5-27
2024/07/18 改稿しました。
『ここで何をしている、人の子ら』
バハムートの問いかけが降りかかる。
ロキはバハムートを見上げ、目を細めた。
――立派な竜だな。
何故そう思ったのかはわからない。ロキは竜種を評価できるほどドラゴンを見てきたつもりもなければ、そんなに長く生きてきたつもりもないのに、そんな感想が漏れたのだから当然か。
ハインドフットは逆にバハムートに圧倒されていた。
こんなに大きなバハムートを見るのはいつぶりだ。
ロキらの目の前に降り立ったバハムートは、通常の個体よりもはるかに大きかった。近付いてきたゼロが口を開く。
「バハムート」
『――ドゥルガーの子か』
「肯定する」
バハムートはゼロに目を向け、次にロキを見た。その目が見開かれる。
『――また戻って来たのか』
バハムートは心底不思議そうな表情をしていた。ループのことを指しているのだろうな、とロキは思う。小さく笑みが浮かんだ。
「その言葉に答えることはできないよ。俺は全く身に覚えがないから」
『……そうか』
ロキの言葉にバハムートの中で何かが解決したらしい。バハムートはハインドフットを一瞥し、洞窟を見やり、前に出たがるワイバーンを尾で押しとどめた。
『この場所のある程度の事情は把握していると聞いている。こちらも、ここにお前たちが来たのは初めてでな』
「……簡潔に答えるよ。鋼竜の幼生が2体居る。進化素材を集めに来たんだ」
『……そうか』
バハムートの敵意が完全に消えた。漸く息を吐くことができたロキははたと振り返る。
嫌な感じの冷気を感じた。
『……ここは、屍に襲われた。必然であろう』
バハムートの言葉に悟ったロキは小さくああ、と答える。
「……まさか、ドラゴンゾンビかぁ?」
事情を大まかに掴めたらしいハインドフットの言葉に、ロキは首を左右に振った。
「ドラゴンゾンビほど危険度の高い奴だったらゼロもシドも反応すると思います。骨竜じゃないでしょうか」
骨竜族はボーンドラゴンまたはスカルドラゴンと呼ばれる、骨と鬼火で身体を構成する闇属性のドラゴンである。危険度はあまり高くない。
人間を襲うのではなく、生き物全般を襲うか、村などを守る代わりに人間の放出している魔力を食うことで生きている。一応話は通じるのでまだマシな部類と言えるだろう。
「やれやれ、とことんこの国は死体に縁があるなぁ」
「嫌な言い方しないでくださいよ」
ハインドフットの言葉に苦笑を零し、ロキは竜種の扱いに慣れているであろうゼロに後を任せて一度洞窟へ戻った。
♢
洞窟の中はとても暗かった。ロキは自分がとても夜目が利くということを初めて知った。
ゆらり、と蒼白い炎が燃えている。ロキはその炎を見て、小さいな、と思った。
生徒達がうわあ、と小さく声を上げつつ固まっているのが見える。一番奥にいるのはシドだった。
「どうするんだよこれ……」
「切っても意味ないのか?」
「火も光も効かねえよ。こいつは正真正銘物理しか効かねえ」
シドの声がやたら大きく聞こえる。骨竜族は物理でしか対抗できないのか、とシドの言葉を記憶の片隅にメモしてロキはシドに近付いていく。
「シド」
「うぉわぁ!?」
ついでに肩を叩いたせいでとんでもなく驚かれてしまった。
「ロキ!?」
「えっ」
「やべ、見えねえ」
ロキが来たと聞いて目を擦っている生徒が何人かいるが、いずれも見えないらしい。ロキはそんな様子を見ながらシドに改めて声を掛ける。
「ボーンドラゴンでも出たのかな」
「あ、あぁ、おう、ボーンドラゴンだと思う。ちっこい」
一緒に見に行くよ、とロキはシドを伴って前に出る。それを後ろから見ていたカルは改めて目を擦った。やはりロキを認識できない。
「……セト、ロキは見えるか?」
「見えるぜ」
「くっ……」
カルから見えなくてセトから見えるとはこれ如何に。カルは少し恨めし気な目をセトに向けていた。
人刃族や竜種もそうだが、魔力の扱いに長けている種族は、マナや魔力を見ていることがある。その場合、見ている景色が全然違う場合もあるのだ。少なくともカルには今現在、闇属性のマナを多く纏うロキを闇の中で見つけることが難しく、闇属性を持っているセトは見つけることができているという事だ。
この属性ならば見えやすいのはこの属性、というのもおおよそ分かっている。因みに、闇属性は全てのマナを探知するのに向いているので探知魔術で最も信頼されているのは闇属性の者となっている。
なお、そもそも闇属性の者は基本的に探知に引っかかりにくいので、闇属性の者が探知した方が見落としが少ないという事情もあったりする。
逆に火属性や光属性の者は闇属性や土属性の者を見落としやすい傾向にあるので、注意が必要だったりする。カルは既にセトとナタリアも見失っている。セトは横に居るからと思って声を掛けたら思ったよりも近くに居たくらいだ。
なお、余談であるが、魔力基準で見ていなければ、ロキは逆に目立つくらいの姿をしている。髪は魔力をよく含んで淡く光っているし、瞳は人刃族の特徴ともいえるガラス光沢でギラギラしているのだった。
「……シド、こいつ俺にビビッてる?」
「……いや、ビビッてねえな」
シドとロキの声が近くから聞こえてきて、カルは思ったよりもロキが近くに居ることを理解した。シドの位置はある程度分かるのだが。
魔力への感度下げたら、とセトに言われてカルは慌てて視界の調整をした。そうして目を凝らせば、ロキが丁度鬼火を宿した小さな頭骨をつついたところだった。
からからから。
揺れた頭骨がロキを見る。ロキが軽く首を傾げてみせれば、頭骨も首を傾げるような仕草をした。
本来あるべき胴は、無かった。
「どうしたんだ、お前。寂しいから出てきたのかい?」
から、から。
頭骨が上下に揺れる。ロキは頭骨をそっと手に乗せる。
カルが口を開いた。
「ロキ、そいつは」
「ここが死徒に襲われた時に犠牲になったものだと思うよ。俺たちが結構長めに滞在したから出てきたんだろう」
ロキは頭骨のみのこの骨竜をスカルドラゴンと断じた。
下級ドラゴンはある程度身体が残っていなければ骨竜にはならず、ほとんど身体が残っている骨竜をボーンドラゴン、逆に頭骨さえ無事ならば骨竜化してしまうのが上級ドラゴンで、その場合はスカルドラゴンと呼ばれる。
「害はなさそうだな?」
「ああ。ナタリアとセトに惹かれたみたいだよ」
「闇だからか?」
「たぶんね」
シドの問い、セトの問いにロキが答えれば皆緊張を解き始めた。竜種はよほど弱い個体でない限り警戒して然るべきと教育されているリガルディアの貴族子弟は特にほっとした様子だ。
ここに居る生徒たちの属性は様々である。元々骨竜は魔力を選んで食べるようなタイプではない。彩がよく、キラキラしていて美味しそうだったから隠れていたところから出てきた。そんなところだろうとロキは思う。
「バハムートはどうなった?」
「ゼロとハインドフット先生に任せてきた。こいつに気付いたから慌てて引き返してきたんだ」
「そうか」
カルの問いに簡潔に答え、スカルドラゴンを手に乗せたままロキは洞窟を出る。浅い所で採集を終わらせる予定だったので、ロキたちが火を起こしていた位置よりも奥に踏み入れたのはこれが初めてだ。鋼竜の幼生は成長が遅いので、親が手前で生活し、外敵を阻み、幼生が奥で過ごしていたのだろう。だから、スカルドラゴンの小さな頭骨も洞窟の奥にあった。
バハムートの許へ戻って来たロキを見て、バハムートが目を細め、ゼロとハインドフットと何か話していたらしいがそれを切り上げた。
「おぉ、フォンブラウ。帰って来たかぁ」
「話の途中のようでしたが」
『案ずるな』
「子供が巣立ったんだと」
「おや。おめでとうございます」
ロキはひとまずバハムートに声を掛けた。バハムートの子が巣立ったというほのぼのした話題を話していたらしい。
「フォンブラウ、その手のは?」
「先ほどの骨竜です。頭骨だけで骨竜化してるので、スカルドラゴンだと思います」
「おぅ、そりゃここに置いててもどうしようもねぇなあ。連れて帰るかぁ」
ロキはハインドフットに骨竜を預ける。置いて行くにしろ、連れ帰るにしろ、ロキはこの骨竜の世話までは手が回らない。ハインドフットにお任せすることにした。
「さてと。状況説明はしたからなぁ。皆ぁ、帰るぞぉ」
ハインドフットは骨竜を守るために小さなケージに入れた後、生徒たちの方を見て声を張り上げる。予定より長く滞在してしまったので、早く生徒たちの身体をちゃんと休められるところへ帰らなければならない。
バハムートたちから何か条件を出されたりしていなくて安心したロキだったが、ふとドルバロムから遠慮がちな報告の感覚を感じて虚空を見上げた。
「ロキ、どうした?」
「うーん」
洞窟から出て来たカルに声を掛けられ、ロキは少し迷う。何と言ったものか。いや、普通に報告だけするか。
「ハインドフット先生」
「ん? どうしたぁ、フォンブラウ」
「橋が落ちてるみたいです」
「おっとぉ」
ハインドフットはロキの報告を受けて少し考え込んだ。
上ってくるとき、2本の大きな川があった。大きなといっても日本のド田舎で見かけて結構広いねーくらいの、細い方の部類に入る川ではあるのだが、山にある川であること、サンダーバードで足止めを食っている間に降った雨による増水で危険度が増しているのだった。細いため元々水流は早く、加えて滝が近い。そんなところに橋掛けてんじゃねーよと言いたくもなるが、元々かなり上流にあった橋が、度重なるドラゴンの縄張り争いという名の災害に遭って地面そのものがだいぶ削られてしまっているのだ。
岩を砕くドラゴンなんて数えていたらきりがない。
火山で大暴れしたドラゴンのせいで噴火するなんて文献にはしょっちゅう出てくる。
この山のでき方だって元はと言えば台地だったものを地竜や鋼竜が削りに削って残っているのがこの辺り一帯である、という状態なのである。
「どうした、ロキ」
「……地形変動に思いを馳せているところ」
「フォンブラウはここがもともと台地だったの知ってるんだなぁ」
「フォンブラウの蔵書に、建国当時の地図もありましたから」
ロキはフォンブラウ公爵家の蔵書は一通り読んで頭に入れていた。小説もあれば魔術の本や禁書の類もあったりしてなかなか面白い。
じゃあどうやって移動するか、とハインドフットが改めて思考の海に沈んだのを見送り、ロキは辺りを見渡す。
リズたちはどこへ行ったのだろうかと思っていると、どうやらルガルたちのパーティが先走ったのか、ワイバーンに革の鎧をむしゃむしゃされて涙目になっているのが見えた。
リズたちのパーティはといえば、固まって動かずにおり、ワイバーンの小さい個体が擦り寄っていた。懐かれたようだ。
「ワイバーンを素材扱いするからそうなるんだぞー」
「俺の相棒が食われるー」
「お前のせいで俺ナイフ落としたんだけど!? 娘がくれたナイフがー……」
「何でンな大事なもん持ってくんだおめーは!」
「俺セネルティエ出身だからな! あの子が“私の代わりに”って持たせてくれたんだよおおお!」
何やらギャイギャイ騒がしい男衆を見て、バハムートが目を細める。
それは、嫌悪からくるものではない。
『平和なものだ。本当に……』
竜種は、人間よりもはるかに長命である。
故に、沢山の国の起こりと滅びを見て来ているはずである。まして回帰していることを知っているドラゴンであれば、今この時代のことを平和と称するのも無理はないだろう。
生徒達がそろりと姿を現すと、バハムートは一番手前に居るシドを見た。
『上位者――アウルムだな』
「おう。前回だと、戦場以来だな」
『ふむ。どうやら橋も落ちたようであるし、送ってやろう』
何を思いついたのか、そんなことを言ったバハムートに生徒たちが首を傾げる。
ドルバロムがそれとなくバハムートに伝えたらしいことをロキは悟った。
「んん? いいのか、バハムート?」
『構わぬ。王都であろう?』
「おぅ、じゃあよろしくなぁ」
バハムートの申し出を断ることも無かろうとハインドフットが頭を下げたのを見て、何人か生徒が「おぉん……」と動きを止めていたのが印象的であったと後にセトは語る。
実際川の幅約3メートルを橋がない状態でどう越えろというのだ。ハインドフットは荷物をしっかりとまとめ始めた。
バハムートは「ガァッ」と小さめに声を上げ、ワイバーンたちがそれに従ってリズたちから離れ始める。
「あ、もう出発?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、噛み千切んなコラー!」
悲痛な悲鳴を上げているルガルのパーティメンバーにルガルが肩を揺らして笑っていた。
『あの子らはあの人間たちを気に入ったようだの』
「名付けを?」
『それがよかろ』
「――リズ!」
ロキはリズを呼ぶ。4人とも来るように示せば彼女らはすぐにバハムートの傍にやってきた。
『その子らに名を付けるがいい』
「「「「!」」」」
リズたちは顔を見合わせ、よちよちついてきた小さなワイバーンを振り返る。
魔物に名を付けるということは、魔物にとって非常に大きな意味を持っている。
相手を一生の主と決めた魔物は、主のためにと進化を繰り返すようになる。どの種族でも簡単にできるもので、人間たち一部の生き物が持たない契約方法。名を魔物側が受け入れなければ成立しない。
それを、その個体の親から許可された形になった。しかも、末席とはいえ最強種に限りなく近い、ドラゴンの。
「……ッ、ありがとう、バハムート」
「「ありがとう」」
「ありがとうごさいます!」
4人はそれぞれ礼を言って、手を伸ばせば腕に飛び込んでくるほど懐いてしまった小さなワイバーンに名付けを始めた。
♢
ロキが連絡を取って、フェンとドルバロムに馬たちの先導を任せることとなった。ドルバロムが居ればどの馬も問題なく王都へ帰りつくだろう。生徒達の準備が終わり、リズたちも名付けを終え、皆でバハムートやワイバーンの背に乗る。
『日が暮れる前に城壁に入らねばなるまい』
バハムートはそう言って、傾き始めた日を眺める。
随分長く話し込んでしまったものだ。
ドラゴンと喋ったの初めて、という生徒が大半であり、ソルたちは興奮冷めやらずリズたちに懐いたワイバーンを撫でまわしていた。
そんなことをしていたら日が暮れてしまう。もうすぐ冬だ。日が暮れるのは早い。
『2時間はかかる。防寒はしておけ』
「忠告感謝する」
ロキは皆がロキに預けていたブランケットや上着をそれぞれに返してしっかりと寒さと風対策をさせ、ドラゴンたちに乗った。
約2時間かけての王都への帰路。
カルがリンクストーンでジークフリートに伝えていたため、出迎えは王都騎士団の面々が来ることになっていた。
生徒達にこの時の感想を聞くとおよそ、「ドラゴンは速い」か「王族と公爵家は人間辞めてる」のどちらかが返ってくるのだった。