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2023/01/15 改稿しました。
ロキは目を開けた。
長い夢を見ていた気がする。
(――あれが、夢)
夢というのは、長い時を過ごす感覚を伴うことがあるけれども、記憶もあってなおかつあれだけ様々な感触を感じていたというのに、今手許にそれは何も残っていなくて。
ロキは小さく息を吐いた。
身体を起こす。休日だが窓のカーテンはとっくに開けられていて、近くのテーブルには朝食が既に用意されていた。
タイミングを見計らったかのようにシドが入ってくる。ロキはベッドの縁に腰かけ、シドが持って来た洗面用のぬるま湯で顔を洗った。
「おはようございますロキ様」
「……ああ、おはよう」
シドは分かっているらしく、今は柔らかな光を湛えた金色の瞳がロキを見ている。
「……ありがとな、ネロキスクの事」
「……俺は、背中押してほしそうな人の背中押してきただけだよ。立ち直るきっかけさえあれば、彼は大丈夫だったんじゃないか」
「それでも、そのきっかけはお前だ」
「……こんな化け物じみたスペックでも結局、人間だったってことだろ」
ロキがそう告げれば小さく、シドは頷いた。
「気付くのに、一生使っちまったけどな、俺たち。ネロキスクのとこに残っちまったのはゼロだけだが、そっちはどうなりそうか分かるか?」
「知らない。けど、次と、そう言っていた」
「そうか……そっか」
ロキの意訳を聞いたシドはしばらくの間俯いていたが、顔を上げると、いつもの眩しいまでの笑みを浮かべてみせていた。
「飲み物は何がいい? 紅茶、水、柑橘系の果汁」
「紅茶」
「了解」
シドが紅茶を淹れる間にロキは洗面を済ませてテーブルにつく。
ロキはシドに紅茶の淹れ方を習ったが、シドが完璧すぎて練習中が辛かったのは少々悔しい思い出だ。
トーストとベーコンエッグ、カボチャのポタージュ。朝方は肌寒くなってきたので丁度いい。
ゼロがいないのはなぜだろうかとも思ったが、食事を終えてから尋ねればいいだろうとロキは食事を進める方に集中した。
食べ終わればさっとロキの前に紅茶が出され、シドが食器類を下げるために近くに置いていたワゴンに乗せていく。
手早く食事を済ませたロキは着替えのために立ち上がった。
シドが口を開く。
「今日の予定は?」
「王都のギルドに行こうと思うよ。セトもいることだしな」
「あー、じゃあ着飾るのは無理かァ」
「目立つからやめてくれよ。ただでさえ銀髪の人間なんて王都内探しても2、3人いるかいないかなんだけど」
ロキがスクルドから聞いたことではあるが、リガルディア王国には死徒血統が多いこともあり、魔力保有量が多い者が多い代わりに、銀髪になる上限が果てしなく高い。ロキやその数名の銀髪の者の場合その上限をぶっちぎったという証拠である。
王都内に複数いるのが既におかしいという話もある。
王立の魔術研究所が存在するが、ここでは強力な魔物の出現に備えて王国内の生き物の魔力保有量を大まかに測ることができる装置が存在する。ゾンビ系は生命体ですらないのでうまく測定できず、探知に引っかからずよく被害に遭うのだが。
ロキが進化を終了した直後国王へすぐ話が行ったということもカルから聞いており、まあ実に傍迷惑な生徒であろうなとロキは自分への評価を下している。
神子の銀髪は良くも悪くも目立つ。
ロキなど、生まれた時から何かと周りを騒がせていたのでよく狙われていた。ロキが聞いた話はあくまで解決済みのものばかりで、何年前にこんなことがあってね、とスクルドから聞く程度だった。
大半の神子たるロキを狙った誘拐はスクルドに予知されたり獄炎騎士団に阻止されたりしているという。ドルバロムから聞いた情報なのでどれくらい前の話なのかはちょっと分からないが。
公爵家のレオンですら狙われるのだ。神子ならもっと狙われる。ロキが後にも先にも拉致されたのはレオンに巻き込まれた時のものと、先日のハド絡みのものだけなので、今後増える可能性はあれどよく今まで防ぎきっていたというべきだろう。
「王都のギルドはあんまり柄がよくねえからなあ。気を付けろよ?」
「分かった」
「んじゃ、今日はネイビーのロング丈のジャケットで」
「待て、それ金糸の刺繍入りじゃ――」
ロキが言い終わる前にシドは姿を消してしまった。
ロキに脱兎のごとく部屋を飛び出して行ったシドを止める手立てはない。
大人しく着るしかないかとロキはベッドに腰かけてシドを待った。
♢
ロキがセトとの集合場所として指定しておいた、庭の噴水。
セトは指定時間の20分前からそこにいた。理由は、ロキがもともと早めに動くたちであることを知っていたからだ。
しかしロキがそこに来たのは時間ぎりぎりだった。
珍しいこともあるもんだ、とセトは思っていたが、周りの生徒のざわつきとその服装を見てすぐに理由に思い至った。
ロキはその銀糸の髪を揺らし、白いシャツの上から黒いベスト、黒のスラックスと金糸で裾に刺繍の入ったネイビーのロング丈のジャケットを着用し、珍しい黒いブーツを履いていた。
付き従ってくるのがシドのみであることからして、ゼロは何か用事があるのだろう。
そしてシドの方はロキと色が逆転した黒いシャツに白いベスト、白いスラックスに革ブーツといったいでたちだ。
目立つ。
とにかく目立つ。
特に、ロキが白いので黒い服には映えるのだが、余計目立つ。
「せめてグレーで来いよ!」
「シドに言え」
セトはといえば、白いシャツに濃い緑のジャケット、ジーパン、ブーツといったいでたちである。
「ジーパン気に入ったか?」
「ああ。動き易くて助かる」
「元は開拓民の作業着らしいからな」
「納得だ」
簡単に言葉を交わしてそのまま歩きだす。ロキを立ち止まらせてはならない。セトはロキに少々憐みの視線を向けた。
ロキの端正な顔立ちは周りの者を寄せ付けない冷たさがある。話せばいい奴だと分かるが、話しかけやすい外見かといわれるとそれはノーだ。
だが、一目で恐らく貴族とわかるそのいでたちは、狙う者からは格好の的。一歩足を止めれば御令嬢たちに隙を見せることに他ならない。
ロキはその雰囲気から近寄りがたくもあるが、逆に一度話しかけてしまえばそこまで彼が外見と内容が必ずしも合致していないことに気付くのは容易い。
そして、現在13歳。
婚約者はまだ、いない。
ロキたちはあずかり知らぬことだが、スクルドがすべて断っているためロキへの婚約の話がロキにまで伝わって来ないだけである。
アーノルドの方もどちらかというとフレイやプルトスの婚約者探しの方に掛かりきりになっていた。
ロキははっきり言って独立させてしまうことが一番望ましいのだ。それが分かっているからこそ、ロキも容易に恋愛系の話は口にしない。
しかしそれを知っていようが知っていまいが、恋愛を楽しみたい令嬢は存在するし、親の意思を受けてロキに声を掛けようとする者だって存在する。
ロキが急いで歩いたって、歩きなのだから追いついてくる令嬢らもいる。であるから、セトは立ち話せずサッと歩き出した。ロキの先導をやる従者はついてきているが。
「――多少の失礼は許してもらえるだろうか……」
「……俺に言うな」
「つかそんな目立つ服着んじゃねえ。そんなだから視線をさらに集めるんだぞ?」
「分かっている。一度は止めた」
「シド……」
「んだよ、今日こんなに人いるなんて知らねえよ!」
前回はこんなんじゃなかったぞ、ギルドに行くっつったから正装に近いカッコ選んだのに俺の過失かよ、とシドが呻く。
「……別にいいよ。むしろ俺だと、セトのような姿は命取りになりかねない」
「マジで?」
「平民と間違われるみたい。だから俺はこんな無駄に豪奢でギルドなんぞに行けば舐められるような姿をしなくちゃならない」
行ってしまわれたわ、という小さな令嬢たちの残念がる声が遠ざかる。漸く話ができそうだ。
「そういや、もうすぐ部屋使えるな」
「そうだな。あ、ロキはどこだった?」
「鈴蘭の間」
もうじきサロンのための部屋が解放される。中等部は植物の名が付けられた部屋だ。高等部だと宝石の名になる。基本的には家格と入学時の成績で部屋割りが決まる。
「……お前が?」
「言うな。男爵令嬢と親しいことと、ハンジのことがあるせいだろうよ」
「……俺、王薔薇の間だった」
セトは小さく息を吐いた。ロキの言う通り、恐らくロキがソルやエリスら男爵令嬢たちと仲が良いことと、ハンジの件がある所為だろう。ハンジは平民なので、あまり位の高い部屋には入れない。
「ロキがいると部屋割り考える方は大変そうだな」
「言うなよ」
通常は平民階級は平民階級で固められていることが多いのだが、今年度は何かと考慮するモノが多いため、部屋割りは確かに大変だったであろうことは想像に難くなかった。
リガルディア王立学園は王都内にある。王家直轄地で最も大きい規模を誇る学園であり、リガルディア王国内では学園と呼ぶと王立学園を指す。
学園には2年間の初等部、3年間の中等部、3年間の高等部、4年間の大学院があり、貴族子弟の大半は中等部か高等部で学園に入学する。
爵位持ちの子供であれば基本的に高等部で入学義務が発生し、爵位持ちの子でなくとも次期当主候補であればそれだけで学園への入学は必須だ。顔つなぎや派閥作りも兼ねているため、ここで入学していないと関係性を築くのは絶望的である。冒険者になるというのなら話は別になってくるが。
学園は初等部から高等部まで、基本的に外出許可を得ることで学外へ出ることができるようになる。大学院でも同じ手続きは存在するのだが、所属しているのがいい年をした大人ばかりであることもあり形骸化していた。行き先把握程度の用途といった方が正しい。
ロキは今回、セトと共に王都のギルドへ顔を出すつもりで外出許可を申請していた。セト同伴になったのは、セトが勝手に師匠と呼び慕うバルフォット領出身の冒険者が王都に滞在していると聞いたためだった。
リガルディア王国にいくつか存在する“変な家系”のひとつであるバルフォット騎士爵家は、親が騎士なら子は家を継がない、というジンクスを持つ家系である。セトの父親は王家直属騎士団の団長であるため、セトは騎士にはならないんじゃないかとロキたちが予想を立てているのはごく自然な流れなのである。セト本人は騎士を目指しているので不服を申し立てているが。冒険者の弟子は大抵冒険者にしかならぬものだ。
リガルディア王国の貴族子弟は高等部在籍中に嫌でも戦闘訓練を散々積まされるので、その一環で冒険者登録する羽目になる。初等部は流石に少ないが、中等部在籍経歴のある貴族子弟の大半が中等部の内に登録だけ済ませていることが多いのは、親や兄姉が皆で手続きに行くことの面倒さを知っているせいだろう。
ロキも思いっきりこのタイプである。上にプルトス、フレイ、スカジが居たのだ。プルトスは戦闘を苦手としているので登録が遅れたようだが、その時かなり順番待ちをさせられたとロキに語った。フレイもスカジも先に登録をしていたので事なきを得ていたようだが、貴族子弟がやんややんやと集まって冒険者登録をするさまを想像したロキは思わず噴き出したものである。他の冒険者の依頼やら払い出しやらの業務の傍ら貴族子弟の相手をしなくてはならないギルド職員が憐れだ。まあ、その辺りもあってかリガルディア王国では“ギルド章を下げていたら貴族も冒険者”なんて言葉もある。よほどのことがない限りギルド章が見える位置にある状態での対人戦は両成敗だ。
「イー」
「はい」
ロキとセトが訪れた中等部の中央門はホムンクルスが門番役を担っている。ホムンクルスは、知能が高く、感情が存在する魔術的生命体だ。錬金術を研究している高等部の教授やそのゼミに所属している生徒が試作品として置いている。
「外出申請を出していたロキ・フォンブラウ」
「同じくセト・バルフォット」
「同じくシド・フェイブラム」
「承認しました」
イー、と呼ばれたホムンクルスは神子のような外見をしている。
真っ白な髪に、真っ白な肌、そして赤い瞳。髪を三つ編みにして黒いローブを纏っている姿はなかなか様になっている。
アルビノを知識として知っているロキからするとただのアルビノ少女だが、これが元は神子の身代わりとして造られ始めたのだと聞いて衝撃だった。
イーの外見のモデルは現在教会によって監禁状態にある王妹殿下というからロキは頭を抱えたものだ。
ちなみにロキモデルのホムンクルスが既に生成されて高等部でその教授の助手をしているなどとはこの時のロキは露ほども知らないのだった。
ロキは許可を得たときに貰った書類をイーに見せる。小さくイーは頷いて、ロキの手に小さな印章を置いた。続けてセト、シドの手にも同じものが置かれる。
「無くしたら、学校に入れなくなりますので、お気を付けください」
「ああ。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
イーがとんとん、と魔力で出力された光る鍵盤を叩くと門が開く。ロキはセトと共に外に出た。
「なあロキ」
セトが口を開く。ロキはセトに視線を向けた。
「ギルドに行くっつっても、今日は商業ギルドがメインなんじゃねえの?」
「あー」
そういえば今日の詳しい内容はセトに伝えていなかった。ロキは用件聞かずにコイツついて行ってもいいよとか言ったのかとちょっと震えながらセトの質問に答える。
「今日は本部に行こうと思っているんだ。本部は商業ギルドと冒険者ギルドの窓口が近いだろ?」
「あー」
リガルディア王国王都は塔状の構造をしていた。王侯貴族が上層、平民が下層に住み、周りは人工的に掘られた断崖絶壁である。平民たちの住む下層は実は地下にある場所も割と広範囲だ。
ギルドは王宮の近くにあるのが本部であり、支部がそれぞれ東西南北の貴族街、貴族街と平民街の間、平民街の中央付近にあり、合計で王都だけでも6つのギルド窓口があることになる。
支部だと特に、商業ギルドがなく冒険者ギルドが一括して担っていることも少なくないため、人の出入りは非常に激しくなる。商業ギルドは大きな都市にしかないので当然と言えばそうである。
「セトのお師匠さん王都に来てるんだろ?」
「あ、知ってたのかよ」
「ゼロに零したろ? 伝わって来たよ」
セトはカルの傍仕え候補とはいえ騎士爵令息である。ゼロやシドの方が階級も近くて話しやすいのだろう。少なくともロキよりは。
ロキは言葉を返し、大通りを下り始めた。セトはそんなロキの後ろをついて行くシドと共に、冒険者ギルドリガルディア本部へと向かった。




