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2023/11/27 加筆修正しました。
――小さい頃から、気に入らなかった。
へらへらした態度で、オレの親より偉い親がいるからって、何も苦労してないような顔したアイツが。加護持ちとかいう特別な生まれをしたアイツが。加護持ちであるが故に魔力に困ることも無かったアイツが。
それは齢を重ねていくごとに異なる感情へと姿を変えたけれども。
「――そこまで」
赤い髪が水をたっぷりと含んで顔に落ちてくる。この状況を作り出した公爵家の双子を見据えて、シスカ伯爵家長男モーリッツは小さく息を吐いた。
「完敗だ、ちくしょうめ」
2対1で戦ったから負けたのだと言えばまあ、そうだろうなと言ってくれる者は多いだろうが、モーリッツは言い訳をするつもりはない。目の前のフォンブラウ公爵家の長男と次男は、そもそも2人でお互いの不得意分野を補っているのだから、片方ずつに挑むならまだしも、2人に対して挑みかかった時点で、敗北は確定していると言ってよかった。それでもモーリッツは彼らに勝ちたかった。片割れだけでも天才と呼ばれる彼らを、完璧な状態で叩きのめしてやりたかった。
「……僕らは決闘には向かないからね」
「……それだけは、絶対認めてやんねえ」
プルトス・フォンブラウの言葉にそう返したモーリッツは、この日の模擬決闘の結果を、自分の親戚の中で最も高貴な血統の跡取り息子に手紙でしたためた。
♢
レオンの許に手紙が来た。珍しく、従兄からのものであったため、嫌な予感がするなあと思いつつレオンはその封を開けた。
『親愛なる従弟レオン・クローディへ』
何が親愛なるだ、と思いつつ中の文章へと目を通せばレオンのこめかみに青筋が立った。
プルトス・フォンブラウ及びフレイ・フォンブラウに模擬決闘を申し込んで、正式に試合をして負けたことを報告する。俺にはやっぱり剣は向いてなかったみたいだ。お前に言われたとおり、大人しく暗器を訓練しておけばよかった。
それは置いておくとして。
弟が、何やらやらかしてしまったらしい。今度中等部へ行くから、当時のことを詳しくわかる人がいれば紹介してほしい。
どうにも、呪いの類を用いて嫌がらせをしようとしたらしいんだが、まだ中等部では魔法陣の読み方は習わないだろう?
そのせいで、どんな術なのかよくわからないまま魔法陣を使ってしまったようなんだ。
被害に遭った人はいないと聞いているが、発見者には謝罪せねばなるまい。
出来ればその人物の名を教えてほしい。
「……はぁ、」
レオンは息を吐いた。
この従兄に焚きつけられた形でナタリアに迫り、ループしているメンバーの中にナタリアもいたという事実と、最初からレオンの妹であることを知っていたというカミングアウトと、殺されたくなどないのでクローディよりもより動きやすいケイオスに身を置くままにすることを告げたナタリアを思い出す。
この手紙を見る限りこの従兄はあまり悪気があってあの言葉を言ったのではないのだろう。おそらく単純に焚きつけるための言葉か。よく考えてみればそれくらいの情報量をレオンは持っていたはずなのだが、自分も気が立っていたことは認めねばなるまい。
今のレオンを見たらロキたちは「防衛本能じゃね?」くらい言いそうなのだが、あいにくとここにロキたちはいない。寮のレオンの自室である。
レオンは先日起きた騒動を聞いただけなので詳細は知らない。一緒に居たというナタリアに話を聞きに行ってみるかと腰を上げた。
レオンは珍しく従者を連れての入学ではなく、全て1人でこなすことに決めていた。
元々レオンはどちらかというとインドアタイプであり、邪魔はとにかくされたくない。多少生活のリズムを崩すこともあるが、概ねレオン自身の時間で動いているのでそこまでのズレはなかった。また、ロキやソルたちといるときはシドやアッシュが勝手に色々準備をしている。夕食は食堂で摂ればいい。ただし、2階の上流貴族限定席へ行く。頼めばそのまま給仕が持ってきてくれるようになっている。
ロキは基本的にソルたちがいるため1階で食べているが、もしかすると単独になれば2階に行くのかもしれない――そんなことをつらつらと考えながら、レオンは部屋を後にした。
♢
「はあ」
ヘンドラは疲れ果てていた。
休憩のために食堂にやって来たヘンドラは職員食堂へ向かおうとして、シドに呼び止められた。
「ヘンドラ先生」
「シド君?」
向こうへ、とテラスへ案内される。
「申し訳ありません。主がテラスがいいといって聞かんものですから」
「あら、何か御話かしら?」
「たぶん」
ロキはゼロと共に端の方のテーブルについていた。
流石脳筋と言うべきか、未だに半袖で来ているところを見ると相当ロキは気温変化に対して丈夫なのだろう。
目を閉じ、腕を組んでいる。髪が黒く、肌も焼けているゼロが傍に居ると余計ロキの白さは際立つ。日光を受けてキラキラと柔らかく反射する銀糸の髪、白いその肌に纏う衣服は黒いためかっちりした印象を受けた。
ゼロが小さく礼をする。ヘンドラも会釈を返した。
「ロキ様、ヘンドラ先生をお連れいたしました」
「……」
ゆる、と白い睫毛に縁どられたラズベリルの瞳が姿を現す。ヘンドラと目が合うとロキはゆっくり立ち上がり、会釈をする。
「このような姿で申し訳ありません」
「いえ、構いませんよ。……御話があると伺いましたが」
「はい。手短に済ませますので、ご容赦ください」
透き通るような声だな、とヘンドラは思う。元々そういう声だったが、何と言えばいいのか。声に乗ったマナの属性が変わっているような気もする。
魔術を専門にしている彼女だからこそ気付いた程度の差でしかないのだが。
今のロキは無表情である。人形のようだ。
懐から手紙を取り出したロキはヘンドラに手紙を手渡す。
「これは?」
「エドガー・セーウネスに情報提供を頼んだのですが、こうなりまして」
手紙に目を通すと、文面はちょっと気にしないようにするのが面倒なくらいロキへの敬愛で溢れていた。セーウネス、セーウネス商会の息子か。ヘンドラは情報を整理する。
「……あら。フレイ君たちが来るのですか?」
「はい。そのようです。兄からの連絡はありませんでしたが、高等部には被害者ゼロ、第一発見者は伝わらず、といったところですね」
高等部に兄姉がいる生徒は多い。あの時見ていたのは大半が貴族子弟だったのだから当然か。ロキは薄く笑みを浮かべてヘンドラに告げる。
「今回の件は、兄同士の不仲に便乗した弟の従者が暴走した、というのが結論でいいかなと思います。ただ、あの魔法陣について勝手に調べたのですが」
「こら」
「申し訳ありません。でもあの組み方に覚えがあったものですから」
ヘンドラが独自に調べていたことだった。なんとなく覚えていたから調べた、それで調べられるとは一体どんな能力を有しているのだこの公爵令息はとヘンドラはツッコミを入れたくなる。
「図書館を一度閉鎖してでも調べた方がいいでしょう。中等部の図書館に在ってはいけない本だったはずだ」
ロキはそう言って、ぽん、と虚空から本を1冊取り出す。薄い本だ。小さな、麻紐で綴じられた薄い本。ヘンドラはそれを見て驚いた。
「これは」
「この本は精霊に頼んで屋敷から持ってきてもらったものです。あの組み方で、かつ中等部の生徒には理解できない魔法陣が載っている本と言ったら、これですから」
フォンブラウ家の蔵書には存在していた。ロキは読んだことが無かったが、読んでみると興味深くも恐ろしいことが書いてあったりもする。研究書だったのだろうとあたりを付けているが。著者は不明ながら、ロキは、すばらしく理論詰めの機械的な魔術を組む著者だという感想を抱いた。
「……私に話したかったことはこれですか」
「はい。陛下にも奏上します。そろそろ、結界結晶の交換に反対していた堅物翁共も腰を上げてくれると嬉しいのですが」
結界結晶とは、その名の通り、結界を張るために使用する魔力結晶や魔石、魔晶石のことを指す。
エリオが基本設計をしてロキが改良を加えた新たな結界結晶は、テストもしていないのに使えるかという通称堅物翁の反対に遭って採用が見送られた。
「……分かりました。説得は私に任せてください。一刻も早く生徒の安全を確保しなくては」
「よろしくお願いします。ああ、ちゃんとこの件はカル殿下を通して陛下には奏上済みですので」
「はい」
学園に何らかの形で外部の人間が接触を試みていることが証明されたも同然だった。
そう分かればすぐにでも、とヘンドラが腰をあげようとすると、ロキが制止する。
いつの間にかいなくなっていたゼロとシドが傍にやってきて、コトコトと料理の乗った皿をテーブルに置いた。
「え、あの」
「貴重な休憩時間を取らせてしまいましたから。遠慮せずにどうぞ」
ああこの子、強い。
ヘンドラはそう思いつつ席に着き直す。実は、腹が空いてしまっていた。
いつもは茶を出すはずのシドたちが動かないと思ったら動かないのではなく、カウンターに並んでいたらしい。
ロキはイミットが好んで食べるようなチキン南蛮定食を頼んでいたようだ。
綺麗に箸を持つなあ、と思ったヘンドラは、ロキが転生者であることを思い出す。
ロキは普通の生徒と違い、体感的には30を超えているはずなのだ。それを思い出すと同時に、ロキがそれでも病を克服してこの場に生きているということが、とても頼もしく思えた。
ヘンドラがいつも頼んでいたものをロキはどうやって知ったのか――おそらく闇精霊に頼んだのだろうが――チキンドリア、だった。
ヘンドラの好物である。子供っぽいともよく言われてしまうが、昼食にはいいだろう。
「……」
ふと、ヘンドラはロキの顔を見る。
食事に集中すると周りは見えなくなるらしく、ロキは黙々と食事を進めている。無表情な彼は彼なりに頬を緩め、目を少し伏せ気味にしている。これではヘンドラの方は見えないだろう。
(幸せそう)
ああ、そろそろロキの表情読めるようになってきたかもしれない。
ヘンドラはそんな収穫も得て、その日の昼食を終えた。