8-1 旧クレパラスト編
2025/01/20 編集しました。
ロキたちは寮を出て王都の屋敷へそれぞれ帰って来た。前期で起こったことの報告やら対処やらで大人たちもまだ忙しくしている。
「マルヴィナ様大丈夫かしら」
「さあ。列強の恐ろしさを忘れてるって言われたら父上たちでもできることなんて少ないだろうけど」
「薬草がまた高騰するじゃない……嫌よ練習用の薬草皆摘んじゃって無くなっていくのよ」
フォンブラウ領は魔物が多いため薬草類を公爵家が買い取ってストックしていたり、ギルドでも治癒用のポーションや回復ポーションの備蓄を持っていたりするが、そもそもその原材料を取りに行くのが至難の業であるため薬草類は常にフォンブラウ領では求められているものである。薬草の調合を生業にしていたソルとルナの生家であるセーリス家は、今はアーノルドの管理下だ。
「ロキ、お客さん来たぞ」
「ああ、分かった」
シドがロキに声を掛けていく。今日はフォンブラウ家に客人が来る。ソルとルナは与えられた部屋で大人しくしていることになっているが、もしかすると後で声を掛けるかもしれない、とアッシュとヴォルフからは聞いていた。
シドは支度に駆り出されている。ロキのジャケットはゼロが着せてくれた。
支度を終えて応接室に入ったロキは、中に居た人物に目を丸くする。
「ケイ」
「ロキ兄!」
ちょっと攫われて取り戻しに行ったことのある齢11の茶髪の従弟が屋敷にいた。
クレパラスト侯爵家はもうない。当主補佐を選出できなかったのと、狙われたことを悟った当主が爵位の返上をしたためだ。爵位を手放した以上、彼らは平民であり、自分たちに会いに来ることはそうそうできないはずだ。王都の平民として暮らしているはずの従弟らがこの場にいる現状に、これはどうしたことか、彼は市井に降ろされてしまったはずではと思いロキはアーノルドを見上げる。アーノルドは、ロキに気付いてクスと笑みを浮かべた。
「なに、ケイの学園自体は高等部からの予定だから、そろそろ一度旧領地に戻るそうなのでな」
王都を彼らが離れる前にこちらが招いたということだと分かり、ロキは従弟の姿を改めて見る。諸々の物価が高いためおそらくそんなに食べることもできなかったであろう従弟は、ずいぶんと痩せ細っていた。
ロキとは違って不健康な細り方だ。きっと母親が健在であれば、こんな思いはさせずに済んだのだが――死者のことを言っても仕方がない。
「本日はお招きいただきありがとうございます、フォンブラウ公爵」
「なに、気にするな。むしろ直接の支援ができなくて申し訳ないくらいだ」
ケイことケイリュスオルカの父親は悪く言えば押しに弱そうな、よく言えば人がよさそうな男だった。現在は力仕事をしているのか、その身は引き締まっている。
子供だけで話しておいでとアーノルドに言われ、ロキはケイリュスオルカの手を引いて親たちから離れた。
ケイリュスオルカの長く伸ばされた髪はきちんと揃えられている。艶もある。きっと誰かがひたすら彼の髪を手入れしているのだと気付いて、ロキはケイリュスオルカをソファに座らせてその顔を正面から見る。
「……元気そうだね」
「はい」
ケイリュスオルカの炎のような瞳はフォンブラウ家から継がれたものである。アーノルドやフレイと似たような瞳であると言えばわかりやすい。ロキの瞳は紫系なので残念ながら彼らの瞳のように温もりを通り越した熱さを感じさせる発色はしない。
ケイリュスオルカの指にはたくさんの傷があった。
「あれ、この傷は?」
「あー、採集クエスト受けてて」
「あー。もうすぐ萱がたくさん生える時期だね。今以上に怪我をしやすくなるから気を付けろよ?」
「うん」
ケイは言葉遣いがだいぶ乱れているが、それでもまだ所作には貴族らしさが残っている。母親はもういないが、教育を受け持とうという気概あるメイドや執事の影が見え隠れする。
「……ケイが健勝なら、叔母上も喜ぶよ」
「……そう、かな」
ケイリュスオルカの母親は彼が6歳頃に亡くなっている。赤い髪をきっちり結い上げた、気の強そうな美人だった。名は、アンネローゼ。アーノルドの妹だった。
強力な火属性魔術を扱い、広域殲滅魔術を得意とした。けれど元々細身であまり太る体質でもなく。
なんとなくだが皆分かっていた。たぶん彼女はあまり身体が強くないと。
案の定、ケイリュスオルカを産んでからの彼女は肥立ちも悪く、体調を崩しやすくなっていった。それでも6年間ケイリュスオルカに愛情をたっぷりと注いだ。看取ったのはケイリュスオルカと夫である元クレパラスト家当主だったそうだが、どうやらずっとケイリュスオルカのことばかり心配していたようで、親馬鹿になっていたらしい。
ロキはアンネローゼにほとんど会ったことがない。けれども、全く知らないわけでもない。一応これでも親戚同士で集まることはあり、アンネローゼとその腕に抱えられているケイリュスオルカを見たことくらいはあった。
フレイたちも集まって来たので皆で喋ることにしたのだが、共通の話題もない。武芸はやっているかと問われてやってません、とケイリュスオルカが答えたので余計にである。
ロキたちは皆武芸の話ならばいくらでも話していられる。それはやっていない者にとってはほとんどわからないただの未知の次元のお話でしかなく。
ロキはそれが分かっていたため他に何か話題はないかと探す。
好きなお菓子の話はどうだろうかと思ったが、カツカツな生活をしている者にそんなこと言ってもなあとも思う。
結果。
「ケイ、何かやりたいことってあるかい?」
「やりたいこと、ですか?」
「ああ。こんな武器を触ってみたい、魔術の訓練がしたい、こんなものが食ってみたい。俺に用意できるものなら叶えてやりたいんだ」
これが無難かなと思う。与えるとは言っていない。ここに居る間だけのものだ。
ケイリュスオルカは小さく唸って、じゃあ、と口を開く。
「ロキ兄――俺に、イミットとの連携を教えてほしい」
「――」
存外将来を見据えているなあと、ロキは思う。今までのループの中で、ハドと共に戦った記憶はあまりないのだろうか、とも。
聞くのは無粋。教えてくれと言われれば教えるまで。
「よし、表へ出ろ!」
「はい!」
「ゼロ」
「はっ」
ゼロが素早く応接間を出て行った。ロキも動き易い恰好――単純に、上着を脱ぐに過ぎないが――になり、庭へと出た。
これは面白いものが見られるかも、といってスカジが付いてきた。トールとコレーもそれに続く。フレイがプルトスを強制連行してきた。
あらあら楽しそうといってスクルドとメティスも付いてくる。
庭に出て、2人で並ぶ。
ケイリュスオルカの立ち姿を見て、やっぱり経験あるなこいつ、と、ぼんやりとロキは考える。
「ケイ、俺がハドに会った感想だけど」
「うん」
「あいつはお前に合わせることはできないと思う。直接契約を結ぶ結ばないにかかわらずね。あれは暴れ竜の類だよ。自らの意思にそぐわないモノを全て踏み潰す覇道を行く者だ」
ロキはそう言って、ああ、そうか、と納得した。
「きっとあれも名に呪われているよ。あの性質は変わらん」
「……知ってます。アイツはずっと変わりません」
互いに何を指しているのかにずれを感じる。けれども通じている。だから訂正はしない。
「だから、お前はお前自身を守れるようになることと、もう1つ」
ゼロがやってきて、静かに礼をした。
彼の手には抜身の刀がある。
「5分でいい。ハドの攻撃に耐えろ。魔術も魔法も使っていい。なんとしても耐え抜け。俺とゼロでは俺が遥か上を行くぜ。だから5分も必要ないが、お前にこれは無理だ。お前が俺より弱い上に、ハドはゼロよりも数倍の力を誇っている」
ゼロ、来い。
ロキは小さく呟いた。ゼロが小さく頷いて、ふっと姿を消した。
ケイリュスオルカは少し離れてそれを見守る。
ロキは武装していない。後ろに回り込んでいたゼロが振り下ろした刀はいとも容易く避けられ、そのまま一歩踏み込んで腰を落とし、ロキが放った正拳突きをもろ胸部に食らって、ゼロが吹き飛ぶ。
ぱちんと音がして、ロキが一瞬でゼロの後方に氷の草原を広げた。
ガシャガシャと氷を折りながらしばらくして留まったゼロは、すぐに身体を起こし、再び消えた。ロキは氷の草原を消し去って、次のゼロの攻撃に備えた。
ゼロの戦い方、それはハドのものとは少し異なるのだと、ケイリュスオルカは理解する。
やはり夢で見るより実際見た方がいい。
ゼロは明らかに狩人型である。相手の隙を窺って、全力で、一瞬で狩りに行くタイプだ。
ハドは――。
ロキが横薙ぎに振られたゼロの刀を避け、ゼロの利き手を蹴り上げて刀を弾き飛ばす。ゼロが離脱しようと半竜化した。
が。
「逃がさんよ」
「ぐッ!」
手をそのまま掴まれ、盛大に投げられた。
しかも。
「ロキ兄様あの辺氷で覆ってますね」
「ゼロの頭が割れそうだな」
「治療薬を持ってきますね」
ロキのきょうだいたちがそう言って散っていった。
ケイリュスオルカは、ガチンとすさまじい音でおそらく割れたであろうゼロの頭に合掌した。
「……やり過ぎたか?」
「……ロキが笑っている……目が青緑だ……」
「すまんな、楽しかった。前よりも筋力が上がったようだな、ゼロ」
ロキはゼロの傷口を眺める。流石イミット、人間なら爆散ものでも生きている。傷口にそっと手をかぶせ、上から口付ける。直接触ったらきっと菌の心配もしなければならない。ロキの魔力を回してやることで、イミットの種族としての魔法である【自己修復】を万全に行えるようにしてやるだけである。
「使え」
「ッ……【自己修復】……」
イミットは総じて魔力の燃費が悪い。これは恐らくハドにも言える。4年後高等部で苦労するであろう従弟を思って、ロキは苦笑を浮かべた。
「少しは参考になったかな、ケイ」
「ロキ兄、ゼロさんとハドじゃたぶん戦い方違うんだけど!」
「ハドの武器から推測することだね。ゼロは刀で小回りは利くけど、どう足掻こうがベースが格闘で対人戦用。それに木々の間を蹴って跳ねまわる方が合っている。ハドならばもっとこう、豪快に行きそうだね」
ケイリュスオルカはハドの武器を思い浮かべる。
「やっぱり、邪魔にならないように、ですかね」
「気落ちするなよ。どうせアレがお前以外を選ぶことも無いでしょ」
ロキはあっさりと言い放って、俺が受けに徹するから、今度はケイがやってみろ、と付け足した。耐えろと言っておきながら。
いや、どう攻めたらどう守られるのかを見ればいいか。
結局ケイリュスオルカたちが帰ったのは数日後のことだった。
♢
ケイリュスオルカはロキの手を思い返していた。
綺麗な手だ、と思う。
けれど知っている。
あの手はけして綺麗なだけではないと知っている。
整えられた美しい爪だった。
あの手がストレスに押し潰されそうになったロキ自身によって酷く噛み割られることも知っていた。
守ろうとしたものを守れなくて泣きじゃくる涙脆い人だったことも知っていた。
時折ギルドで聞こえてくるクールなロキなど、ほんの一面にも満たないものでしかなかった。
力になりたくてもなれないのが自分たちであることを、ケイリュスオルカは知っている。
だから今はただ、力をつけなくてはと思っていた。
一度も回ってきたことのないバトンをまだ、ケイリュスオルカは待ち続けている。




