後方でヴェンの風魔法が男たちを吹き飛ばし、悲鳴が聞こえた。本当はロキ自身がぶっ飛ばしてやりたいくらいだったのだが、流石にお前がやったら死ぬとセトに窘められて今に至る。この苛立ち何処にぶつけてやろうか。
奴隷市はある程度綺麗にされた道端の石畳に茣蓙のようなものを敷いてそこに商品を並べておくスタイルが一般的である。オークション制なので付近をきっちり整えて、広い場所でやる。奴隷市が開けそうな広場がある場所など、下町にはそんなに多くない。
「よし、まだ始まる前か!」
「降ろせー!」
「動くなよ、セトだけじゃお前を守り切れないから」
「分かってるよ!」
既に商品が並べられ始めている。並べられている者たちは身綺麗にされて簡素な白い貫頭衣を着せられ、首には革製の首輪が付いている。まだ貫頭衣を着ていないミカエルは、逃げ出したというのは事実であるらしい。
「すみません」
「はい?」
準備中の恰幅のいい男にロキが声を掛ければ、男は振り返った。一瞬目を見張って、愛想の良い笑みを浮かべる。
「おんや? こんなところに子供が来ちゃぁいかんでしょうに。何の用でしょう?」
「逃げ出した子供を見つけたのだが、なにぶん俺の知人の身内でな。他にも数名連れ去られたらしい、ここに居るメンツを洗っても?」
「それは構いませんが……お貴族様かい?」
「フォンブラウだ――この子たちはもう手遅れだろう。金なら払う」
「分かりました。ああ、ソイツですか。やたら威勢がよかった」
「追われている。教会に手を出されたくなければ追い払え」
「分かりました。ありがとうございます」
フォンブラウが庇うような子、商品になんかしませんよ、と男は人の良い笑みでミカエルの方へ向かう。
ロキはその間に他に孤児院のメンツがいないかを探した。オレイエが原因を作り、その結果あの獣人の子が引き金を引いたのだとすれば、ロキも罪悪感を感じるどころでは済まない。
オレイエは何も悪いことはしていない。孤児院は基本貴族の寄付で成り立っているものなのだ。オレイエだって緋金級冒険者である。緋金級冒険者は貴族とそう変わらない、というより下手な貴族より権力を持っている場合がある。それを理解しているのは緋金級冒険者当人と貴族たちぐらいなもので、周りの人々に影響を与えることはそうない。緋金級に上がるにはそれなりに人柄を見るためのテストが存在している。なお、有料。オレイエはそのテストを受けてでも緋金級に上がる必要があったのだろう。王家の命令に緊急時従う義務が発生するものの、それだけでなく発言権を得ることができるのが、緋金級だ。
オレイエが銀貨を大量に孤児院に寄付していった結果、補修が必要な部分の修繕をすることができた孤児院。そこを狙ってきたとなると、ほぼリガルディア国内の者ではないと予想がつく。孤児院は子供たちの受け皿だ。魔物の襲撃が多いが故に、魔物の襲撃で親を喪った子供たちを集め、そこで良い子がいれば貴族が引き取っていく。その分貴族からのお布施も期待できるというもの。
魔力の扱いに不慣れな種族も存在し、そういう種族は魔力の多い子供が生まれると暴走を引き起こしやすいため、孤児院にわざと置いて行ったりもする。魔力が多い子供は魔力に耐性が無い者を蝕み、障りを引き起こす。それだけでその部族が滅ぶことだってある。リガルディア王国やガントルヴァ帝国は広大な国土を有するが故に、そういった種族、部族が存在している。彼らが生き残っていくために、そして魔力が豊富な人員を欲する者が預けた子供の面倒をみることを前提として、孤児院は運営されていく。
そういう孤児を預ける先としては、カドミラ教はかなり優秀である。何故なら、ヒューマンもエルフもドワーフも、獣人も竜も吸血鬼だって、世界樹の前には皆平等であるからだ。魔力の障りを引き起こすレベルの魔力を持つ、持ちそうな子は魔力が多い子供たちが多い孤児院に送られる。そうすることで、孤児院内部での障りを防いでいる。
リガルディア王国では孤児院を狙うと最終的にその孤児院が属している都市の領主が出て来る。今回は王都なので王族の誰かが対応することになるだろう。カルに調べておいてくれとロキは頼んだが、カルから入ってきた情報としては、普段は落ち着いているスラム街の治安が多少荒れつつあるという事と、ヒューマンの冒険者崩れが大量に流れ込んでいる、というものだった。治安悪化の原因は恐らくこの流れ込んできているヒューマンだろうが、もしかするとリガルディア王国の在り方を知ることも無い平民階級が来ているのかもしれない。それか、帝国のどこかの家が雇った下っ端か。
ロキは頭の中であり得そうなこと、を組み立てながら商品を見て回る。そして、見つけてしまった。4名の女児を。ミカエル以外の男児も1人。けれどその子は双子だったはずで、間に合わなかったとロキは悟った。男に問わなければ。
「あ――」
目が、合った。
女児たちが泣き始める。
「リョウ兄ちゃん……!」
「蒼い火の兄ちゃんだ……!」
「うわああああああん」
「……」
ロキは見つけた5人を抱きしめる。男児はあまり反応を返してこなかった。
ロキはそっと男児を抱えて、奴隷商とミカエルの許へ向かう。
「お忍びでしょう? 名は?」
「リョウ、と」
「では、リョウ様。この子の段階ではお金をいただくことはできませんのでこのまま引き取っていただいて結構です」
「そうか」
「この子たちは、そうですね。1人小金貨5枚」
奴隷商の言葉にロキは目を細める。足元を見ているというべきか、子供たちにそれだけの価値を見出したというべきか。
「一つ問いたい」
「はい?」
ロキは腕の中の無反応な男児を示す。
「こいつには双子の兄弟がいたはずだ。片割れはどうした」
「あー……ええ、もうお分かりだと思いますがね、死にましたよ。一撃で頭がぶっ飛んじまって」
「……遺骨は」
「とって来ましょう。少しお待ちを」
リガルディア王国でも、奴隷だからといって何も最初から本当に不当に扱われるわけではない。奴隷商というのは基本的に商品の管理に気を配っている。特に、リガルディアはヒューマンの血を守ろうと奴隷にして囲っていた時代もあったくらいである――と、歴史を習ったロキは知っている。
奴隷を守るための法整備が行き届いていないのは闘技場くらいなものなのだ。商品を守るために、奴隷商には基本的に回復系の魔術の心得が必要でもある。ないならば誰か雇うしかない。昔は刻印すらも隷属魔法なるものでいれていたらしいが、今はもうその名残として首輪しか残っていないくらいだ。今では隷属魔法の使い手も減り、長命種の奴隷を解放する手段も減ってきている。隷属魔法の解呪には隷属魔法とセットでついて来る解放魔法が必要になる。聖職者では隷属魔法を解呪することができないのだ。
男が持って来た小振りな箱。開けても、と問えばええ、と返ってきた。中をのぞいて、白い骨の破片が散っているのを見て、ああやっぱり、とロキは思った。
孤児である。貴族街に近い位置にあったが故に、本来運営していた教会はもうなくなっていた。あの孤児院は元々カドミラ教の運営していた教会に併設されていたものだった。貴族と仲が悪くなればお布施を望むことは難しい。教会が無くなれば、孤児院を守れる戦闘職の司祭もいなくなる。見かねた和神宗のシスターサクヤが教会施設を一部利用して孤児院を運営するためのお布施を募っていたのだろうが、和神宗はリガルディア王国ではメジャーではない。リガルディア王国でメジャーなのは所謂ケルト系のドルイド派や北欧系のユグドラシル派である。
結果、戦闘職の適性があった子供たちや孤児院出身の者たちが冒険者としてギルドでクエストを受けて、その報酬を孤児院に入れていたのだろう。ここで問題になったのが、恐らく、リガルディア王国の孤児たちは魔力が多いと貴族の養子になりやすいという点。それのせいで、幼少期に貴族に引き取られる子が多く、冒険者として強くなりやすい子は孤児院に居た頃をほとんど覚えていない、なんて状況になるのだ。お金を多く持って行ける子はそれを覚えていない、その為、低い等級の冒険者の孤児院出身者が孤児院を守ろうと頑張る。となってくると、ロキが生まれてからの強い魔物が多く発生している現状では、その冒険者たちも生きていくので精一杯のはず。
いくらシスターサクヤが頑張っていたと言っても満足に食事を摂れなかっただろう。シスターサクヤは完全に治癒術師型で、戦闘に参加できないし、孤児院には小さい子供も多いので目を離すなんてもってのほか。冒険者たちが傷を治してもらうためにお金を払っていたとしても、シスターサクヤの魔力量では1日の稼ぎはあの子供の数を考えると足りない。まして、この子はもともとあまり身体も丈夫ではなかった。そこで急所が爆散したとなれば、人刃でもあるまいに、生きているなんて思いはしない。
火葬の結果ボロボロに朽ちてしまった骨を、この奴隷商は掻き集めてくれたのだろう。普通の人間はこんなことしない、とロキの中で断言できるということは、恐らくこの奴隷商はロキの中の普通の人間とは違う人種だったのだろう。浅黒い肌に薄く浮いた鱗と、瞳が蜥蜴のように細められたことから、彼が蜥蜴人と知れた。
「……奴隷商に感謝する日が来るとは思っていなかった。ありがとう」
「いえいえ。あくまで私は奴隷商ですから」
男はそう言って、ロキから大金貨2枚、小金貨5枚と大銀貨1枚を受け取って準備に戻っていった。皆の革の首輪は外れた。
「……あの銀貨、なあに?」
「こいつの分」
ロキは箱を軽く揺らす。
可哀そうな子。でも、ロキはヘルの権能を使ってもらおうとは思わない。
命はいつか終わるものだ。
「セト、ミカエル、戻るぞ」
「おう」
「ん。――その箱何?」
「人骨」
「は」
ミカエルがロキを睨む。
ロキは気にしない。
「人骨? なんで? 誰?」
「ミカ兄、やめてよ、エディだって傷付いてるんだよ!」
「ッ」
ロキは小さく、腕の中のエディと呼ばれた少年に声を掛ける。
眠いか、と。
うん、と小さく帰って来た反応に、じゃあ眠っていろ、と声を掛ける。
大丈夫。悪夢など見せはしないから。
♢
はてさて。
孤児院に戻って来たロキたちはシャワーを借りた。時を同じくして戻って来たシドと合流し、骨を預けてミカエルたちを洗ってやった。
オレイエを憎んでくれるなよ。
ロキはそう心の内で、あらためて寝入っている子供たちに言葉を向ける。
「……お前自身のことはいいのかよ」
「……何のことだ?」
ミカエルの髪を乾かしているうちに口を吐いて出ていたらしく。ロキはミカエルの髪をゆっくりと乾かしてやりながら、まあ、どうでもいいかな、と返す。
「助けに来るのが遅かった。それだけだろ」
「……お前の魔物の権能を知ったらきっと皆恨むぞ、お前のこと」
「それもいいんじゃないかな? もし俺がもっと生きて皆がある程度大人になって、それでもまだあいつを返してほしいっていうのなら、返してあげよう」
「代償は」
「その時のヘルに任せるよ。せいぜい俺の魔力枯渇か世界中の生きとし生けるもの全てに涙を流させろとかじゃねえの?」
ロキの自身への頓着の無さにミカエルは唇を噛んだ。そうやってこいつらはいつもミカエルに臍を噛ませる。オレイエといいロキといい嫌なやつだとミカエルは思った。
正義であり悪である。
正義でも悪でもない。
”正義”に性質が偏っている加護持ちであるミカエルにとって、割と極に寄っているくせに彼らのような中央を行くタイプは苦手対象なのだ。
この世界には天使も悪魔もない、確かにそうである。けれども、だからといって善悪の基本的な性質がなくなるわけではないのだ。ミカエルはそれが偶然にも善、正義、正しいものだった、それだけである。
そしてその加護を受ければそれだけ、矛盾を抱えたものを受け入れるのが難しくなる。
ミカエルにとってのスイッチはたぶん、ロキの予測通り、公開処刑の一幕であろう。ロキは笑って死んでいくのだ、それが全てのスイッチなのだ。
もっと足掻いて欲しい、と、この2つ年上の男に願うのはいけない事だろうか、とミカエルは思う。金色の髪を優しく乾かしてくれるその手は細く白く、幽鬼のようだ。オレイエの手もこんなものだったなとミカエルは思い返した。
ロキ自身が顧みないから、あんなにあっけなくこの男は笑って死ねるのだと、そう思った。
オレイエも同じだ。似た者同士が類友で集まるのは構わないが、頼むから一緒くたになって死んでくれるな。
「……悪が滅んで正義が勝った、じゃ、済まされねーんだよ……」
ミカエルの言葉を聞き取ったロキが、ミカエルの頭を優しく撫でた。
「国を立て直すにはいい方便だろう? きっと俺は、貴族の義務を果たそうとしただけなのだろうよ」
「そんなやつ、力を持って生まれなければよかったんだ!」
ミカエルが声を上げれば、ロキはくすくすと笑った。
「なんだよ!」
「いや。力を持たなければよかった、か。そうだな。そうすれば俺は、まともに家から外にも出られず閉じこもって暮らしていたかもしれない。それはそれで楽しそうだ」
「茶化すなよ!」
ミカエルを子供として扱うのはロキくらいなものだ。オレイエも、子共扱いしたけれども。
ほら、髪乾いたぞ、とロキに解放されたミカエルは、そのまま立ち上がって他の子供たちの居る方へと向かった。皆起き出したころで、いつの間にか帰って来たメンツにはしゃぎ始める。
「そろそろ帰ろうかしら」
「そうだな」
ソルの提案でロキたちは帰ることにする。事情はシスターサクヤに詳細を話したので問題ないとロキは判断した。
「「「「「またねー」」」」」
「じゃあまた」
「ばいばーい」
ロキたちも別れを告げて、孤児院を出る。
帰り際に男たちに襲われたが、知っている子供が1人死んでいたことで気が立っていたロキによって一撃で下顎の骨を粉砕され、道端に打ち捨てられた。その後のその男たちの目撃証言は、無い。




