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2024/12/11 加筆・修正しました。
「あ、ロキ、今度からスピカもフォンブラウ領を拠点に動くことになった」
「そうなんだ」
あまりにも突然デスカルから告げられたその言葉は、ロキにとってはそれ以上の反応を返しようのないものだったが、アーノルドの方から物音がしたので仰天したものと思われる。
♢
メルヴァーチ侯爵領で何度か魔物を狩って、数日後、ロキたちはフォンブラウ領に戻っていた。
こちらに移動していたのはロキたちだけではなく、アンリエッタとアンドルフも王都から戻っている。
「フレイ様、プルトス様、スカジ様」
「ロキ様、トール様、コレー様、お久しぶりでございます」
「久しぶりですね、アンドルフ先生」
「お久しぶりです、アンリエッタ先生」
夏季休暇に入って以来の顔合わせだったので懐かしく感じてしまう。それぞれ挨拶を交わして、フレイたちはアンドルフとアンリエッタの後ろに居た緑の髪の青年に視線を向けた。
「アンドルフ先生、アンリエッタ先生、彼は?」
「私の後輩のレスターです。王都に就職したようなのですが、帰る場所も無いので引っ張って来ました」
アンリエッタの言葉に、今は職員寮も閉まってるからなあ、とフレイが呟く。職員寮まで締まってるんだ、とロキはレスターと呼ばれた青年を見上げた。青年はそこそこ整った顔立ちをしているものの、顔半分が焼けただれていて、今も前髪を下ろして隠していた。普段はフードを深く被っているとのこと。
「え、と。レスターです。レスター・クーフェ」
「平民にしては魔力量が多いですね?」
「上位者とのハーフなんだそうです。獣人だったわね?」
「はい」
ロキは驚愕した。思わずデスカルたちを見たのは仕方がないだろう。
デスカルは苦笑した。この表情は、デスカルとは顔見知りの可能性が。
「あ、れ? え、フレイライカ? ライフレイカもいる……!? アウルムと、アスティウェイギアまで……!? あわわわわわ」
「どうどう、落ち着け」
慌て始めたレスターを宥めたのはシドだった。デスカルもナツナもシドもアツシも知り合い、と。これはもしかするともしかしなくてもデスカルたちが呼んだのかもしれない。
「……ライフレイカ?」
「オイラでーす」
「詳しいことは後で説明するよ、アンドルフ、アンリエッタ」
「……頼みますよ、デスカル殿」
アンリエッタからすれば後輩が上位者と知り合いで、上位者相手にたじたじになっているのでもう何も情報が繋がっていないのかもしれない――そんな想像を膨らませながら、ロキは目の前のやり取りを眺めた。
久しぶりにフォンブラウに戻ってきたがすぐに王都に戻らねばならない。メルヴァーチ領で起きた事の報告もあるが、もう1つ実は重大な問題をフォンブラウ家は抱えているのだ。その問題の解決と対策のために、できれば早めに、王都へと戻りたい。
フォンブラウ公爵家の子供たちには、実は、プルトス、フレイをはじめとしてロキをはじめとして、婚約者がいないのである。リガルディアでは年頃の貴族子弟に婚約者が居ないことは珍しい。というのも、リガルディア王国の貴族子弟は結婚がかなり早いのだ。令嬢ならば学生婚もそれほど珍しくはない。
そんな中、フォンブラウ家の子供たちに婚約者が居ないのは、ひとえにロキの為であった。スクルドの意向によって、ロキに婚約者を選ばないことが決まっていた。他の子供たちに婚約者を選べばロキにも、という声が出て来るのが分かり切っている。教会が入り込んで来ようとする動きは今もなお健在で、スクルドはとにかく教会をシャットアウトしたがった。
そして今に至るのだが、ここで問題が発生している。
年頃になった以上、フレイはフレイ神の加護による暴走の兆しが表れ始めたのだ。
フレイ神の加護の暴走というのは、言い寄られると断れないという類のものであり、貴族としては欠点と言わざるを得ないものだ。
婚約者や将来を約束した相手などの特定の相手とならいくらでも寝てくれと言いたいのがスクルドの心境だろうが。
ロキも別に文句はない。
というかむしろ、フレイヤがいないのによく17歳でまだ童貞のままでいられるもんだと感心していたくらいである。これまでちゃんと頑張ってお断りしていたという事なのか、プルトスがフレイを引っ叩いていたのかは謎だが。
逆にプルトスは自分の心情に従っていれば基本潔白のまま行ってしまうのでどこかで結婚させなければなるまい。
さて、春休みにしろ夏休みにしろ、休みの期間というのはどこででもお茶会やパーティが催されているものだ。リガルディア王国の王都は、冬には雪が降るものの、積もることはない。つまり年中パーティがどこかで開かれているのだ。
17歳のプルトスとフレイは、来年には高等部卒業を控えている。高等部の上に大学院はあれど、その時にはもう親の手伝いをしていることも多い。プルトスとフレイもそうなる可能性が高かった。となってくると、もうそろそろ婚約者を決めなくてはならない。嫌でも毎年のように釣書が送られてきているので問題はないのだが。
大抵上の爵位から婚約者を決めていくことが多いので、フレイたちの周りの年齢の子供を持っている親世代は大半が子供の婚約者を決められていない状況となっている。やはり上の爵位を狙ってしまうのは貴族の性というべきだろう。
また、各家には”こんな人と結婚して欲しいな”という一定の条件が存在する。この条件に当たらなければ、どんなにこの人がいい、という人が現れても親としては却下せざるを得ない。フォンブラウ公爵家でいえば、その条件は”第一夫人は赤い髪か青い髪の人”というものである。
アーノルド的にはできれば両方囲って欲しい。自分にはできなかったので余計に。
というのも、フォンブラウ公爵家の継嗣となるにも条件があるのだ。その条件こそ、”赤い髪か紫の髪であること”だ。アーノルドの子供たちは赤い髪も紫の髪も青い髪もいるので特に問題はないが、継嗣になれる子供が生まれなかった場合、どれだけ嫡子が居ようとも赤い髪の養子を貰うことになる。親はそのまま爵位を持ったままとなり、子供に爵位を継がせることができない。
赤い髪の者同士の間に子が生まれれば、その子は赤い髪である可能性が高くなる。アーノルドは青い髪の奥方を迎えたので、フレイは赤毛の奥方が望ましい、となるわけだ。アーノルドとスクルドの方で勝手に決めてもいいのだが、そうなってくるとフレイの加護は何をしでかすかわからないのである。
「ということで、フレイちゃんはこれとこれとこのパーティに出席を義務付けます」
「げえええっ、母上、いくらなんでもそれは酷いです!」
「じゃあ特定の誰かを早く連れてきてちょうだい。お前がいつ浮名を流すかと心配でたまらないわ」
例えフレイヤがここに居ても浮名を流す可能性は十分にあるけれど。
スクルドのその物言いに違和感を覚えたロキは静かに窓の外を眺める。
「スカジはどうなんですか!」
「私か。私は私を倒せるほどの相手でなければ認めないぞ?」
「どんなチートだコラ」
年々フレイのツッコミが鋭くなってきている。ロキやソルが近くで喋っているとどうにもその口調を覚えてしまうらしかった。
ロキは、と声を掛けられ、ロキは笑みをフレイに向ける。
「これでも片思い中でして。まあ、向こう側にも半分ほどバレていますが、向こうも俺がはっきり言うまで待っていてくれると思います」
「えええええ、誰かいい子がいるのかよ!」
「とびきりのプレゼントを持って行ってプロポーズしなきゃ気が済まないんですけど、いかんせん身分が教会の尖塔と地面程に離れておりまして」
「平民か!?」
「いいえ男爵です。平民ならカタコンベと言ってやりますよ?」
「お前の表現分かりにくいよ!」
雲泥の差と言わなかっただけマシだろうなあと思ったソルである。
雲泥の差と言ったらロキの中では王族とスラム街でさらに打ち捨てられている奴隷くらいの差を指すのではなかろうかと思う。いや、そもそも雲泥の差という言い回し自体がリガルディアでは古い言い回しに当たる。
「トールとかコレーは置いとくとして、もう婚約してないとおかしい年齢になってるからな……」
「フレイ兄上なら問題はないと思いますが。現状引く手あまたなのでは?」
「まあ、そうなんだが、あんまりガツガツしているタイプは好みじゃなくてな……」
「令嬢なんて大半がそんなものではないのですか」
ロキの言葉にフレイはうなだれた。そういうものだと理解しているからこそ、といったところだろう。
スクルドが口を出す。
「フレイちゃん、放置してるとお相手がお母様たちの都合で決まっちゃうわよ?」
「俺としてはそれでも構わないのですが……」
フレイは小さく唸った。家にとって価値の高い人間を選ぼうとするのは致し方ないのかもしれない。ロキも実際は跡取りになれる髪の色のくせして気楽なものである。
「フレイ兄上はどちらかというと語感以外に火との繋がりがこれっぽっちもありませんので、赤毛の相手を選ぶ方がいいでしょうね。フレイ兄上の子供に土属性が入るに1票」
「酷い弟だ……」
「何を今更」
ロキの言葉にフレイがますます下を向く。これでも彼はポジティブなことで有名だ。この反応はロキが言っていることを否定できないからこそなのだろうが。
「プルトスちゃんは?」
「……現在手紙のやり取りをしている方がいまして」
「まぁ!」
「なっ、プルトス、お前っ……!」
「お前よりよっぽど堅実派なんでな」
プルトスには結婚を視野に入れてお付き合いしている女性がいる、との情報を得たロキはニィ、と笑った。
「これでフレイ兄上を支える方はばっちりですね」
「……ロキはどうするんだ」
「……俺は恐らくフォンブラウ公爵家を出なければなりません。あまりにも列強との繋がりが強すぎますから」
一番危ういかと思われたプルトスの方がとっくに解決していたということで投げられた質問に、ロキが死徒列強のことを出すとプルトスは眉根を顰めた。ロキに重荷を背負わせているとも感じているのか、表情は暗い。逆に特にそのことを気にしないフレイやスカジの方がどうかしてると言いたげだった。
(まあここは、理性のギリシアか脳筋北欧・ケルトかってとこだろうな……)
ロキはそんなことを考えつつふと思った。半分くらい加護の所為にしているがまあ、そこは気にしない。
『そう言えばソル』
『何?』
『ソルとルナってラテン語だよな?』
突然日本語で話し始めたロキにソルははてと首を傾げた。
『そうらしいけど、どうかした?』
『いや、俺ずっとソルとルナは北欧神話の関係だと思ってたんだよ』
『あー。私もそういう時期あったわー。北欧神話の月はマニ。ルナじゃないんだなこれが』
『ムーンの語源何よ、太陽と月ってワンセットだろって思ってこれギリシャじゃなくねってなった』
『過去の私をトレースオン』
『魔力の貯蓄は十分か』
ひとしきりネタを交えたところでロキとソルはフレイたちに向き直る。
「ロキちゃんもっといっぱい喋っていいのよ?」
「母上、先日のアレは忘れてください」
メルヴァーチでのバーベキューの一件を持ち出されると困るロキだった。
「それにしても、ロキちゃんの婚約のお話そろそろ断るのが難しくなってきたというか」
「えっ」
「ロキちゃん爵位の低い子たちとしかいないでしょう。だから本妻に娘を据えようって貴族が多くなってきてるの」
ロキを教会に近い者から遠ざけようとしている、という実情はあれど、それなら教会に近くない貴族なら問題ないですよね、とフォンブラウ公爵家の分家や他の貴族家からもロキ宛に釣書が来ている、とスクルドは言う。それは恐らく事実であるし、ロキは表向き三男坊なのでフォンブラウ公爵家と関係を持ちたい貴族家からは引く手数多なのも事実だろう。
ソル、ルナ、ナタリア、エリス、彼女らは男爵家で、ヴァルノスとロゼは位は高いが別に婚約の話が出ている。確かに、自分が婚約対象になるのはおかしくはないかと思うロキだが、それは困る。
「やっぱり恋愛結婚じゃなきゃ嫌かしら?」
「……いえ、特に抵抗はないのですが……やはり、家に唐突に列強が押しかけてくる可能性を考えると、慣れている方がいいかと思いまして」
「そこなのよね。セトナさんもラックゼートさんもロキちゃんについて行くって言って聞かないし」
死徒列強を既に使用人に抱えている時点でロキについてはお察しである。誰かがロキと結婚したとしても、耐えられるはずがない。生き物は特に、死徒の気配を嫌う。
「それに、俺の進化がここで止まるとも思いません。気圧されて潰れるだけです。まあ、未来のことを話したところで貴族たちは信じはしないでしょうが」
「そうね。どうやって諦めてもらおうかしら」
「爵位はどこ以上なら貴族って黙るんですか?」
「伯爵クラスはないとだめね。ソルちゃん、伯爵取る予定ある?」
「今のところないです」
――本当はあるのだが、ソルにはまだ知らされていない。
無論ロキも知らない。今教えてしまったら辞退するだろうことが大いに予想される。だから、もうその地位に据えたぜ受け取りな!と押し付ける方向で王家が話と手続きを進めていることを、子供たちはまだ知らないのだ。
「侯爵なら完全に黙らせられるけど、養子に取ってくれそうなトコないし……」
「メルヴァーチではちょっと苦しいですしね」
フォンブラウ公爵家から分かれた侯爵家があるにはあるのだが、そこにも同い年の娘が居るものだから、ソルを養子に取ってもらうのは難しい。
うーん、難しいや。
トールが知恵熱を上げ始めたのを見てロキたちはこの話を一旦止めることにする。
スクルドが当然のようにソルを迎えるのだと認識していることについては、一旦無視を決め込んだロキだった。