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2024/07/15 加筆修正しました。
はて、と。
ロキは空を見上げていた。
サンダーバードの去った空。
眠る前には荒れていたはずの空。
現在、ロキが起きるまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたらしいシドとゼロがロキの荷物をまとめ直している。カルたちは既に荷を纏め終えており、不測の事態によってロキが気を失うように眠ってから1日が経っていた。
目の前に広がる青空と、その手前に見える高速でこちらへ飛翔してくる物体を見て、ロキたちは顔を見合わせる。
「あれ、なんだ?」
「俺の見間違いじゃなければ、ドラゴンだな」
「しかもバハムートだぁ」
「ハインドフット先生目が良いですね」
ハインドフットはもうこれはどうしようもねえなぁ、と言って生徒達を洞窟へ入れ始めた。足場の悪い所では、どう足掻こうが飛翔しているドラゴンに分があるのだ。追い付かれたらどうなるかわからない。
それならばいっそ、ここに立て籠もった方が良い。
「フォンブラウ、フェイブラムに穴を掘ってもらって逃げ道の確保をしろぉ」
「分かりました」
「ハインドフット先生はどうするんですか!?」
「ちったぁ足止めせにゃなぁ。まぁ、話を聞いてくれるようならそれでよし、だぁ。じゃなきゃ、逃げろよぉ。そこの穴はバハムートこそ入らんが、連れているワイバーンたちは入っちまうからなぁ」
ドラゴン族バハムート種と呼ぶのが正しい、通称バハムート。
成体は体長8メートルから10メートルの巨体を持ち、黒と見紛う赤い鱗を持つ。また、これは下位竜種には共通しているのだが、シンメトリーの角を持っている。
バハムートの別名は靭爪紅竜という。この名はイミットがバハムートを呼んでいる名であり、ロキは充てられていた字が漢字だったため理解できたのだが、バハムートの体の部位で最も硬いのは爪である。靭、ということは恐らくかなり折れにくいのであろうということは容易に想像がついたのでロキはバハムートとの戦闘だけは願い下げだった。
ドルバロムが声を掛けてくる。
『なんか楽しいことになってるねー』
楽しくなんぞないのだが。
ロキは小さく息を吐いて、ドルバロムに問う。
「あのバハムートの目的は分かるか」
『ロキは最近遠慮なくなってきたねー。ここはドラゴンにとっては悔恨の地であり、仲間の墓場だ。そこに人間の一団が出入りしている。だからここらで一番近くにいた彼女がやって来た』
あ、女性なんですね。
口調が女とは限らないのでなるべく分かるときには合わせるが、分からない時は彼・彼女でドラゴンを呼ばない。ちなみに両性持っている場合もあるのでどう呼ぶかはその人次第であろう。
バハムートは完全に雌雄が分かれているが、見た目上差は特にない。雌の方が少々身体が大きくなるだろうか。
「シド、洞窟の奥をいつでも掘れるようにしておいて」
「分かった」
「ゼロ」
「ん」
呼べばすぐにゼロが姿を現す。
ロキはハインドフットに声を掛けた。
「ハインドフット先生、俺たちは墓荒らし扱いのようですよ」
「えっ……ああ、そうか。ギルドが一度入ってるから余計にかぁ……」
恐らくこちらがサンダーバードで足止めを食ったため向こうが腰を上げてしまったのだろう。
しかしそれならばゼロもここを知っていたのではないだろうか。王都にはドラクルが一応居るとはいえ、基本的にドラクル家はどちらかというとフォンブラウ、セーリス、バルフォット、旧クレパラスト領に跨るルーリー山脈を中心としたカルデラに住んでいる。
「ゼロ、ここのことは知ってた?」
「……一応は」
「そっか」
「……」
「……別に虐めないから怯えた目をするなよ」
俺はそんなにお前を虐めていないだろう。
ロキはそう言いつつも自分の行動を振り返る。
「……あれ? まったく自分が信用できねえな……?」
具体的には、まあ、ロキは最近かなりゼロをこき使っているのである。シドにはあまり何もさせていない気もする。ゼロの自由時間なんて知ったこっちゃないので。ちなみに普通の貴族ならそれでいいのだが、ゼロの場合はイミットであることもあってロキと時間が合わない場合がある。そこをゼロの予定を全く聞かなかった気がする。いや、上級貴族としては普通なのだが。普通なのだが。
そして、ゼロが何かを嫌がるということも特にないためいろいろ押し付けている気もする。
今まで自分でやっていたことを、やらなくなっている気が。
「……ゼロ、暇はいるか?」
「まるで俺の仕事に不満があるのだが俺の意思を尊重する体を取っているようにしか聞こえない。不満があるなら改善する」
「お前をどう解雇しろと? 貴様の首輪の鍵はとっくに俺の、」
あ、これ言ったらダメなやつだった。
ロキは頭を抱えた。つい口走ってしまった。
言わないと決めていたのに。
「……俺の、何?」
「近い離れろ聞くな言わせるな」
ゼロは分かっているのであろう、口元が緩んでいるのが見える。やっぱりこいつちょっとサド入ってるよな、とロキは思う。
これ恥ずかしがらずに言ってしまった方が楽な気もするが一世一代の告白じみたものになる。そうなったら確実に照れ隠しという名の笑顔でゼロを打つこと間違いなしなので言わない。言わない方がいいに決まっている。
「もしかして取り込んじまったかぁ?」
ハインドフットが思い切り爆撃してきた。
魔物学を専門にしている彼からすれば想像に難い事でもなかったのだろうが。
「あはは、バレました?」
「ぐはッ……!?」
つつかれると同時に隠すのをやめて満面の笑みになってしまったロキは、もういい、言ってしまえと開き直った。
「そうなんですよ、俺こいつのこと結構大事に思ってたみたいで、もう放してやれません。ここにあるので」
ここ、と言いつつロキは胸を示した。
人間を含め魔物には契約を結ぶという形で双方を縛る種がいくつか存在するが、いずれも双方平等という事の方が珍しい。ロキとゼロの場合はロキが有利でゼロが不利なのだろう。
ロキは人刃族であり、人刃族はかなりのタフさで知られている。そんな人刃と言えど魔核を潰されれば一応死んでしまうが、つまりロキ的には死ぬまで放してなんかやらないという証でもある。
「いいんじゃねぇかぁ、クラッフォンはフォンブラウにぞっこんだとムゲンが」
「親父のやつ何を言って……!」
「違うのか?」
「120パーセント事実です」
ハインドフットが父親と知り合いで会ったことに驚いたゼロだが、ロキから出て来た質問に即座に答えた。ロキは少々口元を緩める。
人刃族もイミット族も契約を結ぶ種族ではあるが、通常はイミットの方が力関係は強くなりがちである。ゼロが献身的なのでおおよそゼロが好き勝手しているだけだとハインドフットも考えていた。どうにも違うようだ。
イミットは契約によって“夜の主従”――つまり表と裏の主従関係を結ぶ。ロキとゼロはこれが2面性を持たない。
人刃は、契約には2種類あり、その身を剣として捧げる“舞手契約”と、自分が主人になるタイプの“溶解契約”と呼ばれている。
舞手契約は人刃側が使われる側であり、主人が死ぬまで契約が存続する。同時に複数の主を持つことはない。
溶解契約は相手を縛る契約で、自分の身体を鋼に見立て、自分の身を形作る鋼の一部として相手を縛る錠の鍵を溶かし込んだものとして成立する。
鍵のない錠は外れない。そういう事だ。
バハムートがぐんぐん近づいてくる。ゼロをつつき回していたロキはバハムートを見上げた。ゼロにはこのままここに居てもらうつもりである。
緊張など霧散した。シドは間に合っただろうか。
バハムートが降り立った。その傍に次々とワイバーンが降り立つ。
バハムートが口を開いた。
『ここで何をしている、人の子ら』