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2023/09/11 改稿しました。
この日、ロキ・フォンブラウは商業ギルドへ足を踏み入れていた。
商業ギルドは、フォンブラウ家が納税する際になくてはならない機関である。
商業ギルドは商人が登録しているギルドの支店である。リガルディアの本部は王都に在り、新しく商売を始めるならば必ず登録してギルド章を保有しておかねばならない。この辺りは冒険者ギルドと同じである。
商業ギルドは緩い連帯を持っている。銀行の役割も果たしているため、かなりの金額を保有していることになり、フォンブラウ領は冒険者以外も魔物を狩るため、登録しているのが一般的である。領民は農作物で納税するか現金で納税するかを選ばなければならない。
領内の農作物が穫れなくても、他家から買う――そうして今までフォンブラウ領は領民たちの分の食物を賄ってきた。
魔物の強い土地柄、装備、軍備に金をかけなくてはならないフォンブラウ家は、ギルドからも納税を受けることでそれなりに資産を持っている。
ロキの個人資産など聞くまでもない。使い古しの武器で中級ドラゴンの首を一撃で刎ねる少年――それがロキである。ギルドに長年登録していると話していたエルフが驚愕するレベルの魔力量とイミットとですら打ち負けないフィジカルの持ち主だった。これが虚弱な人刃だというのだから人刃族おそるべし。
ロキは貴族然とした服装でやってくるのだが、これがコートやジャケットを脱ぐと多少身綺麗なだけの少年である。ギルド内ではむしろコートを脱いでいることの方が多い。
従者の方もイミットと半精霊、特に半精霊の方は口調が粗野でとてもではないが貴族家に仕えているとは思えない荒さが目立つ。
そんな3人組だが、冒険者ギルドと商業ギルドが深くつながっているこのフォンブラウ領ではそんなのはどちらでも受け入れられているのだ。
「あ、ロキ様、こんにちは」
「カミラさん、こんにちは」
銀糸を揺らす少年が商業ギルドのカウンターに近付く。カウンターに座っていた女はそれに気付いて笑顔で対応する。
冒険者ギルドと比べるべくもなく整えられた役場の印象を受けるカウンターだ。
「ゲルハルト殿に取り継いでいただけますか」
「まあ! はい、すぐに!」
女――カミラにはもうロキが何の用件で来たのかわかっただろう。ゲルハルト、商業ギルドフォンブラウ領支店の支店長の名である。
基本的に商人としての経験があると豪語したシドによって、ロキがやろうとしている店の経営の類は彼に任されることとなっている。高等部に上がるまでにうまい具合に商人の息子と繋がっておきたいというのがシドの意見だ。
出来れば、そこそこ版図の広い商人がいいけれど、などとシドが何か怪しげな計画を立て始めて早々ロキは放置することを決めた。シドは非常に人気を博する人を惹きつけてやまない性格をしている。博打に強いことは悪いことではなかろう。
ロキがしばらく待っていると、カミラがカウンターの外へ、柔らかな雰囲気を纏った男を連れてきた。
「こんにちは、ゲルハルト殿」
「よくお越しくださいました、ロキ様。どうぞこちらへ」
「ゼロ、シド、お前たちは待機だ」
「「了解」」
ゲルハルト・セーウネス。ロキに店をやってみないかという提案をした人物でもある。
場所によって返事を変えてくれる従者2人に感謝しつつロキはゲルハルトに案内されて小部屋へと向かった。
「ロキ様、夏季休暇中でございますでしょう? 魔物の大量発生に見舞われて、大変ですな」
「フォンブラウ領では数年に一度あると聞いております。ずっと王都でぬくぬくと育ってきた私にはいい経験かと」
跡取りになる気はないが、魔物の対処は覚えて損はない。
ロキは自領についてフレイやプルトスと共に勉強していたので大体のことは知っている。
案内された部屋に入り、椅子に座ればメイドが現れ、紅茶を淹れて出て行った。
「さて……ここに来ていただけたということは、先日の話を受けて頂けるということでよろしいでしょうか」
「ええ。我々もその内顔を出そうとは考えておりましたので。渡りに船でしたね」
「それはよかった」
ゲルハルトはロキの答えにほっとした表情を浮かべ、呼び鈴を鳴らす。すぐに先ほどとは違うメイドが書類を持って現れた。ゲルハルトは書類を受け取り、ロキの前に差し出す。
「これにサインをお願いします」
「はい」
一先ずロキは書類に目を通す。
商業ギルドでの規約が書かれた書類である。ごくごく普通の契約書だった。この場合のごく普通というのは、魔術的な制約の掛けられていない契約書の事を指す。
「はい」
「ありがとうございます」
ロキがサインして書類を返すと、ゲルハルトはギルド章をロキに渡す。
「これが仮章です。店の名を登録してカウンターで銀製の物を受け取ってください」
「分かりました」
店を開くにあたって様々な書類を書かねばならないし、店を始めるにあたって大量に金を払わねばならないのが分かっている以上、フリーマーケットという平民でも参加できる場所を選んだロキの判断は間違いではないだろう。そのフリーマーケットでも、店名の登録は必要だ。ギルド章がなければフリーマーケットへの出店すらできない。
カウンターの所まで戻ると、ゲルハルトがおや、と立ち止まる。
「エドガー?」
「あ、父さん」
エドガー、と呼ばれた灰色の髪の少年はシドと2人で喋っていた。横でゼロがぼんやりと話を聞いていたようで、ロキを認めて表情を明るくする。
ゼロがつまらなさそうな理由に思い至ったロキは苦笑を零した。大体事情が掴めたのだ。
恐らく、エドガーはシドに掴まったのである。
「ロキ様、こちら息子のエドガーでございます」
「エドガー・セーウネスです。噂はかねがね」
「ロキ・フォンブラウだよ。ちゃんと顔を合わせるのは初めてだね」
セーウネス商会の息子か、とロキは思う。エドガーと顔を会わせた経験はないが、同じ学園に所属しているのだけは知っている。
セーウネス商会はフォンブラウ領出身で代々王都で魔物の素材を使った武具中心に魔石を使ったアクセサリなどの販売も手掛けるそれなりの伝統と大きさを誇る商会だ。
エドガーの灰髪は綺麗なアッシュだった。狐目というか、糸目気味の瞳なので、エドガーの瞳の色はわからない。
ロキはゲルハルトを見る。
その髪は茶髪だった。
(ああ、なるほど)
ロキはエドガーの髪の色に合点がいった。彼はきっとフォンブラウ領の影響を強く受けている。
ゲルハルトがロキに言う。
「よければ、うちの息子とも仲良くしていただけると幸いです」
「ええ、こちらからお願いしたいくらいですよ」
フリーマーケットへの出店の最低条件はもうクリアできるところに来た。これ以上ゲルハルトの時間を取るのはよろしくない。何せゲルハルトはフォンブラウ領を代表する大商会の長であり、王都に次ぐ経済規模を誇るフォンブラウ領都の支店長を任されている人物だ。忙しいのは承知の上で来た。ロキは領主の息子であるという一点においてゲルハルトが対応するべき相手であるのは間違いないが、それでもしっかりと時間を取ってくれたことは、ロキにとっては僥倖だった。
そ、と斜め後ろの位置に立った男にロキが視線を移す。男は小さく礼をして口を開いた。
「ゲルハルト様、ファンベル商会との会食の御予定の準備をいたしませんと」
「おお、もうそんな時間か、わかった。ロキ様、また機会があればお会いしましょう」
「ええ。ではまた」
「はい」
礼をしてゲルハルトは去って行った。カミラがロキにギルド章の発行のために声を掛けると、ロキはカミラにギルド章発行の手続きを進めてもらう。戻ってきたロキがエドガーに視線を移すと、エドガーと視線がかち合った。
「……」
「……おう、エドガー、うちの御主人様に見惚れんのはいいけどぶしつけなのは失礼だぞ」
「――はっ! 申し訳ございません!」
「いや、構わないよ。見られるのは慣れているからね」
シドが楽しそうで何よりだ、とロキは思う。エドガーは灰色の髪を後ろだけ伸ばしている。このような髪形をしている子供は多い。むしろ学園にいれば短い髪の者の方が珍しいくらいである。セトなんて超の付く珍しい奴だったわけだ。最近はなんだか尻尾ができつつあるけれども。
「……こんな近くで、神子を見れるとは思っていなかったものですから」
「……基本的には教会が囲っているからね」
ロキはエドガーが恐らく無意識に伸ばした手を咎めることなく目を伏せる。
エドガーの手はロキの髪に触れた。
さらさらと癖のないストレートの髪はエドガーの指からこぼれていく。
「……この世に、こんな美しい人がいるとは思いませんでした」
エドガーの言葉にロキは僅かに目を見張った。そのほんの少しの表情の揺れにエドガーは気付く。
「……ああ、なるほど。皆はロキ様の表情が読めないんですね」
「……それは、そうだろうね」
「ロキ様の渾名、すごいですよ。最近は“人形公子”って呼ばれてます」
「それは初耳だよ」
人形。そう呼ばれているのか。
ロキは目の前の少年が目を細めてロキを見るその目を見返す。エドガーの瞳は琥珀色をしていた。
「でも、人形っていうには表情がありますね」
「そうかな」
「はい」
エドガーはにこりと笑う。
「ロキ様、僕をロキ様の傍に置いていただけませんか」
「……今は、やめておいた方がいい」
「ファンベル商会の成金息子でしょう?」
「!」
エドガーが知っているということは、とロキが考えを巡らせた。それを見て取ったエドガーは小さく頷いた。
「ロキ様は一般の平民からは、慕われているんですよ。皆口に出さないだけです。もちろん、噂に流されている者もいますが」
「ロキ、こいつはかなり使えるぞ。自衛も可能だし、いいんじゃないか」
持ってるツテが既にヤバいぞ、とシドがエドガーの肩を持った。ロキはゼロを見る。ゼロは小さく頷いた。
ああ、買収済みか、とロキは思う。
「……分かった。くれぐれも、怪我などしないように」
「はい!」
平民に嫌われているロキと、慕われているロキ、どちらの話が本当なのかを問う気は、ロキにはない。どちらでもいいし、できれば嫌われていたくはないのだけれど、貴族の耳に入っている噂と平民同士の噂では異なる尾ひれがついていることも大いにある話だ。
「さて。ギルド章を発行してもらったら帰ろうか」
「「畏まりました」」
ロキ様、できましたよ、とカミラの声がする。ロキはカウンターへ足を向けた。
「今後ともよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
ロキはギルド章を受け取ってギルドを後にする。
これ以降、ロキの後ろをついて回る従者のほかに取り巻きなるものがもう少し増えるのだが、それはまた別の御話。




